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18.先手とミス

 「ソナー、前方の潜水艦に動きはあるか?」

CICでは、優希が電話に声を入れていた。

『ブロー音が聞こえます。…ですが浮上しませんね。漏水音はまだ聞こえています。』

「攻撃の素振りはあるか?」

『いえ、注水音などは聞こえません。』

ふむ…。と電話を切る優希。

「どうやら、攻撃ができる状態ではないみたいだ。少なくとも、本艦を狙ってくるのは漏水が落ち着いてからだろう。」

「では、その隙に後方の潜水艦を何とかしなきゃね。」

梓の言葉に、チャートに目を落とす優希。

「最後に捉えたのは、後ろ2000メートルの位置だった。それ以降は、機関を止めたっぽいけどな。」

「そんなに動いてはないと思うけど…。」

見えない相手を無音で探し出すのは容易ではない。一方、向こうは「つきしお」の位置を完全に知っているのだ。明らかに不利だった。

「三咲さん、例のヤツは使えるのか?」

「ムリムリ~。ぜっんぜんわかんないよぉ~。」

腕を強く振る三咲。まあ、すぐに覚えろというのが無理な話だ。

「ソナー、315部隊の様子はどうなってる?」

『…海上は嵐のようで、よくわかりません。』

「そうか。このまま釘付けにして、315部隊の時間稼ぎって手もあるが…。」

優希がそう言った時だった。

“コォーン!”

小さかったがハッキリと聞こえた。

「探信音波!?」

『後方2000メートルより探信音波!…魚雷発射管への注水音確認!』

先手を打たれた!誰もがそう思ったことだろう。ピンガーを打ったということは、すでに攻撃の最終段階になっているはずだ。

「機関始動!針路まま!」

「デコイ装填だ。5番管へデコイ装填。…発射後90度右へとターン設定。」

梓と優希が、息のぴったりとあったコンビネーションを見せる。

「機関始ー動!」

『了解しました。5番管にデコイ装填。』

理沙の声と共に、魚雷の装填音が聞こえた。

「梓さん、反転だ。逃げても遅い。」

「わかりました。…面舵180度!」

グーッと身体が左に引っ張られる。チャートテーブルにしがみ付く梓。

『…!魚雷発射音、複数!…後方の潜水艦、逆進をかけます!』

「安全距離をとりにきたか。…マスカー用意。」

「でももう空気ないよ!?」

「沈んだら空気なんて関係ない。艦内からでも回してしまえ。」

優希の過激発言に、愚痴りつつもマスカーの準備をする三咲。

『魚雷4、急速接近中!雷速50ノットで突っ込んできます!距離1800!』

『デコイの装填終わりました。注水開始します。』

“ガボボボ…”

お互い、姿を晒して向き合った潜水艦。

「180度転舵完了!」

「5番管、開いてください!」

『アイサー。5番管、開きます。』

“ゴ、ゴゴン”

「撃てー!」

梓の声に、放たれる魚雷。ほどなく自分の役割を果たすべく、「つきしお」の音を海中にばら撒き始める。

「機関停止!」

「マスカー起動。」

“ドボボボ…”

気泡に包まれる「つきしお」。その姿はソナーから消え去った。


…かに、思えた。

「6番管に短魚雷装填を。アクティブホーミングで頼む。」

『1発だけですか?』

「それを囮に、動き出したところをパッシブ魚雷で狙い撃ちしようと思う。…これを乗り切れば、終わりだ。」

『わかりました。6番管に短魚雷を装填します。』

先手を考え、攻撃態勢を固めにかかる優希。

『本艦のデコイ、90度ターンしました。向こうの魚雷が喰いついて…』

そこで声が途切れた。息を呑む、そんな音が聞こえた気がした梓。

『魚雷2、デコイに引っかかりません!真っ直ぐきますっ!距離900!』

「えっ!?」

「なっ!?」

優希の驚きの声。

「…!」

梓はすぐ横を見た。そこにあったのは、

「あ…、そんな…。」

優希の、恐怖に怯えた顔だった。口元が歪み、手は震えていた。

 思えば、やはり17歳の少女だったのかもしれない。いくら選抜され、いくら訓練を積み重ねても、そこにいるのは17歳の少女たち。

 それゆえ、抜けているところもあったのだろう。若さゆえのミスは、男女どちらでも起こりうるのかもしれない。

「…有線誘導、が混じっていたのか。」

冷静な優希なら、そんなことわかりきっていただろう。だが、その前の推測撃ちの成功で気が緩んでしまったのかもしれない。

『魚雷接近中!距離500!命中コースっ!』

「総員、対ショック姿勢ー!」

梓の声に、CICのクルーが身を折り曲げる。今度は、本当の修羅場だ。

「優希さんっ!」

チャートテーブル上で唖然としてる優希、それを庇う梓。

「ごめんなさい…、全部背負わせて…。」

梓は声を絞り出した。優希に全てを負わせた、自分に責任があると。艦長であるにも関わらず、何にもできなかった。…いや、しなかったのだ。

「ほんとに…ほんとに…ごめんなさい…」

優希の背中をさすりながら、涙がこぼれ出る。

 少女たちにとって不幸だったのは、ミスをしたときに取り返しがつかない状況であることだ。海上自衛隊の潜水艦といえども、戦闘に参加すれば攻撃型潜水艦である。つまり戦闘艦なのだ。

 そして戦闘は殺し合いなのだ。ミサイルを、魚雷を撃ち相手の艦を沈め、乗員を殺傷することを目的とした行為。一瞬のミスが、命取りとなる世界…。

 けっして、彼女たちが「人を殺めたくない」と考えたことが致命傷ではないのだ。事実、ここまで一隻たりとも自分の手で艦を沈めてこなかった「つきしお」。それで、生き残ってきた「つきしお」。

「ううっ…」

優希の顔に、涙が浮かんでいた。

「まだ…、私は…」

「もういいよ!ごめんなさぁいー!」

梓は号泣し始めた。これ以上、優希を苦しませたくなかったからだ。死ぬ前くらい、艦長らしくしていたかった…。


 “シュウウウウ…”

ところが、海中の「つきしお」の周囲は異常事態が起こっていた。マスカーではない、小さな泡が「つきしお」の船体を包み込む。

“カラン…カラン…カラン…”

ガラス同士が触れ合うかのような、高い、独特の音がこだまする。そして暗い海中に突如現れた、明るい光。

“ゴオオ…”

そう、あの時と同じ。「つきしお」が横須賀で、不思議な光に包まれたあの時と。

“シャアアア…”

2本の短魚雷が、「つきしお」へと向かっていく。だが、

“スゥッ”

消えた。「つきしお」は、光の中に取り込まれた。直後にあったのは、「つきしお」の残した短いウェーキ。

“シャアア…”

突然、いたはずの目標を失探した潜水艦。誘導されなくなった魚雷は、だた水中を漂うしかなかった…。

 一瞬の出来事だった。

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