3. 呪いのかけ方
読んでいただき、ありがとうございます。
中には灯りが灯り、薄い茶色を基調とした落ち着いた家具が置かれている。全てが洗練されていて高級な物だと一目でわかる。
「すぐに夕食をお持ちします。こちらでお待ちください」
と、女性騎士は相変わらず言葉少なに扉から出ていった。
しばし呆然と辺りを見回す。やはり、作られたばかりの建物のようで、誰も使ったことのない新しい匂いがする。
先ほどの婚約破棄からここまで、全てが事が一気に押し寄せ頭の整理が追いつかない。もはや考えることを拒否するかのように頭の芯が痺れたようになっている。しみじみ、やはり私は天才型ではないのだと思う。
ふと壁に目が行き一枚の絵画に気がついた。その絵を見て、またしても私の心臓は一気に冷たくなる。
その絵は学園の社会科見学で絵画展に行った時に目にしたものだ。山の合間にある広い湖に小舟が一艘浮かんでいる、ただそれだけの風景画だが、私はこの絵を見た時、なんて寂しい絵だろうと思った。広い世界にただ一人残されたような孤独を感じのだ。
あの時、じっと絵を見つめる私の後ろでリリアの声がした。
「何て素敵な絵なんでしょう。綺麗な風景ですね」
私は驚きリリアを振り返った。
彼女はミハイルと一緒に絵を見ていたようだ。
「そうだね。僕にはよくわからないけど」
騎士を目指すミハイルはつまらなそうに絵を見ていた。
そうか彼女の目にはそんな風にこの絵が映っているのか。
同じ絵でも見る人によって、こんなに感じ方が変わるのかと。
確かに描かれている山の木々は青々として、湖の水面も太陽の光を反射して輝いている。美しいといえばそういえるかもしれない。
ただやはり私には、その小さな小舟に目がいってしまい、どこにも寄るべなく漂う孤独感が込み上げた。
しばらく絵を眺めて二人は去っていった。
あの時近くに殿下が居たのだろう。
そして、リリアがこの絵を気に入ったのを聞き、買い取ってここに飾ったのだろう。
あの頃は祖母を亡くしたばかりで心に寂しさを抱えて過ごしていたから、そんな風にこの風景画が見えるのかもと思っていた。でもやはり今見てもその気持ちは変わらない。
いや前より一層、孤独になった身の上だからこそ、そう感じるのかもと思わず苦笑する。
改めて一人でいることに気づく。
今なら逃げられるのではないか。
入ってきた玄関扉に近づきノブを回すが回らない。何度も反対にもひねるが回らない。鍵穴も見当たらない。近くの窓に近寄り開けようとするが、こちらには鍵穴があり鍵がかかってるのかびくともしない。
どういう事?
普通の家のようだが誰かを閉じ込めるために作られたように感じる。
外からの侵入を防ぐというより、中から出られなくするための作りのような。
私を閉じ込めるため?
そんなはずない。
私をここに閉じ込める理由がない。
殿下は確かに私をパリスター修道院へ送ると言っていた。たまたま作られたばかりの貴族用の収監場所に入れられたのだろうか。
そして今更ながら気がつく。私には魔法があるじゃないか。こんなところ逃げ出すのは簡単だ。今まではこの力が誰にもバレないように、どうしても必要な時以外は魔法を使う時がなかった。そのために使う事自体忘れてしまっていた。
私は胸元からペンダントを出す。
先ほどの魔力の暴走により、魔力を抑えていた魔石が割れている。
私は体から魔力をゆっくりと放つ。体の周りに魔力が満ちていくのを感じる。
いっそこのまま、この王宮を燃やし尽くそうか?
そんな思いがもたげてくる。
私にはそれをできるだけの力がある。
私を貶めた彼らを苦しめたい。
だが本当にするだけの勇気はない。
感情のまま放たれる魔力を抑え込む。
そしてある考えが浮かぶ。
そうだ、呪いをかけるのはどうだろう。
愛しいあの人に私と同じ苦しみを味わってもらう。
"決して愛する人と結ばれない呪い"
私は震える手に魔力を集める。
手からキラキラした塊が浮かび上がり、ゆっくり離れていく。そのままその塊は漂いながら壁の向こうへ消える。呪いだからもっと黒々して禍々しい物だと思っていたが、キラキラしていて本当に効いているのか不安になる。
呪いをかけるのは初めてだが、かけ方は知っている。
祖母は呪いの掛け方を私に教えた時に言っていた。
「呪いは決して使ってはいけない。相手の力が強いと呪いが自分に跳ね返ってくる事があるのよ」
ではどうして私に教えたのかと聞くと、かけ方を知らないと解き方も分からないからと。
たとえ呪いが私に跳ね返ったとしても、私が愛しい人と結ばれることはもう永遠にない。
しばらくすると呪いが相手に届いた手応えを感じる。
これで殿下は聖女と結ばれることはない。
乾いた笑みが漏れる。
と同時に後悔も胸を掠める。
どこまでも小心者の自分に嫌気が差す。
もっと堂々とザマアミロと思えたらいいのに。
私は再び魔力を解放する。
公爵邸の自分の部屋を思い浮かべる。
そして私の姿は白い家から掻き消えた。
公爵邸の私の部屋はかろうじて届く月明かりでぼんやりと家具が浮かび上がっている。
屋敷の中は人が動く気配はあるが、いつもと変わらない。
本来なら私はまだ卒業パーティーに出席していて、立食形式の晩餐を食べているはずだ。
なので家人は私がここに居るとはつゆにも思わないだろう。
私はクローゼットに近づき一段目の引き出しを開ける。様々な色に輝きを放つアクセサリーが所狭しと並んでいる。晩餐会や舞踏会など事あるごとに両親や殿下から買い与えられた宝石たちだ。私は一番奥の方に手を伸ばし、黒い大きな石の付いたブローチを掴む。これは祖母の形見だ。
引き出しを閉めブローチをポケットに入れようとして、まだパーティードレスを着ていたことに今更気がつく。着替えようとするがドレスは本来一人で脱ぎ着できるような仕様になっていない。このドレスを着るときも侍女が二人がかりで着せてくれた。
魔法を放つとドレスは私から離れ床に落ちる。ドレッサーを開けて一番簡素な服を出し身につけ、祖母のブローチを胸元へつける。脱いだドレスを見遣ってどうするかと思案する。ドレッサーに置いていくと私が戻ったことに気づかれるかもしれない。かといって殿下から贈られたドレスを持っていくのは嫌だ。見るたびに殿下を、あの悲惨な卒業式を思い出すだろう。
ドレスを魔法で浮かばせる。幾重にも重ねられた深い青色のサテン生地に黒と銀で美しい刺繍が贅沢に施されている。私のとてもお気に入りになる筈だったドレス。
魔法を放つとドレスが一瞬で燃え上がる。その炎は私の嫉妬の炎のように思えた。
燃え尽きたドレスの灰は集めて庭にばら撒く。肥料になればいい。
ふと壁にかかった姿見の中の自分と目が合う。はちみつ色の髪をハーフアップにして編み込み、濃い青色のリボンで留めている。少しつり目の水色の瞳は疲れを滲ませ虚だ。
朝にこの鏡に映った時には、この世の輝きを一身に集めたように明るく笑っていたのに。
リボンを解くとまっすぐな髪がハラハラと肩に落ちてくる。手で長い髪を鋤きながら解いていく。自慢の髪ももう意味を無くしてしまった。
ゆっくりと私の部屋を見回す。この部屋で18年間育った。色々な思い出が去来しては消えていく。ほとんどが祖母との思い出だ。もう戻ることはない。
「今までお世話になりました」
私は礼をすると、全身に魔力を込める。
山の中の小さな家を、魔女の家を思い浮かべ魔法を放った。