New moon vol.31 【会談の序章】
およそ7歳から16歳までの長いようで短い時間、己の権力に酔う幼き子供。その高く聳えた鼻を根元から折られた上、さらに歯が立たぬ現実を見せられ、叩きのめされた子供はどうなるだろうか。その後の教育や、その都度の対応でそれは立派な人、立派な人間となる可能性は大きくあった。だが、残念な事に彼らの傍にそういった大人は居なかった。
いや、居たには居たのだ。しかし、彼らは聞かなかった。聞く耳を持たなかった、それは権力と、己の立場に絶対の自信と、己の行動に間違いなどあるはずも無かろうと言う、無理無体を地で行くような両親を一番近くで見ていたため仕方が無かったのかもしれない。
そして学院も彼らにそこまで強く出られなかったのもまた一つの原因だろう。なぜならば伯爵階級と男爵階級、それなりに気を使ってしかるべき状況であった。
スオウが証拠を残さず、そして弱みを握りつつ潰していなければ、学院としても彼らの対応に困っていたのでこの辺りは言わぬが花ではあるのだが……。
兎にも角にも、そんな彼らが南部貴族で力を持つ貴族の子息であったことは、現状に少なくない影響を与える。
憎き、そう憎悪すべき相手が一部では英雄と崇められ、犯罪者であるにも拘らず、我等最強たる帝国が、今だ彼らを捕らえられていない事が何よりも彼らにとって憤慨すべき事実であったのだ。
彼らの名は、その頭上に冠するは伯爵と男爵の名。アルバートン伯爵とバーウィン男爵の両家である。憎しみと嫉妬は人を動かす原動力としては有る意味適している。しかし、結果が伴うかどうかは不明だが。
◇◇◇◇◇
ザルカ半島、それはコンフェデルスと領土を分割している島、いや島というには少々大きくは有るが、帝国より西に存在している島。帝国魔術研究所が存在している事でも有名であるが、知る人ぞ知るコンフェデルスとの売買ルート一つでもある。
一時騒然となった研究所であるが、得体の知れない部隊の件の秘匿もあり警備は厳重。今や船一つ入るのに一苦労するほどの厳重な警戒態勢だ。こんな状況下のザルカ半島に向かうのは少々骨が折れるが、カナディルを経由するわけにも行かず、かといってリメルカを横断するわけにも行かず、虎の子の魔昌蒸気船を利用し直接コンフェデルス領土側に行く事にした。
ザルカ半島の国境付近ではコンフェデルスの警備兵と帝国の兵士が厳重な警戒を敷いているが、一触触発という状況ではない。帝国とて理解している今コンフェデルスを刺激して虎を出すわけにはいかないと、まずはカナディルの対応、それが片付かなければどうしようも無い。
「カナディルとの戦端も極力開きたくは無いのだがな……」
風上に向かって切り上がる様に波を切って走る船の甲板に一人の男が立っている。彼の名前はワグナス=ノート=シュバリス、北部貴族の代表者としてコンフェデルスとの交渉に出てきた男である。
年は30半ばくらいだろうか、くすんだ金色の髪を後ろに撫でつけオールバックの様相。目は鷹の様に鋭いが、掛けている丸い眼鏡がその鋭さを若干和らげている。
彼の爵位は子爵、それほど高い爵位ではないが、彼は己の実力でその立ち位置を手に入れた。先祖の残り物にしがみ付いている一部の南部貴族とは土台が違う、少なくとも現状を理解し、打破すべき為コンフェデルスと手を組む程度の事は考える男だ。
彼の今回の仕事はコンフェデルスとの停戦条約の締結、あるいはカナディルとの戦争時における援助制限。そして技術支援、物流ルートの確立である。
その無謀さに彼はため息を吐く、どう考えても無理だ、無謀、無茶、無理、不可能、北部貴族の他の者も同意見だった。同盟相手であるカナディルに手を出すのをやめてもらい、尚且つ此方に支援をして貰おう等、無知無謀を通り越して愚か者より下位に当たる行為だ。だがしかしなんとしてもこれを成さねばならない。このままでは南部連中が暴走するのが目に見えている、彼らが勝手に自滅してくれる分には問題ないのだが、国の土台が揺るぐのは非常に困る。南部は帝国の領土での無くてはならない土地なのだ、民が飢え死にする様な事が有ってはならない。
再度ため息を付く、まったくもって貧乏くじを引いたものだ。憂鬱になるが船は進んでいく、目的地に向けて。彼の気持ちとは裏腹に晴れ渡る空と憎いぐらいに熱く照り付ける太陽が空に浮ぶ。その太陽を一睨みした後、船室に戻る事にした、悩んでいる暇は無いのだから。
およそ3日の航行、ザルカ半島の南側に位置している港に到着する。北部を大きく迂回する形で走ったため予定より時間がかかってしまったが見つかる可能性を考えたら仕方がない事だ。船から下りると直ぐに案内人に声を掛けられる。ここはすでに戦場、血の出ぬ戦場であるが、一歩間違えれば何があるか分からない。ピリピリと神経を尖らせ警戒する部下を手で制し、後に付いて行く、会談の地へ、魑魅魍魎が跋扈する地獄の会談の部屋へ。
円卓のテーブル、そこに座るは6人の男女。一人は言わずもがなワグナス=ノート=シュバリス、背後に二人の騎士を控えさせており、敵地にもかかわらずその堂々とした態度は目を見張るものがある。伊達に使者として来てはいない、いや、おそらく使者としての仕事だけを求められてはいないのだろうが。
残りの椅子に座るは、まずは一人目コンフェデルスの魔女、ナンナ=アルナス=ローズ。金髪の髪とふくよかな胸、妖艶に映る赤いルージュの引いた唇、ガウェインでなく彼女が来たのは単純、ガウェインが死ぬよりは彼女が死んだほうがダメージが少ないからだ。それでありながら狡猾で頭が切れる、彼女自身が立候補したのが一番の理由であろうが。
彼女の付き添いとして隣の椅子に座るは灰色のローブを着込んだ男、名をクローナ=ハナウェス。傭兵団クライムの代表者として此処に居る、明らかに立ち位置がコンフェデルス側であると無言の主張をしているような物なのだが、まったくと言って良いほど歯牙にもかけていない。もはやいまさら、とでも言いたそうな雰囲気だ。
そしてその横、レイズ家の頭、ボルゾ=レイズが葉巻を吹かしてどかりと座っている。当主が来るなぞ愚か以外のものでもなく、何かあったらどうするのだと部下から大分言われたのだが、ごり押しで来た。彼の性格上引っ込んでみていることなど出来ないのだろう、しかたがなくと付けられた武装集団は今この会談場所となっている屋敷の外に控えているのだが、その数1個連隊。当然目立たないようにカモフラージュはしているのだがその数にナンナもクローナも眉を顰めた。まぁ、当人であるボルゾも眉を顰めていたのだが。
次は5人目いまや落ち目のアウロラ家、現当主ロッド=アウロラ。起死回生の一手、どうしても此処で名誉挽回の一つが欲しくこの会談にねじ込んできた。その手腕で確かに彼は有能であり、優秀である事を示せたのだが、いかんせん既に遅すぎた。彼が日の目を見るためにはアウロラを捨て、一個人として立つ方が早いだろう。だがそれが出来ない、甘いのだ、家を、家族を捨てれ無い事が甘いと言うなら別に構わない、などと言える状況ではないのに。
そして6人目、ベルフェモッド? いや違う、あの家は辞退した。おそらくクローナが来ている事で下がったのだろう、彼らに今一番近いのはベルフェモッドである。最後の一人は鉱業を司っているディルス家、ディルス家長男エル=ディルス。濃い緑の髪を短く切りそろえ、商人とは思えない体格の良さと高い身長、此処にいる者が全て一筋縄ではいかぬものであるから目立っていないが、ボルゾ=レイズとはまた違った威圧感がある。
この6人で会談が始まる、片方はコンフェデルスの為に、そして片方は帝国の為に。
簡単な自己紹介の後の歓談、お互いの腹を探るただの小手先、そして場が暖まってから話が始まる。己の欲しい物を、如何に手持ちの切るカードを少なくするかを考えながら。
「率直に、我々としてはコンフェデルスに技術提供をお願いしたい。現在帝国の北部開発は進んでいますが、いかんせん物資が足りぬ状況。流通ルートさえ確立できればここ、コンフェデルスより安い労働賃金で物を動かせます」
円卓に座る相手を見渡しながら話すワグナス。
「ザルカ半島は今そちらの研究所で動けぬでしょう? 海路を使うにも少々遠回り過ぎるのでは?」
返答するのはナンナ、海路もそちらで持つとしてもその程度ではメリットが少なすぎますね、と続ける。
「まぁ、そうでしょう安いと言えど、そこまで激安というわけでは有りませんからね。敵国への技術流出を含めると完全に赤字でしょう」
船を動かすにも人が居る、人が居れば金がかかる、さらに迂回しなければいけない現状では下手をすればそれだけで赤字だ。技術流出を含めてもかなり効率が悪い。
当然そんな事は分かっているし、そんな事で首を縦に振るわけが無い。
「分かっているのでしたら態々言うほどの事でもないでしょう? 我等とて暇ではないのですよ?」
すこしだけ苛立たしげに返事を返すナンナ、が、他の面子は誰も何も喋らない、所詮は茶番、ナンナの対応も所詮演技。こんなものが条件などと誰も考えてはいない。
「ええ、わかっております。ですから我々としては北部への援助を認めていただけた場合、それ相応の見返りをさせて頂きます」
申し訳なさそうな顔をして返事を返す。そして一枚目のカードを開く、それがエースであるか、ジョーカーであるかは本人しか知らない。
「では、それを教えて頂けますか?」
「はい、カナディルと帝国が戦端を開いた場合、我等北部貴族はカナディルに対して沈黙を貫くことをお約束します」
最初に切ったカード、淡々と語るその条件。それは反逆、内乱、帝国の火種となる可能性を大きく孕んだ一言。そしてなにより自分の首を絞める可能性も大きく含んでいる条件であった。