New moon vol.16 【魔境の入口】
船の動きが落ちていく、手に伝わる振動が僅かに変わり、薄っすらと目を開く。どうやら目的の島に近づいてきたようだ。
体を捻り、少しだけ甲板側に顔を上げると、忙しなく動いている水夫が視界に入る。
遠くに見えるのはおそらく港だろう。多くの魔術による光りが灯されており、薄っすらと沢山の兵士が見える。
その後ろには聳え立つ城の様な建物、この距離でも見えるのだ、相当大きな建造物だろう。事前情報では研究所の周りには研究者用の宿舎があるだけで他には森しかないと聞いているが、遠目から見ても研究所と思われる城以外見当たらないので間違いないだろう。
警戒している兵士の数を見る。シャドウらしき部隊も見える事から、やはり潜って潜入するのが一番無難なようだ。
先ほどは折角血で汚れないように斬ったのに、結局ずぶ濡れになる事になりそうだ。
うんざりした顔をした後、船体に刺さっていた剣を抜き、暗い海へ飛び込んだ。
暗い海に飛び込んだ瞬間目の前に鮫が迫る。右手を振るい鮫の頭をばらばらにぶちまけた後、そのぶちまけられた血と肉に寄って来た鮫を避けながら岸へ向かう。
途中面倒になったので、鮫の背に乗り手刀を突き刺し乗り物代わりにした。方向を変えようとするたびに矯正させようと鮫の腹を突き刺す。2、3回で動かなくなる乗り物だったが、まぁ多少楽は出来た。
何匹かの鮫の死体が海に浮かぶ頃には船が着艦したであろう港から少し離れた断崖にたどり着いていた。おそらく港に近い場所は断崖で、他の場所は森に囲まれた天然の要塞なのだろう。
断崖のそば、少しだけ見えている岩に登り、上を見上げる。おそらく地上まで200メートルといったところだ。
足に力を入れて飛び上がる。2度、3度崖を蹴り上げ、空へ舞い上がる。慣性の法則から崖から体が離れそうになったところで腰の長剣を抜き、崖に突き刺す。
半分まで突き刺さった赤い剣、柄をしっかりと握り、ぐぃっと、体を崖側に引き寄せる。くるりと一回転した所で突き刺した剣の上に乗る。
ごそごそと懐から先ほど船に刺していた小刀を出し、くるくると手の中で回した後、下に落とす。
丁度自分の足の所に落ちてきた所で、ぶん、と蹴りを小刀の鞘に加え、崖に突き刺す。
ドゴッ、という音がした後、柄の半分まで埋まった小刀に乗り移り、赤い長剣を崖から抜く。
「さて、崖の上に見張りの兵が居ないことを祈るか」
少しだけ体を沈め、ドン、と突き刺さった小刀ごと蹴り上げ空へ舞い上がる。力に耐え切れなかった小刀は半分に折れ、海へ落ちていく。
生半可な力では崖の土ごと抉り取り、落ちていくのだろう。しかし、その一瞬で爆発的な力を生み出した跳躍、一点に集中された力は小刀の柄だけを見事に折っていた。
支えにしていた柄が折れたことで若干速度が落ちてしまったが、十分に上まで上がる勢いを得ることが出来ている。
だがこのままでは一気に飛び出してしまう、途中でブレーキをかけようかと思ったが、崖を覗き込むように見えた生き物で考えを変えた。
そこに見えたのはウルフハウンドと言われる魔獣、魔獣がいるのならば見張りの兵士が何らかの対応を取っているはず。
警戒をしながら周囲を兵士達が取り囲んでいる可能性もあるが、それならばウルフハウンドは暢気に下を見ていない。ぐんぐんと物凄い勢いで近づいていく地上、だが近づいても人の気配を感じれない為、より確信に近づく。
剣を構え、一閃。崖の一部ごとウルフハウンドを切り捨てる。そのまま上空に飛び出た体を前方に宙返りして、回りにいた魔獣も切り捨てる。
ウルフハウンドは数で行動する生き物である、予想通り10匹ほどいた魔獣を延びた刀身【月涙演舞】で輪切りにした。
「とりあえず島には上陸成功だな。あとは研究施設に潜入か」
ふぅ、と一息ついた後、普段の腰まで届く銀髪、では無く黒髪を払い、聳え立つ城、いや、研究所を睨む。
海水で少しぱさつき、肌に張り付いている髪を顰めっ面で見た後、まず上着を脱ぎ、染み込んだ海水を絞る。風の魔術で若干残る海水を吹き飛ばし着直すが、海水なだけあり着心地が悪い。こういう時は殺す事に特化している加護に不満を覚える。
まぁ、無いものねだりをしても仕方が無い。濡れそぼった髪も絞り、武器の点検をする。問題が無い事を確認した後、にやりと笑い、ポツリと呟く。
「せいぜい頑張ってくれよ軍事部門諜報部」
その声が森の暗闇に染み込んで消えていく様に、ラウナの姿も夜の闇に消えていった。
◇◇◇◇◇
目の前にそびえ立つは見事な城をぐるりと囲む5メートルはあると思える柵、そして正面は大きな門。おそらく魔術的な何かを処置してあるのだろう、所々に魔術刻印が見て取れる。
4人の兵士が入り口を見張っており、通信魔昌石で絶え間なく連絡を取っているようだ。
正面からの潜入は難しそうだ、となると周りの柵を飛び越えるのが一番だが何の仕掛けがあるかわからない。飛び越えた途端警報でも鳴らされたら面倒だ、ダメージ的なものであれば無視できるだろう。
見つかるわけには行かない以上慎重に行く必要がある。とはいえ悩んでいる暇もそれほど無い。先ほど運び込まれた人達が、いつまでも無事だという保障は無いのだから。
近くの木に登り、柵の内部も確認する。暗闇の中で魔術光で周りを照らしながら巡回している兵士が見て取れる。柵を飛び越えた後は巡回中の兵士を処理しなくてはならない。
特に堀は無いのでその辺は問題なさそうだが……。
「やはり上から忍び込むか、城まで距離的には50メートル程、問題無く乗り移れるだろう」
一番高い木の上に登り、着地する予定箇所を睨む。距離的には問題ない、柵に何らかの細工をされていることを考え、ある程度の余裕を持った高さで飛ぶとしても大丈夫だろう。しかし音がしないように着地する事が問題だ。簡単な騒ぎを起こし、その騒ぎに乗じて飛び込むか。
そう考えた後、登った木の下でボコボコにされている魔獣に視線を移す。豹と狼を足して2で割った様な姿をしているが、その大きさは豹の3倍はあり、体毛は全身が真っ黒。凶悪な牙を覗かしている。夜の殺し屋とも言われる魔獣、フェンリルである。
丁度城に向かう時に襲い掛かってきたため、使えるだろうと生け捕りにしたのだ。
尚、フェンリルは単体で倒せる魔獣ではない。おそらくこの場で放てば城の警備兵全員で対応に当たる必要があるだろう。
「と、いうわけで行って来い」
ぐるるるる、と此方を威嚇してくるフェンリルを正門目掛けて蹴り飛ばす。ギャン、と一鳴きした後空中を舞い、門を守っている兵士の前に図ったかのように落ちた。
一瞬硬直する警備兵達、だが直ぐに大声で助けを呼ぶ。それはそうだろう、目の前にフェンリル、そして味方は数名。自分の死が決まったようなものだ。
ラウナに一方的にぼこられた事が相当不満だったのか、全身の毛を逆立てて吼えるフェンリル。門の中から大勢の兵士が出てきた所で、その魔獣の一番近くに居た兵士が吹き飛ばされるのが確認できた。
「ふっ」
大騒ぎになっている正門から少し離れた所で柵を飛び越え屋根に飛び移る。ドガッ、と着地と同時に城の一部にひびが入り、音が響いたが気づいている者はいない。正門で暴れている魔獣に対してあっちこっちで警戒警報が鳴り、怒声が響いている。軍事部門諜報部も居る事だから直ぐに沈静化されるだろう。
フェンリルに吹き飛ばされる兵士を横目に城に潜入する。それなりに訓練されている兵士諸君だ、死傷者までは出ないだろう。頑張って利用されてくれたまえフェンリルよ、私に喧嘩を売ったことが間違いだったな。
するりと城内に潜入し、スオウから渡された資料を見る。かなりの部分が歯抜けになっているが大体の内部地図だ。帝国の国家機密を大体でも掴んでいるあの男は脅威を通り過ぎて気持ちが悪い。
スオウが書き込んだと思われる何点かの予想される資料保管庫を頭に再度インプット、確認し、まずは一番目の予想地点に向かって走り出した。
◇◇◇◇◇
最初の候補場所に居た兵士を縛り上げ、すでに服装は変えている。今の場所は6箇所目の予想地点、だがやはり此処にも無い。あの男は勘では無く統計学的な情報の提示をするため、ある程度信用はあるが……。
「女の勘と言うのはそれすらも上回る事がある」
もらった資料には記載されていなかった場所、そこにあった階段。おそらく地下に続いているであろうその入り口を睨む。私の勘ではあそこが一番怪しいと考えている。
だが警備は厳重だ、他の潜入方法を考える必要が有る。
「仕方が無い、切り抜くか」
何人かの学者か研究者らしき者が階段を降りていくのを見て階段の方向を確認する。
暫く降りた後左側に折れていた、そして直ぐに手前に回る人影。確定ではないが単純に真下に有る可能性が高いだろう。
しかし研究室の真上に出るわけには行かない。
あの男から貰った資料には地下の存在も書かれていた。そこへ行くルートは未記載だったが、この資料通りなら位置的にあの階段を降り切った直ぐ横に物置の小部屋があるのだろう。問題として地下はこの小部屋しか無い、となっている所だが……。
見える範囲での下りの階段の距離を概算し、そして兵士に見られない位置、その場所に立ち剣を振るう。
距離はおそらく5mか10m程、運悪く物置に誰かが居る可能性もあるが、多少の剣先が見える分には問題ないはずだ。
【月涙演舞】で延ばした刀身を振るい、床を四角く切り取る。そしてずり落ちる前に剣を斜めに突き刺し、上に持ち上げていく。
「ぬぉぉおおっ」
ズズズ、と持ち上がる床、この状態で誰かに見られたら一発でアウトだろう。いや、固まってなにも行動できないかもしれない。なぜなら目の前で床が競り上がってきているのだ。
自分の背丈より高くなってしまった床。今度は床、と言うより長方形の石の塊を横から斜めに突き刺し、刀身を伸ばしながら上に持ち上げていく。
ゴゴン、という音がした後、床が綺麗に抜けた。覗き込むとどうやら階段の場所では無く、予定通り小さな小部屋に繋がったようだ。これはツイている。
「良く良く考えたら誰か居た場合、持ち上げることによって落ちる破片で気づくな普通は、危ない所だった」
トン、とその小部屋に降り立った後、ふと思い出したかのように考える。ちなみに切り抜いた床は元に戻しておいた。綺麗に切り取った為少しだけずらして無理やり入れ込んだら良い具合に引っかかって動かなくなった。上の表面は剣が刺さった後が見えるかもしれないが、暫く見ていた限りでは巡回ルートではない、日や時間によって変わるかもしれないが、夜の暗闇、しかも足元だ、そうそうわからないだろう。
体に付いた埃を払い、目の前の扉に耳を近づける。階段を降りる音が聞こえる、どうやら誰かが来た様だ。
「おい、正門で何か騒ぎがあったようだが大丈夫なのか?」
「ああ、ええ、フェンリルが出たそうで。直ぐに制圧したそうなので問題ありませんよ」
「フェンリルが何でこんな所まで出てくるんだ?」
「さぁ? シャドウの連中が何か調べてる様ですけど、そういったことは専門の人間に任せておくべきですよ」
「お気楽だなお前は」
「適材適所という奴ですよ」
離れていく足音、どうやらシャドウが動いたようだ。既に潜入しているとまでは思っていないだろうが、何らかの思惑があると考えている所だろう。【Crime】の仕業とでも考えてくれていれば良いが。
キィ、と音を鳴らし扉を開き外を覗く。顔を覗かして見るとどうやら座敷牢の様なものが続いており、さらにその奥には扉がある。座敷牢には正確な人数は把握できないがぼんやりと何人もの人が居るのが分かる。ビンゴだ、だがしかしなぜ諜報部はこんなわかりやすい所に気が付かなかったのだ、と考えている所でゴゴン、と言う音がして座敷牢に続く道が閉まって行くのが見える。
しまった、仕掛け扉か。気づいた時にはもう遅い、既にそこは何の変哲もない石の壁が目の前にあるだけの場所となってしまった。どうやらこの地下室は物置の小部屋しか無い物だと申請されているのだろう。どうりでスオウから来た資料にも書いていないわけだ。
周りを見るが目に付く仕掛けは無い、次に誰かを来るのを待って潜入するしかないだろう。
さすがにこれを斬るのはまずいだろう……。
はぁ、とため息を付き己の迂闊さを呪った。