第0話 どうやら人生が詰んだようです
黒髪の長髪。少しだけ釣り上がった目。
かなりの美人だが、それを台無しにしてしまうような、上下鼠色のスウェットを着た少女が、大画面の液晶モニターの前で、胡坐をかいている。
大きなモニターには銀髪美女のアバターが長杖を持って、醜悪なモンスターと戦っていた。
「くらえ! ハイグレートブリザード!」
自分の操作するゲームキャラのボイスと同時に魔法詠唱する残念少女の名は西園寺可憐、17歳、現役の女子高生だ。
「ははは、経験値がうまうまですわぁ」
可憐はこんな行動を取ってはいるが、実はかなりお嬢様である。その証拠に広い室内にはこの大画面モニターを筆頭に、キングサイズのベッドやグランドピアノ、高級そうな家具なそ様々な物が置かれていた。
「それにしても、ラフィアたそ可愛いなぁ。画面から出てきておくれよ」
アバターを愛でながらそんなことを呟く少女は、かなり痛々しい。が、ここは自室だ。何をしても許される。
「うわっ、ナンパかよ」
スティックを動かしてラフィアと名づけたアバターを、下からのアングルで眺めていると、通りかかった他のプレーヤーから急に声をかけられた。
そしてその全員が男のアバターを使っている。
さらにチャット画面に流れる文字からも、リアルの男が操作していることが伺えた。
一緒にパーティを組まないかという内容で、よくあることなのだが、可憐は顔をしかめて、繋いでいたキーボードを叩いて文字を打つ。
『お断りします!』
「ゲームの中でまで男と関わりなくないもんなぁ……はぁ」
可憐は決して男が嫌いという訳じゃない。
だが、かなり苦手ではある。
理由は可憐の家庭の事情というやつなのだが、それはすぐに明らかとなるだろう。
トントン
急に扉をノックする音が室内に響くと、続いて声が投じられた。
「お嬢様、まだ起きていらっしゃいますか? 旦那様がお呼びです」
「はい……わかりました。すぐに向かいます」
可憐はかしこまった口調で、扉の向こうにいるメイドに声をかけると、コントローラーを置く。そして急いで服を着替えると、重い足取りで廊下に出た。
可憐は室内ではあんな感じではあるが、一歩外に出ると一端のお嬢様そのものだ。
ああなってしまうのは日ごろのストレスからだろう。
名家である西園寺家に生まれた可憐の生活は、
お嬢様学校での堅苦しい学校生活に、それが終わればほぼ毎日お稽古の日々。
ピアノにヴァイオリン、茶道と華道と様々なものを嗜まされてきた。だが、可憐が本当に好きな物はマンガやゲームやアニメといった庶民的なものばかり、お稽古などしたいわけでもなんでもない。
そんな趣味に走ってしまった友人と遊ぶ時間がほとんど無いのが原因だろう。
西園寺家では、父の言葉が絶対。
可憐はその父に、外で遊び歩く事を禁止されている。
三人いる兄達も逆らっているところを見たことが無い。だがら、人並みにできる遊びや趣味というのは、夜に室内で行えるものに限ってしまうのだ。
可憐はゆっくりと、リビングの扉を開く。
長いテーブルが備えられた広い室内。
そこには父と三人の兄が既に着席していた。
「座りなさい」
「はい……」
一番奥の席に腰掛ける父の斜め前に可憐は座った。
ここが可憐の席なのだ。
「おい可憐、服も髪も乱れているぞ。気をつけろ」
「申し訳ありません。お兄様……」
(ヘラヘラしてんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ!)
「目の下にくまなど、みいっともない、それでも西園寺家の長女か?」
「気をつけます。お兄様……」
(お前の豚みたいな腹の方がよっぽどみっとも無いだろうが、クソデブが!!)
次男と三男が早々に可憐をなじる。
それも可憐のストレスの原因だ。この家族に可憐の味方など一人もいない。優しかった母は数年前に他界。
黙っている長男だって、眼鏡の奥から可憐を蔑んだ目で見ていた。
(こいつら、まじで性格悪いな)
決して口には出さないが可憐は心底そう思った。こんなのは日常茶飯事であまり気にはしていないが、やはりムカツクものはムカツク。
「少し黙っていろ」
低くて威圧的な声。
その一言で、部屋の空気がピンと張り詰めた。
「可憐、お前はいま高校三年だったな?」
「……? はい、そうですが」
普段、可憐に全く興味を示さない父が、
学校の事を聞いてきたことに目を丸くする。
(え? なになに、どういうこと? もしかしてもう大人だし、門限とか無くしてくれたりするのかな? かな?)
「そうか。では半年後だ。お前は高校を卒業したらこの男と結婚しろ」
「え?」
父はそう言ってファイルのようなものを可憐に差し出した。可憐は混乱しながらも、反射的にファイルを手に取り、中の資料を読んだ。
一番目立つところに印刷された写真。
そこに写っていたのは――。
醜い蛙のような顔をした油ギッシュなおっさんだった。
年齢のところに二十九歳と書いているが、今の可憐の目にそんなものは入らない。
(人生オワタ!!)
完全に人生が詰んだと言わざるおえない状況。
「なかなか優秀な男だ。顔合わせは近いうちに行う。分かったか?」
「はい……」
だが断ることなどできない。それがこの家の掟なのだ。眼前では次男と三男がニヤニヤと笑っている。
(こいつら!? 可愛い妹が売られたっていうのにその態度はなんだよこんちくしょー!)
「彰、お前は週末にこの人とお見合いだ」
「え?」
そう言って父は三男にもファイルを手渡した。
三男の彰はファイルを開くと硬直して、テーブルに資料がパタリと落ちた。可憐はちらりとそれを盗み見る。
「「…………」」
三男の資料を見た長男と次男は、同情の視線を三男に送っていた。
(やべぇ! 腹いてぇ! お前の相手わたしのより酷いんじゃね? 化け物じゃんそれ!)
可憐は必死に笑いを堪えながら、頬をピクピクと痙攣させる。
とはいえ、可憐の人生が詰んだのには変わりない。
だんだん実感が湧いてくる、ずっしりとした現実に可憐は押しつぶされそうになった。
「話は以上だ」
父はそう言って席を立つとすぐに部屋を出ていった。
(あーあ。こんなことなら、もっと自由に生きてくればよかったな)
大学に入学すれば今よりも環境が良くなるかもしれないという淡い期待は消え去った。
恐らくこの男と結婚すれば、自由とは程遠い生活を強いられるだろう。
もしかしたら息抜きのゲームすらできなくなるかもしれない。
何もしてこなかった人生を思い返し、しみじみとそう思った可憐は、
シャンデリアが輝く高い天井を仰いだ。
(そうだ。どうせ詰んだ人生だし、その前にやりたいことを済ましておこうかな)
可憐は、投げやりながらも確かな決心を胸に宿す。
この決意が、今後の人生を大きく変える事になろうとは、可憐は知る由もなかった。
―――――
今日は日曜日、場所は駅前。
可憐の足取りは今にもスキップでもしてしまいそうなほど浮かれたものだった。
やりたいことをやってやると決意した可憐は早速、携帯で同級生の美香ちゃんに連絡を取り、今日街へ出かける約束を取り付けたのだ。
可憐は約束の十五分前。午前10時45分に駅前の噴水に到着すると、腕時計を確認しながら美香ちゃんの到着を待った。そして、午前11時ぴったりにそれらしき少女が現れる。
「可憐ちゃん……だよね?」
ふわりと風に舞う白いワンピースに同色の白いカーディガンを着た少女が、可憐に向かって話しかける。
黒目の大きな瞳と桃色の小さな口、色素の薄い茶髪がよく似合う愛らしい顔立ちは十人いれば十人が振り返るほどだろう。
まさに清楚という二文字を体現したかのような美少女に可憐の胸が高鳴った。
ほんとに可愛すぎる。天使様はここにご降臨なされたのか。
「おはよう、美香ちゃん」
「あ、ほんとに可憐ちゃんだ。雰囲気が全然違ってて気づかなかったよー」
「ああ、これね。どうかな?」
「髪型も服装もすごく似合ってるよ!」
可憐は胸の辺りまであった髪を首の辺りまでバッサリと切っていた。
服装も淑女が着るようなお淑やかなものでは無く。
スキニーのジーパンに革ジャンといった少しはっちゃけたものだ。
さすがに膨らんだ胸元は隠すことができなかったが、そこまでは求めなくてもいいだろう。なんというか、気持ちの問題だ。
「よかった。美香ちゃんもすごく似合ってるよ」
「えへへ、ありがとう」
可憐は内心でほっと胸を撫でおろした。似合っていないと言われたらどうしようとドキドキしながらこの場に来た。
それは今日のデートが――美香がそう思っているかはともかくとして――可憐にとってとても重要なものだったからだ。
可憐は父に逆らえない。
だから来年には約束通りあの男と結婚させられてしまうだろう。
だから可憐は、最後にちゃんと告白をしようと決意した。
可憐は密かに親友の美香に恋心をよせていたのだ。
やはり、完全に嫌いというわけではないが、男と恋愛するのは抵抗がある。
そんな可憐がいつも学校で優しく接してくれる美香に恋心のようなものを寄せてしまうのは仕方の無い事なのかもしれない。
そのためにできるだけ髪型と服装を男っぽくしてみたのだ。本当はもっと髪を短くすればよかったのだろうが、さすがに父に見つかるといけないのでこの程度に抑えた。
もともと目鼻立ちははっきりしていて、凛としたな顔立ちはしていたので、髪が短くなると中性的な雰囲気が出ているようだった。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
二人は軽くウィンドウショッピングをした後、イタリアンレストランで昼食を食べ、二人が好きなアニメ映画を見た。そして洋服や雑貨を見て回り、アニメイトに行ってからカフェで休憩する。
まるで、普通の女子高生がするような遊びを二人で存分に楽しんだ。
その時にはもうデートでなくてもいいとさえ思っていた。
たぶん、こういうことも卒業後はできないようになるのだろうと考えると、不意に陰鬱な気分になったが、彼女の笑顔を見るとまた元気が出る。
太陽が傾き、街がオレンジ色に染まっていく。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
可憐は今日、自分の気持ちを美香に伝えるつもりだ。
嫌われてもいい。気持ち悪がられてもいい。
そうなったらとてもショックだけれど、伝えない方がきっと辛いに違いない。
だから今日で最後にしよう。
そう心に決めていた。
この思い出があれば、もう悔いは残らない。この先の人生がどれだけ辛いことがあっても耐えて見せる。
「今日は楽しかったね」
「そうだね」
笑みを浮かべてそう言った美香に可憐は微笑み返す。
集合場所の噴水前に佇む二人。
可憐が意を決して口を開きかけたその時、二人だけの時間に割り込む無粋な男の声が耳に入った。
「美香たん……僕、僕、信じてたのに! 彼氏がいるなんて、絶対に許さないからな!」
発狂気味に叫ぶ男。
太った体躯に汗で肌に張り付いた痛んだ前髪、鼻息も荒く、目も血走っているように見える。
とにかく不潔で、やばそうな男がこっちを向いて叫んでいるのだ。
(なんでこんなタイミングで邪魔するのよ。
というかこっち見てるよねあの男。というか美香たんって、もしかして美香ちゃんの知り合い? そんなわけないよね、でもやっぱりこっち見てるし……)
可憐は隣の美香に視線を移した。美香は、真っ青な顔をしてぷるぷると震えている。可憐は美香ちゃんの耳元で質問した。
「大丈夫?」
大丈夫じゃないのはわかりきっているが、そう訊くしかなかった。他にかける言葉が思いつかなかったのだ。
「美香たんから離れろ! 汚い手で僕の天使に触るな!!」
(ちょっとイラっとしたな今のは、というか僕の天使だって、天使なのには同意するけど僕のっていうのは聞き捨てならないな)
「あの人……ストーカー……」
「え?」
すがりつくように可憐の腕にしがみつく美香を後ろに隠す。
(あいつ、美香ちゃんをストーカーしてるのか許すまじ。美香ちゃんは私が全身全霊で守ってやる)
「美香たん、なんで僕を裏切ったの? 僕だけの天使だったのに、許さない絶対に許さないからなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
唾を飛ばしながら喚いた男がポケットからナイフを取り出し、こちらに向かって突進してくる。
やばい、あのストーカー男突進してきた。
しかもあいつ、美香ちゃんの事しか目に入ってないぞ。
「美香ちゃん、ごめん!」
可憐が美香を横へ突き飛ばす。美香に怪我を負わせてしまうかもしれないのは心苦しかった。でも許してほしい。
そして、さっきまで美香の立っっていた場所に突っ込んできたストーカー男の持つナイフが、嫌な音を立てて何かに突き刺さった。
「うっ……」
腹部に走る鋭い痛み、続いて生ぬるい感触が足を伝って地面に流れていく。可憐の腹部には包丁が深々と刺さっていた。
「か、可憐ちゃん!!」
その場に崩れ落ちた可憐に駆け寄った美香は擦り傷ひとつなかった。そのことに可憐はほっと一安心する。
(傷物になってたら自分が許せないからね)
ストーカー男は、正義感の強い通行人に取り押さえられ、地面で喚き散らしている。これなら再び美香が襲われる心配は無いだろう。
「無事でよかった……」
「可憐ちゃんそんな……血が、救急車呼ばなくちゃ!」
可憐はスマホを取り出した美香の手を血の付いた手で握った。辺りにはもう人騒ぎを聞きつけた人が集まってきている。
たぶんもう救急車も誰かが呼んでくれているだろう。そんなことより今は、美香と一秒でも長く話す時間が欲しかった。
傷口から溢れ出す血が止まらない。たぶんこれは助からないだろうと可憐は直観でわかっていた。
「美香ちゃん、私、美香ちゃんのこと大好きなんだ」
「私も、私も可憐ちゃんの事大好きだよ。だからね。今はそんな事言わないで!」
可憐の頬に美香の瞳からあふれ出た涙がぽたぽたと落ちる。
「あはは、そういう意味じゃ……ないんだよ? でも……伝えられて、良かった……もう悔いは、無い……かな」
可憐の気分は不思議と明るかった。たぶん、最期に自分のやりたいことを突き通せたからだろう。
自分の思うまま、欲望のままに行動する事がこれほど心地の良いことだと可憐は初めて知った。
(もし、生まれ変わることができるなら……今度は最初からもっと自由に生きてみたいな)
最後に淡く微笑むと可憐はゆっくりと瞼を下ろし、そのまま意識を手放した。