phase-72 【青月の追走】
晴れ渡る空、上空には平和を告げ、祝福を与える為に集めていたであろう鳩が空を飛んでいる。実際この世界では鳩とは呼ばないが、婚姻や祭典の時に使われる鳥だ。
原因は壊れたゲージ、鳩を閉じ込めていたゲージは半壊し、開いた穴から押しやられた窮屈な箱庭から、その羽を羽ばたかせ空へ飛び立っていく。
目の前には門、片側いくらするのか、想像すらできないような荘厳な扉が聳え立っている。
周りからはうめき声、そして隣には赤く妖艶に輝く大剣を肩に背負ったアルフが立っている。
日はそろそろ正午、11時から始まった結婚式はそろそろ神への制約を告げた後、お互いの口付けと言った所だろうか。おそらく見栄えにこだわる長男との事だ、大聖堂の特徴からして12時丁度に行うだろう。
12時まであと10分程度、朧の弾を再装填し、その正面の門を見上げた。
潜入からほぼ3分、警備に当たっていたアウロラの私兵を蹴散らしたアルフとスオウがそこに立っていた。
「さて、どうする?」
にやりと笑いこちらを見た後問いかけてくるアルフ。
「決まっている」
同様に笑い、答える。そうだ答えは決まっている。
「派手に行こうか」
正面を向きながら言い放つ。へっ、と笑った後、剣を振りかぶるアルフ。目の前の門に数え切れぬ剣線が走った。
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スゥイ=エルメロイ、平凡な家庭、平凡な両親、そんな家庭に憧れた少女。
しかし彼女の願いは叶わない。たった一人妄執に縋る祖父のせいで。
彼女が生まれると同時に最初に言われた言葉は侮蔑であった。なぜ男ではなかったのか、と。
当然彼女にはその頃の記憶など無い、だが毎日のように言われていたその言葉は彼女に呪詛のように絡みつく。
貴族としての生活が忘れられない祖父、コンフェデルスに来てから格が落ちたその生活に耐え切れないのか、良く父と母に当たっていたのを覚えている。
私は貴族として必要な知識と武術、そして魔術を叩き込まれた、凡人でしかなかった私は唯の苦行であったが、出来ないと殴られる為必死で覚えた。
母はいつも私をかばってくれた、でもそうすると母が叩かれる。だから私が覚えるしかなかった、少しでも母が叩かれないように。
6歳で弟が生まれ、それまで貴族の家の子供として厳しく躾けられ育てられたが、弟が生まれたと同時に政略結婚の道具として扱われる。
唯一の味方であった母も、弟を出産するときに死亡。
どうやら私が女であった事が祖父は気に入らなかったようだ、散々男を所望し、そしてその為に母を殺した。
殺したかった、祖父を、ただの言いなりとなる父も、そして母を殺した弟も、全員全員殺したかった。
どんなに憎んでも恨んでも体は動かない、幼い頃から躾けられたこの体は唯一の母を殺されても動かない。私には恨む事すら出来ないのか、復讐すら出来ないのか、涙すら出てこない、愛した母が死んでも泣けない私は人なのだろうか。
政略結婚の道具としての活用方法を考える祖父、しかし所詮落ちぶれであるエルメロイ家に目を向けるものは少なかった、が、スゥイは容姿に恵まれた。
しかしいきなり貴族は難しい、そこで最近名前を出し急激に成長していると聞くフォールス家に目を付けた。
ちょうど長男は娘と同い年、これは使えるとして6歳まで厳しく躾けた事も有り、魔術適正も高かった娘を7歳の時カルディナ魔術学院へ送る。
所詮は道具、それにフォールス家が使えないようならまた戻して他の家に使えば良い。おそらくそんな所だろう。
そこでスオウ=フォールスと出会うことになる。
今まで厳しく躾けてきたくせにいきなり道具として扱う祖父、反対できない弱い父、母を殺した弟、もはや家に安らげる場所などなかった。
そんな状況で学院に出てきたが最初に会うのは帝国の貴族、家でも貴族、外でも貴族、私には私を見てくれる人がいない。
分かりきっていた事だが改めて現実を知らされる。感情が消えていく、もともと無かったのに消えていくなど何を言っているのか。自分でも良く分からない。
そんな中、貴族を吹き飛ばし挙句の果てに、まるで楽しむかのように自分で吹き飛ばした貴族を介抱する男。
スオウ=フォールスだと知るのはその後だ。
私ではとても使えないような風の魔術を行使する、とても同い年とは思えない。
祖父が毎日のように自慢する貴族、まさに恐怖の象徴で、憧れの象徴で、私の目指すべきモノだった、それが汚物塗れで転がっている。滑稽だ、本当に滑稽だ、転がっているその男が祖父に被る。
興味が出た、最初は唯の命令だった、同い年の男を色目を使って落とせという人形に与えられた命令。
初めて家族に相談しないで外泊をした、その夜は楽しかった、同年代の友達なんかいなかった。母が居なくなってから一度も笑えなかったけれど、現実逃避だったのかもしれないけれど、あのときの感情はもう色あせてしまって分からない、けれどスオウと出会ったあの日は、あの時のスオウの顔と言葉は今でも覚えている、鮮明に覚えている。
実家に戻ると祖父から良くやったと褒められる、どうやら一緒に泊まったことを知られたようだ。
私はそんなつもりだったんじゃない、そんなつもりだったんじゃ、本当にそんなつもりじゃなかったのだろうか? ふと思う、打算だったのではないのか、元々近づけといわれていたのだ、無意識下で考えたんじゃないのか?
楽しい? 母が死んで、何も無い私が楽しんだ?
そうだ私は人形だ、人形がそんな事を思うわけがない、楽しいと思うわけがない。そう思おうとしていただけじゃないのか。
愚かだ、本当は自分でも分かっていたはずなのに。
入学式ライラと供に学校に向かう。
祖父が当時貴族だった頃のメイドの娘であるライラだ、なんでこんな子がいるんだろう。この子がいるからメイドがいるから祖父は貴族の考えが抜けないんじゃないか。
仲良くしていることに祖父は良い顔をしない、でも良い顔をしない祖父を見ることが楽しいから私はこの子と仲良くする。
人形なのにおかしなことをする、本当に私はおかしい。
この子の前では良い子でいないと、立派な貴族でいないと、貴族じゃないのに、もう私は貴族じゃないのに、家を引き継ぐことも出来ず、ただの体だけに価値がある道具に過ぎない私が?
夕飯時きたならしいと言われる、食事そのものを言われたようだが私の存在そのものを言われたような気がした。
そうだ私は何で生きているんだ、そうか、そもそも私は人形だ、人形が生きているわけがない。
目の前のスオウが立ち後ろを向く、面白いように歪むその相手の男、また同じように祖父の顔か重なる。面白かった、楽しかった。人形だけど、私は人形だけどこの人の傍だと面白いと感じれる。
たまに迫るけどなんの反応もない、私に魅力が無いのだろうか。
困った、政略結婚でも私はこの人なら良かったのに、祖父の考えが変わる前に無理やり事を起こそうか。でも、それはそれで気に入らない。おかしな事を思うようになった物だ。
ここまでやってるのに反応が無いのだから多少無理難題言っても良いだろう。きっと良い、大丈夫、私が良いって言ったんだから。
中等部に入って私の容姿は更に母に近づく、優しかった母、鏡を見るたび少しだけ心が安らぐ。最近はライラを見ても苛立つことは無くなった、それよりアルフが手間がかかって困る。またスオウに振ろう。
だいたいあの男はおかしい、昨日だって何人か私に告白してきたんだ。私の容姿が悪いわけじゃない、胸? でもナンナ様にも興味を持たなかった。意味が分からない。
そういえばスオウの両親はとても暖かい、少しだけうらやましく思う、そして自分の両親を思い浮かべ、母だけ浮かんでくる。傑作だ、どうやら私は母以外家族と認めていないようだ。
世の中は不公平だ、なんで私が、なんで? 私が何かしたの? 私が悪かったの? なんで私はここに生まれてこれなかったの?
スオウを恨む、けれどきっと……、きっとあの人に声を掛けられるたびに私は嬉しくなるんだ、ああ、人形の癖に本当に壊れてきた。
スオウが、スオウが死ぬかと思った。トロールの棍棒が飛んでくる瞬間世界が止まっているように見えた、少しずつ食い込んでいく棍棒、潰れていくスオウの腕。世界が止まる、私の心臓が止まる。いやだ、まって、私を、私を置いていかないで。
お母さんの次は貴方が私を置いていくの?!
病室の中、彼がふてくされた顔で此方を見ている。よかった、包帯だらけだけど生きていた、本当にこの人は。照れ隠しに果物を剥くが上手くいかない、笑われる、むぅ……、でも生きてたから今回は許してあげる。
お義母様が来ることが怖いようで絶望に染まった顔でこちらを見てくる、楽しい、かわいい人だ。
いつだったかスオウに夢を聞かれたことがある。
私の夢、私の夢は人になること。夢を持つことが出来る人になる事。
私は夢を持ったことが無い、私に持たされたのは唯の命令だけ、人形に与えられる命令だけ。
でもこの人の傍にいれば私は人になれる。人になれるんだ。
今まで全く関与してこなかった祖父が突然学院に来た。
アルロラ家より長男が私を見初めた等と祖父が言う、何を言っているのか分からない。
思い出す。そうか、そうだった私は人形だった、人形に意志なんて無い。
あぁ、全てが終わってしまった、人になれると思ったのに。
アウロラ家、コンフェデルスの六家の一つ、私だって馬鹿じゃない、状況くらい把握できる。既に話は国にも六家にも伝わっているそうだ。
これは無理だ、これはもう無理だ、絶望で頭が回らない、あぁ、これはもう……、無理なんだ。
所詮人形が人になれるわけがなかった、そうだ、それでいい、それでいいのだ。所詮私は人形だ、人形は愛でられ愛され飽きられて捨てられる。
そして今から私はただ子供を生む為の道具だ、そうだ人形から道具になっただけの話だ。
きっと母のように産むだけ産んで死ぬのだろうか、だがそれも良いかもしれない。
道具なら何も考えない何も感じない、なにも思わない、だからきっと大丈夫。
最後にせめてスオウに会いたかった、だからお願いして会わせて貰った。
いつもと変わらない彼、あぁ、だめだな……、本当に、本当に私は彼を。
愛していたのだ……。
―――――カシュンッ
大聖堂の扉に線が走る、私の何倍の高さもある扉に線が走る。
瞬間数え切れないような数に分解されたその扉は轟音を立てて崩れ落ちる。
真ん中には背の丈以上の赤い大剣を持つ男、誰だろう逆光でよく見えない、おかしなことを思う。私は道具だ、もはや見る必要なんか無い。
用は無いとばかりに横にいるよくわからない者とよくわからないお話の続きをする、と、思った。
右にいた男
剣を持った男の右にいた男
黒い髪の
黒い目の
間違えるはずが無い
逆光だって
暗闇だって
間違えるはずが無い
私を人にしてくれた人
私に夢を与えてくれた人
そして
私が
裏切った人がそこにいた。
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「御機嫌よう六家の皆様、私の花嫁を頂きにお伺い致しました」