表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/17

闇に溶ける匂い その7

【金閣町駅前通り 外れ ゴールデンロード】

安部晴明(あべはるあき)


 勝負は、時計の秒針が文字盤を一周する間に全てが決着した。



 変化はすぐに訪れた。


「「ーーッ!!」」


 僕とみそらはそれに同時に気付く。

 初めは、ただの違和感。

 けれど、はっきりと、確実に。


獄門(ごくもん)』の輪郭が少しずつ滲み始めた。


 ぼんやりと。

 じんわりと。


 それは、まるで僕の鬼の腕のように。

 滲む輪郭はだんだんと背景と同化していき、やがて完全に闇へとその姿を黒色に溶かしてしまった。


「ーー()()()()()()()()()ーー」

「ああ……」


 攻撃が始まるまでもない。

 僕達は『獄門』のマスターピースの正体を理解する。


 男のマスターピース、それは、その獲物の刃と同じく、姿の見えない「不可視」の攻撃。

 いつ、どこから襲ってくるかも分からない、必殺の魔術。


 前兆だけで読めてしまう程、これ以上無くシンプルな魔術。

 そう。

 至ってシンプルだからこそ、対策のしようが無い。


 故に、必殺。


 だらだらと、首から鮮血を流し続けるみそらは、それを目の当たりにしても、もうじき自分にその毒牙にかけられると分かっていても動けない。


 いや、()()()()


 彼女が取れる選択肢はいくつかある。

 マスターピースを用いて、真っ向から力で対抗する。

 一点読みで火炎の壁を貼る事に魔力を注いで、抵抗する。

 全力でもといた道を走り抜けて距離を取る。


「ケッ……!」


 でも、彼女はそのどれもを選ばなかった。


 彼女はそれらの選択肢を全て放棄するという、何もしない事を選んだ。

 いや、正確には、その場で回避する事を選んだ。


 読めない攻撃を、見てから避ける。

 それは、「不可視」の刃に対する、一番可能性の低い選択肢。


 でも。

 僕には、なぜその選択をしたのかが分かる。

 残る魔力、体力を総合的に鑑みて、先程の選択肢は愚策だと結論付けたのも勿論あるだろう。

 しかし、それはあくまで後付けの理屈でしかない。


 彼女が回避を選んだ理由。

 とびきりリスクの高い選択肢を取った理由。


 それは、()()()だ。


 彼女が判断したのは、恐らく男のマスターピースが、ある種の「分からん殺し」だと理解した時点。

 その身で直撃を受け、見切り、躱す事によって、「不可視」の刃を「可視」の刃に変え、僕に対抗策を遺そうと考えたのだ。


 きっと、自分が死ぬ事を分かった上で。

 受け入れた上で。


 この後に残される僕に、少しでも可能性を遺す為に。


 暗闇、そして、燃えるみそらが一人。

 気付けば、風は止んでいた。


 ひと時の静寂。


 光も、音も、匂いも、何も感じられない空間が広がる。

 張り詰めた空気がどこまでも冷たくなっていくような感覚がして、指先からゆっくりと凍っていくイメージを見せられているようだ。


 神経は研ぎ澄まされ、いつか訪れるその一瞬に備えて筋肉を緊張させる。


 ふぅ、とみそらが一つ息を吐く音が聞こえてくる。

 肺を空にして、少しでも動きを軽くしているかのような、重たい一息。


 そして、彼女は目を瞑る。


 視覚は必要ない。

 必要なのは、触覚。

 それと、聴覚。


 燃えたぎる手の炎も、少しずつ小さくなっていく。

 少しでも多くの魔力、体力を躱す事に費やす為に。


 光源がなくなって、闇は更に深まっていく。


 ゆっくりと。

 ゆっくりと。


 その様は、まるで彼女の命の灯が小さくなっているような、そんな風に見えてしまう。


 彼女に死んで欲しくない気持ちがいくら強くても、闇が深くなるにつれて、どうしてもこの先に待ち受ける彼女の運命が、最悪の結末が、頭をよぎってしまう。

 想像してしまう。


 眼を背けたい。

 このまま見届けるのは、見守るだけというのは、あまりにも酷な事だと、今更ながら気付かされる。


 そんな葛藤を頭の中で繰り返し。

 火が限りなく小さくなり、彼女の姿が見えなくなってしまう寸前までに黒が濃くなった時。


 その瞬間は訪れた。


「ッ!?」


 突然。

 みそらの左足が何かに払われたように、素早く後ろに払われる。


 あまりにも静かな始まり。

 僕は何が起こったのかが理解が出来ない。


 狙われたのは、足首だった。

 一文字の傷口から血が滲み出るが、その傷は浅いようだ。


 片方の重心を失い、体制が崩れる彼女。


 しかし、男の攻撃はまだ始まったばかりだった。

 二撃目、今度は右足が払われる。


 いや、違う。

 彼女が右足を思いっきり後ろに払う。


 僕はここにきて、ようやく男が何をしているのかを確認できた。


 最初の予想通り、足首を狙っていたのは、「不可視」の攻撃。


 いや、正確には視えてはいた。


 先ほどまでは見えなかった鎌の刃が、彼女の足を刈り取ろうと振られるのが視える。

 このマスターピースと先ほどまでの鎌の刃先を隠す魔術は同時に掛けられない物なのだろうか。

 ともかく、視覚が使える事はみそらにとっては大きな意味を持つ。

 単純に情報としてのアドバンテージが一つ増えるのだ、回避という選択に絞った彼女にはそれだけでも難度は下がる。


 しかし、それは一般的な話。

 このマスターピースは視えるという欠点の代わりに、より殺傷能力に特化した性質を備えている。

 まず、視えるのは彼女の肌に触れたその瞬間からであり、それまでは姿はおろか、音も匂いもなく接近してくる。

 当たってからそれが視えた所で、さしたる欠点にはなり得ない。

 そして、より厄介な特性として圧倒的な速さを誇っている。

 最初の攻撃で気付けなかったのは、それがあまりにも早すぎたから。

 よっぽど注視しなければ気付けない程のスピードで襲って来る、婉曲した殺意の一枚刃。


 尚且つ、認識した時には既にそれは身体に食い込んでいて、少しでも反応が遅れればそこから先を失ってしまう、綱渡りのような攻防。


「不可視」というより、「不可避」の攻撃を避け続けるという無理難題に彼女は挑んでいる。


 幸い、彼女は右足首も左足首と同じく浅い傷で避け切っていた。

 きっと、ゼミでこんな芸当ができるのは彼女だけだ。

 でもそれは、それだけの技量と、才能と、経験があっても無傷では避けられなかったという事。

 歯車が一つでもズレてしまったら、ドミノ倒しのようにすべてが崩れ去ってしまうのは目に見えている。

 そして、既に歯車のズレはもう始まっていた。


 両足が払われた彼女の身体は、今や地面に接触していない。

 宙に放り出された状態でいつまで続くかも分からないそれだけの攻撃を避けるのは、難易度が更に跳ね上がる。


 前のめりに倒れゆく彼女を襲う、三度目の刃。

 今度は右手首を外側から刈り取りに来る。


 右手を全力で引き、身体に巻き付けるようにしていなす。

 勢いのまま身体を回転させ、いつしか来ていた四枚目の刃を躱してしまう。


 上手い。

 この絶体絶命の状況での機転の利く判断、流石どころか、想像以上だ。


 彼女は成長していた。

 この一年ちょっとのゼミ活動で、見違えるほど。

 相方の僕でも気が付かなかった。

 彼女なら出来るのではないかと思わせる程、あの『獄門』と互角に渡り合えている。


 回転の勢いを利用して、身体を捻ったまま左手を一度地面に着ける。

 そのまま体制を立て直すのも、もう一度宙に身体を浮かす勢いをつけるのも自由だ。


 しかし、そう上手くは行かせてはくれなかった。


 左手が地面に着いた瞬間、既に5枚目の刃がそこにあった。

 男はそれを読んでいた。


「チィッ!?」


 手首に食い込む狂気の刃。

 咄嗟に手を引くが、回転の勢いと読まれていた事もあって、刃はその手首の半分まで切り込んでいた。


 今までで一番深い傷。

 プシュッと霧吹きのように血が吹き出し、傷口から先が一瞬にして赤黒く染まって行く。

 戦闘が始まってから初めてといえるダメージの大きいそれに、彼女の顔が苦痛に歪む。


 問題はそれだけではない。

 手を引くしか選択肢が無かった為に、中途半端に浮いてしまった、浮かされてしまった身体。

 回転の勢いも失い、次の攻撃に備える余裕は殆ど無い。


 そして襲い来る6度目の攻撃。


「マズい……!」


 考えなかった訳ではない。

 いつかは来ると分かっていた。

 でも、このタイミングだけは避けたかった。


 次に避けなければいけないのは、喉元からの首を狙った振り下ろし。

 絶対に失敗を許されない、本当の意味での命を刈る一撃。


 血の気の引くような緊張感が走る。

 彼女の行動はもちろん、それをどのタイミングで取り始めるか、正解の選択肢は限られている。


 祈る。

 僕にはそれしかできない。

 ここにきて針の穴を通すような繊細な作業が求められるのは、どれだけ過酷な事だろうか、それは彼女にしか分からない。


 その隙間、およそ指の腹一つ分。

 迫る選択の刻。

 世界がスローモーションで進んでいるように錯覚するような、決定的な瞬間


 みそらの選択は。


「う……グ……ギ……」


 喉から漏れる呻き声。

 冷たい金属が彼女の肌に触れる。

 削られた薄皮からじわりと血が滲む。


 でも、それだけ。


「よし……よし……!」


 刃は彼女の反らした首を撫でるように。

 そのカーブをなぞるように、ゆっくりと空を切っていく。


 土壇場で引いた頭の重さにそって、全身が弓を引くように半月型を描く。


 間に合った。

 その必殺の一撃を、彼女は躱したのだ。


 希望が見えてくる。

 この一瞬を、本当に命が懸けられた攻防を制した事は、それ以上の価値がある。

 ここを取られなければ、男が彼女に決め手となる一手を打つ事は厳しくなる、そんな予感さえする程に。

 それ程の大きな意味を持った局面だった。


 首の中頃、男の喉仏のある辺りを刃が通り過ぎ、それを確信する。

 頭がゆっくりと重力に惹かれるように、下へ下へと落ちて行く。


 刃は目の前にまだ残っている。

 追撃にはそれなりに時間が掛かるはずだ。

 あとはそのまま流れに沿って、慎重に受け身を取るだけだ。


 その、はずだった。


「ーー()()()()()ーー」


 懺鬼が呟く。

 最初は、それがみそらの勝ちを意味するものかと思われた。


 しかし、違う。


 彼女の頭が空中で止まる。

 その場で、何かに支えられるように。


 首元から滴る一滴の血液の珠。

 喉元から垂れたものでは無い。

 新鮮な、血の一雫。


 それは、首の背中側から。


「あ……」


 気付く。

 彼女の首の後ろから支える、もう一枚の絶命の刃に。

 男のマスターピースが、一振りの「不可視」の鎌の攻撃では無く、()()()()()()()()()()()だという事に。


 そして、気付いた時にはもう遅い。


 必殺の二枚刃は、まるで宙に浮く断頭台のように無慈悲に振り下ろされていく。


 勝負は決した。


「ーーチクショ」


 顎に掛かった上の刃が、そのままの勢いで一思いにみそらの柔肌を断ち切る。


 皮も、肉も、骨も。


 やがて、刃がすれ違う。


 ドサリと悲しく響く、重量のある肉塊が地面に叩きつけられる音。

 5キロ程軽くなった、彼女の身体が堕ちる音。



 それは、見る者に彼女の敗北をはっきりと理解させる冷たいゴングの音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ