白球を追うあなたを、私はずっと追っている。
白球を追うあなたを、私はずっと追っている。
誕生日プレゼントで、初めてグローブを買って貰った時も、
中学生になってエースとしてマウンドに立った時も、
昨日、高校生になってから2度目の秋季大会で負けてしまった時も。
私はずっと追っている。あなたのことを。
だけど、あなたは野球のことにしか興味がないみたいだから、きっと私のことなんて、お節介ものぐらいにしか思っていないでしょ?
私はこんなにもあなたのことが好きなのに。
――なんだかムカつく。
いまに始まったことではないけどね。
これもきっと、あいつが情けない姿を見せているからだ。
いま目の前にいるこの男が。
「今日は朝練、行かなかったらしいね」
「なんだよ、いきなり」
「……珍しいと思っただけ」
私は知っている。あなたがケガを隠して最後までマウンドに立っていたこと。
チームメイトに悟られないように振舞っていたことを。
――ずっと見てきたんだから、そんなの私には分かる。
でも、練習を休むとは思わなかった。昔から骨折したって練習に参加してたのに。
「それで、どうして行かなかったの?」
「……関係ないだろお前には」
――そう。私には関係ないんだ? そういうこと言うんだ。まあそうだよね。ただの幼馴染だしね。
「…………打たれて自信なくしちゃった?」
私が言うと、彼は視線を逸らす。
――まさか図星? なんてね。そんなことあるわけない。
野球だけのあなたから野球を取ったら、努力家で何事にも一生懸命。素直じゃないけど嘘をつくのが苦手。優しいのに口下手。そんな部分しか残らない。
「冗談。打たれて責任感じてるんでしょ? チームメイトに合わせる顔がないとか思ってる」
「……そんなわけないだろ。ただ体調が悪かっただけだ」
「それで、放課後の練習も休むつもり? もし休むなら、私から言っといてあげようか。体調が悪いので休むそうですって」
彼は、都合が悪くなると口をつぐむ。
「それとも、自信なくして行けないみたいです。が、良い?」
ここまで煽っても彼は何も言わない。ちょっと情けない。
こうなれば私にだって意地がある。絶対に本音を引っ張り出してやる。
「まあ、打たれて当然。今のあなたなら私にだって打てる。クセだって丸分かりよ」
「……おい、なんだって? 俺の投球にクセがあるっていうのか?」
ようやく食い付いた。野球の話になれば一発なんだから。
「あなたのことなんてお見通し。ホームランだって打てるよ」
「いますぐ教えてくれ。頼む」
彼はいつになく必死になっている。私にもそれぐらい必死になってくれれば良いのにな、なんて思ったりもして。
「良いよ。今日の放課後、グラウンドで教えてあげる。私との勝負に勝てたらね」
「……よし、分かった。絶対に教えろよ」
チャイムが鳴ったので、彼とはここで別れた。
――いくらでも教えてあげる。あなたのクセなんて。
残念で嬉しいことに、あなたの投球にはクセなんてないけどね。
そして放課後。グラウンドには彼と私の二人だけ。
他の野球部員さんたちは、昨日の反省会があるらしいので、その間だけ無理を言って場所を貸してもらった。
日頃から見学していたこともあって、話はスムーズに進んだ。
監督さんに彼と勝負をしたいと伝えたら、「任せた」と言われてしまった。
責任重大。ここまでくれば、やることは一つだけ。
――この男の根性、叩き直してやる。
「さぁ、練習の邪魔になる前にパパっと勝負しちゃうよ」
「……本当にやるんだな? 手加減なんてできねえからな」
入念にストレッチをした彼は、ユニフォーム姿でマウンドに向かおうとした。
「ちょっと待ちなさい、そっちじゃない。あなたがバッター」
「いや、話の流れがおかしいだろ。さっきは俺の球なら簡単に打てるとか言ってなかったか?」
「なに言ってるの? だって、私がバッターボックスに立ったら危ないじゃない」
――そもそもケガしてるあなたになんか、絶対に投げさせない。それに、私があなたの球を打てるわけないでしょ。
「……それもそうだな。確かに危ないかもしれない」
彼は納得して、バッターボックスに入っていった。
――まったく、単純な男で助かる。そういうところも好きよ。
そして私は、借りたグローブに3球だけ球を入れてマウンドに立った。ボールを握るのは小学生の時以来。あなたとキャッチボールをしたとき以来。
私が足元に2つボールを置いたとき、バッターボックスから彼が言った。
「ルールはどうするんだ? お前の球を打てたら、俺の勝ちでいいのか?」
「それでいいよ。1打席勝負。キャッチャーはいないから、振り逃げは私の勝ちね」
私が言うと、彼は一瞬驚いた顔をして、すぐさま野球に真剣な彼に戻った。
舞台は整った。
――ここからが私の勝負。あなたに私の球が打てる?
「……よく聞きなさい。これから私は3つの質問をするわ。質問に対して、肯定するならバットを振りなさい。……では、第1球――」
「ちょっと待て、話が違う」
私が質問を投げつける前に彼が言葉を挟んだ。
「なに? 私をボークにでもしたいわけ? ズルいわ。スポーツマンらしく正々堂々勝負しなさい」
「……ズルいのはどっちだよ」
「マウンドで独り言を言うことも許さないんだ? 野球にそんなルールあったっけ?」
――彼の不満は当然。でも、残念。これが私の隠し玉。
彼はしぶしぶバットを構えた。
観念した様子を見て、改めて投球を始める。
「第1球、あなたは昨日の試合、終盤で肘を痛めていた。だけど、それを隠しながら最後までマウンドに上がった」
手から離れたボールは、彼の背中の方へ大きく逸れた。
けれども、判定はストライク。彼はスイングをしていた。
――あなたは野球よりも私の言葉を大事にしてくれるんだ。
私の頬はきっと緩んでしまったに違いない。
だけど、バットで応えてくれた彼に失礼がないよう、私も真剣に向き合わないと。
「第2球、自分勝手で口下手なあなたは、チームメイトに謝りたいけど、何を言えばいいか分からない」
放ったボールは、バットが届かないボールゾーンへワンバウンド。
判定はストライク。
この特等席から、彼のスイングが見れたことは良い思い出になるかな。
カウントはツーストライク、ノーボール。2球で追い込んだ。
最後の1球は決め球――といきたいところだけど、聞きたいことは聞けちゃった。
謝り方なんて、いくらでも一緒に考えてあげる。
だから最後の1球は遊び玉。
『あなたのことが大好き。だから私と付き合って』
なんて球を投げたら、あなたはバットを振ってくれる?
それともボールを見逃して、私をフってくれちゃうの?
――なんてね。そんな卑怯なことはしない。
最後は直球勝負。言葉なんて必要ない。ここまで付き合ってくれたんだから。
私は、彼に向かって精一杯のボールを投げた。
ちょっと山なりのボール。だけどストライクゾーンど真ん中。
――最後ぐらいは、気持ち良くかっ飛ばして貰わないと不公平だよね。
そんな思いとは裏腹に、彼はバットを振らなかった。
見逃し三振。私が勝ってしまった。
「……どうして振らないの」
思わず口にしてしまう。
「質問がなかったら、答えようがないじゃねえか。卑怯だぞ」
彼の言葉を聞いて、ついつい笑ってしまった。
そんなあなただから、私は好きになってしまったんだろう。
「いつの間にかルール変わってるよ? ただの1打席勝負のはずでしょ」
「あれ? そうだったか? なら最後のは無しだ。もう1球投げてくれ」
「ダメ。最後の1球はストライクだった。振り逃げも無しだからね」
「なんかズルくないか?」
「ズルくない。しつこい男は嫌われるよ」
「……せめて俺のクセだけでも教えてくれよ。それまで俺も引き下がれない」
「そんな話あったね。……そういえば、私が勝った時のこと、何も考えてなかったじゃん。それこそ、不公平な勝負だと思わない?」
「確かにそうだな。分かった。お前のお願いを聞いてやる。だからもう1球だけでいいから勝負を……」
「そう……1球だけでいいの? そこまで言うなら……投げてあげる」
――全力投球。私は抑えてたのに、あなたが火をつけたんだからね。
「私はあなたのことが好き! だから、私と付き合って!」
あなたが言うから投げてやった。なんだか大暴投?
打ち返せるなら打ってみなさい。……お願いだから打ってよね。
静寂の時が流れる。
彼が言葉を発しようとしたその時、遠くに野球部員たちの姿が見えた。
「……答えは言わなくていいから。あなたはとりあえず謝る練習でもしてなさい。トンボがけしておくから」
「いいよ、後片付けは俺がやる。……答えは後で必ず伝える」
「……あなたは座ってて。ケガ人なんだから」
「でも……」
「お願いだから」
お願いという言葉を聞いて、彼は引き下がった。
もったいない使い方しちゃったかな?
まあいいや。さっきも使っちゃったからね。
効果があったのかは分からないけど。
グラウンドを整えたあと、私は監督さんへお礼を伝えた。
彼は土下座をして謝っていたみたいだけど、他の野球部員は笑っていた。
私はいつもの見学席で、その光景を見守っていた。
最初から気にすることなんてないのにね。
こんなに良いチームメイトに恵まれてるんだから。
――分かるよ。見てきたから、ずっとね。
突然、見学席にいる私を彼はバットで指した。
そして、私が今まで見てきた中でも一番のスイングを披露して見せた。
――バカ。ケガ人なんだから無理しないでよ。
彼の答えに、涙で視界がぼやけてしまったけど、きれいな放物線が見えた気がした。
その日の帰り道。私の彼氏は言った。
「それで、俺のクセって何なんだよ」
「…………そうねえ、靴ひもを結ぶとき、左足から結ぶ……とか?」
不満げな表情を浮かべる彼を、私はからかってやった。
それから毎日毎日、私は彼にクセを教えてあげるのだった。