旧校舎事変 その4
【大日本魔術学園 旧校舎前】
【安部晴明】
兎にも角にも、あのゴーレムをどうにかするしかない。
こういった召喚術式への対策としては、術者を最優先で叩く事が定石なのだが、誰が召喚したかも分からないので仕方ない。
「準備は?」
「オーケー、そっちは?」
「……うん、大丈夫だよ」
「よーし、いっちょやったりますか!」
みそらが先ほどと同じく薬指に絆創膏を巻いた左手でドアを開ける。
昼よりも闇の濃くなった屋内。
ここからではゴーレムのすがたは良く確認できない。
二人並んでゆっくりと廊下を進んで行く。
「やっぱリベンジマッチってのは燃えるな」
「やられっぱなしってのは気分が悪いからね」
「夢のライブハウス取り返す為ってもあるしな」
「まだ言ってるのか、そんな事……。あれだけ広いと多分掃除も大変だぞ?」
「そりゃ、その時はアタシの相方のハル君が助けてくれるに決まってんだろ」
「何だそれ……、あと八乙女先輩の真似するな。ハル君なんて呼ばれるのは先輩だけで間に合ってる」
「ま、そこら辺の話は後ににしても、あの土くれにはいっぺん殺されてるからな。10倍、いや、100倍にして返してやらねぇと気が済まねぇ」
「あんまりやり過ぎるなよ……?この旧校舎ごと燃やされちゃ敵わないし」
「せいぜい気をつけますよ……、っと!」
入口とホールを繋ぐ廊下の丁度中間あたり、みそらが何かに気付いて身を躱す。
目をやると、昼と同じ巨大な影。
正面からゴーレムの投げた巨大な岩が迫っていた。
「え、いやっ、ちょっーーガフッ!?!」
あまりにいきなりの事で反応出来ず、昼と同じような形でまともにぶつかった。
スピードの乗ったトラックに轢かれたような衝撃が全身に走る。
「ーーあ゛っ!ーー痛゛っ!ーー痛い!!!」
再び玄関ホールまで転がるように突き飛ばされ、全身をドアに叩きつけられる。
「ァ゛ァ゛ァ゛ァァ……」
あー…、あー…。
……痛い。
痛すぎて、喉から声にならないうめき声が漏れる。
頭が割れたような鈍痛、そして乗り物酔いを更にひどくしたような視界の揺れと霞み。
夜だから致命傷でも何でも無いけれど、こんなの昼に貰ってたら流石に死んでいたんじゃ無いかな……。
「……おいっ、おいコラ!飛んで来てるなら何とか言えよ!」
「どうせそんなんじゃ死なねぇんだから別にいいだろ?」
「絶っ対に許さないからな、お前も、そのデカブツとやらも……!」
ゆっくりと立ち上がり、全身についた埃を適当に払って落とす。
せっかく廊下の途中まで歩いたのに、また降り出しに戻ってしまってやり切れない気持ち。
出足からものすごいやる気が削がれてしまう。
と、そんなこんなで体制を立て直してると、みそらが勝手に走り出してゴーレムに突っ込んでいた。
「ん……?あっ!ズルいぞみそら!」
「早いもの勝ちだよ役立たず!」
「クッソ、今日は踏んだり蹴ったりだな……」
僕だって今すぐに後を追って突っ込んで行きたい所だった。
でも、準備も無しに特攻するのは死にに行くだけだ。
彼女と違って僕の魔法は少し手間がかかるから。
「……よし、やるか」
一度心を落ち着けてからポケットからチョークを取り出す。
昼に人避けの魔法陣を書いたあのチョークだ。
左の袖を肘まで捲り上げ、それで肘から手首まで一本、真っ直ぐに線を引いた。
線がぼんやりと青白く光を放つ。
それを確認して、落ち着いて瞼を閉じ、少し集中力を研ぎ澄ます。
自分の内、底の底に落ちていく。
光が消える。
音が居なくなる。
ただ、だだっ広くて何も無い真っ暗な空間に、自分が一人。
一瞬の孤独を創り上げる。
念じる。
呼びかける。
目の前に現れるように、はっきりとイメージを持つ。
すると、目の前に一つ、火の玉が湧いてくる。
真っ黒で、指先が触れただけで僕まで色が染まってしまいそうな、それでも触れてしまいたいと思ってしまう、どこか妖しい火の玉。
それは不規則に揺れながらも、はっきりと僕を、そしてその空間を照らし出す。
じわり、じわりと照らしていく。
僕を、床を、空間を。
やがて、全てを照らし出した時。
瞼を閉じて居たはずなのに、目の前には先程と同じ、現実と同じ空間が広がっていた。
空気の流れと、みそらが駆ける足音。
音が戻ってきていた。
瞼を開く。
そこには、全く同じ景色。
ただ一つ違うのは、目の前にあった火の玉だけがどこかにいってしまっている。
でも、それは消えてしまった訳では無い。
感じる。
僕の胸の内。
それは、力に姿を変えて、僕の中に存在している。
「ーーじゃあ、借りるよ、懺鬼」
もちろん、周りに誰がいる訳でもない。
みそらに言ったのでもない。
他の誰でも無い、自分の中に呼びかける。
「ーー久々じゃねぇか、暴れるぜーー」
声が聞こえる。
答えたのは、火の玉。
その名は、懺鬼。
訳あって僕の中に棲む正真正銘の鬼だ。
こいつが火の玉の正体であり、僕の力そのもの。
みそらが不死鳥をその身に宿しているように、僕はこの身体に鬼を宿している。
その力を、少しだけ借りる。
「ーーっっ!」
左手が疼く。
指先から正体不明の見えない何かが登ってくるような、左手が自分のものでは無くなってしまうような感覚が走る。
チョークの白い線がインクを垂らした紙のように、じわじわと黒く、どこまでも黒く滲んでいく。
それは自分の肌にどんどんと染み込んで、自分と一つになっていく。
やがて左腕を、膝の先から手首までの全てを黒く染め上げ、失いそうになった感覚は僕の神経と同期し、そして一つに溶け合っていく。
「ーー行くぞ、ボウズーー」
「久しぶりだからって力加減間違えるなよ……!」
これは、鬼の腕。
この日本において辛いから語り継がれてきた、伝承の中の伝承。
悪の中の悪。
禍々しいほどの魔力と暴力を帯びた、力という概念を形にしたような、圧倒的な破壊の塊だ。
左手を床にべたりと着け、禍々しく尖った指先をザクリと床に食い込ませる。
しっかりとグリップしたのを確認し、その場で全身を引っ張るように踏み切る。
瞬間、足と左手が接していた床板はめくれ上がり、暗闇と風を切り裂き、轟音をその場に残して僕をその場から消し去ってしまう。
跳んだ先はホールの入り口。
歩くとあれだけ長く感じた廊下が、この力があればものの一歩で飛び越えられてしまう。
「ーーっとと!」
勢い余って着地に失敗しそうになったが、左手の爪をホールの床に突き立てる事で床をボロボロに引き裂きながらも何とか止まるには止まれた。
久々にやると中々力加減というものが難しいものだ。
「危なかったな……、って」
しかし、勢いを殺して何とか身体が停止したのは、ゴーレムとみそらが殴り合いをする、すぐ目の前だった。
「ようやく来たか役立たず!ーーっぶねっ!」
殴り合い、というより彼女はゴーレムの大振りの攻撃を避けつつ、その合間に隙を見て炎を纏った拳で一撃、また一撃と食らわせるヒットアンドアウェイを繰り返していた。
そりゃそうだ、土くれなんて言うもんだから大したことないと思っていたゴーレムは、ホールの高さの半分ほどはある身長に、馬鹿でかい横幅まで兼ね備えたバケモノ級のサイズを誇っていたのだから。
こんなののパンチを一撃でももらってしまったら、彼女は確実に木っ端微塵、消し飛んでしまうだろう。
…………………。
………………んっ?
「……えっ?ちょっと……、こいつ、デカすぎね?」
僕が昼に見たのとは姿形は勿論、最早人型ですら無いバケモノそのものだった。
いくらあの時は意識が朦朧としていたとは言っても、流石に記憶に残っている人影とはかけ離れている。
こんなの、一般人どころか下手したら僕達だって危うい類の危険性を感じるじゃないか。
「昼は……っ!こんなに……っ!デカく……っ!ーーうぉっ!?無かった……っ!んだけど……なっ、オラァ!!!」
みそらが闘いながら説明を挟んでくれる。
そんなに大変そうに言うくらいなら、一旦下がってから説明すればいいのに、なんて思ったのは秘密だ。
「ーーってか、テメェいつまでそこにボサッと突っ立ってんだよ!早くコイツの相手代わってアタシを休ませろや!」
……ここでちょっとしたイタズラを思いつく。
「え?何て?」
「ぐおっ!ーーテメェ!聞こえないふりしてんじゃねぇ!」
「いやいや、だってみそらさん、『アタシ達からしたらそんな強い奴でもない』って言ってたじゃないっすかー」
アイツは死んでも生き返るしな。
抜け駆けしたバツだ、ちょっとくらい痛い目見せた方が良いだろう、うん。
「ハル、オメェ、マジ許さねぇからな!てか、何で、このデカブツアタシばっかり狙うんだよ!ーーあっ」
「あっ」
みそらが足を滑らせて体制を崩した。
当たり前だが、ここは整備もろくにされていない旧校舎だ。
ゴミや埃の塊なんてそこら中に落ちているのだ。
ゴーレムがチャンスとばかりに彼女の身長よりも遥かに大きな腕を振りかぶり、鉄槌を振り下ろす。
そして、ホールに鳴り響く破壊音。
あっという間に叩きつけられた厳つい岩の塊は床板の木片を撒き散らしてホールに風穴を開け、床下の地面を露わにする。
しかし、そこに彼女の残骸の一つはおろか、血の一滴も残ってはいなかった。
「危なかったー……」
僕の飛び込みが間一髪間に合い、何とか彼女を救う事に成功した。
流石に僕のせいで彼女が死ぬのはバツが悪い。
「……助かった」
「これでチャラだろ?」
「……知らね。てか、テメェがサボったせいだろ!自業自得だ!」
腕に抱えた彼女をその場に下ろし、ゴーレムと向かい合う。
「ーーーーーー」
「………………おぅ」
こう、正面から向かい合うと想像の何倍も迫力というか、圧迫感があるものだ。
土とか岩っていうより、小さな山そのものが目の前に立ち塞がっている感覚。
緊張感から、手のひらが汗で湿る。
よくみそらは一人でこんなのの相手をしていたものだ。
「そもそも、こういう硬い奴ってみそらは苦手なタイプだったろ」
「このホールごと燃やして良いなら話も違ったんだけどな」
「それは流石に僕も困るから……」
「ってかあのヤロー!アタシの夢のアリーナに風穴開けやがって!ハル、お前とオッサンの馬鹿力であのデカブツぶっ飛ばしてやれ!」
「……よし。それじゃあ、久々に全力で行ってみるか」
僕は構える。
さっき玄関ホールでやったのと同じ格好で。
ゴーレムが再び腕を振りかぶり、これまで以上に力を溜める。
きっと、こいつも次の一撃で二人まとめて消し飛ばすつもりなのだろう。
あそこまで魔力とエネルギーの篭った拳、僕達が避けたとしてもこのホールの半壊は免れないはずだ。
このバケモノは召喚の枷として、このホール内での活動を制限されていると見ていい。
もし次の攻撃を撃たせてしまうとその枷が解かれてしまい、どれ程の被害が出てしまうだろうか。
つまり、こいつは今、この瞬間で仕留めてしまう以外に僕達にこの仕事を成功させる手立てはない。
なら、やるしかない。
僕は構えたまま集中力を高め、神経を尖らせる。
足に筋力を、左手に魔力を集めて、仕留めきるための牙を研ぐ。
その瞬間を、じっと待つ。
「懺鬼、……鬼迅で行くよ」
「ーー久々で飛ばすなって言っておいてお前が飛ばしてるんじゃ訳ねぇなぁ。まぁいい、外すんじゃねぇぞーー」
「そこまで鈍ってないよ、一撃で決める……!」
狙うは、その巨体の中心。
召喚術式の中心にある魔力の核、人間の心臓にあたるその部位だけに照準を定めて、決して眼を離さない。
床に食い込み、抉れた三本の指の跡が深く、鋭くなっていく。
全身の筋肉が膨れ上がり、緊迫はただその時を渇望する。
マスターピースは一つの魔法の集大成であり、究極の完成形。
使い手にとって、その魔法が最も効率的かつ最大最高の効果を発揮できるよう、研究と、鍛錬と、そして試行錯誤を繰り返した先にのみ存在する極みの秘術。
己が文字通り『傑作』として扱う魔法のみ、その名で呼ぶ事が許される奥義。
「ーー《鬼迅》 魂喰らい」