New moon vol.21 【幻惑の箱舟】
「舐めているのか? そんな事で私が靡くとでも思っているのか!」
ギチリ、と体に食い込んでくるワイヤーを力ずくで引きちぎろうと力を入れる。ミシミシと悲鳴を上げるワイヤー、おそらくもう数秒と持たないであろう所に再度電撃が走る。
「ぐぅっ」
苦悶が漏れる、しかしその常識外れの体は既に耐性を持ち始め、一瞬緩んだ力も直ぐに戻りワイヤーを引き千切ろうと力を戻していく。
しかし、そこに振り下ろされる剣、ガン、と首元に落ちた赤い大剣はラウナを警戒させるに十分な威力を持っていた。
『さすがは月神と言った所か、困ったね。どうすれば大人しくなってくれるかな』
「貴様の首を差し出せば直ぐにでも大人しくなってやるさ」
ギロリと声がする方向を睨む、目に見えるのはただの壁。だがおそらく私には考え付かないような技術が使われているのだろう。
「貴様が壊した国立図書館。あれで何人の人間が職を失ったと思う? 再建にかかる金額はいくらだと思っている? それだけでは無い。貴様が貶めた貴族、そう、主犯はいいだろう。だがその家族は? その家庭は? その周囲の人間がどうなったか分かるか! 貴様の自己満足だがなんだか知らんが、関係の無い人間まで巻き込んだのだぞ!」
思い出すのは地下室で死んだ少女。いや、それだけではない、この目で見てきた、確かに救われたものは多い、だがその影で死んでいったもの、失意の底へ落ちた者も大勢いる。
怒りが体を支配する、確かに私も人を殺してきた。彼を攻める資格があるかどうかは分からない、だが、だがしかし、他国の問題に勝手に首を突っ込んで掻き乱して、それが許されるとでも思っているのか。
怒りに任せた恫喝、だがしかし返ってきたのは冷淡な声だった。
『だからどうした?』
ただ一言、だからどうした、と。それがどうした、と。彼は、彼は……。
「な……、きさまぁぁぁっ!」
ギチリと体に食い込むワイヤーがブチリと千切れる、1本目、2本目、3本目が切れそうになった瞬間、剣が首元に近づく。
「それ以上は止まってもらおうか。斬られたくなければな」
「アルフロッド、貴様! 先ほどの言葉に何も思わんのか! 何も感じないのか! 貴様等は一体何がしたいんだ!」
殺すならば殺せ、だが私の信念は揺るがない。帝国に仇名す者は、敵対する物は、この身滅びても斬り捨てる。
そう、私にはもうそれしかないのだから。
今にも飛び掛らんばかりに剣を向けるアルフロッドを睨むが、先ほどと同様な冷淡な声が続く。その冷静さが、その無感情な声がより一層私を苛立たせる。
『考えたことは無いか? 思考したことは無いか? おかしいと、何かがおかしいと? ただ愚直に前に進み、邪魔なものを斬り、命令に従い、それを良しとする。何故? 何故何故何故何故、何故? お前は何故と思ったことはあるかラウナ=ルージュ』
「貴様に思っているわ外道がっ」
ギリ、と奥歯をかみ締める。力を入れすぎたか口内が切れる、血が口の中に広がり鉄の味が鼻を突く。
傍にいるアルフロッドを再度視線で射殺さんばかりに睨みつけ、吐き捨てるが帰ってくる声は同様の冷淡そのもの。
『外道か、褒め言葉として頂こう。さて、何故、そう何故と思わないかルージュ? 何故我々が帝国で此処まで好き勝手出来るのか、と』
「情報を掴んで脅しているのだろうが、何故か貴様は民衆に受けが良いからな!」
『そうだ、そこで何故、が出てきた。何故民衆に受けが良いのだ? 考えてみろ、帝国は五国最大の軍事国家だ。それがたかが突出した技術力を持った組織一つに此処まで翻弄されるとでも思っているのか? あぁ、まぁカナディルは例外だ、あそこは馬鹿が多いからな、積み重ねてきた物もある。だが、積み重ねも無い帝国でたかが1年、2年で此処まで翻弄できるとでも思っているのか?』
何を言っている、翻弄できているのだからそうなのだろう、まさか帝国に内通者でもいるというのか? いや、それは居るだろう、そんな事は分かりきっている、だからこそ此処までの情報収集能力を彼等は所持しているのだろう。
『民衆に受けが良い、そう、たしかにそれは重要な理由の一つだ。だがなルージュ、腐敗した貴族を検挙し続けたとしても、此処までの過剰な戦力を持っている相手を、そのまま簡単に受け入れる者ばかりでは無い。たしかに殆どの民衆はそれで十分かもしれない。だが、そんな物、情報操作でどうとでもなる。自国なのだ、自分の庭なのだ、多少支持されたとしても、ここまでの支持が得られるわけが無い』
じわりと脳に染み込んで行く言葉、どういう事だ、一体何を言っている、ならば何故貴様等はそれをしている。
『暗黙の了解なんだよルージュ、俺達が腐敗貴族を消す事を良しとしているのさ。たかが20年この世界に居た程度の人間が、数十年、数百年も続いているシステムをそんな簡単に否定も改定も、そして改竄も出来やしない。むしろ帝国のシステムは良く出来ている、そこを横槍入れて変えるほど俺は傲慢でもなければ有能でもない』
ならば、ならば何故貴様等はそんな事をしている、何故だ、貴様等に何の意味がある。
『そうだ、何故、そう何故を常に続けていけルージュ。人は考える生き物だ、思考する生物だ。考えろ、思考しろ検討しろ解析しろ、総合的に総括的に、あらゆる観点から物事を考えて行動しろ。でなければ死ぬだけだルージュ、たとえ加護持ちであろうとな』
『俺はもともとそこそこ裕福で、そこそこ幸せであれば良かった。こんな事をするつもりも無ければ、こんな事になるとも思っていなかった。だが、だが世界はそれを許さなかった。彼女は、彼女は俺の支えだった、利用されていようとそれを理解していようと、彼女だけは譲れなかった。この世界で、この世界で初めて肉親以外から好意を寄せてくれた相手だったのだから。だから、彼女を守るためなら俺は世界すら相手に取ろう、世界すら敵にして見せよう。誰に恨まれようと、誰に憎まれようと、俺は俺の大事なものを守る、その為なら何千人、何万人と殺して見せよう』
この男は……、この男は私と正反対の生き方なのか……? 帝国の為ならば、帝国の民の為ならば、100を助ける為に1を斬る。1000を助ける為に10を斬る。私の行き方はそこだ、そこにある。
この剣で斬る事で救えるものが居るのならば、一人殺して100人救われるのならば迷い無く切り捨てる、そうだ、それこそが私だ。
だがこの男は一人を救う為に数百人を、数千人を、数万人を殺すと言っているのか?
ならば、この男を斬る、帝国の敵となる、帝国の害となるこの男を斬る。
しかし、それで良いのか? それが本当に帝国の為なのか、害になっているのか、何故暗黙の了解なのだ、何故何故何故……。
『俺は強くは無い、聡明でも優秀でも有能でも、そしてなにより自由ですら無い。だから拾えないものは捨てていく、大事なものを捨ててしまわないように。俺の手のひらは小さいのだから』
私の手はどうだ、斬って救われたものはどれだけ居た、どれだけ救われていた、この男のやり方で救われたものは誰だ。
『ルージュ、お前は何を求めている。何を守りたい、何の為に生きている』
「私は帝国の平和を求めている、私の守るものは帝国、私は帝国の為に生きている、だから……」
そうだ、そうだ、そうだ、私はそうだ、だが、だが、だが。
それが正しいのか? それが正解なのか?
正義等無い、そんな事は分かっている。皆利益が無ければ動かない、善意で動く人間など一握りに過ぎない。それすらも自己満足と言う自己欲求の利益があって動く話なのだ。そうでなければ人は自己を確立出来ない、そう、出来ないのだ。
この男がした事は罪だ、罪悪だ、しかし、しかしだ。
何故、帝国が暗黙の了解をした? 何故ここまで動けた? 何故、そう何故だ。
つまりそれは帝国にとって何らかの利益があるから、その何らかとはおそらく……。
だが彼等の利益は何だ? 何を求めている? これで何を得るのだ?
帝国の地位? いやそれは無い、そんな物では動かない
報酬? 金? まさか、既に実家の売り上げは相当なはずだ
他国への力の誇示? そんな事に魅力を感じる男ではない
誰かの命令? ありえない、コンフェデルスに正面切って喧嘩を売った男がタダで使われる等
スゥイ=フォールスの保護? それならば金銭的な解決が一番平和的だ、ここまでする意味がない
わからない、何故だ、何故彼等は動いている? 私事であるのは間違いない、だが……。
ゼウルス……、一度隊に戻る必要があるようだ、あの男に一度確認する必要がある。
良いだろうスオウ=フォールス、この場は私が一度引く、だが、だがしかし。
―――――貴様は私が断罪する、いずれ、必ず、この私が!
『それが答えか? ならばそれを楽しみに待っていよう。―――――さて、お前が地下で何を見たかまではさすがに分からない。だが此方で調べた所、加護持ちを人工的に作ろうと計画し、推し進めてきたのは帝国の相談役の様だ、そこまで言えばわかると思うがな』
「それで? 貴様は私に何を求める?」
『俺は何も求めんさ、帝国が何を求めているかで動けば良いだろう。そこに俺の意見を挟む必要は無い』
首筋に当てられていた剣がひかれる、直ぐにブチリと体に絡まっていたワイヤーを引き千切り、ゆっくりとその場に立つ。
間接の動きに問題が無いことを確認した後、目の前に立つアルフロッドを睨み声をかける。
「貴様も……、いや、なんでも無い」
だが、言いかけた言葉を飲み込む。言う必要の無い事、言っても意味がないこと、価値を感じられない事だから。
「おいおい、言いかけて止まるなよ気になるだろうが」
肩を竦めて此方に返してくる、どうも緊張が緩んでいるようだ、ここから私が攻撃を仕掛けない可能性が無いわけではないだろうに。
しかし、逆にその仕草が私の戦意を喪失させる。毒気を抜かれた私は転がっていた剣を拾い、鞘に治めため息を付く。
頭上を見上げると、切り抜いた穴が見える。外は夜、光る星が流れこの船が動いている事を表している。
「私の知った事ではないな、いずれ貴様も私が捕らえてやる、楽しみにしておけ」
そうかい、と返す赤鎧の男に一瞥をくれ、空けた穴から外へ飛び出した。
◇◇◇◇◇
何故、帝国は我々の自由を黙認しているのか
何故、カナディルは帝国との戦争を望んでいるのか
何故、帝国はスイル国を属国として必要としているのか
何故、コンフェデルスはカナディルと同盟を組んでいるのか
何故、リメルカは他国との交流無しで存続できているのか
何故、カナディルは加護持ちの扱いがあそこまで甘かったのか
何故、コンフェデルスはスオウ=フォールスに船を渡したのか
何故、何故、何故、何故、何故
何故、この俺がこの世界に存在する事になったのか
「物事には全て理由がある、それがどんなにくだらない物でも理由がある。そしてその理由が発生する原因もある。考えろ、思考をとめるな、思いついたものは他人も思いつく、他人が思いつけるものは自分にも思いつける。惚けるな、迷うな、止まるな。検討しろ、想像しろ、予想しろ、俺にはこの頭しか無いのだから」
◇◇◇◇◇
ガン、という音が部屋に響く。少なくとも上司に向ける態度ではない行為を行うその男は、青筋をこめかみに浮かび上がらせ全身を震わせている。
「何故此処まで誰も動かなかったのですか!」
「仕方があるまい、虚栄心と言う奴だな。それと欲か、気が付いた時にはフォールス家は撤退済みだ。長い目で見ることが出来ないのさ、いや、それが出来る所には誘致しなかったとも言えるか……」
「愚かな、それで貴族の連中は?」
「案の定我先にと製造開始だよ、大量の材料を国内だけでなくコンフェデルスから買い入れてな。気持ちは分かる何年も進んだ技術だからな」
「それより先にある技術が既に出来上がっている可能性を考えないのかっ」
「一部は気が付いたようだが、ほとんどは駄目だな」
「それでは情報が広まる前に捌けば」
「あの国の情報伝達速度を舐めているのか? 国内ならその日の内に、同盟国のカナディルでさえ次の日には情報通達が終わっている。国内で裁くか? それこそ無理だ、原価に労働賃金を無視しても良いなら別だがな」
「出来上がるのはゴミの山ですか、さらにフォールス家からの資金提供も無くなった」
「その状況でこれを寄越してきたよ」
「なんですかこれは?」
「人を買うとさ、技術を持った職人を、ラーノルド辺境伯からの通知だ。他にも数名居るようだが、金に困った馬鹿共は喜んで売るだろうな。全員ではない事を祈るばかりだが。だが賃金を落として不満を買えば、彼のところに流れる人も増えるだろう」
「これは……、まさか……」
「繋がってる可能性が高い。以前のペニシリンの件もある。シャドウを戻したのはこの為だ、奴を探れ」
「了解いたしました」