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『王太子妃候補のお嬢様方を、四人まとめて預かっております』  作者: 秋月 もみじ


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7/10

第7話 名で呼ばれる、ということ


翌朝、王太后陛下から、私のところに、書状が届いた。


書状の蝋には、王家の正規の印ではなく、私室で使う、ごく小さな副印が押されていた。副印を使う、というのは、公の召喚ではなく、私的な対話の合図だった。私は、その副印を、指の腹で一度だけなぞってから、書状を開いた。


開いて、すぐに、教場の四人に、午前のレッスンの自習を申しつけた。


「先生、どちらへ」


「陛下のもとへ」


「あの」


「フェリツァさんは、よく休めましたか」


「よく、寝たそうです。寝顔が、子犬みたいでした」


ミンナがそう言って、フェリツァのほうを目だけで示した。フェリツァは、教場の窓辺で、自分の小さな葉のひとつを、朝のひかりに透かしていた。透かす時の指の角度が、昨日の雨の中の指の角度と、もう少しだけ違っていた。


「行ってまいります」


「先生」


呼びとめたのは、ティルダだった。


「お帰りを、お待ちしています」


私は頷いて、教場を出た。出る時に、自分の襟元の銀木犀の刺繍を、もう一度だけ指でなぞった。今日の刺繍は、雨の名残で、ほんの少し、糸が固くなっていた。

 

 

 

 

◇◇◇


王太后陛下の私室の窓辺に、陛下は昨日と同じ姿勢で立っておられた。


「ヴァトの娘」


「はい、陛下」


「フェリツァの件、聞いた」


「はい」


「お前の判断を、責めるためにお前を呼んだのではない」


私は、頷くタイミングを、半拍だけ間違えた。


「私が、お前を呼んだのは、お前の父の処分の話を、最後まで、しておくためだ」


陛下は、執務机のほうへ、ゆっくりと歩を進めた。机の上には、昨日とは違う、一冊の薄い書類綴じがあった。表紙の色から、領地行政の正式な記録だと、私はすぐに分かった。


「お前の父の領地で、密貿易の事件が起きたのは、二年前だ」


「はい」


「事件の実行犯は、お前の父ではない。お前の父の弟、つまりお前の叔父だ」


私の奥歯の裏のあたりが、しびれた。


「お前の父は、事件の発覚を、半年ほど、自分の机の中で、隠していた」


「隠して、おりました」


「隠した理由を、お前は、知っているか」


「弟を、庇うためだと」


「違う」


陛下は、書類綴じの最初の頁を、指で開いた。


「お前の父は、お前を、王太子妃候補から、外したくなかったからだ」


私の後頭部の付け根が、強張った。強張る、というより、強張り方の仕方を、私は今、初めて知った。


「父は、私のために」


「お前のために、隠した。隠している間に、お前を候補席に座らせた。座らせて、半年経った頃に、お前の叔父が、別の事件で捕まった。連鎖して、隠していたものが全部、表に出た。それで私は、お前の父を、処分しなければならなくなった」


「はい」


「お前を候補席から退かせたのも、お前の家を支えきれなくしたのも、お前の父自身の判断の連なりだ」


陛下の声には、責める色も、慰める色も、なかった。ただ、事実を、事実の温度のままで、私の耳に置かれていた。事実の温度のままで言葉を置ける人は、世界に、それほど多くはない。


「お前の父は、お前を、姉の影でいい、とずっと言っていた、と聞いている」


「はい」


「だが、隠したのは、お前のためだ。父親というものは、口で言うことと、隠すことの中身が、しばしば、一致しない」


私は、答えなかった。答えなかった代わりに、執務机の上の書類綴じの角を、自分の指で、無意識に三角に折ろうとして、すぐに、その手を引っ込めた。


陛下は、その動きを、見ていた。


「お前の癖は、お前の父の癖と、同じだ」


「父の」


「お前の父も、私の前に出された書類の角を、いつも三角に折っていた」


私の奥歯の裏が、もう一度、しびれた。


しびれた。しびれて、それで。


それで、ぜんぶ、いっぺんに、私のなかで、順番が、ずれた。


姉の影でいい、と言われた。十年。十年です。十年、私は、姉の影。だから自分の名を呼ばれても、一拍。一拍、遅れて、返事をする。一拍遅れて返事をすれば、姉が、先に、返事をする。それで、ちょうどよかった。ちょうどよかった、と、思っていた。思っていた、ことに、していた。


していた。


ふざけるな。


ふざけるな、お父様。


口で姉の影でいいと言いながら、隠したのか。隠して、私を、ここに座らせたのか。座らせるために、弟の罪を、机の中に、半年。半年、机の中に。それで、それで、私が候補席にいた半年の、私の背中は、お父様の机の中の半年と、同じ重さだったということか。


同じ重さ。同じ。


いや。違う。


違います、お父様。


私が、一拍、遅れて返事をしていたのは、姉のためではなかった。


私は、お父様の声を、半呼吸分、長く、聴いていたかったのだ。それだけだ。それだけのことを、私は、十年、気がつかなかった。


気がつかなかった、ふりをしていた。


「陛下」


私の声が、自分の喉の知らない場所から、出てきた。


「はい」


「父は、いま、どこに」


「西の修道院に、預けてある」


「お会いできますか」


「半年が、明けたら」


「半年」


「お前の任が、終わったら、だ」


私は、頷いた。頷くまでに、半呼吸の何倍かの時間がかかった。かかった時間のあいだに、私の鼻の奥のつんとした水気が、まぶたの内側で、一度だけ、ふくらんで、また下りた。下りたあとで、私は、ようやく、息を、吸った。

 

 

 

 

◇◇◇


退室して、廊下の角を曲がったところで、私は、廊下の窓辺に、誰かが立っているのを見た。


立っていたのは、フードを被っていない、栗色の髪の、長身の青年だった。


「殿下」


「シグリ嬢」


殿下は、両手を、後ろに組んでいた。組み方が、剣を持つ手の置き方ではなく、待っていた人の手の置き方だった。


「ここで、何を」


「いや。すまない、今のは違う」


殿下は、いったん視線を落として、もう一度、私の顔を見た。視線を落とした時、殿下の喉仏の手前の皮膚が、一度、上下した。


「待っていた」


「私を、ですか」


「君の話を、陛下から、先に聞いていた」


殿下は、右の手を、自分の襟元のあたりに、無意識に持っていった。喉仏の手前の皮膚が、一度、上下した。私と同じ強張り方を、いまの殿下は、していた。


「君の父の処分の時、私は、何も口を出せなかった」


「殿下」


「言っておきたかった。それだけだ」


私は、頷いた。頷くしかなかった、というより、頷くことが、その時、私にできる唯一の礼法だった。


「シグリ嬢」


「はい」


「いや。すまない、もう一度だけ」


殿下が、深く息を吸った。吸う時の肩の動き方が、私の知らない動き方だった。


「シグリ」


殿下は、私の名を、嬢を外して、ただの名だけで、呼んだ。


私は、いつものとおり、自分の名前を呼ばれた時、一拍、反応が遅れた。


遅れたあとで、私は、初めて、その遅れの理由を、自分で分かった気がした。


「はい、殿下」


私の声が、十年ぶりに、姉の影ではない誰かの声で、廊下の窓辺に、置かれた。

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