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第一話 公国の疵無き珠を巡る物語(2)

 そして公女の代わりにサレクが物語る、月明かりのない闇の沈む声音をもって。

 少年であったサレクは、さる王国同士の戦にて両親兄姉のみならずおよそ親類友人知人というものを失った。少年サレクは力を渇望していた。

 剣ではない力。

 魔法の、呪術の力を。

 孤児であり何の後ろ盾も持たない少年は悲惨な放浪の旅ののち、幸運にも——其れが幸運というのであればだが——魔導士ラドゥクの居館に辿り着いた。魔導士の居館は隣国同士の戦禍の及んでいないとある王国にあった。戦禍こそ及んでいなかったが王国には2つの隣国からサレク同様に親を失った子らや子を失った親達が数多難民として入国したものだろう、城下のいたるところに貧民街が形作られ始めていた。そんな城下からかなり離れた黒い森に囲まれた窪地に魔導士の居館はあって、それはこんな風であった。


 石の壁も垣根も持たずに居館は建っていた。魔導士の強大な魔力に守られておれば、石の壁や垣根など不要であっただろう。見えざる壁があると見え、訪れたものが居館の敷地に入れるか否かは魔導士の心一つであった。

 外観はその王国に幾つかある施療院のようにも、僧院のようにも見えた。赤黒い石の外壁。黒く燻んだスレートの屋根。2階建か3階建か判然としない長方形の母屋のほぼ中央に大きな厚みのある扉があって、その左右の上部に——恐らくは2階、3階部分であろう——小ぶりな窓が設えてある。その数から推測すると少なくとも10やそこらの部屋があると思われた。庭と呼べるだろうか、母屋の手前の敷地の脇に井戸がある。さらにその敷地には離れと呼ぶべきか、母屋と同じ石材で作られた円筒形の建屋もあった。また母屋の裏手には牛小屋や馬小屋、果ては余人の知らぬ獣を飼った檻などもあると噂されていたが居館を訪うものが其れを目にすることは稀であった。


 そんな居館にサレクは迎え入れられた。魔導士に優しげな言葉を掛けられて。

 ——戦に巻き込まれたのだろう。よくぞ生きてこられた。好きなだけこの居館で過ごすがよい。そなたと同じ境遇の子らも幾人かおる。すぐに心安くなるだろう。

 魔導士はすでに老境に入っていたが穏やかな顔立ちをしていて、その言葉通り、居館ではサレクと似た年頃の8人の少年が暮らしていた。魔導士は己が魔導士であることをサレクに告げ、少年達はいずれも己の弟子であると言った。そして

 「そなたが望むのであれば、そなたも我が弟子となそう。そなたには魔術の才があるとみた」

 とサレクを誘った。サレクに否のある筈もなかった。もとより、サレクが渇望していた魔法と呪術を授けてくれるというのであれば。

 サレクは魔導士ラドゥクの弟子となった。師の言葉に偽りはなく、既に弟子となっていた少年達も幾許かの魔法を我がものとしていた。其れは自らの食器を宙に浮かせ、食卓へと運んだり、竃の火を火打石を使わずしてつけるなどといったほんの子供騙しのものにすぎなったのだが。しかしながらサレクは違った。渇望は吸収を産む。サレクの魔術の腕は、先をゆく弟子達を忽ち追い越す程となり、其れは師を喜ばせもした。

 ——そなたには魔術の才があるとみた。

という師の言葉は偽りではなかったのである。

 そんな魔導士の居館ではほぼ1年毎に奇妙な出来事があった。サレクを含む9人の少年の中でもっとも年嵩の者が姿を消すのである。しかし少年の数は9人のまま。新たな少年が魔導士の居館に招き入れられる故であった。少年達はその異変に気づくことがなかった。自分達の数が9人であるが故に。まさかに。如何に学のない少年達であるとはいえ、年嵩のものが消え、年下のものが増えたからこそ9人のままであることに気づかぬことがあるだろうか。勿論、其れは魔導士の強大な魔力故のことである。少年達は己の名前や姿形を知ってこそいたが、他の8人の少年達の名前も姿形もその記憶に留めることができなかったのである。魔導士ラドゥクの邪悪な魔力によって。

 さて消えた年嵩の少年の末路はどうしたものか。邪推してはいけない。魔導士が最も年嵩の少年を食らっただとか己が欲望の獲物のして弄んだなどということはない。ただ、年老いた魔導士が持たず、その少年が持つものを奪っただけのことである。

 何れにしても18になるまでの3年間、サレクは魔術の修行に明け暮れた。師が認めた才の持ち主であるサレクは学んだ。


 其れこれの呪文を覚え、其れを解く術を覚えた。

 数多の薬草、毒草の類と其れを呪術に転じる技。

 其れに必要な古の言葉。


 そしてサレクは一端の魔術師を気取るに至った。同輩達——既に3人ほどがかのように入れ替わっている——が、未だお遊びに過ぎない魔法しか使えずにいるのを余所に。サレクはまだ9人の中で最も年嵩にはなっていなかったのだが、魔導士ラドゥクはサレクの成長に誘惑を覚えた。

 (もはや待つまでもない)

 これまでに奪ったどの少年よりも多くのものをサレクは己に与えてくれるに相違ない。そう思った魔導士ラドゥクはある夜、サレクだけをかの円筒形の離れへと誘った。そこは外見同様に丸い部屋が一つだけある何の飾り気もない石に囲まれた空間であった。中央にテーブルのような台があり、その上に、宝箱然とした古びた箱が一つ置かれている。

 奇妙な箱であった。

 丸みを帯びた蓋には錠前などはなかったが、その前後どちらにも蝶番がついていた。いかにも魔力によってのみ開けることのできる箱と見えた。

 その箱を前に魔導士ラドゥクは若き魔術師となりつつあるサレクにこう告げた。

 「我が弟子の中の弟子よ。そなたはもう充分に学んだ。明日からは居館の外へ出て自由に生きるがよかろう。この箱にはそなたを守ってくれるであろう古の護符が入っておる。其れをそなたの旅立ちに向けた我からの贈り物となそう。但し、そなたの魔力にて、この箱を開くことができればの話だがな」

 3年の間、この魔導士の弟子として暮らしたサレクは高慢な自信に満ちた表情をその顔に浮かべた。

 「魔導士のうちもっとも魔導士たる師よ。あなたに認めてられたこのサレクにもはや出来ぬことなどあろうか」

 そんな高慢な言葉を聞いても、魔導士は弟子を嗜めるでもなくただ冷笑を浮かべたのみ。サレクは師によく似た冷笑をその顔に浮かべるとしかじかの呪文を呟いた。果たして、箱の蓋は音もなく手前から奥へと開いた。サレクが中を覗き込む。だが箱の中には何もなかった。否、箱の中という存在すらないかのようにただ暗い闇だけがそこにあった。


 円筒形の離れの中に風が舞った。

 螺旋状に、ごく小さな竜巻の如く。

 そして蓋はサレクの魔力ではなく箱自身の魔力によって閉じられた。


 「これは如何に?」

 とサレクが師に尋ねた。サレクの師である魔導士は冷笑に冷笑を重ねると、サレクが唱えたものとは異なるしかじかの呪文を呟いた。箱の蓋が奥から手前にと開いた。


 円筒形の離れの中に風が舞った。

 螺旋状に、ごく小さな竜巻の如く。

 だたしさっきとは逆向きの竜巻にて。

 そして蓋はラドゥクの魔力ではなく箱自身の魔力によって閉じられた。

 

 師のその年老いた顔の変化にサレクが気づいたのは間もなくのことである。既に老境に入って時がその害を成したためであろう皺だらけのラドゥクの顔が幾分か、否、サレクの目にもわかるほどに若返っていたのである。

 「まさ、か……」

 「ほお。気づいたか。我が若返りに。なんとも心地よいことだ、弟子ならぬ愚かな弟子よ。これまで我はこの秘術を200年続けてきたが、お前の生気がもっとも数多くの歳月を我が身に戻し、我を若返えさせてくれたことよ。さすがは才ある弟子である」

 この箱の魔力。それは手前から開けた者の寿命を吸い取り、その寿命を奥から開けた者へ授けるというものであった。しかも手前から開けた者の魔力が強ければ強いほど吸い取る寿命が多くなるというものであった。魔導士ラドゥクは身寄りのない少年を親切にも居館に招き入れ、魔術を教え、そして魔力を充分に蓄えたその時に、そのものの寿命を奪い取っていたのである。魔力が強いほど多くの寿命。故に年嵩の順に少年達をその餌食としてきたのであるが、若くして強い魔力を纏うに至ったサレクは別であったのだ。

 サレクは全てを悟った。いつもの9人は同じ9人ではなかったのだ。そしていま、これまで消えていった年嵩の少年と同じ運命に自分があることを。

 「弟子ならぬ愚かな弟子よ。そなたの寿命の多くは今は我が身に。恐らく70年か。察するに、神々がそなたに与えた寿命はあとわずかに3年と幾月かを残すのみであろうな」

 サレクは怒りに全身を震わせた。

 「貴様っ。全てはこの為だったのかっ!」

 怒りに任せてサレクは師へと火炎の呪文を投げ捨てる。だが炎に包まれたかに見えたラドゥクは炎をおのが内に閉じ込めると残忍な笑みをたたえた。

 「愚かなことを。師を越える弟子がおるものか。ましてや師の館にて」

 サレクは師から伝えられたあらゆる呪詛の魔術を師にぶつけたがことごとくラドゥクは受け流したのみ。やがて疲れ果てて床に座り込んだ弟子に向かって魔導士は言った。

 「我が名はラドゥク。妖魔の同輩にして魔導士。隣国のかの戦に紛れ、見目好い女を我がものとし、貴族と称する愚か者から財宝を奪い、精神の、肉の欲を満たしてきた魔導士である。だがサレクよ。安心するがよい。われには勝てずともこの世界のおよそ魔術をなすもののうちそなたの魔力にかなうものはおらぬだろう。かくいう我が弟子ならぬ弟子なのだからな。3年もあるではないか。残った命をおもしろおかしく使うがよかろう。悲嘆にくれて涙を流しても何の役にもたちはせぬ。それ、自らの姿を見るがよい。奪った寿命の代わりとして若さはそのまま、そなたにくれてやろう。残る3年の間そなたは年をとらぬであろうよ。そう歳を取らぬまま、そなたはある日、突然にも死を迎えるのだ。それは幸せなことであろう?」

 程なく居館を飛び出したサレクは悲嘆にくれて涙を流した。が、やはり師の言葉通りそれは何の役にも立ちはしなかった。

 後悔と憎しみを背負った若い魔術師はそれ故、涙を忘れ、もうひとつの師の言葉に従うことにしたのである。サレクは悪をなした。2年とすこしの間、諸国を彷徨い、おのれの欲望のままにその魔術を駆使して。師の言葉通りサレクに勝る魔術師はなかった。幾本もの美しき花をたおりもしたが、サレクを愛する女は現れずサレクが愛すべき女もまた現れなかった。ましてやサレクを癒すものなど。

 重ねた罪の数々は自覚しないままサレクの新たな重荷となっていった。

 そうして、もはや自分の寿命のこともそれをなした師の所業すら忘れかけ、ただ深い後悔と憎しみ、それに悲しみを、高慢な態度に隠して生きるだけの、否、突如訪れるであろう死を待つだけの愚かな魔術師となったのである。



 「姫君。そしてわたしはここにこうしているのです」

 サレクはそう言って愚かな身の上話を終えたが、隣に座る公女を見て息を飲んだ。公女エレインはその赤く暗い瞳を涙で濡らしていた。燻る赤い暗色の髪にも流れた涙は公女の髪をさらに暗く染めた。其れを見たサレクの瞳に漆黒の光が宿る。

 「どうせくだらない残りの寿命。おのれのためにはもう充分に使った。残りわずかな命であれば、そなたのために使ってみるのも一興。この魔術師サレク様も、2年の間、かの魔導士から離れていた身であれば、通じる魔術のひとつも覚えたかも知れぬ」

 サレクは殊更、寝所を訪れた時の如く高慢な物言いをしてみせた。

 「魔術師様がわたくしをお守りくださると?貴方の残りの命を代償にして…」

 公女エレインの言葉にサレクは自嘲した。

 「そこまでは自惚れてはおらぬだ。赤く暗い髪持つ乙女よ。やつを倒せるとは…」

 そう言いかけたサレクの唇をエレインの指が制した。

 「思っていただいただけで嬉しいのです。ですが、わたくしは貴方に生きてほしい」

 と、公女はわずかにその身をサレクに寄せた。サレクの黒髪とエレインの赤い暗髪がさやと交わった。

 「それは異なことを。我が余命はわずかに…」

 言いかけたサレクの言葉を再び公女は制した。

 「そうではありません。この2年の間、貴方は生きているようで生きてこられなかったのではないですか。わずか数ヶ月ですが貴方と似たような思いで、日を重ねたわたくしには、すこしはわかります。宿命が待つ暮らしを受け入れられる程、わたくしは強くはないのです。魔術師様、貴方もそうではありませぬか?」

 「心優しき公女殿」

  サレクは両の腕で公女を抱き寄せた。

 ほんの一瞬、その身を若き魔術師に預けたかに見えた公女は、だがかぶりを振る。

 「いけません。ラドゥクの呪術が…」

 公女は燻んだ白き夜着の長い裾をわずかに引き上げた。頼りなげな足首に薄い金属の足環が覗く。サレクはふっと笑った。

 「このような縛。ほんの子供だましに過ぎませぬ」

 サレクは唇の下に2本の指を縦にあてると、しかじかの呪文を囁いた。カタリと、音がして足環が床に転げ落ちる。それを拾い上げたサレクは、ふうっと息を吹きかける。たちまち金属の足環は細かな砂に転じ宙に舞う。それはもう一度、宙で集まり、夜鳥の形をとると露台から夜の城下へと飛び去って行った。

 「これで、我が所業も我が師ならぬあの魔導士に伝わったことであろう。もはやあとには引けぬ」


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