19. 新しい生活
読んでいただき、ありがとうございます。
私は北の鉱山へ転移魔法で飛ぶ。雪は積もっているが幸い天気は良く太陽が眩しい。山の山頂から時限式の結界を張り直す。これで私の力が知られることはない。満足そうに頷き、ふと見下ろすと中腹あたりに小さな屋根が見える。惹かれるものがありそちらに転移する。玄関のドアを開けると仄かに薬草の匂いがする。家の中に家具はなくがらんとしている。何か左の壁から魔力を感じて手を当てる。するとそこにドアが現れる。
ドアを開けると下に続く長い階段が見える。私の山小屋と同じだ。迷いながら降りていく。途中で何度も引き返そうかと思い立ち止まるが、好奇心に勝てず下まで降りていく。降りた先には扉がある。左右は壁だ。ごくりと唾を飲み込みゆっくりノブを回す。キィと音を立てて扉がこちらへ開く。
するとそこにはまた長い階段がある。今度は登りの階段だ。上を見上げるが先に何があるか見えない。今度は階段を登っていく。登り切るとまた扉がある。私はノブをしっかり持ち向こう側へ開く。
そこは寝室だった。ベットが一つと小さな机と椅子が置いてある。これも私の山小屋と同じだ。
人の気配はない。
私は寝室の中へと入る。
左の壁に扉があり開けると居間のようだ。ソファが二つと机が置いてあり、奥にキッチンもある。
しばし立ち止まり、帰ろうと踵を返そうとしたところで玄関のドアが開いた。
そこには黒髪の赤い瞳の30歳半ば位の女性が立っている。私を見て驚いた顔をしている。
「あなた、どうやってここに?!私を探しに来たの?」
「すいません!勝手に入ってしまって。階段がここに繋がっていたので、すぐ帰ります!」
「待ちなさい!」
肩をガシッと掴まれる。
「あなた、私を覚えてないの?」
「え?」
女性に覗き込まれるが見たことがない。
「呪いが完成してる。そう、私を探しに来たのではなさそうね。でもあなたは幸せよ。忘れられたのだから。私は死ぬまでずっと忘れられない」
女性の言うことが分からない。
「どこかでお会いしたことがありましたか?」
「いいえ、今日が初めてよ。勘違いしたみたい。さあ、もう帰って」
玄関から追い出される。
ここはどこ?
山の中だが暖かいので北の鉱山ではないようだ。
私の山小屋へ転移魔法を放つ。
自分の山小屋へ着き、久しぶりに家に帰った感じがする。玄関にはスリッパが置いてある。
どうしてスリッパが?
何となく靴を脱いで履き替えると心地よい。
ずっとつけていたカツラを取る。
もうこれも必要ない。
ここがこれからは私の家だ。
もう公爵家へ戻ることはない。
自分の人生を生きるために。
祖母との思い出のあるこの家で生涯を暮らす。
翌日、私は朝から薬草をすり潰す。自然と鼻歌が漏れてくる。この歌はどこで聴いたのかしら?聴いた覚えのない歌が出てきて戸惑う。
転移魔法で街へ行くと太陽の眩しさに眩暈を覚える。広場の噴水の周りでは子供たちが虹を見てはしゃいでいる。
私はベティの店に入り声をかける。帰ってきたと言うとすごく喜んでくれる。ちょっと心配そうにもしているが気づかないふりをする。
隣のダナーの店に行こうとしたところで腕を掴まれる。振り向くとザワリがいた。
「君が毛生え薬を作っているんだね。うちの店で高く買い取るから是非うちに来てくれ」
強引に手を引かれ連れていかれそうになる。腕が痛い。
「離してください。私はダナーさんのお店に用事があるのです」
「名刺を渡しただろう。うちに来ると言ったじゃないか。すぐそこだ。損はさせない」
「行くとは言ってません。それに私はダナーさんと取引しているのです。他の人とするつもりはありません」
「私のほうがもっと儲かると言ってるだろう。早く来るんだ」
かなり強引に手を引かれて怖い。みんなが見ているので魔法を使うこともできない。
「おい!何をしてる!」
ダナーが店から出てきてくれる。ザワリの手が離れた瞬間に私はダナーの後ろに隠れる。隣のベティも騒ぎを聞いて店から出てきてくれる。
「この子はうちの専属だ!他所とは取引しないと何度も言っただろう!今度こんなことをしたら憲兵を呼ぶぞ!」
「くそっ。儲け話を持ってきてやっただけじゃないか」
捨て台詞を吐いてザワリが逃げていく。
はぁ、怖かった。
「大丈夫?女の子を無理矢理連れて行こうとするなんてなんて奴だろう」
ベティが怒ってくれる。本当にそうですよね。
「アグリ、戻ってきてたのか?最近毛生え薬がすごい売上だからザワリが狙ってたんだ。気付くのが遅くなってすまなかったな」
「いいえ、助けていただきありがとうございます。またこちらで暮らすことになりました。よろしくお願いします」
「え?じゃあ、あの騎士はどうしたんだ?」
「騎士?」
「ああ、まあいっか」
ベティに睨まれダナーは後ろ頭を掻いている。
騎士って誰だろう?
ダナーに毛生え薬を渡す。最近、需要が高くなりすぎて価格が上がっているらしい。前の料金をまだ渡してなかったとズシリとした袋を渡される。
「え?こんなに?」
「ああ、今回はもっと渡せるぞ。アグリの薬は効き目が違うらしい。予約がいっぱいで店頭に並ばないんだ」
もはやお金の心配をしていた日が遠い昔に感じる。
嬉しいが、やっぱり気分は複雑だ。
他の薬も作りたい。
帰りに本屋に寄る。前に読んだ推理小説家の新刊が出てたので買う。今夜は夜更かし決定だ。
屋台を物色しながらいくつか買って、路地裏の陰から転移する。
家に帰るとスリッパに履き替える。
コップを持つと水で満たされる。
「マイル?」
マイルが久しぶりに姿を現す。
「マイル、久しぶりね。元気だった?」
マイルが嬉しそうに頷く。
「そう。またこの家に戻ってきたの。これからはずっとこの家で暮らすのよ。よろしくね」
どうして一度王都へ戻ったのだったかしら?
確か陛下の命令で結界を張りに帰ったのよね。
でももう戻ることはない。
次の朝、案の定、夜更かしして本を読んだ私は寝不足だ。あくびをしながら洗濯をする。また知らない鼻歌が出てくる。
洗濯物を干しながら、今日は何をしようかと考える。薬草を干したり薬を作ったりすることはたくさんあるが、何か別のこともしてみたい。
りんごでジャムを作る?
料理の本に書いてあった。
焦がさなければ私でも作れそうだ。
それをパン生地に入れて焼いたらりんごジャムパンよね。
うん?そんなパンあったかしら?
でも美味しそう。
また鼻歌を歌いながら家の裏の木からりんごをもぎる。それを細かく切って砂糖と煮詰めていく。
すごく楽しい。
公爵令嬢としては今までになかった暮らしだ。
結果としてりんごジャムパンは発酵が足りず少し硬いパンになったが味は美味しかった。初めてにしては上出来だ。
街へ行くときにりんごジャムパンも少し持っていってベティにお裾分けした。初めて食べたけど美味しいと喜んでもらえた。
ダナーの店にはなぜか行列ができている。戸惑っているとダナーが私を見つけ手招きする。
「どうしたのですか、この行列は?」
「うっかり明日も毛生え薬が入荷するって言ったらこの行列なんだ。アグリ気をつけろよ。くれぐれも薬を誰かに見せるんじゃないぞ」
怖いじゃないですか。
さっさと渡して帰ろう。
「そういや、アグリはどこに住んでいるんだ?近くならこっちからもらいに行くぞ?」
「あぁ、私の家は北の山の中なので遠いですよ。私が持ってきますから大丈夫です」
「本当に北の山に住んでいるのか?」
「はい、そうですよ」
「......それも誰にも言うんじゃないぞ。魔女だと思われるぞ」
「え?......わかりました」
そうか、魔獣がいる山で暮らしているなんて魔女くらいよね。




