正義の資質 その1
【大日本魔術学園 F棟 地下1階 望月・L・オボロゼミ室】
【安部晴明】
『獄門』との接触から3日。
あれから、男についての情報は何も無い。
それどころか、これといった事件も無く、平和な日々が続いている。
平和な日々が続いている。
世間的には。
「はぁぁぁぁ……」
ところが、ゼミ室はここ数日は平和とは言い難い、殺伐とした空気が漂っていた。
原因は僕とみそらの二人だ。
事後処理、魔警への報告書作成、対面での事情報告などなど。
息つく暇もない程忙しい毎日。
忙殺されるとはこの事か、なんて実感した事すら遠い昔の記憶に思えて来る位、ゴールの見えない長い地獄を歩かされて来た。
まぁ、仕方ない事ではある。
一年に一度有るか無いかのXXXクラスの事件だ。
『獄門』による惨殺事件は連日ワイドショーや新聞に取り上げられ、今や巷の一大ニュースになってしまっている。
誰もが知っている案件になってしまったという事は、誰の目に付くかも分からないという事。
そうなってくると、普段の適当な事後処理では済まされないのだ。
たかが紙切れ一枚の報告者ですら出来るだけ丁寧な言葉遣い、書式に正確に合わせた文面で書き上げなければならない。
それを、期限内に何十枚もこなすのだ。
仮眠どころか、休憩する暇すらない時間との勝負。
必然的に心はみるみるうちに腐っていってしまう。
いつだかみそらが呟いた、「不死身でこんな事繰り返す位なら死んだ方がマシだぜ」という言葉は非常に印象深く残っている。
それからもしばらく経って。
日を跨いで。
少し前に彼女が先にやる事を終わらせて死んだ目で帰ってから、僕は一人、居残りで報告書の作成に取り組んでいる。
3日目にしてようやく終わりが見えてきて、少しだけ希望を取り戻しつつあった時だった。
ガチャリ、とゼミ室のドアが開く。
見ると、そこに居たのは意外な人だった。
「お疲れ、安部」
「日高先輩じゃないですか、お疲れ様です」
日高先輩。
ここオボロゼミのゼミ長、つまり、ゼミに所属する学生のトップにあたる存在だ。
ゼミでも唯一、単独での事件の調査、解決までを許されている関係から、こうやってゼミ室に寄る事はおろか、どこかでその姿を目にする事すら珍しい。
「聞いたぞ、あの『獄門』と殺り合ったんだってな」
「その後始末で今もまだ地獄を見ている所です」
「なーる、それでそんなパンダみたいなクマつけてんのか。声はしゃがれて熊みたいになって、アベコベだな!ははは!」
「笑い事じゃないですって……」
僕は日高先輩が苦手だ。
掴み所がなくて、何を腹に抱えているのか分からない。
分からないのに、常に抱えていると周りに悟らせる。
どこまでが計算で、どこまでが素なのかが読めないのは、人付き合いをしていく上ではなかなかの障害になるものだ。
でも、悪い人ではないし、そもそもそんな人だった訳でもない。
一年前、くらいからこうなっていった気がする。
その前の性格も同じようなものだったのだが、こう、具体的には説明できないけど、何かが変わったのは間違いない。
とにかく、難しい人なのだ。
「それで、先輩はこんな所に何の御用ですか?」
「こんな所とは失礼な、ここはオレの城であり、オボロゼミという家族の家なんだから、だから……」
「だから?」
「……何が言いたいか忘れちまったわ。でも、用は忘れてなかった」
うん、今日も絶好調で不思議な人だ。
本当にこの人一人で事件を任せて良いのだろうか。
飛び火してオボロ先生の信用問題にまで発展しそうな勢いだ。
「そう、今日用があったのは安部、キミにだよ」
「……へ?僕ですか?」
「それももう終わるだろう。これから待ち合わせをしているから、そこにキミも連れて行く事にしたんだよ」
「えっ、と、話しが読めないんですけど……」
「読めなくて結構。という事で、適当に時間潰してるからちゃっちゃと残り終わらせちゃって」
そう言って、ソファーに掛けて雑誌を広げる先輩。
……ゼミ室で成人向け雑誌は辞めなさいよ。
でも、ゼミ長命令なら従うしかない。
書類はあと20分程で終わるが、それでも夜には早い時間。
飲みではない?
だとしたら、何だろうか。
ドラマで観た政治家みたいに、本当に堅苦しい座敷のお店で密談、のような展開になるんだろうか。
これ以上考えても答えは出ないし、そもそもそんな余裕がもう僕の脳には残されていないので、とりあえず目の前の書類をひたすら埋める作業に手を戻した。