深遠に潜む狂気が己が悲願を果す 100話記念(ラウナ番外編 後編)
「私室にお引き篭りですか伯爵」
コンコン、とノックをした後、部屋に入る。入ると同時に告げる一言に、遠慮の無い睨みと殺気をぶつけて来る部下。
室内にはアンドロッド伯爵と数名の部下が待機していた。
その中央で座る伯爵は、テーブルの上に置かれたグラスに、コポコポと自分の手でワインをグラスに注いでいる。
並々と注いだそのワインに口を付けながら此方を一瞥し、話しかけてきた。
「何の用件かね? 取調べでもするつもりか?」
「いえいえ、まさか。アンドロッド伯爵に取り調べなど行えません、協力者に対して失礼の無いようにと指示されてます。ご気分は如何かと思いまして」
笑う事を我慢せず、睨まれることも厭わず、手の甲で口元を隠し肩を震わせる。協力者などと、本当に傑作だ。
「最悪だね、会場内で殺害行為に行われるとは思っていなかったよ。だから野蛮人だと言われるのだ貴様らは」
「手厳しいですね、騒ぎになってしまった事は謝罪します」
ピタリと笑うのを止め、頭を下げるラウナ。その表情からは何も読み取れず、何も感じ取れない。
「謝罪で済めば良い話しではない、対外的な問題もあるのだ、今回の件そう簡単に収拾をつけられんぞ」
「後心配なく、それにはアテがありますので」
人差指を立てて笑うラウナ、黒いドレスの袖元が落ち、白い二の腕が露になる。そこに見えるのは通信魔昌石、後ろに控えていた部下の眉に皺が寄る
「なに?」
「そんな事よりも少々お話したいことがありまして、お聞き願いますか? 麻薬密売の大本が分かったものでして」
右手を上げて部下を制する伯爵、その仕草を見ながら餌を一つ皿の上に載せて差し出す。極上の餌を、求めていた餌を。
「なに! 本当か! 誰だその愚か者は!」
「貴方が良くご存知の人ですよ」
つ―――――、と右手を前に手の平を上に、伯爵の前に差し出し微笑みかける。はぐらかしているかの様に見えるその仕草は、伯爵を苛立たせ、先を促される。
「誰だ! この私が直々に裁いてくれる!」
「それは難しいかもしれません」
くすりと笑い手を戻す。斜に構え、ひらりと舞うドレスの裾。その黒いドレスが闇を闇へと誘うが如く、謎が謎を呼ぶが如く知らぬ艶を見せ人を引きつける。
「貴様らが捕らえるとでも? すまないが私も協力したのだ、そのくらいはさせてもらうぞ」
「いえいえ、そういう事ではありません」
目を奪われていた部下と違い、此方の目から視線を外さない伯爵。その目はどこか芝居がかっており、思わず嘲笑が出そうになるが我慢する。
この辺りでもう十分だろう、あまり遊んでいる時間も無い、辺境伯が本当に動くことになると面倒だ。姿勢を正し伯爵に向き直ると纏う空気を変えて行く、一本の剣へ、ラウナ=ルージュでは無く、帝国の剣へと。
「どういうことだ?」
「自分で自分を裁く勇気は無いでしょう? 伯爵」
「な、に?」
「ですから大本が伯爵だと言っているのです」
淡々としゃべるラウナ=ルージュ、その目は確信に満ちているわけではない、その目は疑心に満ちているわけでもない。その目はそう、どちらでも、いやどうでも良い、そういった目をしていた。ただ、それに気が付くものは居ない、少なくともこの部屋の中には誰も居ない。
「はっ、何を言い出すかと思えば、無礼にも程が有るぞ!」
「まぁ、確かにそうおっしゃられるのも分かります、ですから少々私の茶番にお付き合い頂ければ幸いです。ただの想像に過ぎませんが」
大仰に手を振り、芝居がかった礼をする。滑稽に見えるか、それとも狡猾と見るか、いや、それとも……。
◇◇◇◇◇
一瞬の沈黙の後、伯爵がしゃべりだす。沈黙に耐え切れなかったか、それともその身の潔白を晴らしたかったのか。
「探偵気取りか? 笑わせる、そんな事をしている暇が有るのならばさっさと犯人探しと各貴族の事情聴取でもしてきたらどうだね?」
「そうおっしゃらずに、それほど時間は取らせませんので。そうですねまずは最初、会場に伯爵から声をかけられた所から参りましょうかね? あの時の伯爵ですが、考えるに私に話しかける意味はなかった、そう思います。我々が潜入することは内密にしておいた方がいい、わざわざ声をかけて印象づける必要はない」
「茶番だな、君等が動きやすいようにしてやったのだ、それの何が問題だというのだ」
「動き易さで言うのならば私が単独でターゲットと接触するより、会場で演説などを行って潜入チームの手助けをする方が良い。私の方が上手く行く必要性があったのでは?」
「そんなつもりはないがね、私はあくまでそなたが貴族と話しやすく出来るようにしたつもりだったのだよ」
「見知らぬ女が一人、伯爵と会話をする。確かに関係性が見え、ある程度の緩衝材にはなるが、普通に考えたら愛人とでも疑う人間もいるでしょう。伯爵の相手に手を出そうとする愚か者は少ない、しかしなぜか子爵は私に声をかけた、それも会場にはいって直ぐに」
「考えすぎではないのかね? 他の男は君が美しすぎて話しかけにくかったのかもしれん」
「美しい女性にいきなり話しかけた、ですか? ご冗談を、子爵は貴方が差し出したのでしょう? 他の男が話しかける前に確保する必要があったから。正確に言えば取り巻きの誰かを使って伝えた、あの子は私の遠縁で君が上手くエスコートしてくれないか、と。ああ、そうですね私の了解は得ているとでも付け加えたかもしれません」
「あの男は好色だ、たまたま君に目を付けただけかもしれんよ」
「フフ、その割には私の名前を聞いたときの反応がわざとらし過ぎた、豚に芸を仕込むのは難しかったのかな。あの場では驚く必要など無かった、親族が招待されている事はありえる話しで、普通に丁寧な態度で応対してれば良い」
「どうやら失礼な対応を取ったようだな、投獄されるのは確定とはいえ私から謝罪しておこう」
「それはありがとうございます。なんせ大事な生け贄様ですからね、役に立ったのですから少しくらいは頭を下げますか?」
「何が言いたい」
「話を戻しましょうか、貴方は潜入チームが余計な証拠を掴むのを嫌った、いえ、子爵以外の人間を先に捕らえられるのはまずかった。そのためトカゲの尻尾である子爵を、なんとか先に生け贄に捧げたかった。後は芋蔓式に何人かの貴族が捕まって終わり」
「ありえんな、私の評判が下がる。それにそんな事をするなら君らを呼んだりはしない、私兵で済ませる話だ」
「いいえ、それはありえません。私兵で処理するのはリスクが高すぎる、曲がりなりにも相手は貴族、理由を求められるでしょう。我らファングと違ってね。貴方は出来ることならその場で我々に斬って欲しかったのでは?」
「愚かな、ならば余計貴様等を呼ぶ必要はない。己の首を絞めるだけだろう。自分の領土で麻薬の取引が行われていたことで既に信用問題に関わっているというのに」
「くく、帝王の勅命、あれも予定外だったのでしょう。まさか邸内に侵入するのを止め様としたお仲間が殺されるとは思いませんでしたか?」
「まさか、たしかに会場を汚されたのは遺憾だが、あの男が悪かったことも理解している」
「それならば良いのですが。それとさきほどの子爵、ラーノルド辺境伯とも親しいようですね。まぁ貴方のご紹介で先方は仕方が無く付き合っているようですが」
「それが何だというのだ」
「あの箱の取引先は辺境伯なのでしょう? いや、辺境伯にするつもりだったのでしょう?」
「なに……?」
「部下の報告で辺境伯への密入品がいくつか上がったのを確認していますよ。同様の麻薬です。既に回収済みですが」
「ふん、とんでもない男だな。絞首刑が良いところだ。私と同じく良い政策を取っていると思っていたのだがね」
「残念ながら辺境伯は見に覚えが無いそうなのですよ。どうやら子爵から頂いていた品に紛れ込んでいたようで」
「ほう、彼もこのパーティーに呼んでいた事があったからな、その時に取引をしていたか」
「そうですね、彼は今まで何度も呼ばれています。しかし今回だけ呼ばれていない」
「先方の都合が悪かったようでな」
「それはおかしい、辺境伯のスイル国視察の日程は前もって知ることの出来る情報だ。それにわざわざ被せる必要性がありません」
「仕方が無かろう、この日しか他の者の都合が会わなかったのだ」
「ええ、その様ですね。巧妙に隠されていますが貴方の手で調整されて、ね」
「そんなことが出来るわけがないだろう」
「現に出来ていますので、まぁ、それは追々お話しましょう。これで貴方は自領の不始末を辺境伯に擦り付けることが出来る、責任転嫁ですかね。現行犯は捕まっていますし、何も知らない哀れな子爵が一人首を吊って終わりです。貴方は我々が明確な筋書きを書いている途中で辺境伯の領土で薬物を表に出す。辺境伯はスイルに出かけててもぬけの殻。そのままなし崩し的に押し込めるつもりだったのでしょう? 我々が呼ばれたのは我々がラーノルド辺境伯の領土を先に調べられたら困るからだ、だからこそ此処で足止めしたかった、ファングも人員に限りがありますからね」
「はっ、私程度が辺境伯にそんな真似をするわけが無かろう、そもそも辺境伯が気が付かないわけが無い。それに足止めだと? そんな事は結果論に過ぎん、貴様らが全員此処に来るとは限らんだろうが」
「確かに結果論に過ぎません、会場の警備も我々に依頼しなければね? 会場の警備こそ私兵を使えば良い話。だが貴方は我々にお願いした、どうせなら全て手の者の方がやりやすいだろう? とね。ああ、それと辺境伯、気づいて居ない訳が無いでしょう?」
「なに、を?」
「ですから気が付かない訳がないのですよ。我々は1年も前から辺境伯と共に動いていただけの話。ようやく尻尾を出してくれました、感謝します伯爵。いつ動くのか分からなく大変困っていたのですが、今回の件で絞り込めたので助かりました。既に辺境伯の領内に潜伏していた貴方の手の者は拘束済みです、まぁ何もしゃべらないかもしれませんがね」
「…………」
「潜入チームを嫌ったのは不測の事態に対応できる自信がなかったからでしょう、それともターゲットとしていた他の二人に泣きつかれましたか? 挨拶周りが大変と言っておきながらすぐに2階のテラスに上がりましたね、大事な物は側に置いて自分で監視しておきたかったのですか?」
「何のことかわからんな、来る者はほぼ同じだ、簡単な挨拶で十分だろう」
「伯爵ともあろう者が? 善政を敷いている者の言葉とは思えませんね。貴族を斬った時も会場の収拾もせずに私室へ戻られた、少しでも時間を稼ぎたかったのですかね? 辺境伯の領土内で騒ぎが起きるまでの時間を少しでも、とね」
「それで、だから何だというのだ? 私を拘束するのかね? 証拠も無しに」
「まさか、今回の勅命では伯爵階級には手を出せません。ラーノルド辺境伯が動くまで私たちは待機ですよ伯爵」
スイルに出ているので明後日以降のご到着になると思われますがね。と続けて話す。視線を合わせない伯爵の横顔を見ていると、苛立ちが我慢の限界に達したのか、グラスを一気に空け、少々強めの声で言い放たれる。
「では出ていってもらおうか、もはや話す事は無い」
「そうですか、それは残念。では失礼いたします」
パタンと閉じられる扉、彼の私室を後にする。
数名の部下が会場の貴族一人一人の持ち物を検査しているのが目に映る。狼狽している者から我関せずと一貫して無言を貫くものから様々だ。別に彼らが何かを出す事など考えていない、所詮はカモフラージュの一つに過ぎないのだから。
ドレスの裾を鬱陶しそうにはためかせ、階段を降りて行く。袖の下に隠れていた通信魔昌石を通して、1階にいる部下に指示を出した。
指示を出した後、会場の外へ出る。夜風が頬を叩き、少しだけ下がった気温が熱に浮かされた頭を冷やしていく。
目端に映るは部下、伯爵の部下に良く見えるように伯爵の私室から離れ、気付かれないように、そして不自然でないように、部下が穴を開ける。そこから抜け出せる程度の穴を。
◇◇◇◇◇
およそ半刻、依然として騒然としている会場を横目に外で時間を潰していると、通信魔昌石から連絡が入る。
淡々と告げられるその声は何処か相手を哀れんでいるのか、それとも侮蔑しているのか。
「副長、予想通り裏口から出ていくのを確認しました、数名の部下を連れています」
「やはりか、近くの辺境伯を頼るつもりだろう、妨害はしていないな?」
「ええ、人払いは済んでいます。それとあの男も既に現地近くに居ます」
「わかった」
傍に来た部下から剣を受け取り天を見上げる。瞬時、黒いドレスが夜の街を舞う、屋根伝いに空中を駆け抜け、風を切り、直ぐに標的の集団を発見した。
おそらく護衛だろう、数十人の私兵が馬車の周りを囲んでおり、かなりの速度で駆けている。
近くの辺境伯に庇護を求めるつもりと考えられる。ラーノルド辺境伯とて同格相手では明確な証拠がなければ強くは出れない、おそらくそこを見込んでの行動だ。
重力に従い地面に向かって落ちていく体を、横を流れる家屋の壁を蹴り飛ばし、方向を強制的に変える。
ガン、という音と共に剣を抜き放ち一閃、馬車の幌は切り裂かれ、周囲を警戒していた私兵は全てその身に詰まる血を撒き散らせ、耐え切れなくなった上半身が地面へと落ちる。
「これはこれは、夜分にお出かけですか伯爵」
トン、と地面に降り立った時、おそらく手当たり次第かき集めたであろう金銀溢れる財宝の中で此方を睨みつけるアンドロッド伯爵が目の前に居た。
「貴様っ……、これはどう言うつもりだ! 貴様らに私を拘束する権限があるとでも言うのか!」
私の顔を確認すると烈火の如く怒り出す伯爵、口角に唾が泡立つほどに声を張り上げ手を振り上げ、此方を睨みつける。
「勅命では拘束権限はありませんが、捜索権限はあります。あの場所から逃げられては困るのですがね?」
「逃げる? 冗談ではない。私は知人に会いに行くのだ、必要なら喚問でもすればよかろう! 何処へでも向かうわ!」
目線を外し、周囲に転がる死体を見ながら告げる。生存者はいない、目撃者もいない、何も問題は無い、そう何も問題は無い。
「ふぅ、まぁいい、少々聞きたい事がある。それに答えてくれたのならば開放しよう、私も立場的に報告する必要があるのでね」
「ふざけるな! 貴様、これだけ私の私兵を殺害しておいて、ただで済むと思うなよ!」
ガン、と馬車であったモノから立ち上がり、傍にあった箱を蹴り上げる。衝撃と共に転がり出てくるのは金貨、おそらくは領民の血税の一部。
ちらりとそれが視界に入るが、特に興味も示さずに問いかける。
そして発した自分の声、その声は自分でも驚くほど低く、そして殺意に満ちていた。
「2年前、連続殺人事件があったのを覚えているか?」
「な、なに?」
殺気を敏感に感じたのか、今まで強気に出ていた伯爵がたじろぎ、視線が泳いでいる。
「貴族の息子が4人殺された事件だ。かなりの騒ぎになっただろう」
「あ、ああ。あれか! それがどうした! 今その話が何の関係がある!」
思い当たることがあったのか、それとも自分に手を出せないだろうと高を括っているのを思い出したか、声を荒げ、傍にあった装飾された剣を掴み身構えて答えてくる。
斬ることを考えていないその剣、華美に散りばめられた宝石が月の光を反射して妖艶に煌いている。
「ではその前に一人の少女が死んだ事件は知っているか?」
「なに……?」
ゴス、と剣の鞘で地面突く。両手を柄の上に、我が信念の上に、その剣の上に置く。揺るがず、迷わず、そして振り返らず。私はそうやって生きてきたのだから。
「麻薬漬けにされ、人格が崩壊するまで犯され嬲られ、助け出された後も狂った様に笑い続け、最後まで父親を父親と認識できずに死んでいった少女だ」
「知らん! なんの関係があると言うんだ!」
剣が鞘から抜かれる、スラリと。地面にめり込んだ鞘は倒れず、揺らがず、私の思いの様にそこに立つ。抜かれた剣は銀、月の明かりを反射し、蒼白となる伯爵の顔が映っている。
「その少女は先ほどの貴族に遊ばれたそうだ、器量が良く、町で一つの店の看板娘として働いていた。何も問題が無かった、強いて言えば運がなかったのだろうな。愚かなバカどもに捕まり人生を潰された」
「何の話をしている!」
切っ先が鞘を離れた、私の思いが溢れ出して行く、これはファングとしては間違っているのかもしれない、帝国を守る剣としては間違っているのかもしれない。だが、だがそれでも、私は如何しても譲ることは出来なかった。
「父親は強かった、この帝国で貴族を殺し回るほどに強い意志で彼らを恨んだ。先ほどの連続殺人犯の犯人だよ。最後の4人目、その男を殺そうとした時に止めに入ったのが私だ」
「いったい何が言いたい!」
思い出すのは同じ夜、月の明かりに照らされて泥と煤と垢に汚れた一人の男。服はもはや汚れていない所は見つからず、髪は年齢に相応しくない程の白髪、顔は20は老けたと思われる風貌で、纏う空気は修羅に似ていた。
「ぼろぼろと涙を流しながら殺させてくれと懇願されたよ、その後は好きにして構わないと、殺されても、拷問されても何でも良いと。だが私は断った犯罪者は斬る、貴族に手をかけた以上それは絶対だ」
「当然だろう、だから貴様は何が言いたいというのだ!」
振るわれる剣、涙を流す男、ころりと転がる首、その転がった首は笑っていた。助かった事に笑っていたのか、それとも滑稽なその男を笑っていたのかもう分からない。
「ただ、少しだけ手元が狂ってね。後ろで喚いていた貴族の首を先に跳ねてしまった。いやはや手元が狂うというのは恐ろしい」
「な、なんだと……」
血の雨が降る、何が起こったのか呆然と此方を見ているその汚れた男にも剣を振るう。剣閃が走る瞬間彼は言った、ありがとう、と。
「さて、手元が狂って死んでしまった哀れな貴族だが、名前をボルドウィット=ホゼット。貴方の叔父ですよ、覚えていないようですがね。
少女を監禁する場所から、使う薬までいろいろと融通しいていたのに忘れてしまうとはなんとも嘆かわしい。これでは彼も浮かばれませんね」
世界は現実に引き戻されていく。ラウナの手元にある剣が右手から左手へ、左手から右手へ、弄ぶように交互に入れ替わる。冷えた目で壁を背に、後ずさっていく男を見る。
「ボルドウィット? ……まさか、連続殺人事件の被害者、まさか、まさか!」
驚愕と共に目を見開くその男の腹に、ずぶりと剣が刺さる。同時に上がる悲鳴、くぐもった声と震える体、力無くずりずりと地面へ重力にすい寄せられるように落ちていく。
「腹に穴があいた程度で喚くなよ、男だろ。その少女はナイフの試し切りからダーツの的までさせられたそうだ。救出後はもう見るも無惨だったと聞いているよ」
こんな風にな、と剣をぐるりと捻り、内蔵をかき回す。剣は肉を突き破り、筋肉を引きちぎり、背中から突き出て血が同時に溢れ出す。
「なぁ、ゴミを優遇して何がしたかったんだ? 善政の伯爵様。少女の実家はラーノルド辺境伯の領地へよく商品を出荷していた、希少価値の高い細工衣装を作っていたそうだな。だがその家はラーノルド辺境伯にしか卸さなかった、金額ではなく、彼の人柄に絆されて、な。貴様は自分の領地に有る物を自分には売らず、他の領地へ売るのが我慢ならなかった。だからちょっと不幸になれば良いと思ったのか? 10歳も下の男に負けているのが悔しかったのか?」
ごぽごぽと口から血を流し、色の失った目で口を動かすアンドロット伯爵。ずりずりと地べたを這いずり必死には逃げようともがいている。汚れた地面がさらに血で染まり、血の池が出来上がっている。
この男にとって所詮その程度の事件、その程度の話。おそらくその少女の顔すら覚えていないのだろう。
「き、さま……、わかって、いるのか。誰に……手を上げたのかをっ……ごほっ……、おわりだ、きさまらはおわりだ……!」
ひゅぅひゅぅと、整わない呼吸で口から漏れ出る空気と共に血か断続的に零れ出る。顔面は既に蒼白で、ドクドクと腹部から流れ出る血を両手で必死に押さえて此方を睨みつける。
「正直お前を捕まえるのはいつでも出来た、だが捕まえた所で投獄、そして直ぐに出されるだろう。積み上げられた金と体面を繕って出来た領民の指示でな」
血が付いた剣を振るい、血糊を飛ばす。扇状に散った血液、流れるようにしまわれる剣。チン、という甲高い音が夜の闇に響く。
「最後に相応しい客人を用意している、是非会ってくれたまえ。しかし……、貴様の根底にあったのは嫉妬かね? 有能なラーノルド辺境伯に対する。――――――――――さて、客人が来たようだ、失礼するアンドロッド殿」
恨みがましい視線と怨念の篭った台詞を無視し、話を続け切り上げるラウナ。
黒いドレスをはためかせ、くるりと回りその場を後にする。入れ違いにその場に向かうは醜悪な男が一人、目は血走っており、ぶつぶつと何か呟いている。
「あぁ、あぁ、最後だ、これで最後だ。今行くよファリス」
くぐもったような声と、断末魔が聞こえる。ぐちゃぐちゃと何度も何度もナニかを抉る音が聞こえ……。
「こちらラウナ、任務完了。アンドロッド伯爵は誘拐犯からの救出が間に合わなく死亡。行きずりの浮浪者に襲われ金品を強奪、遺体の損傷が激しい。誘拐犯は抵抗が激しかった為、全員処分」
「了解、処理はどうしますか?」
「任せる、―――――ん」
「副長?」
「いや、娘との再会をしに行ったようだ。遺体の偽装処理は任せたぞ」
「了解しました」
空を見上げる、夜空に浮ぶ星が一つ落ちる。願いを叶えると言われる流れ星。叶えたから落ちたのか、それともこれから叶えるのか、それは誰にも分からない。
◇◇◇◇◇
ゆらゆらと揺らめく魔術の光が、齢50だろうか、少しだけ白髪の混じった男の顔を照らしている。部屋には二人の男、いやもう二人控えている者が居るが、主役といえるのはこの二人だろう。
「礼を言えば?」
「何に対してですか?」
とぼけた顔をして返してくるのはおそらくまだ10台と思われる男性、黒髪に黒目、だがその纏う空気はそこらの老獪と遜色無い。
「ふん、まぁ、構わんがね。始末はどうするのだ?」
「都合の良い犯人が居ますので問題無いでしょう。いえ、むしろその犯人の思いを果してやりたいからこその今回の件なのでしょうが……」
視線を逸らして笑う男、都合が良い、か。確かにその通りだ。ファングが直接手を下すと暴発する者が出てくる。それに彼は曲がりなりにも善政を行っていたのだ、民衆に説明できる理由が必要だ。
「死者を裁くことは出来ない、死人は所詮死人に過ぎず、死人は人を殺せない。だそうですよ」
「君の言葉かね?」
「まさか? アベル=ブローズという男の言葉です」
手で目を隠し、くすりと笑う男。くつくつと肩を震わせて笑い続ける、何が面白いのか、何が愉快なのかは理解できない。
「礼の物は?」
「ここに、流通の履歴を全て攫っておきました。一部捏造しておきましたが、まぁ上手く使ってください」
震わせていた肩をぴたりと止めて、目を覆っていた手を下ろす。そのまま流れるように懐から折りたたまれた紙の束を此方に渡してくる。
開くとそこには領内に運び込まれていた麻薬の出荷先から出荷元、そして取り扱った業者から販売先まですべて網羅されていた。
ただ、その書類は3枚あった、違いは一つ、出荷元の貴族の名前、それが3種類あった。
「それで誰を?」
貴族の名前を見比べ、聞き返す。誰を、そう誰を使うかを。
「さぁ? それはファングが立てるでしょう。後は任せますよ」
それでは、と、言い放ち、席を立って行く。後ろに控えていた男も同時に動き、そのまま部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇
「笑えるな、憤怒と絶望と、そして怨念と怨恨すら利用する、か。その身に余る幸福を望んだ訳でもなかったと言うのに」
だがそれでもそれを理解して、そしてそれを求めている自分が居る。必要だから、それもまた必要なことの一つだから。
利用できるものを利用し、蹴落とせるものは蹴落とし、悪党であろうが善人であろうが、そこに重要な点は無い。
何を持って何を成すか、目指すものは遠く果てしなく遠くそして、霞んで見えてくる。
だがそれでもこの小さい手の平で手に入れれるだけの幸福と、そして希望を。
「私の手は既に血で汚れている」
「俺の手は既に血で汚れた」
「それが剣たる私の役目」
「その道を選んだのは俺の意志」
「剣で救えるものが有るのならば」
「この手で救える者は限りなく少ない」
「何度でも振るおうこの剣を」
「だからこそ足掻こうこの世界で」
「わが帝国の為に」
「せめてこの手に掴める者への幸福を」