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10.いるといない

 急ぎ足で出港していく軍艦たち。見送る人々も軍楽隊の演奏もない、寂しい出港だ。夜明けの朝日から逃げるように…。


 「ふあ…。」

目を覚ますと大きく伸びをする。

「…。」

ボーっと見渡すが、いつもと変わらぬ艦長室だ。右を見れば簡素な机と本棚がある。

「今は…、10時か。」

起きなきゃ、と体を傾ける。

 ふと、机の脇にある金庫に目がいった。

「あ、そうだ。日誌書かなきゃ。」

この艦では、防衛機密を扱っているわけでもなければ知られては困る情報を持っているわけでもない。だから金庫といっても、せいぜい航海日誌をなくさないように入れてあるくらいのものだ。

 カチカチと目盛りを合わせ、金庫を開ける。

「ん?」

首を傾げる梓。立てかけてある航海日誌のすぐ横、

「“SWCDマニュアル”?」

なんだろう。気にしていなかったが、不思議な説明書らしきものだ。

“コンコン”

「機関長、入ります。」

優希の低い声がした。

「あ、どうぞ。」

梓の言葉に、ガチャリと開く扉。眠そうな優希の姿があった。

「三咲が眠いから交替して欲しいらしい。」

「あっそうだ!ごめんなさい。」

行かなきゃ、と制帽を被る。…どうも金庫から出てきたマニュアルが気になってしまう。

「ねえ優希さん、これなんだけど…。」

さり気なく、“SWCDマニュアル”と書かれた本を差し出す。優希さんなら、何かわかるかもしれない。

「?」

渡されたマニュアルを、興味深そうに見回す優希。

「これがどうかしたのか?」

「金庫にあったんだけど、何かわからなくって。優希さんならわかるかなって。」

「私も初めて見た。…借りてもいいか?」

変わらず抑揚のない声。だが、顔からは眠気が飛び去り興味津々なのが見て取れた。

「うん、いいよ。わかったら教えてくれない?」

「そうする。じゃあちょっと借りる。」

マニュアルを大事そうに持つと、そのまま機械室の方へと消えていった。

「さてと、三咲さんと替わってあげなきゃ。」

梓もCICへと足を運んだ。


 特に大きな出来事もなく、静かに時は流れていった。セイル頂上で、艦隊を見つめる梓。

“バタタタ…”

艦隊の駆逐艦に、哨戒のヘリが着艦していく。交替での哨戒を行っているのか、艦隊前部の別の駆逐艦上ではヘリがローターを動かし始めていた。

 港を出て三日が経った。テレストからの連絡では、明日にも次の港へ着き本格的な補給を行うのだという。

“ガチャ”

「艦長、替わりましょうか?お疲れでしょう。」

海士がハッチから姿を現す。

「ここにいると時間が経つのが早いな…。ありがとう、お願いします。」

腕時計を見ながら、海士と入れ替わりに艦内へと下りていく。

 下りきったところで、CICとは反対の方向に足を向ける。自分の部屋でもない。

“コンコン”

「三咲さん、入るよ。」

一声かけ、ドアをそっと開ける。

「梓…。」

「気分はどう?」

「うう…。頭がガンガンする…。」

青白い顔で、二段ベッドの下段に横たわる三咲。昨日から体調を崩している三咲のことが、梓の気がかりだった。

“ピピッ”

「39度6分ね…。」

体温計の表示が、梓の心配を膨らませていた。熱は上がりこそすれ、いっこうに下がる気配を見せてくれない。

「お水、飲む?」

「…さっき理沙にもらったから大丈夫。」

ハァハァと苦しそうな息づかい。見てるこっちが辛くなってくる。

 額のタオルを変え、一息つく梓。こんなにも辛そうな三咲を見たのは初めてだ。

“コンコン”

「入るぞ。」

ドアが開く。姿を見せたのは優希だった。

「どうだ?」

「熱が39度6分、全然下がってない。大丈夫かなぁ…。」

「解熱剤は飲んだのか?」

「今飲むと…、吐いちゃいそう…。」

「吐いてでも飲め。それじゃ下がってくれないぞ。」

そしたら効果ないんじゃ…。でも、優希も三咲のことは心配しているらしかった。

「風邪をこじらせただけだろうが、環境が環境だけに治りにくくなってる。」

「そうかもしれないね。…早く良くなってくれるといいけど。」

首に汗が光っているのに気づき、拭き取る梓。

“ジリリリ…”

「はっ、非常ベル!?」

『緊急です!艦長、CICへお願いします!』

「梓さん、行くんだ。」

「うん!三咲さんを頼みます!」

ドアを開け放し、CICへと急いだ。


 “バタン!”

「何かあったんですか!?」

CICへ飛び込むなり、声を張り上げる梓。

「315部隊がミサイル攻撃を受けました!駆逐艦グレイプが炎上中です!」

「総員戦闘配置!船体を海面下に沈めてください!」

“バシュウウ…”

心臓の脈動が早くなる。

「三咲さんがいない…。私がやらなきゃ…。」

潜望鏡を上げ、レンズを覗き込む。その視線の先には…、

「…駆逐艦が炎上中。…315部隊は散開する。」

陽が落ち、暗くなり始めた周囲を照らしだす真っ赤な炎。

「艦長、テレストより無電です!“方位3-0-0、距離70キロアタリニ敵艦艇。貴艦ハ潜行シ水中索敵ヲ強化サレタシ。”…以上です!」

「了解と伝えてください!…潜望鏡下ろして!深度100まで潜って、潜水艦がいないか確かめます!機関全速!」

「アイサー!メイン・バラストタンクのベント開け!」

「動力を電動機にスイッチ!…出力最大!」

前回の追い込み戦術から、艦隊が潜水艦を恐れていることが痛いほどわかった。水上が浮き足立ってる中、海中から仕掛けられたらひとたまりもない。

『グレイプから爆発音!船体が断裂しています!』

三滝の鋭い声。まさに沈み逝く艦が、最期に搾り出す悲鳴…。

『315部隊の全艦が散開します!』

「三滝さん、左舷方向に注意してください!右から水上艦が撃ってきたのなら、潜水艦が潜んでいるかもしれません!」

とは言っても、この速度ではソナーは使い物にならないか…。つくづく部下を考えない、ダメな艦長だな…私。


『私たちが人を殺めたりしなくてもいいような方法を考えればいいのではないでしょうか?』


理紗の言葉。お互い姿の見えない中、血を流したくない私たちがとるべき手段…。

「今、私たちにできること…。」

ふと頭をよぎった理紗の言葉が、梓の気持ちに変化をもたらした。

「敵も味方も、死ななくていい方法…。」

“カチッ”

艦内電話のスイッチを入れた。心臓の脈動は落ち着いてきていた。

「315部隊の前方に出たら、機関を停止してください。ピンガーを打って潜水艦の存在を確かめます。」

落ち着いた声を吹き込んだ。

 いるかもわからない潜水艦に向かって、ピンガーを打つのにリスクがあることは承知していた。

「でも、見えれば何とかなる。」

潜水艦を見つけ、私たちが対処すれば沈めなくても済む。いなければそれで済む。

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