New moon vol.32 【会談の終章】
「話しにならんな」
第一声、問いかけたナンナではなく、ボルゾ=レイズからの一言。
そも、その様な要求ならばコンフェデルスではなく、カナディルに言えば良いというのが正直な話。それが出来ないから此方に言ってくるのはわかるのだが、それにしても無理が有る。
相手もそれを理解しているのだろう、苦虫を噛み潰したような顔をしている。使者がその様な顔をしてはならない、だが、そのくらい無理な話だと認識しているが為か。
「ええ、重々承知してはおりますが……」
伏せ目がちに返事を返す男、ワグナス。
「ナンナ、茶番は終わりだ。こんなくせぇやり取りは好かん。俺が欲しいのはスイルにある深遠の森の独占権、ザルカ半島の北部それだけで十分だ」
「なっ、そんなことはっ!」
「ザルカの北部は南部の連中のモンだろう? それともなにか? 北部の連中もあの研究所にかかわってたのか?」
「そんな事実は無い! あのような下種と一緒にされては困る!」
バン、と円卓を叩き立ち上がる男。後ろに控えていた部下が警戒を帯びる。当然他の出席者に同行していた部下達も同様だ。一触即発とまでは行かないが、部屋には不穏な空気が流れる。
「下種、ねぇ? 何をやってたのかしら?」
流暢な声、話しに入ってくるナンナ。くすりと微笑み問いかける。
「くっ……」
先ほどと同様に苦虫を噛み潰したような顔になるワグナス。この男は交渉ごとに向いていないな、そう結論付ける。優秀な男ではあるのだろう、そして北部の事を本心から憂い、現状の帝国をどうにかしたいと思ってはいるのだろう。だがしかしそんなものは国を動かすに当たって必要な事ではない。
だがボルゾとて人の子、ため息を付き一つ助言をしてやることにした。
「戦争っつぅが、基本調子にのってるのはカナディルの連中だ。俺達は関係ない、スイルにとっても関係の無い話なんだよこれは、わかるか?」
建前上はな、とは話さない。
「…………」
沈黙の肯定、やはり優秀だ理解はしている。
「あんたらが戦争を望んでいないのは理解した。で、だから? 帝国内部の話は帝国の中でやってくれ。俺達は暇じゃないんだ」
「くっ……」
結局の所、帝国が内部分裂する事はコンフェデルスにとって利点のほうが大きい。だがカナディルにあっさり負けるほど弱ってしまっても困る。また、同盟国であるカナディルとの手前、そう大々的に北部に支援をするわけには行かない。
コンフェデルスとしては、帝国が勝った場合北部が主導を握って貰わなくては困る。南部が依然として前に出てきている状況では話しにならないのだ。さらに言うなら帝国が負けた場合は最悪だ、最低限でも引き分けに持ってきてもらわなくては困る。カナディルの増長を促し、スイルにも入れない。
今まで魔木の独占をコンフェデルスで行ってきたそのアドバンテージも無くなる。元々豊かな国土と独自の漁業技術、そしてそこにスイルの豊潤な大地が手に入るとなるとまずい。直ぐにどうこうと言う話ではないが、程々にしてもらわなくては困るのだ、コンフェデルスの為にも。
結局の所相手は飲んだ、飲まざるを得なかったともいえる。条件は帝国の掌握、そしてザルカ半島の譲渡。スイル国の深遠の森に関してはスイル独立を促す事でスイル自身に権利を持たせる方向で決定した。
コンフェデルスで魔木の独占を行えば今後の対外的評価が悪いだろうとの意見だ。
ここに取り敢えずではあるが、コンフェデルスと北部での戦争の終結の絵が完成した。
「随分と優しい事ね」
部屋の外、会議が終わった後ナンナから話しかけられる。くすくすと笑うその顔は馬鹿にしているのか、それとも珍しいものを見たからか。
「ふん、あまりにも酷くて見てられなかったのさ」
「あら、そう? じゃあそういう事にしておくわ」
懐から葉巻をだし、傍に控えていた部下が火をつける。肺一杯に煙を溜めた後吐き出す。脳の芯まで痺れて行くような感覚に身を委ねる。
「レイズ、貴方最近妙な男を拾ったらしいわね」
「あん?」
口から煙を出してナンナの方を見る、どうやらローズ家の鼻もなかなかに聞くようだ。情報隠蔽はしっかりと行ったつもりだったが。しかし、正体までは掴めなかった様だ、今やコンフェデルスで一番力を持っているローズ家といえど、こちらの庭で好き勝手できるほどレイズの名は甘くない。
「とぼけないで、今日もつれてきているあの赤いコートを着た男よ。何者?」
視線を窓から外に送る。そこには一人の男が佇んでいる。そこに一人のブロンドの髪をポニーテールにしている少女が走りよって来ているのが見える。この場には相応しくない光景だ、だが微笑ましくもある。
「ただの用心棒だ、あんたにゃ関係ないだろ?」
「……本当でしょうね」
「だったら調べれば良いだろう。くだらん」
葉巻を口にくわえ、吐き捨てるように告げる。聞いて答えると思っているのなら傲慢、怠慢、くだらん話だ。肺に溜まった煙を吐き出しながらその場を後にする。その背に突き刺さる視線を感じながら。
「まさか此処に居たとはね、レイン」
先ほどの男、ワグナスが15歳程の女の子をあやす赤いコートを着た男に声をかける。
レインと呼ばれ、声をかけられた男は少しだけ目を細め、かけてきた男に視線を向けて返事を返す。
「ワグナス、アンタが使者とはね。世も末か」
「言ってくれるな、北部の掃除で随分と人手が足りないんだ」
「そうか」
ため息を吐きながら告げてくる現実にそっけなく返す。原因の一人ではあるのは理解しているのだろうが、特に思うところは無いのだろう、淡々と返したその仕草、予想していた範囲ではあったが。
沈黙があたりを占める。どうすればいいのか不安げな顔でレインを見つめている少女、私の顔とレインの顔を交互に見つめ、レインの後ろに隠れてしまった。
「彼女が?」
「そうだ、エオーラと言う」
後ろに隠れた少女の頭をくしゃりと撫で微笑むレイン。撫でられた方も嬉しそうだが、子ども扱いした事に不満なようで、すぐむすっとした顔になる。それを見たレインがまた笑う。
どうやら、問題なく過ごせているようだ。
「帝国は変わる、いや、変えてみせる。帝王はなぜか政策が杜撰な事が多い、確かに私などでは足元に及ばぬほど優秀であるのだろうが、ここ数年の施策は酷い。南部貴族を抑えようと思っていないのか、態と暴走させようとしている様にも見える。一掃するならばある意味一番のやり方なのだろうが……」
目を閉じ思案する、その考えは読めない。何を求めて、何を考えているのか。五国統一するにしてもやり方が荒い。このままでは帝国は負ける事は無いとしても、国の疲弊は激しいだろう。幸か不幸か、南部が愚か過ぎた為、帝王直轄地では評判が良い様だが。
戦争に関しては、さらに言うならコンフェデルスが本格的に参入すれば負ける、これは確実に言える。
「元老院が死んだと聞いたが?」
「あ、あぁ。そうか流石に伝わっているか。やったのはおそらく白銀だ、南部連中は違うと考えているようだがな」
急な話題展開に少し驚くが、返事を返す。この件もまた不可解だ、屋敷の人間全て殺されていたと言う、まさに見せしめだ。
「そうか……」
「元老院を始末したのは褒めるべき所かもしれん、あの連中は国の利益ではなく自分の保身にしか走っていなかった。南部連中に対する牽制も含め、尚且つ国民感情のガス抜きには丁度良かったのかもしれないが」
「余計暴走する者が増えたか? 次はお前だと言われた様な物だからな。それに所詮一時的なものに過ぎないだろう」
「そうだな。……今南部からの流入者が多く、治安が落ちている現状だ。ただでさえ厳しい現状で本当に頭が痛い」
「コンフェデルスからの支援は決まったのだろう?」
「余計な仕事も増えたがな……」
「当然だ、無料より高いものは無い」
「にしても高い買い物だった、どうにかしなくてはな」
「頑張れ」
「気軽に言ってくれる……。――――レイン、お前はもう戻るつもりは無いのか?」
「――――ないな、俺はここの生活が気に入っている。手のかかる娘も居るしな」
くしゃりと後ろにいるエオーラと呼ばれた少女の髪を撫でながら答える。やめてください、と手を払いのけようとしているが、髪をぐしゃぐしゃになるまで撫で付けてようやく離す。
ああ、ぐしゃぐしゃに、と悲鳴を上げている彼女を見ながら微笑みを浮かべるレイン。
どうやら、余計なお世話だったようだ。
「その年齢で娘が居ると言うのは無理が有るんじゃないか?」
にやりと笑い答える。彼の年齢はたしか20と少し、正確な年齢は彼も忘れてしまったようだが確かそのくらいのはずだ。
「ならそうだな、妹とでもしておいてくれ」
「妹にしては年が離れすぎてないか……?」
「文句の多い男だな、そんなんで良く使者が勤まった物だ」
「会議中も随分と言われたよ、人手不足の弊害が此処に出てくるとはね」
「人手不足じゃなくてあんたの力量不足だろ」
「酷い言いようだな……、たかが子爵がコンフェデルスのトップと渡り合うのが問題なんだよ」
はぁ、とため息を付くと同時に疲れが出てきたような錯覚に囚われる。これでも帝国北部ではそこそこ優秀だといわれていたが、というよりこんな現状で求めるものが高すぎるのだ。いくらなんでも無理が有る。
今度は戻ったら非難轟々だろう、まぁ話の分かる人間が北部には多いのでそれほど酷くは無いだろうが。だが、南部の暴走を押さえれるほど北部に余力は無い、掌握は難しいだろう、せめてカナディルに削ってもらう必要がある。出来ることならカナディルに非がある状態で。そこまでは流石に高望みしすぎかもしれないな、と苦笑する。
「今は、レイズ家の護衛、か?」
レインの胸につけてあるバッジ、レイズ家の家紋を象った物が取り付けられている。他に居た部下たちとは離れているため別扱いの様な気もするのだが。
「そんな所だ、大分優遇してくれてはいるがな。エオーラは留守番していろと言ったんだが」
後ろに居る彼女に振り返り声をかける。何処か諦めの入った目は出る時にいろいろとあったのかもしれない。
「嫌です、貴方の力になりたいんです」
その目に反抗するが如く睨むエオーラ。後ろに隠れていたのに、前に出てきて守るように立つ。ただ、向いている方向は反対だが。
「まぁ、こんな訳だ」
肩を竦めて胡乱な目でエオーラを見下ろすレイン。その顔はまるで本当に父親のような、そして兄の様な顔で。
「好かれてるな」
思わず笑みが零れる。
「子供に興味は無――ぐっ」
バシ、と脛を蹴られているのが見える。本当に愛されているようだ。
彼女は帝国魔術研究所の呪いから救出された少女、大人達の都合で踊らされた哀れな子。レインが引き取り、コンフェデルスまでつれてきて保護している。今後もこの様な子供は増えるだろう、それもまた帝国の罪の一つなのだ。
「また、頼むな」
「断る、女子供は好かん」
ちっ、と舌を打ち返事を返してくる。前にいたエオーラが心配そうな目で見上げている。その視線を見て気まずそうな顔をしているレイン。ならば最初から言わなければいいのにと思う。
「そう言うな」
「ふざけるな、自分等で撒いた種は自分でなんとかしろ」
「ああ、わかっているさ」
「だったらやれ」
突き放すように告げられる言葉。そういえば最後もそんな事を言いながら結局は引き受けてくれていた。
「俺はレイズ家の用心棒に過ぎん、だから――――」
――――何かあるなら当主に言え、当主の命令なら従う。
また、一手間面倒な事だ、と笑う。そして帝国で出会った最後の友と別れを告げた。