第0話 プロローグ 滅びの前夜の誓い
空は雨ではなく、灰を泣きこぼしていた。
雨は一滴も降らない。あるのは静寂だけ――歴史が砕け散る直前にだけ訪れる、あの重い静けさ。
頭上の雲は、開いた傷口のようにうごめいている。白い稲光が瞬くたび、本来あるはずの雷鳴だけが奪われていた。
大地は幾つもの王国の墓場と化し、荒廃は地表を這い回り、ついには山々さえもその重みにひざまずかせていた。
ここはユレルダ。かつて世界の「冠」と呼ばれた都は、今や世界そのものの墓標となっている。
消えることを拒む悲嘆のように、灰が空気にまとわりつく。石畳には血が筋を描き、とうに忘れ去られた名の刻まれた亀裂へと染み込んでいく。
風はすべてを運んでいた。灰も、鉄の匂いも、残滓のような記憶も。死の匂いはねじ曲げられ、ほとんど祭壇の香りのようなものに変わっていた。
その廃墟の中心に、カズオは立っていた。
握りしめた剣は、刃こぼれこそしているが、まだ折れてはいない。その重みが腕に食い込む。息を吐くたび、消えかけた風の中に白い靄が広がった。周囲の世界は、炎もないのに燃え尽きていた。王国は塵と化し、空は雨の降らし方さえ忘れてしまったかのようだった。
彼の正面、煙の向こうに、ひとりの影が佇んでいる。
続いた声は静かだった。この光景には不釣り合いなほど、落ち着き払っている。
「お前という存在そのものが、王権の秩序に走った亀裂だ。反逆者たちにとっては象徴であり、我々にとっては脅威。……そして我らの“長”の目には、おそらく一つの『可能性』として映っている」
カズオは答えない。嵐だけが廃墟のあいだをささやきながら吹き抜け、彼の破れた上着の裾を引いた。
「それでもお前は、世界が血を流し、変革を叫んでいるというのに、か細い平穏の夢にすがり続ける。この現実は、お前のような者に与えられるはずのない平和だ。現実は何ひとつ、お前に借りなどしていない」
稲光が空を引き裂き、一瞬だけ激しい光が二人の顔を照らす。同じ世界に育てられながら、違う「真実」に呪われた二人の戦士。
影が一歩、ゆっくりと前に出る。その声音には、記憶の重みがわずかに滲んでいた。
「かつてお前は問うたな。もし、俺の民が滅びの縁に立たされたなら――俺はどうするのか、と」
風が、空っぽになった街路を遠吠えのように駆け抜ける。
「今、それに答えが出た」
男は剣を掲げ、その瞳に嵐の景色を映した。
「俺の民が倒れるなら、俺もまた倒れよう。天が荒れ果て、あらゆるものが崩れ落ちる時に残される“生”の意味は、最後の瞬間まで立ち続けることだけだ」
二人のあいだを、死にかけた雪のように灰が舞う。地面がかすかに震え、空さえもたわんで見えた。
沈黙を裂いたのは、低く、揺るがないカズオの声だった。
「俺は、この死にかけた大地の番人にはならない。ユレルダが滅びる運命なら、それでいい。だが――黙って見送ることだけはしない」
挑む瞳と、受け入れた瞳がぶつかる。言葉にならなかったすべての思いが、二人のあいだの空気を震わせた。
名を呼ばれぬ戦士の声が、風を断ち切る。
「ならば答えろ……」
カズオは剣を持ち上げた。
「『生きる意味』とは何だ?」
最後の光が雲の裂け目から滲み出る中、世界そのものが息を呑んだかのように静まり返る。
こうして、終わりを告げる戦いが始まった。
このプロローグは、物語全体の「空気」を示すためのものです。
カズオの物語の上に常に垂れ下がっている誓いと、崩壊の光景、そして「問い」を先に描いています。
カズオ本人をきちんと知ることになるのは第1話からですが、
この世界に「存在してはならない」瞳を持つ者が、「生きる意味」をどう掴んでいくのか――
その根っこにある問いから、旅を始めたかったのです。
『シンカイ ―存在してはならない瞳―』を読んでくださってありがとうございます。
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