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「アホ村長。異世界人の世話を、あんたが一度でもしたことある? 毎度毎度、面倒事ばかり押し付けて。ジャンプした棚の上から落ちろ。尻尾をドアに挟め」

「……あの、全部聞こえてるけど」

 声をかけると、壁に向かってぶつぶつと呪詛を吐き散らしていた真っ白な猫が、文字通り飛び上がった。

 青いタイル張りの円柱形の部屋だ。木製のベッドと簡易なチェストくらいしか物がない。右手の壁にはドア代わりだろう、布が下がっている。天窓から見える空には分厚い雲がかかり、吹き込む風は冷たかった。

 十歩も離れていない場所にいる短毛種の白猫は、お座りの体勢になると、何事もなかったかのようにうやうやしく頭を下げた。

「お目覚めでしたか。私はあなたの世話係を任せられました、カリンと申します。お客様のお名前はヒムラヒナタ様、ご職業はダイガクセイですね? よろしくお願いします」

 さっきの低い声とは打って変わって、鈴のように澄んだ女の子の声だ。

 (ひな)()は堅いベッドに腰掛けたまま、じっとカリンを見つめた。猫は首を傾げる。

「何か?」

「いや、どっちが素?」

 口汚いのと、丁寧なのと。

 興味津々の態で聞く陽太に、カリンのしっぽがゆらりと揺れた。

「何をおっしゃっているのか、ほほほ」

「僕、この世界のことまだよくわかってなくて。肩の力を抜いて話ができたらいいな」

「意味がわかりかねます」

「でも」

「他にご質問は」

 取りつく島もない。ストライプのシャツにベージュのチノパン姿の陽太は、ドア代わりの布に向かって間延びした声で呼びかけた。

「村長さーん。カリンさん、意志の疎通が難しそうなんだけどー」

「村長なんか帰ったわよ! 私の丁寧な対応に何の不満があるっていうの! 異世界人なんか滅びろと思っているけど、ちゃんと返事をしてるでしょうが!」

 間髪入れずに返ってくる怒鳴り声。さっと白猫を見ると、さっと視線をそらされた。

 陽太はぽんぽんと自分の横を叩く。

 反応なし。

 もう一度。

 カリンのエメラルド色の瞳が眇められる。陽太はにっこりと笑って見せた。

 やがて、ため息をついたカリンがベッドに飛び乗り、陽太の隣に座った。ほっそりとしたしなやかな体は、陽太がいた日本の猫と変わらない。喋る以外は。

「なによ、世話係を変えたいっていうの」

 ふてくされたようにそっぽを向いたカリンに、陽太はにやりと笑った。

「出会ったばかりなのに、不満も何もないよ。ただ、世話になる以上、君に気を使って欲しくないだけ」

「あっそ。で? 話って?」

 カリンが苛ついた口調で鼻を鳴らす。

 猫好きというわけではないが、艶やかな毛並につい手が伸びた。瞬間、猫パンチをくらう。爪付き。手の甲に二本の白い線ができた。

「……とりあえず、僕の把握していることが間違ってないか、教えてくれる?」

「……」

「この村はオルゾン村という名前の、猫が住民の村。僕はアパートにいて、風呂に水を張るためにドアを開けたら、この世界の一室にいた。だけど僕は、君達が呼び出したかった人物とは違う。ここまではいい?」

「あぱあとが何か知らないけど、ほぼあってるわ。狭い部屋であれだけぎゃーぎゃー騒がれたら、赤ん坊でも理解可能でしょうよ。まあ、案外冷静だなとは、思うけど」

「動揺してないわけじゃないよ。だけど、大学は夏休み中で、失踪してもすぐには問題にはならないし……ここの住人は親切そうだから。村長は丁寧に謝ってくれたしね」

 相手が意思の疎通ができる猫、というのも大きい。巨人や猛獣の世界だったら、きっと一秒たりとも気を抜いていられなかっただろう。

 カリンはちらりと陽太を見上げた。

「そう。ま、どうでもいいわ。以前いた異世界人のように、上からも下からも液体を垂れ流す相手じゃないなら私は楽。あ、体にノミを飼ってたら承知しないわよ」

「……あはは」

 声は軽やかなのに、言っていることはいまいち軽くない。陽太は苦笑して、カリンの顔を覗き込んだ。

「それで、僕は元の世界に戻れるってのは本当かな? 村長はそう言ってたけど」

 なぜ言葉が理解できるのか。誰を、何のために呼び出すはずだったのか。聞くべきことは色々あるはずだが、この家まで連れてきてくれた村長に話を聞く前に、突然襲ってきた睡魔に負けた。気分的には落ち着いているつもりだったが、脳はパニックを起こしていて、シャットダウンしたのだろう。

 ひと眠りして落ち着いたところで、まずは自分の立ち位置の確認から始めたい。

「戻れるわよ」

 カリンはいとも簡単に言い放った。

「ただし、呪術師達のヒゲが抜けちゃったから、それが回復するまでは無理だろうけど」

「ヒゲ」

「呪術師の力の源よ。怖いわよね。ヒゲが全部、根こそぎ抜けるのよ」

 カリンの全身がぶるりと震える。

 生憎、陽太は抜けて困るようなヒゲは持っていない。ので、何が怖いのか理解不能だ。

 反応の鈍い人間に、白猫は舌打ちをした。

「ま、手違いで迷惑かけてんだし、ヒゲが生え揃うまで好きに暮らすといいわ。言葉はちゃんと通じてるでしょ。ここに飛ばされたときに、そういう呪いがかかってるはずだから」

 面倒そうな口調に頷きかけ、陽太は慌てて首を振った。

「ちょっと待って。ヒゲが生え揃うのって、どのくらい時間がかかるんだ?」

「トヨ湖の水が満ちるくらい」

 平然と答えるカリンに、陽太は内心、うっと詰まった。そうだ。そもそもこの世界の一日が、陽太の世界の一日と同じとは限らないのだ。二十四時間、なんて中途半端な時間軸が存在している可能性は極めて低い。 

 急いで帰らねばならない事情はないが、十日と十年は大いに違う。ここでの生活を覚悟する為にも『期間限定』の希望が欲しかった。少なくとも、猫の村に骨をうずめる覚悟はない。

「おじいさんになる前に帰れるかな……」

 思わず遠い目をした陽太に、カリンが不思議そうに目を瞬かせた。そして、すぐに頷く。

「ああ、あんたの世界と時間の長さが違うかもって心配してんのね。んー、正確に断言はできないけど、さっきのあんたの睡眠時間からすると、二十回くらい寝たら、復活する呪術師が出て来ると思う」

 その言葉に、陽太はほっと息を吐いた。

 カリンは陽太の懸念を的確に見抜いた。相手の心情を汲むことができる民族との出会いは僥倖だ。カリンが信頼できる相手か、判断するのは時期尚早かと思っていたが、悪い猫ではなさそうだ。口が悪いのは玉に傷だが。

「まあ、万一戻れなかったら、あたしが村長のケツにセルエポを突っ込んでやるわ」

「セルエポ?」

「とげとげしてて、さわるとかぶれる」

 平然として言うカリン。

 前言修正。悪いのは口だけじゃなく、性格もかもしれない。



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