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 明るい声だった。

 それは大勢の猫の声を押さえて、洞窟内に響き渡る。

 何事かと振り返ると、金の目をした細身の黒猫が、こちらへと向かってくるところだった。

『シャムル!』

 猫達が一斉にその者の名を呼んだ。カリンの体が微かに震えた。けれど陽太の肩に顔を埋めたまま、その姿を確かめようとはしない。

 その猫は堂々とした足取りで、猫達の間をぬって村長の前に進み出た。

「シャムルだ。英雄が帰って来たぞ!」

「今までどうしていたんだ。随分長い間、留守にしていたな」

「おかえり、シャムル。寂しかったよ!」

 あちこちから、興奮気味の声がかかる。

 シャムルは周りをぐるりと見回し、素早く臨戦態勢に入ったガイアードに軽く尻尾を揺らしてから、皆が良く見えるように後ろ足で立ち上がった。そして、

「皆々様、お久しぶり。村に戻ったら、猫の子一匹いないから驚いた。皆して私を驚かせようとしているのかな、なんて呑気に考えてたら、面白いことが起こっているようで、別の意味でびっくりしたよ」

 快活なハスキーボイス。その声は、どう聞いても女性だ。

 そうだ。猫の子育ては母親がして、父親はどこかに消えてしまうものだ。カリンが親と認めるのは母親しかいない。

 英雄の性別に少々驚きつつ、陽太は成り行きを見守る。

「シャムル、今までどこに行っていたんだ。お前がいればガイアードがその、サラード・ランの時のようにできるんじゃないかと」

 村長がガイアードの視線を気にしながら小声で言う。村の仲間になることを承諾したガイアードを前に、追い出す、という単語は使えなかったのだろう。

 陽太の肩に顔をうずめたカリンを、シャムルがちらりと見た気がした。しかし英雄はすぐに軽く笑って、村長に答える。

「私は、そのサラード・ランを追いかけて旅をしていたんです」

「何のために?」

「空を雲で覆うなんて馬鹿げたことをやったあいつに、百叩きを食らわせてやるために」

「して、そのサラード・ランは?」

 村長が問うと、シャムルはいきなり声を張り上げた。

「おい、サラード・ラン!」

 てっきり木々が繁る薄闇、洞窟の外から姿を現すものと思っていた陽太は「ヘイ、こっちだよ!」という声と共に突如、村長の横に現れた相手に度肝を抜かれた。

 本当に、瞬きをした一瞬で現れたのだ。

 猫達も、警戒心の強いガイアードも、とっさに反応が出来ずに目を丸くしている。


 サラード・ランは、見た目は二十代半ばほどの人間の男だった。

 腰まで届く長い銀髪。

 白い肌、濃い上に甘さを感じる西欧風の顔立ち。

 着ている物はいくつもの布が継ぎ合わされたマントで、手荷物はなし。

 アーミーブーツのようなごつい靴先には、何故かいくつもの花が咲いていた。

 サラード・ランは皆の注目を浴び、満足そうにうなずいている。


 この場所には、人間の姿をしている者は陽太とこの男しかいない。勝手に親近感がわく陽太だったが、猫達からは「召喚に応じなかったくせに」「消え失せろ」と怒りの囁き声が聞こえてくる。

「皆を驚かせるな、馬鹿者」

 ため息をつく黒猫に、パリコレのランウェイを歩いていそうな男は腰に手を当て、実にしょうもないことを言った。

「だって、せっかくの再登場なんだもの。少しでも派手に行きたいよね」

「派手さは頭の中だけにしろ。垂れ流すな」

「ひっ、ひどい、シャムル! 俺のこと、愛してるって言ったのに!」

 その嘆きの一言で、場の空気が一瞬にして凍りついた。

「……は? 今、なんて?」

 地の底を這うような声がした。

 その場のすべての者の代弁だっただろうが、とにかく言葉として発したのは、カリンだった。

 カリンはゆっくりと陽太の肩から顔を引きはがすと、自分の母親を睨みつけた。柔らかな尻尾が陽太の頬に強くぶつかる。

 感動の親子の再会のはずが、シャムルは明後日の方に視線をそらして、ぎこちなく尻尾を揺らした。

「久しぶり、カリン。い、今のは言葉の綾っていうかその、微妙に事実と違うっていうか」

「嫌だ、シャムル。俺の純情を弄んだの? あんなに真剣に俺達は愛を誓い合ったのに」

 黒猫の傍で体育座りをしたサラード・ランが、うっとりと微笑んでシャムルの頭を撫でようとした。

 しかし、シャムルは爪を立ててはねつけ、威嚇音を発する。

「うるさい! 私はちゃんと『愛してる』って言ってやったんだから、早く雲をどうにかしろ! そして、カリンの呪いも解け!」

 完全に怒り心頭の様子だ。

 サラード・ランは砂糖菓子に砂糖を振りかけたような笑顔で、手の甲に浮かんだ青い血(!)を舌で舐めとる。そして。

「まったく、俺の愛しの子猫ちゃんは怒りんぼうさんなんだから。まあ、シャムルって怒ってる時が一番綺麗だなって思うよ。わがままなシャムルに免じて、言うことを聞いてあげるね」

 陽太はあとずさりしたくなった。

 言葉が通じているようで、通じてない。この男は、どこか、変だ。

 周囲の微妙な雰囲気など一切気にせず、サラード・ランは軽い動作で立ち上がった。そして洞窟の外、空に向かって手を伸ばす。

 彼は何も言わなかった。

 ただ、何かを掴む動作をしただけだ。

 それなのに、その数秒後には、洞窟の外から眩しいほどの白い光が射しこんできた。

 太陽が、世界を照らしているのだ。

 同時に、猫達の姿が変わった。

 陽炎のように猫の姿がぶれたかと思うと、影は少しずつ大きくなり、人の姿になった。彼らの顔立ちはサラード・ランと同じ西欧風。ただ、彼ほどの美形はいない。太った人もいれば痩せた人もいて、年齢も老若男女様々だ。

 あの小さな体がいかにして人の体に変わるのか、陽太にはまったく論理的説明ができない。

 完全なる超常現象だが、元猫の村人達は手を取りあって喜びを爆発させている。

 どうでもいいことかもしれないが、ちゃんと衣服を身に付けていて、陽太はほっとした。どの人も、猫のときの色をベースにしたシャツやズボン、スカートを履いている。

 カリンも同様だった。じたばたと暴れるので地面へ下ろすと、白猫は人へと変貌する。

 肩で切り揃えられた白い髪。滑らかな頬。白いシャツに濃い茶色のスカート。伏せた長い睫毛も白く、ふっと見上げた目の色だけは、見慣れたエメラルド色をしていた。

 釣り目の美少女。アニメでも芸能人でも、こんな美人は見たことがない。

 しかし、密かな陽太の感動はそっちのけで、カリンは英雄の方へ視線を向けた。

「シャムル……」

 グラマラスな大人の美女になったシャムルは、黒髪をかき上げて微笑んだ。

「こんなふざけた男と一緒になる気はなかったが……太陽と娘の毛皮を人質に取られたら、図太い私もさすがに罪悪感で昼寝が出来ない。こいつを探し出して、番いになってやるって約束したのさ」

 上機嫌のサラード・ランは満面の笑みでシャムルに近づくと、その腰を抱いた。

「気の強い君は大好きだけど、あまり強情すぎるのは嫌だな。ここに着くまでろくな会話もできなかったし、しばらくは俺の好みを覚えてもらうためにも、一緒に檻の中に入って寝食を共にしようね?」

「な? ぞっとするだろ?」

 茶目っ気たっぷりに笑うシャムルだが、その金色の目は笑っていない。キスしようとするサラード・ランの顔を鷲掴みにして、なんとかその唇から逃げている。

 なるほど。

 サラード・ランが嫌われるのも理解できる。

 彼は他人の気持ちなど忖度しないのだ。自分の気持ちが一番大事。そして強大な力を持つが故に誰にも彼の暴挙を止められない。ある意味不幸な男だが、陽太は同情してやるつもりはない。

「……シャムルは、いつだって好き勝手して、人の話は聞いてなくて……自由だったのに」

 シャムルはサラード・ランの抱擁から無理やり逃れると、涙声のカリンの頬を撫でた。

「皆には私の意思ひとつで、申し訳ない事をした。自分の不始末の責任は取るよ。こいつを探すのに一年もかかっちゃったけど」

「シャムル……」

「辛気臭い顔するな。あんたの親としては失格かもしれないが、世界に再び太陽をもたらしたんだ。英雄らしいだろ?」

 冗談ぽく、片目を瞑ってシャムルが言う。

 強い女性だ。度胸と覚悟を体現している。

 それでも俯くカリンの髪を、シャムルがぐしゃぐしゃとかきまぜた。ぼさぼさ頭で文句を言うカリンは、目を潤ませて、必死に心の動揺を抑えつけている。

 まったく、この親子は良く似ている。

 自分が犠牲になって我慢すれば、すべてが丸く収まると思っているのだから。

 

 陽太はシャムルに熱烈な視線を向けているサラード・ランを意識しながら、前に進み出た。

 どうすれば、カリンが幸せになる結末になるのか、頭をフル回転させながら。

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