表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

第一話 公国の疵無き珠を巡る物語(1)

 かつて青年はキアヌではなくサレクと呼ばわれていた。そして自らは魔術師の息子にして魔術師サレクと称していた。畏れを知らぬ高慢な魔術師であり、邪悪な野心を持った若者であり、事実その野心を満たすだけの力を持ち合わせていたやも知れぬ。

 それ故、多くの悪を為した事を悔いることもなく唯、己が欲望に従う日々を無為に過ごしていた、魔術師本人は其れを無為と思っていたかどうかは知れないが。

 そしてその頃のサレクは腰までの深い夜色の黒髪を中途で緩く結び、深い夜色の黒い瞳を持つ魔術師めいた容姿を纏っていたのである。

 さて、サレクであった若い魔術師が辿り着いたのは数多の湖と明るい森に囲まれた、とある美しき公国。其の公国の城下はいまや何かの祝いの最中とみえた。広場では国中、或いは国の外から集まった大道芸人達が賑やかしくも妖しい技を披露して公国の臣民から小銭を掠め摂っていたし、その周囲には常に倍するバザールの天幕が林立してもいた。サレクは果物売りの天幕の前で足を止めると葡萄をひと房買い求め、若い女の売り子に尋ねた。

 「随分と賑やかだが何かあるのだろうか。そう…祝い事でも」

 「旅のお方ですね。公女様のご婚礼がお決まりになったのです。3つ月の後の今日と同じ日が婚礼の日」

 若い売り子は歌うように答えた。葡萄ひと房の対価には充分に過ぎる銀貨を貰い受けたとあっては歌うように答えたのも当然であろう。サレクはといえば、買い求めた葡萄をひと粒のみ口に入れると残りの房を売り子の手に戻した。

 「これは教えていただいたお礼に」

 と。銀貨とひと房だけ減った葡萄を手に戸惑う売り子。その売り子に背を向けたサレクは天幕が林立するバザールを通り抜け、一度(ひとたび)城下を出た。城下を出る前、広場にて催されている大道芸人達の妖しげな技を見物したのみならず、己も大道芸人の振りを為してその輪に混じり、芸人らが羨望するほどの妖しげな技を披瀝して見物人の喝采を浴びたやも知れぬ。または、天幕の端に粗末な絨毯を敷き、その上で、水晶玉占いなぞをして、適当な予言をして客を喜ばせたやも知れぬ。いずれ、そのようにして時を費やしたのち、若い魔術師は夕刻になって城下にほど近い湖の畔に到り、そこで夜を待った。

 聞けば、公女の名はエレイン。公国の定めである婚礼の歳15であるという。そして公国に暮らす人々のみならず周囲の国々の、恐らく公女の姿を見ることのない人々さえも彼女を『公国の疵無き珠』或いは『湖を照らす赤き残照』などと呼び習わし、その美しさを讃えているのであった。

 サレクが何故夜を待ったのか。言うまでもない。さほど美しい、しかも婚礼を控えた公女であれば、己の欲望のひと夜の慰みにという思惑があったからに他ならない。


 王城は月明かりの無い闇に包まれていた。

 既にサレクの姿は王城の内の公女の寝所にあった。門番達や公女の寝所を守る衛兵達や控えの間で転寝をしていた侍女達を深い眠りの河に誘うことなど魔術師の息子にして魔術師たるサレクには何ほどの事もなかった故。

 天蓋に覆われた寝台に公女を見出すことの出来なかったサレクは、扉のない露台へと視線を巡らす。

 そこに公女エレインは佇んでいた。燻んだ白き夜着を纏っていた故、外闇に浮かぶほのかな灯りを思わせて。侵入者の気配に振り向いた公女は

 「何方?」

 と、言った。若き魔術師の其れよりもさらに長き髪が揺れる。揺れて燻る髪は深い暗みを帯びた赤。其れは一日(いちじつ)、世界を照らした太陽の、今しも沈もうとしている残照の色であった。その燻る髪と同じ色の瞳で公女エレインはサレクを見つめる。

 「我が名はサレク。魔術師の息子にして魔術師。そして姫君は噂に違わぬ疵なき珠とみえる。しかも婚礼が間近とあっては其の美しさも……」

 サレクは一瞬口をつぐんだ。公女は婚礼を待ち望む歓びではなく、ただただ深い悲しみを纏っていると見えたからである。だが、それと気づいてもサレクは皮肉な笑いを浮かべたのみ。

 「これは……。意に沿わぬ婚礼を控えて悲しみに沈んでおられたか。だがそれも一興。この魔術師にはどちらでも構わぬことゆえ」

 エレインは魔術師の言葉に恐れるでもなく寧ろ自ら歩み寄ると憐れみを湛えた暗い瞳で若い魔術師を見つめた。もう伸ばせばその手が届く距離にて。

 「魔術師様。お力をお持ちとお見受けいたします。されどお命を大切に。わたくしの夫と成るものは貴方の及ばぬ力を持つもの。このままお帰りになればまだご無事に済みましょう」

 公女であるエレインは暗い瞳を伏せた。手の伸ばせば届く距離であれば、サレクは片手を伸ばしてエレインの頬に触れた。その手にはいつの間にか赤い薔薇が一輪握られている。公女の髪にも似た赤い薔薇であったろう。

 「そなたが望めばこの薔薇ではなくそなたの夫となる者の御印をそなたへの贈り物としてもよい。そなたの意に沿わぬ婚礼の訳をきかせてくれるだろうか。夜伽の座興としてではあるが」

 無論、サレクの親切心から出た言葉ではなかった。公女の、悲しみの理由を聞いた後に、悲しみのままの公女を一夜の戯れとなすことに興を覚えたのである。エレインは己の髪色に似た其の薔薇を受け取った。両の手で、サレクの手を押しやりながら。そして胸に薔薇を抱くと露台から室内へと歩みを進め、天蓋に覆われた寝台に腰を下ろした。公女は、一欠片の魔力も持ち合わせていなかったが、その無垢な精神で、サレクの内に彼の高慢な言動とは裏腹な「何か」を見出したのかも知れぬ。或いはただ己の不幸な身の上を誰ぞに聞いて欲しかっただけかも知れぬ。何れにしても、公女は、この見知らぬ若い侵入者に我が身と公国に降り懸かった災いを語り始めることになる。


 この夜よりほぼ七ヶ月前。

 エレインの実母である大公妃が病に倒れた。奇病であった。ただただ眠り続け、そして日に日にやせ衰えていくだけの病。深い愛で結ばれていたエレインの父であり大公妃の夫である大公は、あらゆる手を尽くした。国中の医師、薬師を呼び、国の外からも医師と薬師を招いた。噂に聞こえる呪術師や魔術師も呼び寄せられた。だが、大公妃の病を癒せるものはなかった。そして「御触れ」が出されることになる。

 ——曰く。大公妃の病を癒したものには大公の持つ財宝の中から望むものを与えるであろう、と。

 魔術が渦巻く世であれば其れは如何に軽率な「ふれ」であったことか。しかしながら、(いずれ)の魔術師、何の癒し手達も大公妃の病を治すことはできなかった為、大公はしばらくの間、其の「ふれ」が軽率だったことに気づくことすらなかった。

 絶望の淵に沈んだ大公と公女エレインの前に清楚な衣服をまとった若い女が現れたのは大公妃が病に倒れてからひと月ほど経ったある日のことであった。何の国のものとも知れぬ若い女ではあったが、「ふれ」の効力で、直ぐにも城内に招き入れられた。

 ここでひとつ、断りを挟んで置かねばならぬ。

 褒美とする財宝に「公女」が含まれていたか否かである。含まれているといえばそうであり、そうでないといえばそうでもある。大公は一国の王に似合わずにと言うべきか、公女には好いた男との婚姻を望んでいたからである。大公と大公妃も相思相愛で結ばれた仲であれば。故に、大公妃の病を「癒す褒美」として公女との婚姻を望んだとすれば、公女の同意をこそ、其の条件とする心算であった。

 だが。

 この日、城を(おとな)ったものは若い女であれば、公女が褒美として望まれるなどと大公が思わなかったとしても責められることでは無いかも知れぬ。加えて油断と諦めもあればこそ。このひと月、どれほど高名な魔術師も癒し手も、大公妃の病を癒すことができずにいたとあっては、この若い女にそれが可能であるとは思えなかったのである。其れ故、常ならば、「癒しの褒美」が、公女との婚姻が望みであれば其れには公女の同意が条件であるという一言をかの若い女に伝えぬままであった。

 果たして。

 大公妃の寝所へと案内された若い女は、あっけないほど簡単に病を癒してしまったのである。さもあらん、既にお判りであろう、大公妃を眠りと死の病の呪いにかけたは、この若い女に他ならなかったからである。だが其れを知る由も無い大公の歓びは如何許りであったか。病の癒えた大公妃を其の腕にひとしきり抱き寄せてから、大公は、命の恩人——其れは偽の命の恩人であったのだが——である若い女に言った。

 「されば。さぞかし名のある癒し手の魔女殿。望みはなんであろうか?」

 若い女は薄く笑った。

 「わたしの望みはそれそこに」

 と、エレインを指差した。

 「これはお戯れを。財宝はいかなる品でも。すぐに宝物庫へ案内させますゆえ」

 と、大公。

 若い女は笑いを消さずに言葉を続けた。但し、若い女の声ではなく嗄れた老爺の声音で。

 「戯れではない。わが望みはエレイン。そなたの公女をわが妻に貰い受けたい」

 その言葉が終わらぬうちに、若い女の美しい顔が、醜怪な皺だらけの老爺に変じてゆく。これこそ年老いた魔導士の罠であった。大公妃とエレインは悲鳴をあげたが、大公は気丈にも抗弁する。

 「娘は財宝に非ず。他の財宝を求めるがよいぞ。命あるうちに」

 その言葉を聴いた老爺は高笑いをし

 「命あるうちにと申したか。我を誰と知っての戯言か。聞けば公女は公国の疵無き珠だと。なれば財宝であろうが」

 と大公を恫喝した。すぐさま大公の目配せを受けた数人の近衛兵が剣を抜く。幾人かはなまじかの魔法なれば封じ込める力をもつ剣を携えた近衛兵である。だが老爺の魔力はなまなかなものではなかった。近衛兵達は全て、剣を振りかぶったままその場で動きを止めた。老爺はただ左手を軽くあげたのみ。近衛兵達は動きを封じられたのみならず、足元から生ける彫像に変じてゆく。否、死せる彫像に。

 遅れて駆けつけた大公お抱えの魔術師達もやはり同じ運命をたどる。もはや大公の手段が尽きたと見るやそこで老爺が声高に名乗りをあげた。

 「我が名はラドゥク。妖魔の同輩にして魔導士。我に害を為すなど試みないことだ」


 寝台のエレインの隣に座して公女と公国の話に聞き入っていたサレクが低く唸るように呟いた。

 「いま、なんと申した?」

 「わたくしを妻にと求めているのは魔導卿ラドゥクです」

 と、エレインが答える。もともと青白いサレクの顔がさらに青白くなったかにみえた。サレクは両の手を膝においていたが、其の手が小刻みに震え始める。

 「どうかなさいましたか、魔術師様」

 若い魔術師の両の手の震えは恐れからではないと公女には思われた。むしろ深い悔恨と憎しみ、そして悲しみを堪えるような震えである。それが無垢な公女の精神を揺さぶった。

 「ラドゥク卿を知っておられ……」

 エレインの問いを封じた若い魔術師はこう答えた。

 「…知っている。その者は、わたしに力を与えてくれた魔道士だ。力を得る代償が何たるかを知らせぬままに…」

 エレインは言葉の意味がわからないままに若い魔術師を見つめた。其の顔には、寝所に現れ公女に薔薇を差し出した折にみせたあの高慢さは微塵もなかった。唯、深い悲しみに沈んでいるかのようであった。

 「すまぬ。続きを聞かせてもらえるだろうか?」

 若い魔術師に促されてエレインは話を続けることになる。


 魔導士ラドゥクは身を寄せ合った大公と大公妃、公女の前に立った。

 「まさか大公ともあろうものが約束を(たが)える事はないであろうな?妻を求めることなど我には何程の事もないが、これは座興ゆえな。疵なき珠などと呼ばれる娘御がいるとなれば興味も唆られるというもの」

 魔導士はそこで視線を公女だけに向けた。

 「恨むならそなた自身の美を恨むがよい」

 再び視線を大公へと戻す。

 「3日の猶予を与えよう。我が館に公女を我が妻と為すか否かの使いを寄こすがよい」

 低い嗄れた声でそこまで言うと魔導士は姿を消した。煙の如く、否、悪夢であったが如く。


 その3日の間、大公は再びあらゆる手をつくした。

 城を魔法で鎧い、軍勢を整え、武具を磨いた。

 しかしそれが4日目の朝にはすべて無駄であることが知れた。

 国の片隅に病人が出たとおもうまもなくそれは悪質な疫病としれた。国の辺境に住む罪のない臣民がつぎつぎと病に倒れてゆく。さらに実りを迎えた穀物を食い荒らす害虫が国のあちこちに湧き出した。稲も麦も玉蜀黍も害虫が好まぬ穀物はなかった。穀物ばかりか公国を美しくたらしめるために咲き誇っていた花という花も害虫の餌食となった。

 城そものもにはまだ害は及ばなかったが民なくしてなんの大公であるのか?

 重臣の説得を受け大公が愛する娘の居室を訪った。無論、娘である公女にかの魔導卿の妻となってはくれぬかと頼む為である。しかし、父親が涙ながらに其れを伝えるまでもなく、公女は魔道卿の妻となる覚悟を既に決めていた。

 そして大公は5日目の朝、魔道卿に使いを出した。

 約束の日から2日遅れたが故に多大な犠牲を払ったうえで1年後の公女の輿入れを約す使いを。

 

 「その輿入れが三月の後なのでございます、若い魔術師様。ラドゥク卿が貴方様の師であるならば、そのお力もご存知のはず。なにとぞ貴方様に害の及ばぬうちにお帰りを…」

 エレインは語り終えた。

 サレクはしばし無言であったが、体の震えが収まるとやがて口を開いた。

 「害ならば、既に我が身に及んでいる、悲歎の公女殿。そなたとこの国に害を成したのがラドゥクであっとは。わたしこそがそなたとこの国に害をなすつもりであったのに。これがお笑い草でなく何であろう。ラドゥクは我が師にして我が師ならぬ者。赤き髪持つ姫君、今度は、この愚かな魔術師の愚かしい過去を聞いてはもらえぬだろうか。愚かな力と引き換えに何を代償としたのかを…」

 辛そうに語るサレクにエレインはやはり悲しみと、だが、優しさを秘めた暗い赤い瞳を向けた。

 「お話くださいませ。魔術師様」

 夜は長ごうございますればと言葉を継いだエレインの声は月明かりのない闇に融けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ