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語られなかった七日間 第三日

 煙草屋の若店主はパンを刻んでいた。ごく小さな一口の大きさに。それを平らな器に入れると、すこしばかりミルクを注ぐ。そしてひとかたまりのチーズを小刀で薄く削り入れた。どこかで眠っていたらしいランスロットが音もなくカウンターに飛び乗ってきた。高貴な名前の飼い猫がいかにも幸せそうに食事を始める。若店主はランスロットが食事をするのを見るのが好きだった。


 夕刻の事であり、月夜にはまだ時間があったが、緩やかに刻が遡る。



 朝のうちに村の農家へ麺麭(パン)をもとめにいった公女は、こぶりな布袋をふたつ抱えて帰ってきた。サレクは火を起こし、茶を入れるためのお湯をわかしていた。まだ小さきランスロットは常の如く機織の傍らでサレクに見えざる嬰児の子守をしている。

 「麺麭はどうされた?」

 公女が携えてきた布袋を見てサレクは尋ねた。珍しく麺麭がまだ焼きあがっておらず、そのため小麦を買い求めてきたと公女は答え、そして

 「きょうはわたくしが麺麭を焼きますれば」

 と、言った。

 言葉通り、布袋の一方には小麦の粉があり、そしてもう一方の袋にはやや黄を帯びた粉が一掴みほど入っていた。

 「そなたが麺麭を焼けるとは聞いてなかったが?」

 サレクにしては珍しくも揶揄(からか)うような口調にて。

 「あら、ご存知ありませぬのか?わたくしは国一番の料理上手でありますよ」

 やはり公女が軽口で応ずれば…。

 「そは知らずにいた。そなたの噂のうち耳に入ったのはその美貌だけゆえ」

 とサレクが巫山戯(ふざけ)た調子で言えば、公女はくつくつと笑った。

 公女は小麦の粉の半分ほどを使い、麺麭の生地をこねた。それが出来上がると、公女はもうひとつ買い求めたもの、黄色い粉を袋から取り出し、木の器に入れる。麺麭を焼くまで時間があるゆえ、お菓子を作るのだと公女。

 「お菓子などというものは菓子屋が作るものであろう?」

 というサレクの言葉に公女はさも可笑しげにまたくつくつと笑い

 「菓子屋も生まれた時から菓子作りを知っていたわけではございません。覚えれば誰にでも作れるものでありますよ」

 と言った。そして棚の壷からとり下ろしたのは蜂蜜。それを竃にてすこしだけ温めると、木の器の中の黄色き粉に混ぜ合わせてゆく。できあがった生地を平らに伸ばした後、すこし冷めるのを待ち、指の長さほどの棒状に切り揃えると、一本一本を軽く捻った。さらに捻った棒に残った黄色い粉を振りかけてそれはできあがりらしかった。

 「これは東方のお菓子にて、キナコネジリと申します」

 一口食べたサレクは

 「甘くて美味であるな」

 と言った。

 「それはようございました」

 と、うれしげに公女は応える。サレクに見えざる嬰児の子守をしていたランスロットがいつのまにか公女の足もとに座るとキナコネジリを持つその手を見上げている。

 「あら、ランスロット殿、貴方もこれを食べたいのですか?」

 公女がしゃがんで菓子を差し出す。ランスロットは猫の癖にて前足を伸ばした。まだ固まりきっていないキナコネジリがその足に貼りつく。高貴な名前をいただいた子猫は慌てて前足を振りながら部屋を走り回った。不運は重なる。うかつにもまだ口をあけたままだった小麦の入った布袋に魔法を纏いし猫は飛び込んだのである。

 「これっ!ランスロット!!」

 サレクと公女が袋をかぶったままのランスロットを追い、やがて二人が同時に追いついた。

 そのとき思い切り飛び上がったランスロットの頭から袋が抜ける。宙を舞った袋から飛び散った小麦の粉はサレクと公女の頭上から降り注いだ。サレクの夜の如き黒き長い髪も、公女の燻る暗赤色の髪も、そして二人の顔も小麦の粉に塗れる。サレクと公女は向かい合って床に座り込むと互いの顔を見て、くつくつと笑いあった。

 「公国の疵なき珠もこれではな」

 と、サレク。

 「類まれなかつての魔術師様もこれでは」

 と、公女。

 見つめ合いながら、互いの髪に降りかかった粉を払いながらもふたりは笑いをとめることができなかった。

 そしてランスロットはといえば。

 当然の如く粉塗れ、いつの間にかキナコネジリが外れた前足で顔を撫でつつ、時折、くしゃみをしている。

 「魔法を纏いしランスロットもあれではな」

 サレクの言葉にまた公女はくつくつと笑った。


 永遠の七日のうちの三日目の出来事であれば。



 かつてのサレクである若店主は微笑を浮かべていた。思い出の中の、そしておいしそうに食事をするランスロットを見つめての微笑であった。食事を終えたランスロットが

 「なぁ—っ」

 と、鳴いた。

 「あれは、ほんとうにおかしかったよ、ランスロット」

 器を片付けながら若店主はそう呟いた。


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