phase-61 【翻弄の少女】
「失礼致します」
学院長室の前、扉をノックして部屋に入る。そういえばこの部屋に一人で入るのは初めてかもしれない。いつもはスオウが傍に居た。大抵怒られるか、こちらが怒るかだった様な気はするが。
「おお、スゥイ君か。すまんの急に呼び出して、実は君に客が来ておっての」
珍しくしかめっ面で話しかけてくる学院長、横を見るとソファーに誰か座っている。どこかで見たような後姿だが。
「来たかスゥイ、何分待たせれば良いのだ。どうやら学院生活でずいぶん弛んだようだな」
その男性が立ち上がりこちらを向く、精悍な顔と鍛え抜かれた体、服装は清潔感溢れ、おそらく70手前といった所だろうか、白い髪を後ろに流しており杖を持っている。
こちらを見てくる。血の気が引く、ああ、会いたくない人が。一番会いたくない人が。
「お爺……、様……」
学院に来てしまった。
彼の名前はクライブ=エルメロイ、元スイル国貴族であり、そして、スゥイ=エルメロイの祖父である。
ゆっくりと此方に歩いてきて傍に来たかと思えば学院長の見えない位置で睨みつけ、使えんなっ、と呟く祖父。
びくっと身体を震わせて祖父の目を見る。変わらない、10年前と変わらない恐ろしい目だ。
「さて、学院長殿、暫く孫娘をお借りします。家庭の事ですから二人で話しますので一度失礼致します。」
そのまま学院長の方へ向き直り、挨拶をしている祖父。先ほどの顔は何処へやら、温和な顔つきで話している。
「そうかの? できれば次の講義があるのでの? あまり遠出をされては困るのじゃが」
いつもは冷静沈着なスゥイ=エルメロイとは思えないほどに狼狽しているのが傍からも判る。これは何かおかしいと思い、引き止める。
「ご心配なく、それまでには戻しますので。それでは失礼致します」
「失礼……します」
表情も変えずに学院長に返すスゥイの祖父、スゥイは最早完全に無表情である。
「これは、スオウ君に連絡をしておいたほうがいいかもしれんのう……」
パタン、と音がして二人部屋から出て行った後、学院長の呟きが部屋に響き渡った。
学院の近くの宿屋、どうやら祖父はそこに宿を取っていた様だ。言われるがままについて来て部屋に入る。ずいぶん高そうな宿だ、家にそんなお金は無いはずなのに。
「ふん、報告は聞いている。いまだフォールス家の子供一人落とせていないそうだな、使えん。たかが子供一人、色気だろうがなんだろうが使えば良いものを」
椅子に座りこちらを睨みつけながら言う。テーブルの上に広げた手、指がとんとん、とんとん、と音を立てる。昔、そうまだ私が4歳か……5歳だった頃、お爺様が怒っている時よくこの仕草をしていた。その為この音を聴くたびに恐怖に駆られてたことを思い出す。
どうやらその感覚は抜けていないようだ、全身が凍ったように動かない。駄目だ、こんな事で……。
「はい……、申し訳ありません」
内心とは裏腹に口から出るのは謝罪の言葉、それ以外は話せないとばかりに口が動かない。
10年、10年も離れていたというのに情けない話だ、自嘲がこみ上げて来る。
「まったく、子供の頃から態々高い金を払ってまで学院に行かせ、傍にいさせてやったと言うのに。貴様に金をかけたのは学院でフォールス家の長男を落とす為だ、それすらも出来んとはな。結果を出せない無能に使う金は無いぞ」
まるで使えない道具を見るかのような目でこちらを見てくる。そう、私はそれの為だけに学院に送り込まれた。エルメロイ家、その家の為に。
「実家に帰ってこないのもフォールス家の子供を落とすためだ、と聞いていたから黙っていたが、この体たらくとはなっ」
使えん、本当に使えんわ、と話す祖父。
「まぁ、いい。フォールス家より上等な家から話を貰ってきた。喜べお前は来月コンフェデルスの六家の一つアウロラ家に嫁ぐ事になった」
ふん、と鼻を鳴らした後、楽しそうに顔を歪めて言ってきた。アウロラ家に嫁げ、と、何を言っているのか良くわからない。
呆然と祖父を見る、どうやらこちらの表情に気が付いていない、いや、気が付いたとしても関係ないのだろう、彼にとっては私はただの政略に使う道具に過ぎない。元々貴族の娘は政略的に使われる傾向が強い、祖父はそういう考え方をする典型的な人間だった。
「は……?」
呆然としたまま口から声が零れる。
「アウロラ家の長男がお前を見初めたそうだ。以前コンフェデルスに来ていた時にどうやら偶然見かけたそうでな。顔だけは死んだ母親に似て良い、十分役に立った。これで我が家も復興の兆しが立つわ!」
どうやら祖父には声が届かなかったようだ、いや、もはやどちらでも関係ないのだろう。にやにやとこちらを見ながら告げてくる。
「お、お爺様、しかしフォールス家も家柄としては……」
「金はあるが所詮ぽっと出の若造だ、アウロラ家とは積み重ねている年月が違う。諸外国への名の重さも違うわ! 青二才のフォールス家などもはや用は無い。直ぐに退学の手続きを取る。ここに置いておく意味が無くなったからな」
聞く耳持たない所の話ではない、すでに決定事項の様だ。部屋に置いていた鞄から退学届けに必要な書類を出してきて話す、すでに欄は埋まっている。後は私のサインだけの様だ。
「し、しかし……今学院では加護持ち二人とも友人関係を築いております。追々役に立つかもしれません」
無駄な足掻きとはわかりつつも現状の利点を告げる、しかし話の内容を理解しているのか理解していないのか、いや、やはり聞くことすらしない様だ。
「くだらん、貴様は精々アウロラの長男の機嫌を取っておけ! 後のことはワシがやる」
言い切る前に怒鳴られる、びくりと体を震わせるがここで引く訳には、引く訳には行かない。このままでは私はまた……。
「ですが……!」
「くどいっ」
切り捨てられる。力が抜けるのが判る、やはり、私は変わっていなかった。10年経っても、変わっていなかったのだ。
「ようやくだ、ようやく復興の兆しが見えたぞ。我らエルメロイ家、貴族としてこのまま地に埋もれるはずが無かったのだ。苦節40年余り、くくく、かかかか、やはり神はワシを見捨てておらんかったわ!」
カカカカカと笑う、その目はもはやスゥイを映してはいない。狂気に彩られ、すでに色あせた昔の栄光を思い出しているのだろう。もはや名すら知っている者が居るか怪しいスイル国貴族、エルメロイ家。妄執に駆られた祖父は一体何処に行き着くのだろうか。
色彩の失せた目で祖父を見るスゥイ、その顔には表情が無く、まさに人形のようであった。
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「おかしいな、次の授業で会う予定だったはずなのだが」
「そうだな、学院長の話が長引いているのか?」
いつまで経ってもこないスゥイを心配し、アルフと二人で教室の外に出る。学院長室へ繋がる通路まで出てきたがスゥイの影も形も見えない。まさかめんどくさくなって帰ったとは思えないし。
「それにしたって1時間だぜ? っと、あれ? ガルフ先生だ」
先ほど居た教室の方からガルフ先生が走ってきているのが見える、後ろにはライラとリリスがついて来ている。なにか、嫌な予感がする。
「ああ、ここに居たのか! スオウ君、教室に居なかったから探してしまった。至急学院長室に来てくれ」
どうやら急の用件の様で、少しあせった顔で話しかけてくる。後ろに居るライラとリリスも事情までは聞いていないようだが、先ほどスゥイが学院長室に行って戻ってきていない。そしてこのタイミングで直に来いと言う話だ、何か予測できない事が起こった可能性が高い。
「わかりました、アルフ、ライラ、リリスすまんが後を頼む」
「ちょっとまて、私達もいくぞ。このタイミング、スゥイの件ではないのか?」
「あぁ、そうなんだが。学院長からはスオウ君だけを連れてきてくれと言われていてな」
アルフとライラ、リリスに声をかけるが、すぐにリリスに反対される、アルフとライラも同意見の様で此方を見てくる。確かに彼らも心配なのだろう、問題ないか? とばかりにガルフ先生を見るが、首を横に振り断られる。
「どういう……?」
「すまない、とりあえず来てくれ」
疑問に思い聞き返すが、腕を掴まれて連れて行かれる。どうやら本当に問題が起こっている様だ。
「すまん、後でまた内容を報告する、次の講義で最後だったから寮で待ち合わせにしよう」
不満気な顔をしているアルフ達に声をかけ、ガルフ先生に付いて行く。嫌な予感が当たらなければ良いが。
「学院長入ります、スオウ=フォールスを連れてきました」
「おお、すまんの、入ってくれ」
「失礼します」
扉の前でガルフ先生が声をかけ、中から学院長の返事が聞こえる。すぐに扉を開け中にはいるとそこには学院長とスゥイが居た。
「あれ、スゥイじゃないか。なんだずっとここに居たのか。皆心配していたぞ?」
「すみませんスオウ、色々と手続きがあったものですから」
遅いと思っていたらどうやらまだ学院長室に居たのか、まったく、と思い声をかける。どうやら手続きとやらがあったようだが、そんな物特に聞いていないし、必要になるような事も無かったと思ったのだが。
「手続き?」
「はい、本日を持ちまして学院を退学する事になりました。個人的な都合なので理由は申し上げられませんが、今まで有難う御座いました」
「なにを……」
疑問に思い問いかけると、訳の判らない話をしだした、学院長の方を向くと首を横に振っている、どうやら先ほど聞いた話の様だ、理由までは不明なのだろう。ガルフ先生に到っては、どうやら今、内容を聞いた様で驚いた顔をしている。
すぐにスゥイに視線を戻し問いかけてはみるが。
「書類は既に提出済みですので、また大変申し訳ありませんが、他の皆さんにも伝えて頂けますでしょうか。何分急な話で今直ぐに出なくてはならないので」
「どういう……、何を言っている!?」
しかし帰ってきたのはより一層明確な提示。さらにすぐに学院を出なければならないと言う。おかしい、おかしすぎる。どう考えてもおかしい話だ、こんな疑問を持つなと言うほうがおかしい位のやり方、何かある、確実に。
思わず声を荒げ問い詰めるが、スゥイの目は此方を見たままピクリとも揺るがない。
「申し訳ありません」
少しだけ目を閉じ、頭を下げて謝ってくるスゥイ。いつもどおり変わり無く、冷静な彼女がそこに居る。
「……、そうか。スゥイ、わかった。俺は必要か?」
「必要ありません、今まで有難う御座いました」
数秒間の沈黙が部屋の中に訪れた後、その間ずっと逸らさずにいたスゥイの目を見て聞く。しかし即断、断られる、その目からは何も読み取れない。何も感じられない。まるで人形の様に……。
「そうか、此方こそ有難う、楽しい学院生活だったよ。他の皆にも伝えておこう」
ふっ、と自重した後、声をかける。同時に学院長とガルフ先生が驚き此方を見てくるのがわかる、しかし目の前のスゥイは何も変わらず、だ。
「有難う御座います、それではスオウ、学院長、ガルフ先生、卒業できないのは残念ですが、今まで有難う御座いました。これで失礼致します」
淡々と話した後、学院長とガルフ先生にも礼をし、退室していくスゥイ。止まることなく、部屋を出るときに再度礼をし、此方を一度も見ないまま。パタン、と静かに扉が閉められた。
部屋には沈黙が流れ……。
―――――ガンッ
殴りつけた壁の音が響いた。