第8話 四つの席に、四つの役を
王太后陛下との対話と、廊下の窓辺の名前と、そのふたつを胸の内側のどこかにひとまず預けて、私は教場に戻った。
戻ると、教場の四人の少女が、それぞれ、別のことをしていた。
ティルダは、自分の靴をきちんと揃えて、机の脚のそばに置いて、靴下のままで、舞踏の教本のあの一頁を、何度も読み直していた。読み直す時の口の動きが、磁器の人形ではなくなっていた。
ヘルガは、ノ・ウェル・カの葉を、机の上に並べて、その葉の一枚一枚に、なにか北方フェルナ語の単語を当てはめていた。当てはめながら、声に出さずに、口だけで動かしていた。
ミンナは、机の下に隠していた紙片を、今日は、机の上に出していた。出していた紙片は、商家の帳簿の写しだった。スコゲン家の、ミンナが背負っているものの、本物のかたちだった。
フェリツァは、教場の窓辺で、自分の小さな道具箱の中身を、ひとつずつ、布の上に並べていた。並べたものは、すべて、植物の標本だった。
「先生、お帰りなさい」
最初に気づいたのは、ミンナだった。ミンナは、机の上の帳簿を、隠さなかった。隠さないことを、自分で選んだ。
「皆さん」
私は、教場の前の机の角に、また、軽く腰をかけた。
「来月の二十日に、北方諸国の大使を迎える、東棟の小茶会があります」
四人の視線が、ぴたり、と私のほうに向いた。
「陛下が、私たちの教場に、その茶会のすべてを、任せてくださいました」
「すべて、というのは」
「席次、献立、卓上の花の本数、湯呑みの底の文様、お見送りの順序、そのすべてです」
ティルダの背筋が、半段、まっすぐになった。けれど今度の背筋の伸ばし方は、磁器の人形のではなく、別の何かに変わっていた。
「先生、それを、私たちに」
「あなた方に、です」
「四人で」
「四人で」
教場の中の、四つの呼吸が、それぞれ、別のテンポで、整い直した。
「ただし、あなた方四人が、それぞれ、別の役を引き受けてくれるのが、私の願いです」
「別の、役」
「同じ役を四人で分担するのではなく、四つの違う役を、四人で受け持つこと、です」
◇◇◇
「ティルダさん」
「はい」
「あなたは、席次と、お見送りの順序を、お引き受けください。お母様にお誂え直しのお靴を頼まれた時の、あの気の使い方を、席次にも、使ってください」
ティルダの目が、半秒、じっと私を見た。それから、静かに頷いた。
「ヘルガさん」
「はい」
「あなたは、献立を、お引き受けください。北方フェルナ語の名を、料理の名前の隣に、ひとつずつ書き添えてください。大使たちは、その小さな書き添えに、いちばん心を動かされます」
ヘルガの両手が、机の上で、握りしめられなかった。握りしめない指の置き方を、ヘルガは、はじめて自分で選んだ。
「ミンナさん」
「はい」
「あなたは、茶会の予算と、調達と、段取りの全体を、お引き受けください。あなたの帳簿の眼を、私は、信用しています」
ミンナが、口の角を、左にだけ、動かした。動かしたあとで、声が、少しだけ濡れていた。
「ありがとう、ございます。先生」
「フェリツァさん」
教場の窓辺の最年少の子は、私の声に、葉から目を離して、こちらを向いた。
「あなたは、卓上の花の本数と、その花の選定を、お引き受けください。北方諸国の方々のうちには、植物の名で、自分の母を思い出す方が、たくさんいらっしゃいます」
「私が」
「あなたが」
フェリツァは、答える前に、自分の小さな道具箱の標本を、ひとつ、私のほうに差し出した。差し出した標本は、ノ・ウェル・カの、いちばん大きな葉だった。
「これを、卓上に、よろしいですか」
「もちろん」
「あの、私は、お妃様には、なれません。けれど、お妃様の代わりに、葉を選ぶことは、できます」
私は、頷いた。頷くタイミングが、今日の私の、いちばん正確なタイミングだった。
◇◇◇
午後のレッスンの代わりに、私は、四人を、東棟の小茶会の会場に連れていった。
会場の窓のひとつから、王宮の中庭が見えた。中庭の樫の木の下で、誰か若い男が、剣を磨いていた。剣の柄を、布で、ゆっくりとぬぐっていた。
「先生、あちら、殿下では」
ミンナだった。ミンナは、いつのまにか、私の隣にいた。
「そうですね」
「殿下、今日は、ずっとあの中庭にいらっしゃるのでしょうか」
「私は、知りません」
「先生、嘘」
ミンナの口の角が、いつものほうの斜めに戻っていた。その斜めには、もう、自分を守るためだけの斜めはなかった。
「ミンナさん」
「はい」
「茶会の予算の件で、ひとつ相談があります」
「はい、なんなりと」
「殿下のことは、後で、話しましょう」
ミンナは、声を立てずに笑った。
笑ったあとで、ミンナは、私の手の甲に、自分の指を、ほんの一瞬だけ重ねた。重ねたのは、ミンナの母が、ミンナの幼い頃に、何かの帳簿の数字を教えながら、ミンナの手の甲にしていた仕草と、よく似ていた。
私の親指の付け根に、また、力が入った。力の入り方が、昨日とも、その前の日とも、もう、別の入り方になっていた。
中庭の樫の木の下で、剣を磨く若い男の肩が、こちらを、ほんの一瞬、向いた。向いたあとで、すぐに、剣のほうへ、戻った。




