2. 祖母の言葉
読んでいただき、ありがとうございます。
私は重い足取りで学園の廊下を歩いている。隣の女性騎士は私の手を決して離さないように、それでいて痛くないように加減をして支えてくれている。
何度も殿下の顔が思い浮かんでは涙が漏れそうになり、頭の中から打ち消している。そして、公爵家のこれからを考える。
私の両親は卒業式には来ていなかった。父は魔術大臣を務め城に寝泊まりすることも多く顔を合わせることも稀だ。母も広大な公爵領の切り盛りをする兄を支えて多忙を極めている。ただ単に私の卒業式には興味がなかっただけかもしれないが。
だが、こんな卒業式に来なかったのは幸いだった。私を王太子の婚約者として強く望み、7歳という幼い頃に婚約者にさせたのは父であり母である。権力欲が強く娘をそれを得る道具にしか思っていない。今日の茶番劇を見たら私は二人にどんな目に遭わされていただろう。いや、もしかすると公爵家の権力を削ぐための茶番劇だったのかもしれない。
これから私はどこへ連れて行かれるのだろう。隣の女性騎士を見る。もしかしてもう学園の外には馬車が用意してあり、このまま修道院へ行くのだろうか。それとも一度公爵家へ戻され支度が許されるのだろうか。そのどちらも私にとって地獄だ。もうこの先には地獄しかない。ぐっと奥歯を噛み締める。
突然、今までの理不尽に対する怒りが腹の底から溢れる。
私が一体何をしたの?
なぜ今、前世を思い出したの?
もっと早く思い出していたら?
何か変わっていた?
いや、私は何もしてないのだから、もっと早くても何も変わらなかっただろう。
では私はどうすればよかったの?
何が正解?
様々な葛藤が胸に渦巻き消えていく。その想いが次第に燃え上がり怒りが増していく。魔力が漏れ出し、その瞬間、服の下に隠していたペンダントに亀裂が入る。その衝撃を肌で感じて、ビクッと震えた。
「どうかしましたか?」
私の様子を気にかけて女性騎士が声をかける。
「…これからどこへ行くのですか?」
女性騎士はまた前を見据え、
「馬車に乗っていただきます」
とだけ言う。
行き先を言うつもりはないのだと理解し、私も黙り込む。魔力を落ち着け深呼吸する。ここで私の力を暴走させると今まで隠してきた苦労が水の泡になってしまう。
廊下から見える学園の庭を見る。もうすっかり日が暮れて朧げだが白い花が揺れているのが見える。
その花は祖母が好きだった花だと思い至った。
その時、まだ元気だったころの祖母の言葉が頭をよぎる。
「アグネス、あなたには誰も持っていない力がある。どうしようもない時にはその力を使って全てを捨てて逃げなさい。あなたなら一人で生きていける。自分を助ける道を選びなさい」
私を育て慈しんでくれた祖母。両親にもらえなかった愛情を私に与えてくれ、力の使い方を導いてくれた。その力でさえ私は国のために殿下のために使おうと密かに思っていた。それが当然だと疑いもしてなかった。自分には違う道があるなんて思いもしなかった。
ふっと苦い笑みが漏れる。
私は殿下のように天才型ではない。完全な努力型人間だ。一度聞いただけでは覚えられない。何度も何度も繰り返し覚えなければ頭に定着してくれない。でも少しでも殿下に近づきたくて、役に立ちたくて必死で頑張った。10歳から始まった本格的な王太子妃教育も17歳でやっと終わった。学園の勉強との並行はとても辛かったが、祖母の励ましで乗り切れた。
その祖母が去年突然、病に倒れた。日々弱っていく祖母を見るのが辛く、縋りつきたくのなるのを必死で耐えて看病を続けた。祖母は病気の辛さを感じさせず、いつも変わらない笑顔を見せてくれていた。
両親は祖母をあまりよく思ってなかった。私を王太子妃にする事をずっと反対していたからだ。祖母は私だけの幸せを願ってくれて反対していたのだろうと今になって分かる。
もう大切な人はいない。
何もかも投げ出して逃げてしまってもいいのだろうか。
馬車乗り場にたどり着く。そこには罪人には相応しくない豪華な馬車が待っていた。これではないだろうと、他の馬車を探す。しかし、女性騎士はその馬車の扉を開け私に乗るように促す。戸惑いながらも馬車に乗り込み座席に腰を下ろす。やはり高級な素材が使われてるのだろう、座席がふんわり沈み込み、とても座りこごちが良い。
すぐに馬車は動き出し窓の外を見ようと頭を巡らすがカーテンが閉まっていて外の様子は分からない。カーテンに手を伸ばすが女性騎士に阻まれた。
「危険ですのでカーテンは閉めたままで」
何が危険なのか?
誰が危険なのか?
疑問はきっと答えてくれないだろう。
馬車に揺られながら、女性騎士と向かい合わせに座り居心地の悪さを感じる。何も悪いことはしてないのに、警察を見ると背筋が伸びて緊張する感じに似ている。
この際、私は前世の記憶を辿ってみることにした。先ほど思い出した記憶が思ったより自分に抵抗がない。
私は今より一つ下の17歳だった。名前が思い出せない。仲の良い友達はいたが、人見知りで決して輪の中心になるような性格ではなかった。ゲームや小説が好きで、現実より空想の世界を旅するのが好きだった。家族は仲が良く、毎日夕方に犬のハッピーの散歩をするのが私の日課だった。どうやって死んだのか?記憶を辿ろうとするが思い出せない。ただ17歳以降の記憶がないのでその辺りで死んだのか?自分が死んだ時の事なんて怖いから思い出せなくてよかったかもしれない。
今の自分と比べてみると根本的には同じだと感じる。ものの感じ方や考え方。怖がりなところ。頭は悪くないと思うが努力が必要なところ。
また、なぜ乙女ゲームの世界に生まれ変わったのか?それは考えてもわからない。誰かの力によるものなのか、私が死ぬ時に望んだのか?
ただこれが現実だということはわかる。痛い辛い寒い悲しい嬉しい楽しい、全て私が感じているこれらが現実だと肌で感じさせてくれる。
悪役令嬢の最後はいずれのルートでも同じ、修道院へ一生監禁だったはずだ。これから私が身を以て体験することになる。
馬車はそれほど走らず停車した。
北の最果てと言われるパリスター修道院へはもちろん、公爵邸にも着く距離ではない。
御者が扉を開け、女性騎士が先に降り私に手を伸ばす。おずおずと女性騎士の手を取り馬車から降りる。その先にあるのはまさかの王宮だった。
なぜ王宮へ?
ここは裏門?
女性騎士は私の手を取り何も言わずに進んでいく。
そうか、これから地下牢へ行くのか。
王宮には高貴な者のための牢屋もあると聞いたことがある。罪の重さによってはそこに入ることもあるのだという。
今日はもう遅い。一旦地下牢に入れて明日、修道院へ行くのか。だから高級な馬車に乗れたのだろう。あの馬車でまさか修道院まで送られるはずがなかった。
王宮には何度も王太子妃教育で訪れていたが、今進む道は初めて通る。日が暮れても王宮にはたくさんの灯りが灯され、まるでどこかテーマパークのようだ。何度か建物の横を通り過ぎ、次第に明かりが少なくなってくる。先に見えるのは林しかない。しかし、女性騎士は迷いなくその林へ向かって進んで行く。急に不安になる。
このままどこへ行くの?
こんなところに地下牢が?
もしかすると私は口封じに殺されるのでは?
罪を捏造され無実を訴えられないように、修道院へ行ったように見せかけ消されてしまうのでは。
暗い林の先を見つめ、歩みが遅くなる。女性騎士に腕を掴まれているためあまり取れないが可能な限り距離を取る。
いざとなれば彼女を殺す力はあるが、不意打ちに心臓でも刺されたら避けられないだろう。それに力があるからといって人を殺せるか自信がない。
女性騎士は私の不安を感じたのか、
「間も無く着きます」
と少し表情を柔らかくして私に言う。
遠くの暗闇に灯りが見える。
王宮の裏に林があるのは知っていたが、こんなに広かったとは。敷地内のため魔獣はいないので安心だ。
灯りがだんだんと近づいてくる。白い輪郭が浮かび上がり、2階建ての家が現れる。
どうしてこんなところに一軒家が?
見た目は普通の庶民が暮らす一軒家のようだ。白い壁に木のドアがついている。しかし、よく見ると全てがおしゃれにできている。木のドアも意匠を凝らした一級品だとわかる。壁も塗りたてで建てられたばかりのようだ。
どうしてこんなところに家があるの?
先ほどの疑問が再びもたげる。
女性騎士は鍵を開けて扉を支える。
「中へどうぞ」
彼女がどうして鍵を持ってるのか?
ここは誰の家なのか?
疑問だらけのまま中へ入る。




