New moon vol.27 【深遠の学院】
「ここは変わりませんね」
木製の机、レンガ造りの建物、外は子供の遊ぶ声、そして聳え立つ一際大きな建物。カルディナ魔術学院、その一室。一人の男が椅子に座り、アイスコーヒーを飲んでいる。
「弟のロイドから送られてきたときは驚きましたが、コーヒーが飲めるとは思いませんでしたよ」
ガラス製の透明なコップに入った茶色の液体。ミルクを入れているためその色だが、その味、風味は間違いなくコーヒーだ。
「フォールス家も何処まで手を伸ばすのかの?」
目の前に座るのは一人の老人、いや、老獪と言うべきか。
「どうでしょうね、生憎と私は実家から勘当された身ですので」
くすくすと笑いながらアイスコーヒーを口に運ぶ。冷えた液体が喉を通り、そのカフェインを持って頭を覚醒させていく。
「犯罪者を身内から出した、か? 商家では致命的な欠点であろうにも拘らず売り上げは変わらんようじゃの。その後の情報操作のお陰かのぅ、一部では英雄的な扱いじゃなかったかの?」
「いえいえ、まさか。上の人間は相当腸煮えくり返っていたようですよ。それに、売り上げ的にはカナディルでは若干落ちたようです。コンフェデルスは基本ローズ家経由ですから品質がよければ問題ないようですけどね」
トン、と机の上にコップを置く。表面に付いた水滴が重力に従い下に流れ、テーブルに水滴を垂らす。
対面に座る白髭を蓄えた老人がため息を付き、そしてその雰囲気を一気に変える。まさに老獪、鋭い目を叩き付けて問いかけてきた。
「何をしようとしておる、このままでは戦争が起こるぞ……」
「いずれ起きていました。5年早いか10年早いかです、一応我々としては押さえているつもりなのですが、ね」
「であればなぜ帝国を刺激したのじゃ、帝国を刺激したせいでスイル国の民衆は帝国の力を疑っておる」
「人道的支援、なんて事では誤魔化されませんか。そもそもの目的の一つは戦力の削ぎ落としと加護持ちの否定です」
「加護持ちの否定、じゃと?」
「加護持ちの力の重要度を下げるのが目的でした。リリスやアルフ相手に攻撃を加えるわけにはいきませんし、帝国が適してました。ですが調べていくうちにあのふざけた研究を掘り起こしまして」
「ふざけた研究? 何の事じゃ? 最近の帝国と言えば……。あの新たに出来たといわれる部隊かの? 強力な部隊らしいが、それに関わる事かの」
「薄々気が付いているのでしょう? あれは人体実験によって作られた兵器です。人を人とも思わぬ所業で作られた、ね。犠牲者の最年少は生後3ヶ月だそうですよ?」
「なん、じゃと……」
「さらに恐るべきことは、帝国の民衆はそれを対岸の火事としてしか認識していないことです。愚かだ、己の住む国がどれだけ愚かな事をしているか理解していない……。最初はそれを大々的に公表するつもりでしたがね、考えを改めました。どちらにせよ我々の目的は帝国の殲滅にはありませんし、カードの一つとして利用させてもらおうと」
まぁ、そんな事を考えている時点で俺も彼らと同類かもしれませんね、と自嘲の笑みを浮かべる。だがしかしその目は深い深い闇を映している。
「信じられんの、と言いたいが。あの国ならやりかねんのぅ……。本当に公開するつもりは無いのかの?」
「今公開したところで混乱が起こる程度ですよ、所詮犯罪者の発言です。まぁ、一部では人気のようですから暴動程度は起きるかもしれませんが」
「帝国独立特殊諜報部隊が動いて終わりかの?」
「軍事部門諜報部かもしれませんけどね。ファングの方、月神ですか。まさに加護持ちを体現していましたね。リリスとアルフ二人掛りでようやくでした。そして何よりその思考が危うい。あれだけ酷い実験をしている研究室の破壊ではなく、我等に攻撃を向けた。冷静的な判断とも取れますが、彼女の根底は帝国の為です。あそこで研究所を破壊する事によって帝国に利は無いと考えたのでしょうね。人間として憤慨していてもそれを取らない、軍人としては見事ですが……。もはや洗脳ですね」
はぁ、とため息を付き俯く。なにより移動式空中要塞内部での戦闘もそうだ、あの程度の話で引く時点でおかしい。本当に憤慨しているなら我等を殺せば良い、帝国の利益が頭を掠めたので引いたのだろう。
まぁ、それを想定して話を振ったのだが……。
「なるほどのぅ……、しかしそれならばあの空飛ぶ船を出したのはまずかったんじゃないかの?」
「まぁ、正直自分も失敗だったな、とは思っています。武力は使うのではなく見せ付けることで最大の効果を生み出します。ですが味方の安全を最大限に優先しました」
コンフェデルスの意向もありましたし、と心の中で呟く。性能評価を示すに、加護持ち相手に戦うのは十分なほどの結果を出すことが出来る。今後の兵器部門でのシェアはコンフェデルスが独占するだろう、同様の物を作るかどうかは別として、ではあるが。
少なくとも外交手段の一つとして、大きなアドバンテージを握った事は間違いない。
「じゃが他にもやり様が有ったはずじゃろ」
「まぁ、有ったでしょうね。しかし安全度の高いほうを選ぶのは当然です」
「その為に何人不幸に……」
「くだらない、元々は向こうが利用しようとしてきたのですよ? 一応一般人には配慮したのです。感謝して欲しいくらいだ」
「傲慢じゃぞ、その考え方は」
「傲慢で結構、私の大切なものを守るならいくらでも傲慢になりましょう」
「愚かな、危険な場所に連れて行くだけではないか! スゥイ君とてそれを望んでいるまい、何より家族を巻き込んでするほどの事じゃったのか!」
「これは可笑しなことを言う。ではどうすればよかったと? コンフェデルスに無理やり連れて行かれ、時間も無く、そしてそれを逆手に俺の弱みを握ろうとした彼らからどうすればよかったと? どちらにせよあの状況では無理やり救出するしかなかった。否、そういう状況に追い込んだ。後々経済的観点での取引も可能だったかもしれませんが、それではスゥイは侮辱され、使われて、そしてただ辱められただけだ。笑わせるなと言いたい、どの国も利用しようとしたのだ、ならば今度は俺が世界を利用してやる」
顔色を変えず、表情も変えず、飄々と喋るがその声は低く、怒りが篭められている。
「そのまま隠れて済む事も可能じゃっただろうに、フォールス家で匿うこともできたはずじゃ」
「何も悪いことをしていないのに? 勝手に利用されたのにも関わらず隠れて住めと? カナディルの飼い犬となり、コンフェデルスに弱みを握られ、そして帝国からは命を狙われる。そんな状況に常に居ろと? ふざけるなよジジィ」
「それとて長い目で考えれば経済的な手法で動けたはずじゃ! おぬしは一番短絡的な行動を取ったのじゃよ!」
「ふぅ、それは無理ですよ。これは自業自得な部分もありますが、自国を強化しようとしたのが裏目に出ました。私も認識が甘かったとしか言い様がありませんが、あのまま我等がカナディルに居ればおそらく既に戦争になってますよ。スイル国の解放を理由にね、その辺も考えてローズ家、レイズ家、ベルフェモッド家と関係を密にしたのですが、まぁ結果役に立ってますがね」
あの件でリリスとアルフがカナディルを離れることが出来た、それは唯一お礼を言いたい事です。と告げる、おそらくそこまで見込んであのローズ家の女は動いたのだろうが。
場に、カナディルに留まっていれば間違い無く戦争は早まった。リリスを徴兵し、アルフを徴兵し、そして俺の技術を使い、だ。そこには間違い無く人質が発生する、むしろあの船は人質の安全を図る為にも必要だった。何かあれば、何かすればこれが貴様等に向かうぞ、という警告の意味も含めて。
「そんな馬鹿な事があるわけなかろう!」
「あの国は平和ボケしすぎているのですよ。長らく戦争から離れていたせいで戦争を知らない、戦争の意味も理由も価値も、そしてそれに付図してくる不利益と死も。今、強硬派の馬鹿共が民衆を煽っています、もはや流れはとめられません。フォールス家で押さえていますが、第一皇女ではあの国は治められない」
「おぬし等がカナディルに居れば自国内で止められたじゃろうが!」
「カナディルに居れなくなった理由を先ほど話したはずですがね。つまり貴方はスゥイを捨ててカナディルを守って居ればよかったと? 申し訳ありませんがスゥイを捨てろと言うなら私はこう言います。国一つ程度滅べば良い、と」
「ぐっ……そう言う事ではないじゃろう、論点を摩り替えるでない!」
ダン、とテーブルを叩く。珍しく怒りを露にする老人はその眉に皺を寄せ、思いが通じに現状に苦悩しているのが目に取れる。だがしかし、此処で引くつもりも無ければ撤回するつもりも無い。
数秒の沈黙が流れた後、ふぅ、とため息を付いた男が対面の老人から視線を外し呟く。
「まぁ、とりあえず俺は限界まで抑えます。戦争はこちらとしては望む所ではない、ですがパトロンも煩くてですね。あの国は戦争も悪くないと考えているようでして」
「コンフェデルスかの……」
「戦争は始まります。そして最初に蹂躙されるのは此処です、何も関係の無いスイル国です。いえ、関係が無い訳ではありませんね。いい加減傍観して我関せずと立っている場合ではありませんよ」
「無理じゃ、誰もがおぬしの様に割り切れるわけでも、そして強いわけでもないのじゃ」
「で、あれば死ぬだけです。独立せねば利用されるだけですよ、帝国に、カナディルに。カナディルが取ったとしても同様の搾取が始まる。今度はもしかしたら帝国より酷いかもしれませんね」
「何故じゃ、我等はただ、平穏に住んでいるだけだと言うのに……」
「平穏、ね。くだらない、そんな物はただの言い訳だ。力には力で対抗する必要が有る、対話で人は理解できるなどと言うのは力を持つ者が言って始めて意味を成す。前提を持たぬ者はただ淘汰されるだけです」
「そんな物は貴様等の言い分じゃろうて! 勝手に争いを持ち込んでおいて何を言うとる! フォールス家があれだけ発展しておいて、尚且つ加護持ちを二人持ち、あれだけの兵器を所持しとるんじゃ、おぬしらで勝手にやればよかろう!」
「貴方からそんな言葉を聞くとは思いませんでしたね。本心ではない事を祈ります、幼い子供を預かる者として情も湧きましたかね? 喚いた所で流れは変わりませんよ、自分の身は自分で守る、当たり前の話です」
「傲慢じゃ、それは持つ者の傲慢じゃ……」
「いい加減にしたらどうですか、それとも軍を持たぬスイル国ではそんな事は出来ないとでも? 本当にそんな話をそのまま受けると思っているのですか? 深遠の森に隣接している国でありながら兵力を持たないと言う時点で違和感に気付くべきだ、おかしいんですよこの国は。あれだけ凶悪な魔獣が住んでいるのならば独自の兵力を持ってしかるべき、だからこその魔法学院なのでしょう? 5本の指に数えられる貴方に、剣の使い手のガルフ=ティファナス、他にも調べれば名だたる者が揃っている。その為の学院なのでしょうここは?」
「ここは、ただの魔法学院じゃ。子を導き、個を促し、力の使い方を示す学び場じゃよ……」
ぼそりと呟く老人、しかしそんな話は聞き飽きたとばかりに先を続ける。
「そもそも……、加護持ちを二人受け入れた時点でおかしかった、さらに言うならばライラが入学試験を過ぎてからでも入学できたのもおかしかった。
帝国の属国とはいえど中立だから受け入れれる? そんな訳は無い、そんな理由で納得できる訳が無い。箔が付く? くく、本当に、本当に俺はまだまだ甘かった。そんな理由で学院になど入れない、リスクを負う必要は無い。深遠の森での事件、そして帝国への牽制、カナディルとの関係維持と言ったところですか。コンフェデルスの学院に行かれては大変困る話になりましたからねぇ……?
ライラに関しては妻の枷のつもりでしたか? 私を利用しようとしていた事など貴方方なら既に知っていたはずだ、彼女もカードの一つとして持っておきたかったのでしょう?
わかっています、わかっていますよ。それに対しての罪悪感を感じていたことも、それによって色んな部分で便宜を図ってもらったことも理解しています。ですが――――――
いい加減その重い腰を上げてもらおう、カナディル魔法学院学院長ゼノ=カルディナ。いや、スイル国前国家首席ゼノ=カルディナよ」
次は元老院VSラウナを掲載予定です。ようやくの戦闘シーンです。