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 高台にあるカリンの小さな住居からは、辺りを一望することができた。右手には紺碧の海。左手には緑豊かな山が連なっている。村は小高い丘の上に段々畑のように作られているらしく、坂道が多い。建物はレンガ造りの一階建てが基本で、薄青色の壁と赤い屋根に統一されているようだ。

「この村の階段とか家とか、君達の体のサイズにあってないよね」

 石造りの階段を延々と降りながら、陽太は周囲を見回した。カリンによれば、これから市場へ向かうらしい。潮風は涼しいが、気温は高い。空は今にも雨が降り出しそうに、分厚い雲で覆われている。

 軽やかに四足で前を行くカリンは、振り返らずに答えた。

「太陽が出ないからよ」

 ……意味が分からない。陽太は重ねて質問しようとした。しかし。

「あらー、カリンちゃん。今、オグムの実を届けに行くところだったの。真っ赤に熟れて食べごろよ」

「私も。お魚、食べてちょうだい。今からお出かけ? 家の前に置いておくわね」

 角を曲がって現れた猫が、いきなり喋り出した。焦げ茶色の猫も黒猫も、果物や干物を入れたザルを背中に乗せ、器用に紐でくくっている。二匹とも声からしていいお年のご婦人だろうか。

 次の瞬間、陽太は思わず目の前の白い背中を凝視した。

「まあ、いつもありがとうございます。果物もお魚も、とてもおいしくて嬉しいです。なかなかお礼ができなくてすみません」

 カリンの柔らかな甘い声。二匹の猫は勢いよく首を振った。

「英雄の娘が何を言ってんの。シャムルが帰ったら一番に知らせてね」

「そっちの彼は異世界の? 村長も一応、ガイアードをどうにかしようって言う気はあるのね。失敗するなんてしまらないけど」

「サラード・ランを呼び出せるんなら、太陽を先にどうにかしてほしいわよね。いいようにあしらわれて終わりでしょうけど。あいつに勝てる人はいないのかしらね」

「あなた、早く元の世界に帰りたいわよね。ごめんなさいね、不自由しないといいんだけど」

「今回もカリンが面倒見てるんでしょ? 大丈夫とは思うけど、何かあったら言ってね」

 二匹しかいないのに、五匹くらいいそうな姦しさだ。ひとまず陽太は笑みを浮かべる。

 見た目、膝にも届かない猫たちだが、赤い舌をのぞかせた彼女たちの口から人間の言葉が発せられるのは、何度聞いても衝撃だ。だが、それを表に表すような愚は侵さない。郷に入っては郷に従え。

 ところどころ意味の分からない言葉が混ざっていたが、同情はありがたい。自分の現状が「可哀想」だということは、とりあえずこの村の猫達にはわかってもらえているようだ。

「ヒナタと呼んでください。僕こそ、滞在している間にできることがあれば言ってくださいね。力仕事とか」

「あっらー、いい男!」

 好感度高めの笑顔を意識して胸に手を当てると、歓声が上がった。不慣れな場所では、味方を多くつけることは自分の居場所を確保することに直結する。しかし、更に口を開くその前に、

「それでは、私達は市場に行くので、失礼しますね」

 優しげなカリンの声。気が付くと、白い背中はとっとと歩き出している。陽太は二匹の猫にお辞儀をしてカリンを追いかけた。


 しばらく行くと、家が密集しているエリアに入った。密集しているとはいっても、庭付き一戸建てばかりだ。どの家の庭も雑草がおおい繁っているせいか、荒れた印象を受ける。屋根には丸まった猫の姿がちらほら見えた。時々、道を横切る生き物の姿はすべて猫で、やはりこの世界には猫しかいないんだな、と妙にしみじみ思う。

「女ったらし……違うわね」

「何?」

 不意に立ち止まったカリンが振り返った。

「思考を持たない生き物には見えないから聞くけど、何であんた、そんなに平然としているの。怖くないの? 不安じゃないの?」

 レンガの低い塀の向こうから突き出た大木の葉が、風を受けてこすれる音がした。

 陽太は少し考えた後、白い塀に身を預けた。そして、問う。

「退屈って好き?」

 意味が分からないのか、カリンが鼻先に皺を寄せる。陽太は薄く笑った。

「僕は苦手だ。だから知らないことがいっぱいのこの世界は、不安というよりわくわくするかな」

 中学の時、隠れてアルバイトをした。海外留学もした。生徒会長にもなった。受験戦争に乗って、名門と言われる大学にも入った。

 他人から見れば順風満帆の人生だろう。

 それでも、自分はうんざりしている。

 世の中、成績と処世術以外に、何か面白いものはないのだろうか、と。

 勉強をするのは簡単で、誰かと仲良くなるのも簡単。人は自分を大切に扱ってくれる人が好きだ。だったらそれを徹底すれば、たいていの人間の懐には入れる。薄い膜を一枚隔てたような関係が、物事を円滑に進めるためには楽な距離だ。

 周りに集まる友人たちは、自然と陽太と似たような思考の仲間ばかりになってきて、誰もが何かに飢えていた。

 贅沢な感情だと、自覚はしている。

 恵まれた家に産んでくれた会社役員の両親には感謝している。中学受験を控えた弟は子供っぽいが良い奴だ。彼らに迷惑をかけるのは本意ではないから、犯罪行為に刺激を求めることはない。が、品行方正に笑っていると、心の隅にいる冷めた自分が言うのだ。『もっと楽しいことはないのかな』と。

 この世界を始めて見た時、自分の常識が通じない興奮を味わった。

 それは、何かに挑戦するときの期待感に似ていた。

 ……まあ、こんな愚痴を言っても、カリンには意味がわからないだろう。

「あんたって、変わってるのね」

 カリンはため息をついて、再び歩き始めた。陽太は肩を竦める。

「僕に言わせれば、異世界人の面倒を見てる君の方が変わってる」

「好きでやってるとでも? 押し付けられてるんですけど。そこの段差、気を付けて」

「ほら、良い猫」

 にやりと笑って崩れた階段を跨いだ陽太に、

「うっさいっ。早く来なさいよ!」

 カリンが怒鳴る。照れているのか、本気で苛ついているのか。……前者かな。

 それにしても、カリンは人気者らしい。

 市場へ向かう道々、すれ違う猫達のほとんどがカリンに挨拶するのだ。

 誰に対しても彼女は丁寧に対応し、時に明るい笑い声を上げた。皆、カリンを上品で可愛げがあり、優しい美猫と勘違いしているようだった。

 時折親しげに声をかけられる陽太は、愛想よく対応しながら猫達を観察する。

 どの猫も、喋る点を除いて日本にいる猫と変わらない。毛の長さや体の大きさはそれぞれで、色は黒や焦げ茶、濃い灰色など暗色ばかりだ。全部の猫を見たわけではないが、白い猫はカリンしかいないようだった。


 三十分ほど歩いて、ようやくカリンが足を止めた。

 魚や肉の焼ける匂い、焼き菓子のような甘い匂いが漂っている。野外市場というやつだろうか。曇天の下、露店が三十軒ほど並び、百匹ほどの猫が行き来していた。

「勝手に荷台から取って食べたら、容赦なく引っ掻くわよ。うちの村ではお金っていうものと後日交換するの。下手にトラブルを起こさないこと。あんたが食べられそうな物があったら言って」

 簡単な注意事項を述べ、勢いをつけてカリンは陽太の肩に駆け上がった。周囲のざわめきに会話が消されるからだ。

 市場を歩きながら「ほっとした」と呟くと、すかさず「何が」と返ってきた。半眼のカリンを横目で見て、陽太は微笑む。

「カリンさんは二匹いるのかと思ってたから」

「どういう意味よ」

「口汚いカリンさんは幻だったのかと。優しいのもいいけど、毒のきいてる方が面白いよ」

「喧嘩売ってんの? 倍で買うわよ」

 冗談だったのに、耳元で威嚇音を出された。

 すれ違う猫達が興味深げな視線をくれる。体格的に陽太の膝下から見上げる形なので二人の会話は聞こえないだろうが、異世界人+カリンは注目の的のようだ。

 カリンがこっそり舌打ちをして、囁く。

「どうでもいいから早く選びなさいよ、買ってあげるから。もうじき夕食の時間になるわ。いい物、なくなっちゃうわよ」

 陽太は軽く目を見張った。

「本当に買ってくれるの? あ、疑ってるわけじゃなくて、好意に甘えていいのかな」

 間違えて連れてこられたとはいえ、女の子に奢って貰うのは気が引ける。金はないけど。

 カリンは悩ましげにため息をついた。

「私はあんたの世話係だもの。……以前、やっぱり召喚術に失敗してうちに預けられた奴は、牛の血しか飲まなかったり、花粉がご馳走だったりしたの。異世界人の食べ物は色々と悟ったわ。だけど、元の世界よりも不自由させてるわけだし、食べ物だけでも好きな物食べさせてあげたいじゃない」

 だからあんたも我慢しないように、と言われ、陽太は少し感動した。

「ま、私がおねだりしたら、大抵まけてくれるんだけどね。あら、どうも」

 下々の者を見おろし尻尾を振る白猫に、陽太は女王陛下の輿になった気分だ。

「それは、君が英雄シャムルの娘だから、割引してくれるってこと?」

 村人たちの話題に上る、「シャムル」「英雄の娘」「サラード・ラン」「ガイアード」という四つの言葉。先の二つはすぐに理解したが、サラード・ランとガイアードは、迷惑者という以外今もって何か正体不明だ。

 カリンは緑色の目で陽太を睨んだ。

「可愛いからに決まってんでしょ。次に私の前で同じこと言ったら、あんたのベッド、水浸しにしてやるから」

 どうやら親との関係はタブーらしい。カリンなら本当にベッドに水をまきそうだ。陽太は大人しく自分の食料を見繕うことに決めた。

 市場の半分以上が、飲食物を扱う店らしかった。飲み物は樹液や植物の蜜、果物の絞汁ジュースやミルクなど豊富にあるが、食べ物は主に肉と魚。どちらも元の生き物が不明で、食べたいという気は起らなかった(魚は深海魚に近い見た目とぬめりがあった)。

 そして。

「ごめんね、カリン。生憎、値引きしてあげられる余裕がなくて。ガイアードのせいで全体的に品不足ってのは知ってるだろうけど」

 ようやく平焼きパンらしきものを見つけ、店主に同意を求めると、勘定台に座る黒猫に謝られた。カリンは陽太をちらりと見上げ、身を乗り出して口を開いたけれど、結局何も言わずに頷いた。大見得を切った手前、引っ込みがつかないと思ったのかもしれないが、養われる身の陽太が茶化すことではない。

 料金はツケで、後日料金の回収のため、家に店主が来るシステムらしい。陽太はパンと果物のジュースを得た。

 陽太の肩の上で、カリンは小さくため息をついた、気がした。


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