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 時折、無言で振り返るガイアードの後ろをついて歩くこと約四十分。

 息を荒げて山道を登ると、行きついた先には岩でできた洞窟があった。洞窟はL字型に曲がっていて、入口から五メートルほど先の、折れ曲がった奥の様子はうかがえない。

 後ろを見ると、オルゾン村を見渡すことができた。丘の上に作られた村は、思ったよりも規模が大きい。それにしても、目と鼻の先に危険な獣がいたものだ。

 洞窟へ行きつくまでの道のりは、短いながらも険しかった。整備された道がないのは当然だが、起伏にとんだ岩場と急斜面ばかり。濡れた落ち葉に足を取られ、躓くこと数回。小さな擦り傷はともかく、大きな怪我がなかったのは幸いだった。自分から喰われに行くのに、泥だらけになるのは理不尽のような気もするが。

 洞窟の天井を見上げ、荒い息を整えていた陽太に、「入れ」と重々しい声がかかる。

 この洞窟に入ってしまえば、もう逃げられない。

 足が止まる陽太を黒い獣は黙って待つ。

 そこにはやはり、違和感がある。


 陽太は勇気を振り絞って口を開いた。

「何故、僕をすぐに食べないんですか」

 陽太の様子をじっと見つめていたガイアードは、初めて地面に腰を落とした。

「お前には話し相手になってもらう」

 しかし、ガイアードの話を最後まで聞くことはできなかった。

「あなた、そんなところでどうしたの」

 声のした方を見ると、洞窟の奥からゆっくりとした足取りでガイアードが近づいてくるところだった。

 そういえば、カリンは「住みついたのはガイアードの番い」だと言っていた。巣に二頭目がいるのは、予想してしかるべきことだ。

 一頭でも逃げ出せる可能性が低いのに、この状況は最悪だ。

「まあ、食べ物を取って来てくれたの。ご飯にしましょう。子供達は空腹よ」

 完全に、陽太を食べ物としか認識していない。おまけに子供。これから更に、牙の生えた大型獣が増えるのか。逃げるどころの話じゃないと、陽太は顔を引きつらせる。

「……すぐに行く」

 雄のガイアードは一回り体の小さい雌を振り返り、のっそりと立ち上がった。陽太はどうすればいいのかわからずに立ち尽くす。雌はさっさと洞窟の奥へと戻ろうとした。

 その時だった。

「ちょっと待った! ヒナタ、無事?」

 洞窟に怒鳴り声が反響した。

 陽太は飛び込んできた白い塊を呆然と見つめる。

 息を弾ませるその猫は、緑の眼と白い毛皮の持ち主。その後ろにはおびただしい数の猫が、茂みや岩のくぼみからこちらを見つめている。

 カリンと目が合って、陽太は心臓が壊れたのかと思った。そして声にならない声で叫ぶ。

 助けに来るの、早いな! ありがとう!



 突如現れた猫の集団に、雌のガイアードは敵愾心をむき出しにして警戒した。

 上半身を低くし、今にも飛びかかりそうな体勢で、自分より何倍も小さな猫を威嚇する。

「お前達、何をしに来たの。まさか私の子供を、連れ去りに来たの……!」

 大きな二本の牙を見せつける、その迫力ある姿に、カリンが後ずさった。一方、陽太はさっきまで感じていた恐怖が霧散していた。カリンは本当に助けに来てくれた。その事実だけで、他はどうでもいい気分だ。

 陽太は硬直したカリンを急いで抱き上げ、壁際に移動させる。それを援護するように、後ろの猫達からは怒りの声が聞こえてきた。

「私達の仲間は連れ去って喰い殺したくせに」

「自分の子供は攫われたら嫌なのか」

「勝手な獣め!」

 そうだ、そうだと湧き出る声は、どの猫が発したものか、特定するのは難しい。

 ガイアードの雌は、苛立ったように吠えた。そして、見せつけるように歯をがちがちと鳴らす。巨大な二本の牙は、雄のガイアードよりは細いが猫の腕よりははるかに太い。鋭い爪が岩の地面に傷をつける。

 怯む空気が濃厚になる中、不意に誰かが戸惑いの声を上げた。

「あれ、メドか……? あ、グラナ! ウィウィ! キッカラン!」

「本当だ、あいつらだ、生きてるぞ!」

 ざわめき、歓喜の声を上げる猫達の声に、雌のガイアードははっと後ろを振り返った。

 洞窟の奥、L字の角から入口に向けて顔を出す者がいる。

 黒い色をした四匹の猫だ。

「あなた達、危ないから奥に行ってなさい!」

 雌のガイアードが叫ぶ。しかしふらふらと這い出てきた猫達は言うことを聞かなかった。

「村の、仲間の、声がしたから」

「皆、助けに来てくれたんだな……俺達、忘れられて、なかったんだなあ」

 歓喜に満ちた涙声。

 洞窟の奥から響くその声を聞いて、茂みに隠れていた猫達が一斉に飛び出す。洞窟の入り口に押しかけた猫の数は、ゆうに二百匹は超えていた。

「うちに入るなら殺すわよ!」

 ガイアードの雌が吠える。大きな牙が地面を擦った。だが、猫達は怯まなかった。

「お前達に喰われたと思っていた仲間が生きてたんだ! 仲間を返せ!」

 猫達が一斉に、背中を丸めて威嚇音を出す。

「子を食べる親がどこにいますか!」

 ガイアードの雌はアイスブルーの目をぎらつかせて、猫達を睨みつけた。

 話がかみ合わない。しかし、興奮した雌は長い尻尾を激しく岩の床に打ちつけ、話が出来る様子ではない。

 猫達は力づくではガイアードを突破することが出来ず、また、沈黙している雄が横から襲ってくる可能性を考え、踏み込めずにいる。

「ヒナタ、無事? 怪我してない?」

 壁際に張り付いた陽太は、腕の中へ視線を向けた。さっきまで硬直していたカリンが、陽太の異常を見つけようとするかのように、くんくんと匂いを嗅いでいる。

「大丈夫。助けに来てくれて、ありがとう」

 陽太はカリンを床に下ろし、頭を撫でた。

 柔らかく、温かな毛の感触。生きているからこそ、感じる温かさだ。

 猫がたくさん現れたからといって無事に帰れるかどうかはわからないが、とにかく味方がいる心強さに、陽太はほっと息を吐く。

 カリンは陽太の手にぐりぐりと頭を押し付けた後、慌てたように顔を上げた。

「いつまでも村の近くにガイアードがいたら困るもの。あいつらを追い出すいい機会よ。あんたのことは、た、たまたまなんだから」

 陽太は吐息で笑った。この優しい猫に、どうすれば報いてあげられるだろう。

「落ち着け、お前達」

 硬直する空気の中、しゃがれた声がした。

 声の主を探ると、でっぷりと太った灰色の猫が猫達を制するように前に進み出た。洞窟内に「村長」「村長だ」という声が響く。

 灰色猫はゆっくりと、黙ったままの雄のガイアードの前に立った。そして、「ガイアードの旦那」と相手を見上げる。

 尻尾の毛が逆立ってはいるが、興奮の色はない。この村に召喚され、人違いだとわかった陽太に謝罪した時もそうだったが、重要な場面で他人任せにしないのは、リーダーとしては良い猫なのではないか。

 陽太はちらりとカリンを見下ろす。カリンは村長をみつめたまま、鼻の頭に小さな皺を寄せていた。

「私は村の長だ。話し合いに来た。あんたの奥さん、どうしてあんなことを言っているのかね。あれはどう見ても、我らが同胞だ」

「だから!」

「まあ、待ってくれ」

 瞬時に反応した雌の言葉を遮り、村長は黒い目を眇めた。

「冷静に話し合おう。私はあんたの牙の一撃で死んでしまうか弱い生き物だが、村の猫を代表する村長でもある。理由が知りたいんだ。あんた達がこんなことをする理由が」

 村長に呼応するように、猫達が一歩前に足を踏み出す。黒い獣はぐっと詰まった。

 ふと、それまで静観していた雄のガイアードが動いた。その大きな体で妻の体を猫の視線から隠すと、静かに口を開く。

「ここに来る前、私達の本当の子は、蛇に飲まれた。五匹いたが死体もない」

 衝撃的な言葉に、その場に沈黙が落ちる。

「それ以来、妻は子供を捜して泣くようになった。猫は私達に姿が似ている。幸い、妻もあれらを子供として可愛がっている。他に話し相手が必要かと思ったが、ここで話をつけられるのなら、それで問題はない」

 感情のこもらない、淡々とした口調。それは意識してそうなっているのか、彼の本来の喋り方なのか、わからない。

「提案だ」

 ガイアードの雄は頭をぐいと上げ、視線だけで村長を見下ろした。

「食う物は与える。雨風を凌ぐ場所もある。不自由はさせない。そちらにはたくさんの猫がいるだろう。多少減っても問題はあるまい」

 そう言って、喉の奥で唸る。

 提案という名の威嚇だ。

 鋼のような身体に太い牙。彼に力で敵う者はいない。雌の威嚇など雄の本気に比べれば可愛いものだったと思い知る。

「いや、でもそんな勝手な言い分は」

 断ろうとする村長に、ガイアードは大きく前足を踏み出した。そして村長の顔を覗き込む。獣の息が村長のヒゲを揺らした。村長の腰が、思い切り引けた。

「か、可愛がっているのか……そうか、まあ、雑に扱ってないのなら、なあ」

「村長!」

 誰かが叫んだ。しかし、村長は震える体でじりじりと後ずさる。

 ガイアードの雄は太い首を巡らせて、周囲の猫の集団を睥睨した。動作は重いが、まったく隙がない。

「そ、村長~」

「家に帰りたい、家族に会いたいよ……」

 洞窟の奥からすすり泣く声が聞こえる。けれど誰も、何も、答えられない。

 雌の長い尻尾が鞭のように床を叩く。

 雄のガイアードが村長に狙いを定めて、右手を振り上げた。

 鋭く太い爪が光る。

 その手が振り下ろされる前に、村長が叫んだ。

「いい、いくらでも連れていけ! 命だけは、助けてくれっ」

 腰が抜けたのか、村長はその場にうずくまった。

 猫達は悲鳴を上げた。


 しかし、解決する術を持つ者はいなかった。


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