5.足元にお気を付けください。
ーーーこれでいったい何回目だろうか……
周囲を囲むように聳え立つ、異様な高さの赤煉瓦の壁。
時間はもう真夜中のはずなのに、変わらず天に広がる雲一つない青空。
硬い石畳の床に手をつき、倒れた身体を起こして見る光景は、最初にここに来たときと何ら変化を見せていない。
何度となく同じ場所で倒れ、また立ち上がり、同じ景色を目にする……その繰り返し。
繰り返されていることはそれだけではない。
後ろから声が聞こえる。
笑い声だ。
楽しげに、しかし人を嘲笑う声。
嘲笑の対象は、俺だ。
俺は今、見世物にされている。
俺が未知の状況に戸惑い、もがき苦しみ、挫折を繰り返す度に大きな笑い声が上がる。
「あっはっはっはっはっはっはっはっ!」
「ハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
「イッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!」
「……恨むぞ、リル」
☆☆☆☆☆
魔王代理ーーー現在のシガルディア魔王領における最高権力者、その地位にあるヒルデが秘密裏に行っていた『召喚の儀』。
その召喚の儀によって異世界に喚び出された帯川周ことシュウ・オビカワは間の悪い男だった。
せっかく異世界に召喚されたのに、召喚したヒルデに気づいてもらえず、気まずさを理由に相手に気づいてもらう努力を怠り、それによって悪戯好きな妖精リルの戯れによる事故を招き、結果、秘密裏に行っていた異世界召喚が露見する確率を引き上げ、召喚後に行われるはずだったタスクの進行を妨げた。
間の悪さを誹られたとて、何ら否定の余地もない。
だから、シュウは自身の不甲斐なさを大いに反省した。
もちろん、異世界召喚はヒルデ達の都合によって行われたものであり、自らの意思とは関係なく突然連れて来られたシュウが、ヒルデ達の思い通りの動きを取れなかったとて、何ら責められる謂れはないはずだ。
だが、見知らぬ土地を訪れた際、道行く人に分からないことを尋ねるのは、そこが元の世界であろうが新たな世界であろうが同じことであるはずだ。
つまり、シュウは人として当然すべき行動を取ることができず、結果として新たな世界の住人ーーーヒルデやリル、ラヒムたちに迷惑を掛けてしまったのだ。
だからシュウは少しでもその償いになるような事をしたかった。自分が彼らのために出来ることなどそう無いのかもしれないが、出来ることなら何でもやりたいと思っているし、なんなら多少の無理難題であっても解決のために努力を積み重ねる…そうした覚悟も抱いていた。
そして、目下、彼らのために出来ることは、ヒルデが床に就く一日の間、身を隠し続ける事であり、その難題を解決する方法を思いついたのは他でもない、悪戯好きな妖精リル、その人である。
リルはこう言った。
「シュウが安全に出入りできて、しかも絶対に見つからない場所ーーーそれはね、『迷宮魔法』の中だよ〜っ!」
自信満々に言い放つリルだが、シュウには当然ピンとこない。補足を求めると、
「迷宮魔法はね、妖精族にしか使えないすごい魔法なんだよ〜!それでそれでっ!リルが一番大っきくて、強い迷宮を作れるんだ〜!」
妖精族自慢と自画自賛しか返ってこなかった。諦めてラヒムに視線を向けると、「コホン」と咳払いしてから答えた。
「迷宮魔法とは、術者によって生み出された亜空間に『迷宮』と呼ばれる秘境を創り出す魔法のことですナァ。リル殿の仰る通り、妖精族の門外不出の魔法であり、リル殿が自身を最も優れた迷宮魔法の使い手と称していることも私の認識と一致しておりますネェ。妖精族は自ら作り出した迷宮の中に時折客人を招き入れ、迷宮の攻略をさせたり、あるいはただ単に遊びや悪戯をしたりして楽しんでいるとのコト」
「そして、迷宮への出入りは原則として術者によってのみ行うことができるのデス。術者の許可を得た者だけが迷宮に入ることができ、また、出ていく場合は迷宮最深部への到達か、術者によって迷宮から強制排出されるかの二択に限られるため、外部からの干渉はほぼ不可能ーーーつまり、シュウ殿の存在を隠しておくのにこれ以上ない手段、ということですトモ」
さすが、ラヒム。要点が纏まっていて説明も分かりやすい。初めからラヒムに尋ねていればよかったのかもしれない。
迷宮魔法の有用性はよく分かった。
つまり、ヒルデが目覚めるまでの間、シュウは迷宮の中で彷徨いながら時間を潰し、頃合いでリルに強制排出とやらをしてもらえば万事解決、というわけだ。
しかし、迷宮というと、数多の冒険家が危険なトラップやモンスターを掻い潜って金銀財宝を求めるダンジョン、といったイメージがあるのだが、異世界に召喚されたばかりの普通の人間が入っても大丈夫なのだろうか。
安全だと言っても、やはりその根拠を確かめてからでなければ、おいそれと未知の空間に足を踏み入れるわけにはいかない。
すると、リルは『シュウって小心者なの〜?』と少々胸に刺さるフレーズでシュウの心を抉りつつも、
「迷宮の中にはカイブツとか危ない動物とかもいないよ〜。それに、迷宮には『安全装置』が組み込まれてるから、死んじゃうことも痛い思いをする事も全然ないよ〜」
迷宮内が安全空間であることを保証してくれた。安全性に問題がないのであれば反対する理由はない。
シュウが覚悟を決めて頷くのを見たリルは両手を前に突き出す。
ーーーぽんっ
すると、ポップな音と一緒に目の前に『扉』が現れた。
「この扉の中に入るとリルが作った迷宮に入れるよ〜。中にいる子たちにちゃんとシュウのこと『おもてなし』するよう伝えるから、ゆっくり待ってくれればいいよ〜」
どうやら迷宮の中にも妖精の仲間か何かがいるようだ。それなら迷宮内で困ったことがあっても相談することができそうだ。
「あと、よっぽど大丈夫だと思うけど、迷宮の一番奥まで着いちゃうと自動的に外に出ちゃうから一番奥までは行かないでね〜。でも、一番奥じゃないなら進んでもいいよ〜。迷宮の中には面白いシカケがいっぱいあるし、きっと楽しいよ〜」
『せっかくの迷宮だし、攻略してみたいよね〜』とリルは言うが、シュウには別に迷宮を攻略したいなんて欲求はない。時間まで大人しく動かないでいるつもりだ。
シュウは一度、リルとラヒムの顔を見てから、ドアノブに手を掛けた。
「では、シュウ殿。窮屈な思いをさせてしまいますが、暫くの間そちらでお過ごしくだサイ」
「ヒルデちゃんが起きたらすぐに出してあげるから、それまで待っててね〜」
二人から見送られ振り返ったシュウは、頷きだけを返してドアノブを回した。
「…ん…!」
押し開いたドアの先、目が眩むような強い光がシュウを出迎える。
「あぁ〜〜。リル、もうお腹ペコペコだよ〜。はやく食堂いこ〜」
「そうですネェ。空腹でお腹と背中がくっついてしまいますナァ。あ、私は骨なのでくっきませんガ」
既に別の話題に興じる二人の声を背中で聞きながら、シュウは先の見通しがきかない白い光の空間に、一歩、足を踏み入れる。
ーーーそして、
落ちた。
☆☆☆☆☆
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
右足で捉えるはずだったそこには地面がなく、扉を入った一歩目でシュウの身体は真っ逆さまに落ちていく。
だが、普通に考えて、白い光以外何も目に入らない空間になぜ地面があると思うのか。
事前に迷宮の安全性をリルに確認していたし、二人とも何でもない感じでシュウを迷宮に向かわせた。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
甘かった。
認識が甘かったのだ。
石橋を叩いてから渡るべきだった。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
一歩目を踏み出したとき、後ろ足に重心を残しつつ踏み出した足のつま先で足がかりを探すべきだった。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
いや、扉の中が安全とは限らないから、自分の身体の一部を入れる前に、何か物か妖精でも投げ入れて、入ってもいい空間かどうか確かめるべきだった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
いや、その前に扉を開けた瞬間、中からレーザー光線とかが飛んできて消し炭にされる未来を想定して扉の真ん前に立たず横にずれておくべきだった。
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
いや、さらに前にドアノブに高圧電流が流されていることを予見して電気が効かなそうなラヒム辺りに先に触ってもらってから触れるべきだった。
「わ、わぁぁぁっ!…………あぁ?」
落下の恐怖に叫び声を上げながら、ああすべきだこうすべきだと今更な後悔を延々連ねているが、一向に落下が終わる気配がない。
「これ、本当に落ちてるのか…?」
叫ぶのもやめて周囲に目を向けるが、周りに見えるのは白1色。見えている光景が何一つ変わらないので自分が本当に落下しているのか疑わしくも思えてくるが、はためくスーツとネクタイ、肌に張り付くシャツ、空中で回転しているカバン、それに全身で感じている空気抵抗のおかげで、落下し続けていることだけは理解できる。
「でも、地面は見えないしなぁ…」
かなり長い時間落ち続けているので、相当な高度から落ちていることは間違いない。だから地面に落ちた瞬間に、スプラッタになる未来はほぼ確定している。
だが、この先ずっと地面が現れないのならシュウの身体がバラバラになる可能性は少なくなる。
「いや、でもこの状況が続くのも困るだろ…」
落ち続けることしかできない現状は明らかに問題がある、どうにか減速する手段はないのだろうか。
「…そんなのあるわけないよな」
この白い空間には何も無さそうだし、シュウの持ち物の中にも当然この特殊な状況に役立つものはない。スーツを広げてパラシュートに見立てるくらいが関の山だ。
「あ…!魔法だ!魔法の力で…!リルっ!聞こえるかっ!リルっ!助けてくれぇっ!!」
あの扉やその先の空間を作ったのはリルだ。リルならこの状況を何とかしてくれるかもしれない。
すると、必死の叫びが届いたおかげか、天から降ってくるようにリルの声が白い空間に響き渡る。
『んんぅ〜〜〜っ!このピッザ、ウマウマでほっぺた落ちちゃいそう〜っ!チーズのびっのびっお〜いしいっなぁ〜〜!』
「…っておいっ!!なに呑気に飯食ってるんだよっ!聞こえてるのかっリルっ!」
『ぷはぁ〜〜。ブドウ酒に合うぅ〜。…うへへぇ〜、いい気分だなぁ〜〜』
「クソッ!こっちの声は聞こえないのか!ていうかリルって酒飲める年齢なのか……ひっ!」
そして、妖精との不毛な一方通行の間に、突如としてその時は訪れた。
真下に、白じゃない、灰色の石畳の地面が現れたのだ。
明らかに硬そうな、普通に転んだだけでも痛そうな地面が、尋常ではない速度で眼前に迫り来る。
「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!!ぶつかるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!ーーーふぶっ!」




