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1.一身上の都合により退職します。

※注意

この物語はまだ求人誌が駅やコンビニでフリーペーパーとして置いてあった時代を基に作られています。


あるもんだと思って書き進めてたのに、気になって探してみたら、なくてびっくり。


時代の流れってこわい…





 「……ええ」



 「……はい」



 「……気持ちは変わらないです」



 「……はい」



 「……あ、そういうのいいんで」



 「……はい」



 「……では、失礼いたします」

 



 『通話終了』


 画面に表示されたその文言を無感情に眺めて、帯川周(おびかわしゅう)は肩の緊張を解くように息を吐いた。


 「はぁ…」


 夕暮れの公園。


 ベンチに座って空を見上げれば、ぼんやりとした薄紫色を背景にして黒い桜の木の枝とちらちらと舞い落ちる白っぽい桃色の花びらが目に映った。


 今日は4月1日。


 4月1日といえば、嘘をついてもいいエイプリルフールだったり、『四月一日』と書いて『わたぬき』と読む少し変わったヨミをする苗字を思い浮かべる人もいるかもしれないが、多くの人にとっては『新年度が始まる日』なのではないだろうか。


 学校では新たな生徒が入学し、在校生は学年が1つ上がって新学級が始まる。

 あるいは、最終学年だった者は学び舎を巣立ち、新天地へと旅立つ。


 ーーー進学か就職か。


 巣の中での生活には期限が設けられており、大半の学生は期限前に旅の準備を行い、一斉に飛び立つ。

 それは決まっている事であって、余程の事情がない限り例外は認められない。ーーーまたは決め事を覆してはならないと学校では教えられる。

 故に、旅立ちの前に次の行き先を決めることは多くの者にとって当然のことであって、その準備が万全か否かにかかわらず、『卒業』という名の期限までに次の行き先の『選択』を迫られる。


 各々が抱く夢・希望・理想・目標・目的のため、あるいはそれらを抱くことなく、義務的に、消極的に、楽観的に、無関心に、レールの上を走るように、何も考えず、だが、嫌々に、厭世的に、文句を言って、駄々をこねて、不安と憂鬱で心身を苛みながらも、人は『選択』を強いられる。


 そうして選んだ未来が今日、4月1日に、等しく、全ての『選択者』に訪れていた。


 当然、それは俺、帯川周にも訪れていて、しかし、俺はその大事な『選択』をした同じ日に、もう一つの『選択』を行った。





 私立恵府蘭大学卒、不肖、帯川家長男、名を周。


 本日4月1日、有限会社武良久商事に入社ーーー同日、有限会社武良久商事を退職す。





☆☆☆☆☆





 「ーーーえ?新人が辞めたって、今日初日ですよね?!課長、いくら今日がエイプリルフールだからってちょっと気合い入りすぎじゃ」


 「いや、ホントなんだって。定時でお疲れ様って言った後に一方的に告げられてね。帰った後で電話もしたけど、思ってたのと違ったとかで、なんかもう、終始面倒くさそうにされちゃってねぇ。まだ初日だからもうちょっと様子を、って言ってみても、まるで相手にされなくて。仕方なく退職を認めたよ」


 「うわ…俺が外回り行ってる間にそんなことが。ヤバいっすね、そいつ。初日で何がわかるって言うんだか…。大体、人事もそんなヤバいやつを通しちゃ駄目でしょ。普通、わかるでしょ。そんなヤバいやつだったら」


 「いや、採用担当した子からは真面目で愛想も良くて、良さげだって評判だったよ。それに、最近はそういうの多いらしいよ。ほら、えーと、なんて言ったかなぁ?何とか世代って」


 「あー、なんでしたっけ…。なんかありましたね。俺もニュースで見た気が…。あ、ニュースで思い出したんすけど、なんか最近は退職代行ってのが流行ってるらしくて。退職しますって直接言えないから、業者に金払ってあれこれやり取りするって、なっさけねぇーって思いましたよ」


 「ああ、退職代行ね。得意先でも去年事務員の子が退職代行使って辞めたって、社長さんが言ってたよ。なんかもう怒るとかそれ以前にショックだったって話だよ。自分の会社はただそれだけの事も言えない場所になってたのかって。なんだか色々考えさせられるよね」


 「へー。ま、俺には何とか世代の気持ちも退職代行使うやつの気持ちも分からないですけどね。あ、それでうちの辞めたやつに用意したパソコンとか資料とかって…」


 「あ、そうそう。悪いけど片付けておいてくれないかい?PCは庶務に依頼出しとくからそのままでそれ以外を頼むよ。私物は置いてないって言ってたから、うちから支給した物しかないと思うけど、なんか見つけたら教えてくれよ」


 「はぁ、わかりましたよ。結局気持ちがどうのこうのって言っても、残ってる人間が割りを食うだけじゃないっすか。ーーーったく、無駄な仕事増やしやがって。これだから、」





☆☆☆☆☆





 「ーーー最近の若いやつは。ってやり取りがされてるんだろうな、たぶん。いや、絶対」


 嫌にリアルな妄想をしたせいで少し気分が悪くなった。

 こんなにも具体的な想像ができてしまうのも、ここ最近そういった話題を取り上げたニュースや番組が多いからだろう。

 実際、会社員として働いている人なら誰もが当事者になる可能性がある話だし、働き方改革があちこちで叫ばれてるくらいには今の働き方に問題意識を持っている人がいるので世の中の関心は高いのだろう。


 そして、こういう話題が取り上げられる際、割と頻出するのが『世代』の話だ。


 『最近の若いやつは〜』とか『老害』とか『〇〇世代』とかがそうだろう。

 その人が生まれた年代でラベル付けをして、この年代生まれだからこれが得意であれが苦手でとかいう話だ。

 それでその年代の『特徴』とやらと現実に起こった出来事を紐づけて、理解や納得を得ようとするわけだが、大抵はネガティブな解釈をするために使われていることが多く、悪口を言うためのツールに成り下がっている気がする。

 そして、人間の劣情が大好物のマスメディアはそれを煽るので『世代』同士の対立が生まれ、『世代」間の溝が深まる事でその『世代』という枠組みがより強固になり、対立が激化して、という負のサイクルが生まれて、


 「あーやめやめ。考えても無駄。無駄無駄無駄」


 自分の気持ちが下がると、変に世の中で起きている社会問題に意識を向けてしまうのは何なんだろうか。

 別に政治家や学者でもないわけだし、なろうともしていない。問題意識を持ってもそれを自らの努力で解決する気がないなら、それは不満を垂れ流すだけの豚に過ぎない。


 「ぶーぶー言うだけのぷーたろうになるよりは…っと」


 初日を終えて早速ニートになってしまったので職探しをしなければいけない。そう思って近くのコンビニで求人誌をもらっていたのを思い出した周はカバンの口を開けた。

 昨今はスマホの普及によってアプリやWebサイトでの就活が主流だが、紙媒体がなくなったわけではない。学生時代、ほぼ毎週求人誌や求人広告を隈なくチェックしてバイトを転々としていた身としては、紙を見て職探しをするという考えが染み付いてしまっているのだ。


 「まあ、次はバイトってわけにもいかないけど、……あれ?」


 カバンの中に入っていた2冊の求人誌を取り出して、周は首を傾げた。


 「間違えて2冊重なってるのを取っちゃったのか?内容も、同じ…だよな」


 表紙のデザインも同じだし、中を軽くパラパラと捲ってみても違いはなかった。


 「まあ、いいか。さてさて、いい仕事はあるかな、と」


 後で捨てればいいかと片方をカバンの中に戻して、ページを捲っていく。

 ちなみに『いい仕事』とは、仕事内容の割に給料が高く、通いやすい場所にある仕事だ。

 当たり前のことを言ってるし、そんな仕事中々無いだろと思うかもしれないが、実はそうでもない。


 仕事の総数自体が少ない地方はともかく、ある程度の都市圏であれば仕事はたくさんある。

 給料を高めに設定してでも人材を欲しがる企業は多いし、都市圏の仕事は駅近の案件が多い。

 給料が高くて、通いやすくて、楽な仕事、という条件ならそれなりに見つけられる。

 あとは、仕事内容が自分に合っているか、とか福利厚生が自分の納得の行く内容になっているか、とかその辺りの条件が合ってくれば、条件面では理想の仕事が見つけられるはずだ。


 「ま、それで失敗したのが今回だったわけで…」


 今日行ってきた会社も条件は良かった。

 ただ仕事を続けていく上で重要なのは、会社が求人票などで対外的に公表している事実だけでなく、職場の人間関係や社内文化・慣習、ハラスメントの有無、部署間の力関係、管理体制など、言語化するのが難しい事柄や公表できない情報もあるわけで、実際に入社してからじゃないと自分に合うかどうかが分からないというのが実態だ。

 もちろん、会社側もそのギャップを問題視していて、多くの会社は会社見学やインターンシップなどで少しでも実態とイメージの差を埋められるような取り組みをしてくれるが、それにも限界はあるだろう。


 あとは、求人票に書かれていることと実態が異なったり、上手く不都合な部分を誤魔化すような文言を使って少しでも良く見せようとしている求人なんかもある。


 たとえば……


 「あったあった。『アットホーム』な職場。結構悪評が立ってる言葉なのに、いまだに見かけるんだよな」


 一見、温かみがあって安心できるような職場の雰囲気を想像してしまうこの言葉。

 だが、この言葉の裏には誰にとってのアットホームなのかが上手く隠されていると思う。

 公私混同してしまうくらいに濃密な人間関係が既に形成されていて、その中に全くの余所者が入ろうとするわけだから、それだけででもかなりのエネルギーを消費してしまいそうだ。

 最近では会社の飲み会に参加したくない人が増えているらしいが、そういった会社でのアットホームな人間関係に嫌気が差しているのが一因なんじゃないか。


 「…他には、……あ、これもそうだ。『未経験でも即戦力になれる』」


 冷静に考えてみよう。


 この『未経験』と『即戦力』の2語が同時に成立する仕事とは何なのか。


 経験がなくても仕事ができるというのは、余程簡単で単純な作業でなければ成立しないはずだ。

 『未経験でも可』と言うなら研修や教育の充実を謳うべきだし、『即戦力』の場合も『〜の経験がある人はすぐに戦力になれる』と書いていないと説得力に欠けてしまう。

 そして仮に余程簡単で単純な作業だとして、そういった作業でも最低限の説明やフォローは必須だが、『即戦力』を謳う会社はその言葉を盾に、作業に際する説明を十分に行わなかったり、放ったらかしにする可能性も否定できない。

 『未経験でも即戦力になれる』理由が具体的かつ明確に書かれている場合はその限りでもないが、納得できる記載がなければ避けた方がいいだろう。


 「ふふ。これで地雷求人に引っ掛かることはまずない。舐めてもらっては困るのだよ」


 捲るページに対してしょうもない謎の優越感を語りながら読み進めること暫く。辺りはすっかり暗くなっていた。

 幸いなことに、周が座っているベンチのすぐ横に照明があるので字が読めないことはないが、そろそろ帰ってもいい時間ではある。


 「あと、ちょっとで見終わるし、もうちょっとだけ、…………ん?」


 誰に対するものか分からない言い訳を独りで述べていると、ある一つの求人に目が止まった。


 「こ…これは…………!」


 周はその求人を見て、驚いた。

 何で驚いたのかと言えば、それは、



 研修期間中は無給


 [勤務時間]

 応相談


 [休日]

 応相談


 学歴不問


 経験不問


 即戦力


 やる気のある方、体力に自信がある方歓迎


 実力主義


 アットホーム





 ーーー地雷ワードのオンパレード


 「……いやいや、それもだけど!そんなことより、そもそも!……この求人は、一体何なんだ??」


 その求人票のタイトルにはこう書かれていた。





☆☆☆☆☆





 【急募】期間限定で魔王になれる方を募集しています




 何度見返してもそう書いてある。


 見間違いではなかった。


 では内容は、内容はどうだろうか。


 キャッチーなタイトルで読者を惹き付けているだけで中身は普通の仕事かもしれない。

 もしかしたら物語や創作でお馴染みの『魔王』という単語も何かの隠喩か、そうした役割を演じる仕事の事を指しているのかもしれない。


 「ありえそうなのは、ゲームのテストプレイヤーとか、何かしらのイベントのキャストとか、かな?」


 一番ありえそうなのは、魔王が主人公だったり、魔王がプレイアブルキャラのゲームをゲーム会社が作っていて、その開発に携わる仕事というパターンだろう。

 異世界的な世界観が少しでも関わっているゲームなら大抵は魔王も登場するだろうし、勇者と対をなす強力な存在をプレイヤーが操作したいというニーズも少なからずあると思う。

 『期間限定』というワードもそのゲームのテストプレイだけという依頼なら、短期の仕事の可能性も十分にあるのでしっくりくる。


 もう一つは人気の漫画やアニメをPRするためのイベントでそのキャラに扮して会場を盛り上げる仕事だ。

 『魔王になる』というのが衣装や着ぐるみを着て、漫画やアニメで出てくる魔王キャラを演じる、という意味であれば文言的にも間違ったことは言っていないし、イベントスタッフは単発の仕事が多いので期間限定で募集していることも筋が通っている。


 「まあ、どっちかは内容を一通り読めばわかるかな」


 周は一度考えを整理することで頭の中に噴出した驚愕や疑問を消化し、気を取り直してから改めて求人票を精読した。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


【急募】期間限定で魔王になれる方を募集しています


[仕事内容]

以下、お仕事をお任せします。

①外交業務

指定の場所で用意された原稿を読むだけの簡単なお仕事です。

※大きな声を出したり、威厳のある話し方で話したりするのに抵抗がない方は向いています。

②事務作業

各所から提出された書類のチェックと押印作業を行っていただきます。

※他の者が事前に確認をしているので書類は簡単に目を通すだけで大丈夫です。

お仕事に慣れてきたら、現場を訪れ、業務改善の指示を行っていただくこともあります。


[給与]

報酬:3,000,000�

※研修期間中は無給。


[勤務時間]

応相談

※研修・試験合格後はご自身で業務を行う時間を決めることができます。


[休日]

応相談

※研修・試験合格後はご自身の判断で働く日を決めることができます。


[仕事・会社PR]

しっかり研修を行いますので、学歴不問、経験不問でも即戦力になれます。

やる気のある方、体力に自信がある方は尚歓迎です。

実力主義なので配下の者は皆あなたの思い通りに動かすことができます。

他種族との大きな争いは長年にわたって起きていませんし、領内の政治も安定しているので身に危険が及ぶこともありません。アットホームな職場で安心・安全にお仕事を行うことができます。


[応募後の流れ]

お仕事の前に研修と適性試験を受けていただきます。

研修を最後まで受講できない方や適性試験に合格できない方については採用を見送らせていただきます。

※適性試験は形式的に行っている簡単なもののため、研修受講後であれば試験に落ちることはまずありません。

どのような来歴の方でも適性試験に合格し、安心してお仕事ができるだけの手厚いサポートと徹底的な研修を行いますのでどうかご安心ください。


最後まで読んでいただきましたら、下記連絡先へ連絡していただきます。


連絡先:019-002-4146

担当者:日留出

会社名:シガルディア魔王領


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





 「……………………」


 なんだろう。


 しっかり読んだらますます訳が分からない。


 とりあえず予想が間違っていたことは明らかだ。文面の中にはゲームのゲの字もイベントのイの字もない。

 仕事内容のところには『外交業務』『事務作業』と書かれている。

 事務作業の方は良いとして外交業務とは何のことか。

 総理大臣とか他のなんとか大臣とかが他国の要人と会って話をしたりするアレのことだろうか。


 しかし、『指定の場所で原稿を読む』というのは外交の仕事と言えるのか。

 確かにニュースとかで大臣が手元の原稿に目を落としながら喋っているのは見たことがあるが、外交の仕事ってどう考えてもそれだけではないような気がするのだが。

 あと、そもそも外交って国と国同士で交渉や協議をしたりして、取り決めをしたり、関係を構築したりするような、物凄く重要で影響が大きいことのはずで、いくら何でも求人誌で募集がかかっているのはおかしいだろう。


 「さすがにないよな。でも、そうなるとどんな仕事なのかこれだけじゃ分からないな」


 恐らく国同士の外交とは違って、何かビジネス用語的な意味でそんな感じの仕事があるのかもしれないが、少なくとも周の知識の中にそのような仕事は存在していない。記載されている情報だけで仕事内容をイメージすることは難しそうだ。


 「仕事内容は一旦分からないで進むとして、次は、給与か」


 記載されている数字の桁的に恐らく年収だと思うが、サラリーマンの平均年収よりも若干低めだ。

 それくらい簡単で重要度の低い仕事なのか、それともそこまで人件費を掛けられないのか。

 数字の下に書かれている『※研修期間中は無給』のせいで後者な気がして仕方がない。

 しかし、数字の大小や※の文言よりももっと重大な事実に周は遅れて気がついた。


 「さんびゃくまん……ん?なんだこれ?円じゃ、ない…?」


 数字の後ろに書かれている単位は円ではなかった。


 当たり前だが周は日本に住んでいて、その日本で仕事探しをしている。

 もらえる給料も当然日本円だと思って、すぐに気がつかなかったが、間違いなく円とは書かれていない。


 「いやいやさすがに円じゃないのは困るだろ。給料貰う度に毎回両替しなきゃダメじゃん」


 資産運用するならともかく、普通に生活費として使いたい場合に毎度両替はあまりにもめんどくさい。

 ネタだとは分かっていてもあまりの異常さに誰に言うでもない苦言を呈してしまう。


 「しかし、これどこの国のお金だろ?まさかハイパーインフレしてるやつとかだったりして」


 外国の通貨なら貨幣価値も気になるところだ。

 せっかく仕事をしても貰えたのがただの紙切れではやり切れない。どの通貨か確認するのは必須だ。

 あまり外国の通貨に対する知識はないが分からなければスマホで検索すれば済む話だ。

 そう考えて改めて数字の後ろの単位が書かれている箇所を注視する。ーーーしかし、


 「これ……読め、ない?」


 周にはその文字が読めなかった。


 それは単に知らない文字だったからとかそういう次元の話ではない。


 周にはその文字が『読めない』ーーーもっと感覚的に正しい表現を使うなら『認識できない』でいた。


 その感覚を上手く言い表すのは難しいが、その文字を目で見ているのに、脳に届くまでの間にノイズのようなものが混じって、結果その部分に靄がかかって見えるような、そんな感覚を周は覚えていた。


 「うーん。なんかもどかしいというか、へんな感じだけど……ま、次だ次」


 感じている違和感は一旦置いておいて、周はその後も気になるところがある度にあれこれ考えてみたり、妄想を膨らませたりして楽しんだ。


 『実力主義』という単語が微妙に違う意味で使われてそうなのは読んでいてクスッと笑ってしまったし、『他種族〜』の一文は普通の求人では絶対見ないような異世界RPG的世界観の一文なので、そういう世界観で見ないと全く意味不明なのも面白い。

 あと、全体的に良く見せようとしてるけど、結果的に地雷ワードだらけになって見る人が見たら真っ先に敬遠してしまいそうなところが、どこか間が抜けているように見えて可愛げさえ感じてしまうのもポイントが高い。


 職探しをしなければいけない身としては、本当はタイトルを見た時点で他の求人に目を向けるべきだろうが、自分の職探しとその求人の異常性を笑うことを天秤にかけた時、後者の方に意識が傾いていることは周自身、もう分かっていることだ。

 こんなネタ求人がまともな求人誌に載ってるのなんて中々お目にかかれない、というか最初で最後かもしれないので、ここはそれを楽しむのが正解だろう。


 しかし、こんなどう見てもおかしい求人がまともな求人誌に載ることなんてありえるのか。


 「あ、そうだ!」


 思いついたとばかりに声を上げた周は、カバンの中をまさぐり、先程しまったもう一冊の求人誌を取り出した。


 2冊が同じものである事は先程簡単に確認したばかりだが、一応、同じ事がもう一方にも書かれているか確認してみたくなった。

 印刷されている物なので同じ事が書かれているに決まっているが、おかしなものが並んで量産されている様を見るのもそれはそれで乙なものだろう。


 自分でも少し変わった趣向だなと苦笑しつつ、もう一方のページを捲っていく。


 しかし、同じページに辿り着いた時に、周は予想外の光景に目を丸くする。


 「…………なにも、書かれて、ない…?」


 13ページ、下側、左端。


 その場所に例の『魔王求人』が書かれているはずだったが、もう一方の求人誌ではその場所が空白になっていた。


 ページ数は間違っていない。上には警備員の求人、右隣には配送ドライバーの求人、右上には居酒屋のアルバイト求人。


 その場所が空白になっている以外は一字に至るまで全て一致している。


 「なんでここだけ…?」


 こういった雑誌がどのようにして作られているか知っているわけではないが、こんな1ページの中の一箇所だけ記載の有無が変わるなんてことがありえないのは周にもわかる。ーーーとはいえ、


 「まあ、何かのミスだろ」


 周が知らないだけでこういうミスは以外と起こりうるものなのかもしれない。よく知りもしないでありえないと言い切るのは良くない。

 それに編集者か誰かが悪ふざけで作った魔王求人が意図せず一部の冊子に載ってしまったと考えることもできなくはない。


 ーーーそう、きっとこれは何かの手違いで起きた面白ハプニングみたいなものだ。


 一通り笑い通したら、それで役目は終わり。


 次は自分に合ったまともな仕事を真面目に探す番だ。


 初日でいきなり辞めたことが今後の就職活動でネックになるかもしれない不安はあるが、ここ最近は転職に対する理解が多少は広がっているらしいし、まあ判断力・行動力が高いということにしてゴリ押せば案外すぐに決まるかもしれない。


 だから早く仕事を探さなければならない。ーーーならないのだが、


 「……何か、気になる…?」


 もうこの求人に対して意識を向けるべきではない。


 何のために求人誌を見ているのか。ーーーそれは、職を探しているからだ。


 時間は有限だ。


 自分にあった仕事を早く見つけなければならない。


 これ以上、時間を浪費してはいけない。


 だから早く別の求人に意識を向けるのだ。


 そのために、この求人から早く目を離す。


 目を、離す。





 ーーーあ、あれ?





 「……目が、はな、せない??」




実際の有限会社武良久商事での会話



☆☆☆☆☆



 「戻りましたぁ」


 「ああ、お疲れ様」


 「お疲れ様です。あ、どうでした?新人たちは?」


 「…ああ、それがね。1人辞めちゃったんだよ。今日一日で」


 「え!?……あー、そうなんですかぁ…え、ちなみにどの子が辞めちゃったんですか?」


 「帯川君っていう男の子だよ。恵府蘭大の」


 「…おびかわ……あ、あの真面目、というか、大人しそうな感じの彼ですか?へー意外だな。朝の朝礼で見たときはそんな感じには見えなかったけどな」


 「思ってたのと違ったって言ってたけど、まあ最近の子だからそういうの敏感に感じ取るんだろうね」


 「まあ、そういうのもありますよね。今は多様な価値観を認める社会ですからね。…まあ、管理職の方たちは苦労しそうですけど」


 「分かってくれるかい?でも最近はあんまり気にならなくなったというか、考えても仕方ないことかなって思ってるよ」


 「キリがないですもんね。あ、そうそう帯川君が辞めちゃいましたけど人員は大丈夫ですか?前々から人手が足りないって言ってましたけど」


 「人手が足りないのはずっとだからね。もう人手が足りない状態で仕事するのが当たり前になっているところはあるかな。あ、でも来月に人が入るように人員募集掛かってるから、穴はすぐ埋まるとは思うよ」


 「それなら安心ですね。あ、彼の机周りとか片付けた方がいいですか?まだ残って仕事するのでやっときますよ」


 「いいよ、いいよ。明日の朝に何人かで片付けるから。それに君も残業付けれる時間あんまり残ってないだろ?帰れる時には帰らなきゃ」


 「そう、ですね。…じゃあもうちょっとしたら帰ります。課長も早く帰ってくださいね」


 「ああ。そうするよ」


 「さてと、明日の会議資料だけ準備しておくか」



☆☆☆☆☆


有限会社武良久商事は優良ホワイト企業です。

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