わだいがない 8
柿崎君の場合
「嫉妬深いのは、女性だけとは限りませんよ。」
柿崎は、にっこりとほほ笑んだ。
彼女は酒を飲みほして言った。最初は、近況の話、仕事の話、最終的にはお互いの恋愛の話になっていた。
「へぇ、格好良い彼氏ですね。」
柿崎は携帯を彼女に返しながら言った。彼女は照れたように笑った。
「えへへ。あたしの一目ぼれー。この間から付き合っているんだけどー。付き合ったからって悩みって減らないよねぇ。」
「あー、確かに、そうですねぇ。心配が増えますもんね。」
「そうなのよ。本当は言いたいのよ?あんな女と喋らないでって。でもさぁ、言ったら嫉妬深いとかさ、重いとか思われたら嫌じゃん?仕事だってことはわかっているし、あたしだって男の人と話すことも当然、あるし。」
彼女は枝豆を食べながら言った。
「ま、普通はありますよねぇ。」
「でも、本当は言いたいのよ!わかる?」
「ハイ。わかりますよ。でもそれを言ったら自分のほうが負けたような気がしません?」
柿崎は新たに来た酒を差し出しながら言った。
「だよねぇ。わかる!はぁー。イライラする自分がイヤ。独占力が強いのかなぁとか考えると落ち込んじゃうしね。」
「そうなんですよ、自分でも心が狭いなぁとか、相手を信じなくてどうするとかいろいろ考えるんですよねぇ。」
柿崎はうんうんと首を前に動かしながら相槌を打った。
「あら、男でも思うのねぇ。あたし、こんなこと思うのは女だけかと思った。」
「まぁ僕は、ですけど。皆が皆そうとは限りませんけどね。基本的にずっとポケットとかに突っ込んで傍に置いておきたいですねぇ。」
「束縛タイプ?」
「束縛したいんですけど、すると嫌われますもんねぇ。」
柿崎は困ったように笑って、ビールを飲んだ。
「ポケット……。」
「いやいや、軟禁とかよりましでしょ。」
彼女はちょっと考えて、渋い顔をした。
「女はポケットは嫌かなぁ。」
「なんでですかぁ?」
「窮屈よ。だって素っぴんにもなるし、化粧中とか見られたくないし、料理とか部屋の掃除とか、毎日ピカピカはストレスになりそう。一番きれいな時の自分を見ていてほしい。」
「そこ、逆ですねぇ。男はきれいな部分と、そうじゃない自分しか見られない相手を独占したいもんですけどね。やっぱり考えに違いがあるんですかね?」
その言葉に、彼女はちょっと考えてから言った。
「あのねぇ、理想よ?」
「はい?」
「理想を言えば。あたしよりもちょっと彼のほうがあたしを好きでいてほしいのよ。見た目だけでいいから。」
「見た目?」
「そー。好きの度合いは一緒でも、あたしのほうが彼にぞっこんでもいいんだけど、外から見た、見た目は彼があたしにメロメロなのがいーの。」
「えーーー。」
「だから理想よ!周りから見て、彼女のこと本当に好きなんだなぁってわかるほうがいいのよ!でも実際にはさ、日本の男はそんな姿を見せてくれる人って少ないじゃん?やっぱりさぁ、惚れたほうが負けなのよ。男女関係なく!昔はさ、恋愛中は対等なんて思ってたけどさ、そんなことないよ。」
「そうですねぇ。難しいところ……あれ?なんか携帯光ってますよ。」
カバンから携帯がチカチカと光っているのが見える。
「ん?あ、彼から。………どーしょう。」
「どうしました?」
「ここに来るって!どうしょう!あたし、彼が残業で遅くなるから一人で飲むって言っちゃってた。」
「あれですか?」
振り向くとサラリーマンの彼が店員に中に知り合いがいると説明している。さっき携帯でみた顔と同じだ。
「ど、どーしよ。」
「わかりました、僕の話に合わせてくださいよ!いいですね。」
「え?」
「よ!仕事が早めに終わったんだ。こちらは?」
彼がにこやかに微笑み、冷たい視線で僕を見つめる。その眼は笑っていない。
「あー!こちらが噂の彼氏かぁ!」
柿崎は、にこやかに対応した。
「あ、あの……。」
動揺する彼女をまったく無視して柿崎は話を進めた。
「いやぁ!聞いてますよ~。彼女からイケメンだし仕事が出来る素敵な彼氏だから、浮気とかが心配だって!あ、僕の彼氏も素敵なんですけどぉ。」
彼氏という単語を強調してみた。ついでに体も手首も少しひねってみる。演技がうまくいったのか、地味に彼の顔がひきつる。
「あの、どういう知り合いで?」
「大学からの知り合いでぇ。今日、偶然道で会ったもので。一人だって言うし。こっちの恋愛の愚痴、聞いてもらってたんですぅー。」
彼女がコクコク頷く。まさか昔の合コンで仲良くなったとは言えない。久しぶりに会ったのは、本当のことだからまぁ、いいだろう。柿崎はわざとらしく腕時計を見た。
「あ、いっけなぁい、そろそろ帰らないと。ダーリンがうちで待ってるし。」
「そう……なんだ。」
「うん、じゃあね。あ、ちょっと。」
彼氏を彼女から引き離してそっと耳に囁く。
「彼女に飽きたら言ってね。連絡待つわ。」
妖しげな目線を送ると、柿崎は歩き出した。それが効いたのか彼はちょっと後ずさりをした。すると彼女が追ってくる。
「柿崎君。」
「どうしました?」
「ありがとう、ごめんね、変な芝居させて。ここはあたしが払っとくから。」
彼女の小声の囁きに、柿崎はにっこり笑う。
「じゃあ、お言葉に甘えて。また。」
「うん、またね。」
彼女は手をひらひらさせて彼氏のところへ戻っていった。このまた、が今度はいつになるかわからないところが社交辞令というところだろうか。
店を出て、ため息を一つ付く。すると、柿崎の電話が鳴った。表示には名前だけが出ている。
「あ、これから帰る。仕事の飲み会だよ。ん。じゃ。は?女の子?いるわけないだろ。ばーか。」
柿崎は電話を切ってまっすぐに家に帰った。チャイムを押すと同時にダーリンが走ってきたようで、すぐにドアが開いた。
「おかえりなさ……なんか、香水くさい!女といたでしょ!」
「職場に女性くらいいるさ!」
靴を脱いで、着替えるために部屋に歩きだす。
「さっき、女の子はいないって言ったじゃない。」
「いないよ、子って年齢じゃないし。」
「嘘よーだって、この香水、最近の若い子がするやつだもん。若い子といたんでしょー。」
すねて、顔を膨らませているダーリンに、柿崎は、ネクタイを緩める手を止めて真顔で言った。
「いや?若くねぇよ。オレと変わんないくらいだし。彼氏とのラブラブ話とか聞かされて、大変だった。」
その真顔に負けたのか、ダーリンの膨らんでいた顔が普通に戻った。
「……ホント?」
「嘘、ついてどうする?飯は?」
「あるけど……食べるの?お酒飲んできたんでしょ。」
「酒だけね。飯はお前と家で食うのがいいんじゃないか。」
柿崎は営業スマイルを繰り出した。
「うん!」
ダーリンはにこにこしながら、部屋から台所へ消えていく。柿崎は今日の彼女の言葉をゆっくり頭で思い出していた。
理想はね!あたしよりもちょっと彼のほうがあたしを好きでいてほしいのよ。彼女のこと本当に好きなんだなぁってわかるほうがいいのよ!
「ご飯、準備できたよー。」
「おう。」
ダーリンの言葉にリビングに向かう。夕飯を食べながら、一日の話を聞くのだ。
そのあと、ダーリンは風呂場へと消えた。シャワーの音が聞こえると、柿崎はそっとダーリンの携帯のもとに近づいた。中身を見てみる。とくにほかの男からの怪しいメールの送受信もないことを確認すると、自分の携帯を確認する。
やましいことなど何もないが、怪しまれそうな内容は早めに消去するに限る。ケンカの種になりそうな物事は早めに摘んでおくことが大事だ。仕事だけで疲れているのに、帰ってきていらぬ疑いをかけられて、バトルするだけの気力などあるわけがない。
嫉妬深いのは女性だけとは限らない。ダーリンにニコニコしてもらうのは、大事なのだ。
「でたよー、はいってきていいよー。」
「おー。」
柿崎は、シャワーを浴びながら、自分がそうしているようにきっとダーリンも携帯を確認しているに違いないとぼんやり考えていた。
「つまり、オレも嫉妬深いってことだな。」
ぽつりと、柿崎はつぶやいた。さっぱりして、出てくると、ダーリンは食器を洗い始めていた。こういうとき、柿崎は、こいつがいて便利だなぁと思う。
「何?」
ダーリンの問いかけに柿崎はただ笑って言った。
「やっぱ、ポケットにしまっておきたいな、と思ってさ。」