結婚式に夫の本妻が現れました。では、夫婦まとめて訴えます。
「その結婚、お待ちなさい! 私はその男の妻です!」
結婚式の最中、見知らぬ女性が礼拝堂に飛び込んできた。
純白の花で飾られた祭壇。祝福に集まった貴族や商人たち。そして、私の隣で真っ青になっている新郎。
「……妻?」
私は隣の男性を見上げた。
「ギルバート様。あなた、独身でしたわよね?」
「もちろんだ! ヴィオラ、あんな女の言うことを信じるな!」
「では、あの方は?」
「知らない女だ!」
ずいぶん即答だった。
ところが女性は、婚姻証書を掲げて祭壇へ駆け寄ってきた。
「嘘をつかないで! 私たちは三年前に結婚したでしょう!」
受け取った書類には、王都中央神殿の印章が押されていた。
夫、ギルバート・クロフォード子爵。
妻、ロザリー・クロフォード。
婚姻成立日は三年前。
「まあ。本当に奥様がいらっしゃったのですね」
「ヴィオラ! 違うんだ!」
「何が違うのです?」
「もう夫婦関係は破綻している!」
「離縁は成立していますか?」
「……まだだ」
なるほど。現在進行形で既婚者だったらしい。
私は深呼吸した。
今日のために仕立てたウェディングドレスも、髪飾りも花束も、とても気に入っている。
朝から何時間もかけて準備したというのに。
「ギルバート様。私の結婚式を台無しにした責任は、きちんと取っていただきますからね」
彼は何度も頷いた。
どうやら意味を理解していないらしい。
◇
「あなたには申し訳ないことをしました。ですが、どうか結婚だけはおやめください」
礼拝堂に隣接する控室。
ロザリー夫人は私に深々と頭を下げた。
父と神官長、両家の関係者も同席している。
「ロザリー! 余計なことを言うな!」
「あなたこそ、いつまで嘘をつくつもりなの!」
夫婦喧嘩が始まったので、私は紅茶を飲んだ。
結婚式のために朝食を控えていたから、少しお腹が空いている。
「お二人とも、順番にお話しいただけますか?」
夫人は涙を拭い、事情を語り始めた。
彼女の実家は、かつて王都で手広く商売をしていた商家だった。
三年前、ギルバートと婚姻した際には相当な資産があったという。
しかし結婚後、夫は屋敷の修繕、領地開発、新事業への投資と、次々に資金を要求した。
どの事業も利益を生まず、今では実家の店を畳む寸前らしい。
「そこで夫が、新しい方法を考えたのです」
「どんな方法です?」
「裕福な令嬢と結婚して、持参金を受け取ると……」
父が低い声で尋ねた。
「我が娘の持参金を狙っていたのか?」
「……はい」
「あなたも知っていたのか?」
長い沈黙のあと、夫人は頷いた。
「はい」
なるほど。予想以上に面白い話になってきた。
「ロザリー様。ご主人が私に求婚したことも、独身だと偽っていたことも、ご存じだったのですね?」
「……はい」
「私の持参金を、あなたの実家の借金返済に使う計画も?」
「はい」
私は紅茶を置いた。
「つまり、あなたも結婚詐欺の共犯だったのですね」
「違います! 私は夫に逆らえなくて!」
「では、なぜ今日になって結婚式を止めたのです?」
夫人は口を閉じた。
「私の財産を奪う計画には賛成していたのに?」
「もういいだろう! ロザリーは混乱しているんだ!」
ギルバートが立ち上がったが、父の一言で座り直した。
「お前には聞いていない」
夫人は震える手で一通の手紙を取り出した。
「……夫が、私を捨てるつもりだったからです」
「捨てる?」
「あなたの持参金を受け取ったら私と離縁して、別の女性と結婚すると……」
「まあ。三人目ですか」
神官長が額を押さえ、父は天井を見上げた。
「それで、ご自分が裏切られたと?」
「そうです! 私は夫を信じていたのに!」
「なるほど。私を騙して財産を奪うのは構わない。でも、ご自分が捨てられるのは許せない、と」
夫人の顔が真っ赤になった。
「そんな言い方をしなくても!」
「事実を確認しているだけですわ」
私は微笑んだ。
「おかげで、よくわかりました」
◇
「さて、ギルバート様。私の持参金について確認しましょう」
「……何だ?」
「金貨三万枚。結婚後、子爵家の管理下に置く予定でしたね?」
「ああ」
「さらに父の商会から、子爵家の事業に金貨二万枚を融資する予定でした」
合計、金貨五万枚。
地方の小さな貴族家なら、何十年も暮らせる金額だ。
「ですが、婚姻が成立しなければ持参金は渡せません。融資も中止です」
ギルバートの顔が引きつった。
「ま、待て! それでは困る!」
「どうしてです?」
「もう使ってしまったんだ!」
控室が静まり返った。
「……まだ受け取っていないお金を?」
父が立ち上がった。
「クロフォード子爵。詳しく聞かせてもらおうか」
話を聞けば、実に呆れた事情だった。
ギルバートは私との婚姻を確実だと思い込み、将来受け取る持参金を返済原資に、借金を重ねていた。
屋敷の改装、高価な馬車、宝石、そして第三の女性への贈り物。
「金貨一万二千枚……」
借用書の写しを見た父が呟いた。
「これほどの借金を、娘の持参金で返すつもりだったのか」
「結婚すれば問題なかった!」
「既婚者だと判明した方と、どうやって結婚するのです?」
「ロザリーと離縁すればいい!」
私は夫人を見た。
「奥様。ご主人が離縁したいそうですよ」
「ふざけないで! 私の実家を救う約束はどうなるの!」
「そんなことを言っている場合か!」
また夫婦喧嘩が始まった。
私は神官長に尋ねた。
「本日の婚姻は、成立しておりませんね?」
「はい。誓約の途中でしたので、未成立です」
「ありがとうございます」
私は父に向き直った。
「持参金の移転と融資を中止してください。それから、婚姻契約の違約金も請求しましょう」
「もちろんだ」
「違約金だと!?」
私は契約書を開いた。
「婚姻に重大な虚偽申告があった場合、責任を負う側は金貨五千枚を支払う、と」
「そんなもの、聞いていない!」
「署名なさっています」
「細かいところまで読んでいなかった!」
「それは私の責任ではありません」
ギルバートは椅子に崩れ落ちた。
◇
「ヴィオラ様。お願いがあります」
ロザリー夫人が恐る恐る声をかけてきた。
「私の実家だけは、助けていただけませんか?」
「なぜです?」
「父も母も借金で苦しんでおります。店の従業員も……」
「それはお気の毒ですね。ですが、私が援助する理由にはなりません」
「でも、あなたは裕福なのでしょう!?」
「はい。だからこそ、お金の使い道は慎重に選んでおります」
夫人の唇が震えた。
「私は結婚式を止めました!」
「ご自分が捨てられると知ったからでしょう? 私を救うためではありませんね」
夫人は何も答えなかった。
「最初から正直に教えてくださっていれば、私は結婚式を挙げずに済みました」
礼拝堂の装飾費、招待客の宿泊費、衣装代。
何より、今日のために費やした時間。
「あなたは私が騙されると知りながら黙っていた。そのうえ、ご自分の実家を助けろと?」
私は父に尋ねた。
「ロザリー様にも損害賠償を請求できますか?」
「共謀の証拠が揃えば、当然できる」
「まあ、それはよかった」
夫人が悲鳴を上げた。
「そんな! 私にはお金なんてありません!」
「でしたら、裁判所で事情を説明なさってください」
「実家が破産してしまいます!」
「そうかもしれませんね」
「お願いです! 見逃してください!」
私は静かに首を振った。
「あなたは、私を見逃してくださらなかったでしょう?」
夫人の目から涙がこぼれた。
けれど、私は同情しなかった。
彼女は被害者であると同時に、加害者でもある。
自分が裏切られるまで、私を騙すことに何の疑問も持たなかったのだから。
◇
結婚式から一週間後。
父とともに王都の裁判所を訪れると、思わぬ事実が判明した。
「……借用書が偽物?」
「はい。ロザリー夫人の実家が負っている借金の一部は、クロフォード子爵が偽造したものです」
夫人の実家は確かに経営難だった。
しかし、ギルバートは借金を水増しし、夫人を追い詰めていたのだ。
私を騙す計画に協力させるために。
「ひどい男ですわね」
「だが、これで詐欺計画はさらに明確になった」
父が頷いた。
ギルバートは夫人の実家を救うと偽り、私の財産を狙った。
実際には、自分の借金返済と第三の女性との新生活に使うつもりだったのだ。
「ロザリー夫人の責任は、どうなるのでしょう?」
私の質問に、裁判官は答えた。
「虚偽の借金を信じていたことは考慮されます。しかし、あなたを騙す計画に参加した事実は変わりません」
「では、予定どおり進めてください」
◇
一か月後、判決が下された。
ギルバートは重婚を企てたこと、婚姻を利用した詐欺未遂、借用書の偽造などを認定され、爵位を剥奪された。
子爵家の財産は差し押さえられ、債権者への返済と損害賠償に充てられる。
豪華な屋敷も、高価な馬車も、宝石も、すべて失った。
今では王都の荷運び人足として働き、日々の食事代を稼いでいるという。
かつて高価な馬車に乗っていた男が、今ではその馬車の荷物を運ぶ側になったわけだ。
ロザリー夫人も詐欺計画への関与を認定され、私への損害賠償を命じられた。
実家は偽造された借金を支払う必要こそなくなったが、本来の借金と夫人自身の賠償義務は残った。
結局、店を売却し、残った財産で返済するのが精一杯だったという。
夫人は離縁して実家へ戻った。
第三の女性は、ギルバートが財産を失った途端、結婚の約束などなかったと言い出したらしい。
彼女が受け取った宝石の一部も、債権者から返還を求められているそうだ。
結局、誰一人として思い描いた未来を手に入れられなかった。
「まったく、欲張りすぎですわね」
私は報告書を閉じた。
◇
「ヴィオラ。そろそろ新しい縁談を考えてみないか?」
父がそう言い出したのは、事件から三か月後だった。
「お父様。もう結婚はこりごりです」
「そうか。では、しばらく休むといい」
ありがたいことに、我が家は娘を無理に嫁がせる必要がない。
むしろ今回の事件をきっかけに、私は商会の経営に参加するようになった。
婚姻契約の確認や融資先の調査で、慎重さを評価されたらしい。
「それでね、お父様。以前から興味があった事業があるのです」
「ほう?」
「王都に、新しい商業施設を建てたいと思っています」
私は机に地図を広げた。
王都の中心部。交通の便がよく、商業施設には理想的な土地だ。
父は地図を覗き込み、眉を上げた。
「ここは……クロフォード子爵家の屋敷があった場所ではないか?」
「ええ。差し押さえられた土地が競売に出ておりましたので」
「まさか、買ったのか?」
「はい。とてもお買い得でした」
父はしばらく黙り、やがて大笑いした。
「ははは! あの男の屋敷が、お前の商売の土地になるとは!」
「立地だけは素晴らしいですから」
私は窓の外を眺めた。
あの日、純白のドレスを着て祭壇に立っていた私は、幸せな結婚生活が始まると信じていた。
けれど、今は違う。
結婚しなくても、私の人生には楽しいことがたくさんある。
仕事も、家族も、友人も。
そして、これから出会う人たちも。
「ところで、ヴィオラ。新しい商業施設には、どんな名前をつけるつもりだ?」
私は少し考え、答えた。
「『幸福の門』なんて、いかがでしょう?」
「いい名前だ」
かつて私を騙そうとした男の屋敷があった場所。
そこに、たくさんの人が集まる商業施設を建てる。
誰かを騙して奪うのではなく、誰かが喜んでお金を使う場所にする。
なんて素敵な計画だろう。
「さあ、お父様。忙しくなりますわよ!」
私は地図を抱えて立ち上がった。
私の新しい人生は、まだ始まったばかりなのだから。




