いざ。
リンゴーンと重い音がしてほぼすぐ、扉が開いた。
頭を下げるのはなでつけられた髪にぴしっと整った黒服の執事。
いたいた。この前まで家にいた。
汚い身なりの少女にも丁寧に接するあたりがいい仕事してるなあ。
「どちら様でしょうか」
「初めまして。わたくし、領主さまにお会いしたくて参りました」
にっこり笑顔で丁寧に頭を下げる。
「お約束は」
「ございません」
「ではお引き取りください」
ここで引くんじゃ元営業の名前がすたるでしょう!
「失礼します」
閉じようとする扉にするりと滑り込ませたつま先に執事が気をとられた隙に身体を滑り込ませる。
「待ちなさい!」
待てるか。
何事かと出てきた使用人たちを交わして階段を駆け上がる。
だいたいこういった建物の構造なんて似ている。
主人のいるところに見当をつけて廊下を曲がり、伸びてくる手をかいくぐり、後ろの悲鳴を聞きながら目的の場所にたどり着いた。
蹴りあけるようにしてあけた扉の向こうにいた男にようやく息をつく。
驚いたように立ち上がる男の指には印章がある。
そして、驚いたように見えても油断ない目つき。
30になったばかりだろう。若さの中に落ち着きが見て取れた。
うん。間違いなく当主だ。
「何事だ」
「申し訳ありません、旦那様。今連れ出しますので」
「あたくしにさわらないで?失礼な人ね」
なるべく母の口調を真似してみたら、ぎょっとしたように執事が動きを止めた。
執事だけじゃない。年齢が上と見えるメイドたちもだ。
「そこのあなた、あたくしの顔に見覚えがあって?」
くい、と顎をあげて男を見つめる。
そのままうっすらと笑った。
あれだよな。飲み会とか忘年会の余興とか、学生のノリでやる女装と大してかわんねえよな。
「お、お嬢様・・・」
ざわめく使用人たちに顔をしかめて立ち上がった男――男爵が険しい顔で俺の前に立ちはだかる。
「姉は死んだ。お前は亡霊か?」
「そうともいうわね――――亡霊でなくて申し訳ない、男爵。私はフロル。フロル・マナンティアール。突然の訪問の無礼を許せ」
「・・・・・・・・・・・・・っ」
男爵の顔が一瞬で蒼白になり、真っ赤になり、平然とした。だが、その目には強烈な怒りがたたえられている。
そりゃそうだわな。俺だって怒る。こいつ、うちを謀反の罪に巻き込みに来やがったのかって。
「頼りにしてきたテホンが病でな」
「そうか」
「しばらくの間おいてもらうぞ」
「――――――冗談はやめていただこう。あなたはすでに王族でもなければ、当家になんの関わりもない」
「残念ながら、陛下はそう思われない。母の血筋にして我がここにいれば関わりはあると考えよう」
「あなたの母がそう言ったか」
「いいや。だが、テホンの周囲にいた人々はここが母の実家と言った。ならばそれは真実であろう。民草は嘘をつかぬ。少なくとも、政治向きのことはな」
「ならば教えてやろう。駆け落ち同然に縁談を蹴って飛び出した女とはすでに当家は縁が切れている。他でもない殿下が手切れ金をくださったのだからな。お引き取りいただこう」
「その父も母も亡くなった。あるのはただ、私に流れるこの家の血だけだ」
できるだけかっこよく見えるように、にやり、と笑う。
「私がなにもせずにここまできたと?」
ちょうど良いタイミングで来客を知らせる音がなった。
「何をした?」
「出てみればわかる」
執事に目で出るように示した男が扉から外を伺う。
扉の向こうにいたのは、そろいの制服に身を包んだ男たち。
白のサーコートは王宮直属の近衛騎士の制服だ。
しかもその上から武装している。
何事もない顔で男が扉の外に出た。
俺だってここで捕まりたくない。これはあくまで脅しなのだ。
さっさと身を隠す。
「これはこれは。いかがなさいました?」
敬礼した男たちが鋭い目で廷内を見渡しているのが見えた。
ちなみにここの敬礼は額にあてるんでも手をあげるんでもなくて、胸に握り拳を当ててかかとをびしっとそろえるパターンだ。要は剣をすぐには持てませんって示すだけ。だから貴人が目の前にいるときはずっとこの姿勢を崩せない。
「このあたりで銀の髪の少女をみかけたとの報告があった。心当たりはないか」
「銀の髪の少女。はて知っているか?」
「いいえ、存じません旦那様」
しれっと答えた二人に探るような目を向けた騎士たちが目配せをするのが見える。
「お尋ね者の可能性がある。見かけた場合や心当たりがある場合はそうそうに渡すのが得策であろう。特にそなたはな」
「肝に銘じております」
「すでに廷内に入り込んでることはよもやあるまいな?」
「そのようなものがおれますれば即ご連絡申し上げます」
「そのように願いたい」
よし。勝った。
これで当主は俺を突き出せない。
俺が捕まれば一蓮托生。俺がすでにこの廷内にいたと証言した瞬間にこの家も謀反の罪に巻き込まれる。ま・・・死体にされて海に投げられるとかはあるかもしれんが・・・。
「・・・やってくれるな」
戻ってきた当主が引きつった顔で俺をにらみつけた。
「ちょっとちょろちょろしてただけだし」
そう。ちょっと町中を見つかりやすいようにうろうろしただけだ。
しかも、何回か領主の家を聞いたりしただけ。
「要求はなんだ」
「本当かどうかもわからない謀反の罪で殺される筋合いはない。だが、今更王族やら貴族に戻ってどうこうしようとも思わない。…できれば、商人になりたいと思っている」
「商人!?」
その顔には王族のおまえにできっこない、とくっきり書いてある。
ところがどっこい、俺は王族である前に営業マンです。
「この年で、見つからないようにして商売をするには後ろ盾がいる。それに、金があればそれが自分を守ってくれる」
大金を動かす商人になれば外国に逃れることだって出来るし、兵士たちだっておいそれと手出しできなるなるはずだ。
「商売のいろはもわからんのにか」
「だからそれを頼みに来たんだけど」
この世界の商業ルールがわからないのに意地張って一人でがんばって仕方ないだろ?
使わずに済んだ身分証明書をよけて、かばんからメモ帳を取り出す。
ほしいものを事前にリストアップしてきた。
「経験のある商人である程度信用がおける人物。従業員の募集をしてくれる場所。資金。…どういう要求だ、これは…」
「俺が商売を表立ってやるには幼すぎるし、取引の常識もわからない。なにより、伝手がなくてうまくいかない。だから、伝手のある、子どもと見てだまさない、ある程度経験もあって商売が出来る人を表に立てたい」
「……………言い分はわかるが」
「こんな子どもじゃ信用されないってのはよくわかってるけれど、出資者として意見を言わせてもらうぐらいのことは出来るんじゃないかな?」
あとはこっちの経験値と仕事っぷりで判断してくれるだろう。
「そんな都合の良い人材がそうそういてたまるか」
「今までどこかの商家にいて新しく独立しようって人間だったら捕まえられるんじゃないか?」
一瞬黙り込んでから、ああ、と息を吐き出した。
「意外と知恵が回るな。あの女の息子にしては」
いや、言われても仕方ないとは思うんですが。
「見た目が同じだからといって、中身まで同じとは思わないでください」
どうしてあの父親が母を選んだのか本当に理解できないのだが、まったくとんでもない人だったのだから。
子どもが勉強しようとしたらいやがるってのはどういう了見だ。
「そのようだ。…フロルだったか」
「ええ。フロル・マナンティアール」
「…その名も、変えるべきだろう」
お、少し乗り気になってきたか。
「変えられるものならぜひ」
誰がお花ちゃんとか呼ばれてうれしいんだ。
こちとられっきとした日本男児。お花ちゃんは勘弁してくれい。
「フローラ」
「は?」
「フロリア、フロレンス、フロレンシア」
「…嫌がらせか」
花はいやだというとるに!!
「だが、女として生きていくのなら女名が必要だろう」
「は!?俺は男ですが!」
「だが、少なくとも、男の姿でいるよりは生き延びられる。まあ、誰も疑わないぐらい見事な女装だし」
たしかに、ちょっとお目にかかれないぐらいの美少女あるのは確かですが。
うれしくないって!!
「フローラにしておこうか」
いやだ。いやだ。俺は男だ。フロルだけでもいやなのに、なんでフローラ…。
「じゃあどんな名前がいい?」
「…………」
いやあ、もう。男の名前ならなんでも。
かわいらしくない名前ならなんでも!
「フローラで」
喧嘩うってんのかこのクソじじい。
「まあ、絶世の美女と歌われた中身からっぽ女そっくりの美貌を持つ裏切り者のフロル王子と同じ髪と目の色の美少女フローラなんて疑ってくれと言ってるようなものだがな」
あ、こいつ鼻で笑いやがったよ?
感じ悪い…。
「ぜったい逃げ切ってみせるから」
くそう。ただで死んでたまるか。
逃げ切ってやるとも!