New moon vol.17 【帝国の辺境】
「ラーノルド卿、宜しいので? いい加減ラウナ=ルージュを遊ばせている状況ではありません」
「スゥゼン卿か……、しかたがあるまい、帝王がそう言っているのだ。帝国強襲突撃部隊にでも組み込むのが良いのだろうが、隊長が拒否していてな」
「リューイ=ホーキンスですか、何を考えているのでしょうかあの男。拒否権など無いでしょう? 無理やりねじ込んでしまえば良いのでは」
「統率の取れない部隊など無意味だ、それならばラウナ=ルージュを筆頭とした独立部隊を作ったほうが良い」
「ふぅ、反乱を起こす可能性があると元老院の爺が騒ぐでしょう」
「騒ぎたい奴には騒がせておけ、と言いたい所だがそうは行かないだろうな」
「しかし、あまりゆっくりしていると、カナディルの強硬派がアベル=ブローズを暗殺しに来ますよ。さらに面倒なのは、帝国内部でもそれを良しとしている者が多い事です」
「そんな安易な手で来るのなら楽なのだがな。なにより、もしそうだとしてあの男もそう簡単にはくたばらんだろうよ。曲がりなりにも帝国で5本の指に入る剣の使い手だ」
「だと良いのですが、空飛ぶ船の件もありますし。此方の予想できない物を持ち出してくる可能性があります」
「コンフェデルスは手を出してはこないだろう。正確にはスオウ=フォールスかもしれんが。あの国はあくまで敵対国が存続している事を望んでいる。必要悪としてのな。だがカナディルはスイルの地が欲しいという欲が有る。だがあの地はやれん、帝国の民の為にもな」
「フォールス家が大分水準を上げてくれているようですが」
「所詮は焼け石に水だ。気持ちは分かるがな……。だがまだスイルを手放せるほどでは無い。もし手放すとしてもカナディルにはやれん。あの男が言っていたように属国で無くすのが最大限の譲歩だ」
「となるとやはり、上を削り取る必要がありますか」
「それには我らも含まれている。だがしかし今から妻や娘、息子に格段に落ちた生活を強いることは難しい、それは他の貴族も同じだろう」
「内乱でも起きたらカナディルの思う壺です。加護持ちが二人、カナディルから離れたことで強気になっている貴族も多く居ます。完全に押さえ込むのは難しいかと」
「ある程度は宥め透かして煙に巻くしかなかろう。軍部の連中も右翼の連中が騒いでいるようだし、我が国の不倶戴天の敵はいつからカナディルになったのかね」
「陸続きですから仕方がありません。コンフェデルスはこの所静かですし、なによりあの兵器は脅威です。現状で正面切って敵対するのはリスクが大きすぎます」
「コンフェデルスの事では無い。我等が不倶戴天の敵はリメルカであろう? もうこの100年近い長い年月で忘れかけているが、我等が力を求めたのはあの国に対抗する為だ。皆それを忘れている」
「それはしかたがありません。あの国は100年以上の長い間他国との交流を控え、さらに帝国への進入もまったくと言ってありません。大人しいものです。思想の違いから常日頃対立していたコンフェデルスやカナディルに目が行くのは仕方が無いでしょう」
「そういう問題ではないのだがな……。そもそも思想の違いと言うのは対立の決定的な原因にはならないと思うがね」
「なにを……?」
「聞き流してくれたまえスゥゼン卿」
コツコツと石畳の通路を歩きながら話し合う二人、一人はラーノルド辺境伯、スイル国との国境に近い街を治めている貴族であり、一番フォールス家による商売介入を認めている貴族でもある。
当然それに対する見返りも相当に貰ってはいるが、他の貴族に比べれば良心的であり、なおかつ私欲の為に使っていないところは好感であった。
彼は彼で理由があった。帝国は戦争をする必要性が無いのだから揉め事を態々起こす必要を感じていなかったのだ。むしろ彼は問題は国内にこそあると考えていた、だからこそフォールス家の参入を認めたのだ。自身の立場を強める為に。
それに反対してこれ幸いと暴利を吹っかけてきたのが帝国首都に近い街を治めている貴族、ガルバロフ伯爵とアルバートン伯爵そしてバーウィン男爵である。彼ら三人を筆頭として殆どの貴族が帝国に参入してきたフォールス家に対して高い関税をかけ、そして法外な場所代を請求した。
それに対してフォールス家は黙って支払いを行った、そのため帝国での売り上げはほぼ無しと言える現状である。
尚、主に帝国へ参入した技術は工業系技術の子会社と言われる部品工場である。
◇◇◇◇◇
「待たせたかね?」
キィ、と木で作られた扉を開く。場所はラーノルド辺境伯の応接室。スイル国国境に近い街、セファンにある豪邸。その一室に入ると一人の小柄な女性が椅子に腰掛けている。
黒髪に黒目、凛とした雰囲気は以前会った時よりもより一層際立っている。
その女は手に持っていた茶菓子を皿の上に置き、答えてきた。
「いえ、美味しい茶菓子を頂いておりましたので。問題御座いません」
「そなたも変わらぬな。あの男もそうだが……、まぁ私にはどうでも良い事だがな」
敵地のど真ん中だと言うのにもかかわらず、暢気に茶菓子を食べている様子を苦々しく見た後一つ嫌味を言う。おそらく歯牙にもかけぬだろうが。
「褒め言葉として受け取っておきます。夫にも伝えておきましょう」
くすくすと笑いながら答えてくる女。座る女の左後ろには若い男性が一人立っており、部下と思われるその男からギロリと睨まれる。若いな、あの程度スオウ=フォールスに比べれば児戯にも劣る。
あの男ならば表面に出した感情すら、何かの意味があると勘ぐってしまう様に使うのだから。
「それで本日の用件は? 私としては君らとはあまり会いたくは無いのだがな」
始めてあった時の胸糞悪い対談を思い出し、ふん、と鼻を鳴らし自分の執務机に向かう。苛立ちを表すかの様に、乱暴にドカリと椅子に腰掛ける。
「パトロンを蔑ろにしてはいけませんよ辺境伯」
「パトロン、ね。例のペニシリンの件は感謝している。お陰で帝国内部での発言力も高まった、だがブルード辺境伯に睨まれてしまったがね。あの男は狡猾だぞ、派閥争いに興味は無いが私を蹴落とそうと何か策略を立ててくるだろう」
「ブルード辺境伯52歳、妻レノラ48歳、娘が二人22歳と19歳に息子25歳が一人、愛人が一人、屋敷のメイドを二人奉公と言う名の暴行を行っていますね。独占欲が強く、また傲慢で強欲。金銭的価値観が平民の約0.3倍程度の認識。サーブロスでの魔獣討伐の褒章の報告詐称、セーヌ川の女性他殺体の隠蔽。息子さんは性犯罪2回、暴行罪4回、いずれも父親の権限で握り潰していますね。こちらも父親に似た性格のようで。アルバートン伯爵と仲が良く、色街へ出かけているそうですね、そうとう評判は悪いようですが。剣の腕は意外と上の中でありなかなかの腕前、帝国の近衛兵の隊長を勤めれる程度の実力である。一部貴族の師範役を勤めていますね、その辺の伝と剣の腕で辺境伯まで成り上がりましたか。策略家としての面もあり下法と呼ばれるような手を好んで使っているようで。後、妻のレノラですが……」
「もうよい、わかった……。強く出られてきたら情報を買う。そのくらいにしてくれ」
ついにはフォールス家から場所代と関税で手に入れた金で、ブルード辺境伯が購入された商品の一覧もありますが? と聞き返してくる。いったいどこからそこまでの情報をつかめるんだ、はぁ、とため息を付き目の前に座る女を見るが、変わらぬ顔で微笑みながら此方を見つめている。
「では本題に入りましょう。以前話していた通りフォールス家は帝国より撤退します」
一息ついた所、これ以上話しの主導を持っていかれるかと考えて話し出そうとした瞬間。ぱん、と手を叩かれ空気を一新、まるで流れるかのように流暢な言葉で爆弾を投下してきた。
「なっ、話が違うのではないか? 予定ではまだ半年先のはずだ、もう少し時間があれば説得できるかもしれん。このままではカナディルとの戦争は避けられんぞ、それはそちらも望んでは居ないだろう」
驚愕の表情で聞き返す、何かの間違いではないのか。そんな事をすれば民衆は路頭に迷う、仕事が無くなりまた以前と同じ生活に戻るのだ、焼け石に水とは言え救われている人も多く居るのだから。
「戦争ですか、別に構いませんよ起こっても? カナディルと帝国がぶつかった所で我々は何も問題ありませんので。それとお話ししていた時期は予定通り進んでいた場合の話です。依然として意識改革を行えないのであればしかたがありません」
「貴様ら…………。ふん、いいだろう撤退してみろ、また職にあぶれる者が出る。そんな事をすれば民の支持も得られんだろう、貴様らが帝国でもやって行けるのは民の支持があるからだろうが」
「あれだけ大々的にフォールス家から場所代を要求していた事を忘れて、ですか? 愚か者には感謝ですね。まぁ、そもそも民の支持を得る事は二の次ですから問題ありません」
「なに? ……まさか帝国の民ごともって行くつもりでは有るまいな」
「それこそまさかですね。例の船、搭乗員が300名近いとは言えそんな事はしませんよ。村単位の失踪はありえるかもしれませんが」
失踪のくだりで睨みつけた私の視線に気が付いたのか。ご心配無く、冗談ですよ。と笑いながら話す女。
薄っすらと笑みを浮かべるその顔は、何を考えているのかまったくと言って読み取れない。
まるで人形の様に淡々と顔に貼り付けた笑みでしゃべり続けている、ぞくりと体が震え、背に嫌な汗が流れる。
こちらの動揺を見透かしたか、すこしだけ顔に人としての表情が見えるが、また直ぐに元の顔に戻りしゃべりだす。
「御心配せずとも人は奪いません、職人の技術はそのまま生きるでしょう。単純にフォールス家が撤退するだけです、問題は無いでしょう」
「支援は、いや、十分にやっていけるだけの技術はあるのか。ならば解せん、なぜその様な事をする」
「手土産だそうです。プレゼントは大き過ぎるくらいの方が動いてくれる場合が大きいと」
淡々と答えてくる相手から視線を逸らさない、だがピクリとも動かない眉、微動だにしない目、感情を感じ取らせないその顔はまさに人形だ。
この様な技術その辺の諜報員では無理だろう。幼い頃から自分を偽る事に長けて居ない事には、そう出来ることでは無い。
私とて悪鬼跋扈する貴族の中で腹芸を行ってきたのだ。人の感情を読み取る事には長けていると自負していたが……。
「言葉通りに信じろと? フォールス家の名も落ちると言うのにか?」
「そこまでは私も、今回はそれを告げに着ただけですので。ですがおそらく夫なら好きに考えろ、と言うでしょう」
「…………」
「何も無いのでしたら私はこれで」
「まて、それならば何故君が態々来たのだ」
たしかに潜入も考えるとそれなりの腕の人間である必要がある、手紙では紛失や奪われた場合を考えるとリスクが高い。当然潜入もリスクが高いのだが、彼女を寄越す必要性を感じ無い。
「それも好きに考えろ、と答えるところなのでしょうが。そうですね、誠意、としておきましょうか」
「貴様らに誠意などと言う言葉があったとは思えんな」
「それは残念です。我々としては常に誠意を持って皆様にご対応させて頂いていたと思っていたのですが。お気持ちが伝わっていなかったのは残念です。さて、それでは長居してはご迷惑がかかると思いますので失礼致します」
どの口がその様なことを吐くのだ。と、女の夫である組織の頭に聞いてやりたい所だった。しかし、一番最後に仮面を付けていたかのような微笑みを崩し、くすりと笑ったその顔に毒気を抜かれる。
そのまま流れるように、流麗な仕草で部下の男を連れて部屋を出て行った。パタンと閉じられる扉を睨みつけながら一人考える。
何を考えている、単に技術を渡し、雇用の場を与え、知恵を与え、そして彼らの利益は殆ど無かったはずだ。何を狙っている、一体何を……。
「フォールス家の信用問題ですか、残念ながらそれ以上のスキャンダルが発生するので直ぐに風化するでしょう。ラウナ=ルージュが研究所に潜入した事は既に軍事部門諜報部に伝えましたし。スオウがラウナに渡した予想点と言う名の魔昌石保管庫といろいろな資料はお陰様で楽に手に入れれそうです。」
持つべきものは踊ってくれる強力な敵兵と言うところですか。鬼の居ぬ間になんとやら、だ。
にやりと笑い、傍に来た部下と共にワイバーンに乗る。
およそ4匹のワイバーンが淡く輝き空へ舞い上がる。
「需要と配給が見合っていない帝国では直ぐに先行かなくなるでしょう。一部の貴族に金が溜まり過ぎている、民も豊かになるからこそ金が回ることを理解していない」
そこで大変安く買い叩いてあげます。所詮は子会社、そこで買う必要性は絶対では無いのですから。
スキャンダルに加え、我々からの裏金提供が無くなる、そして彼らはさらに民に圧政をかけるでしょう。一度豊かな味を知った人はなかなか前の生活には戻れない、それは人の心理として仕方が無い事だ。
あの国では産業革命に近いことが起こる可能性がある、とスオウから聞いている。それによって起こる弊害も。そうすればあの辺境伯に与えた薬は役に立つ。そして魔術の価値観がゆっくりと変わっていくだろう。
「ふふ、奪い取って作り上げるより、完成品を掠め取る方がとっても楽なのですよラーノルド辺境伯」
その笑い声と呟きはワイバーンの羽音と夜の闇に融け、誰にも届くことなく消えていった。
「ナンナさんに連絡を、上手い具合にバランスを取って貰わなくてはいけませんから。カナディルをなんとか押さえ込んで貰うように」
「ええ、任せておいてください」
指示を受けた男、30近いその男はワイバーンの手綱を引き、一人隊列から外れる。その名はクローナ=ハナウェス、強制武力介入組織【Crime】の諜報部隊副長である。