禁忌
塔の中では、剣戟の音がさらに激しさを増していた。もっとも、その多くは大剣が空を斬り裂くもので、金属同士の打ち合う音はほとんど響いてこない。
時たま聞こえる大きな唸り声と踏み込みの音が、攻め手の苛立ちを表現していた。
「ガァアアアッ!」
──左腰だめ、大きな振り抜きから突きまでの三連擊。突きに合わせて内側に潜り込める。
「死ネェエエエ!」
両手もちの左に傾いた構えは上段からの斬り降ろし。序盤の踏み込みの衝撃に注意。隙は少ないので深追い厳禁。
下段からの斬り上げは、突進系だから横に移動したら側面から狙える。タイミングは左足の筋肉に力が入ったとき。
「はっ!」
「グッ!?」
既に、その状況は戦闘から作業へと移行していた。
攻撃パターンの記憶と、幾度とない戦闘経験からくる安定した対応。今までよりも念入りにレベル上げをしたおかげでダメージ効率もいい。ここまで状況が整えば、この結果は必然とさえ言えるだろう。
大振りな攻撃を避けたタイミングで強化用のポーションを飲む。動きを俊敏にして、攻撃力を向上させるものだ。
焔揺鬼の体力はもう二割を下回り、危険域に突入している。HPバーは赤く染まり、鈍い明滅を繰り返していた。
HPの減少に比例して強くなる攻撃も、当たらないのでは意味がない。焔揺鬼は完全に理性を失い、狂戦士となって吠えている。
部屋を砕きながら、大きく突きが放たれた。だが、焔揺鬼の両足が地を蹴った時にはもう、そこに獲物の姿はない。
「ガァアアアアアアアアっ!」
空振りした巨体は勢いを殺すことなく壁に向かって進んでいく。いくら足をアンカーがわりの支えにしようとも、すぐに止まるわけはない。
焔揺鬼の体験は深々と壁を貫いて止まった。もし今の焔揺鬼に理性があれば、剣をすぐに手放して殴りに来るだろう。そうして距離をとったところで引き抜こうとするはずだ。
だが、暴走状態に陥った頭ではそうはいかない。自身の得物が奪われたことにいら立ち、それを取り返すことにのみ意識が向かう。
「これで終わりだっ!」
背後から助走をつけてとびかかり、弱点の角と首に一閃。腕の勢いを殺さずに足にも数発見舞う。
ようやくこっちに意識が向くも、もう遅い。
その懐に踏み込んで、胸の中心を貫いた。弱点への不意打ちで残り僅かになっていた焔揺鬼のHPは、背中まで突き抜ける剣によって既に奪われている。
腕の力が抜けてだらりとたらされた。焔揺鬼の目に理性の光がわずかに戻る。
「ああ、負けちまったか……。でも、これから先もここまで上手くいくと思うなよ……」
豪快な形相をゆがめながら、そう言い残して焔揺鬼は砕け散った。経験値とドロップアイテム、レベルアップの通知。それらを振り払い、剣をしまいながら時間を確認する。
焔揺鬼とのバトル開始から十五分。今から行けば、予想している待ち合わせ時間より少し早く着けるはず。
それだけを確認してウィンドウを閉じる。この塔から、ユリナとの待ち合わせ場所までは少し歩く必要がある。道はわかるし、万が一のために地図もあるから大丈夫なはず。
そして、戦闘で疲れた体に鞭を打って歩き始めた。
◇ ◇ ◇
魔王城へと続く、小さな道の交差路。その交わるところでユリナを待っている。
早めについたので、HPや疲労度を回復するポーションを飲んでおいた。そのお陰でもう体に倦怠感はない。武装とかは傷ついているから万全とは言えないものの、普通に待っているには問題のない状態だ。
もう一度ウィンドウを開いて時間を確認。ここについてから十五分ほどたっている。それを確認して、ウィンドウを閉じたところで遠くから声が聞こえてきた。
「センパーイ!」
声の聞こえた方を向くと、案の定ユリナが走ってきていた。何かを成し遂げたような満面の笑みを浮かべて、手まで振りながら向かってきている。
「ユリナ!」
無事そうなその姿に思わず声を張り上げる。大丈夫な可能性が高いとはいえ、幹部に一人で挑ませた。その不安は常に付きまとっていたのだ。
だが、見る限りでは異常はない。元気で明るい、いつも通りのユリナ。
ユリナは達成感で嬉しくなったのか、かなり距離が縮んでもスピードを緩めない。恐らく飛び込んで来るのだろうと思い、腕を広げて待つ。
十メートル、五メートル。
「センパイ──」
ゼロ距離。
ユリナの口端が、持ち上がった気がした。
「──さよなら♪」
いつの間にかユリナの手に握られていた、禍々しい力を帯びた短剣が胸を深々と貫いた。防具をあっけなく貫通して、即死効果まで付与されているらしい。
ゆっくりと、だが確実にHPバーがゼロに向かって進んでいく。
「くっ……」
「悔しいですかぁ? 痛いですかぁ? でもしょうがないですよねぇ」
視界の端で、いつの間にかどす黒く染まっていた指輪が砕け散るのが見えた。そっちに意識が向いた間に、ユリナの全身から黒い炎のようなオーラが立ち上り、その身を焼き焦がしていく。
「そうなんです。しょうがないんです。センパイが、悪いんです」
グリ、とさらに短剣が深く刺さる。その挙動のすべてに目が行く中、それでも俺は冷静に体を動かしていた。
もう、防御貫通の武器で即死を付与された以上、このバッドエンドからはたとえポーションをどれだけ飲もうが逃げることはできない。だけど、見るのが四度目のこの結末を、何もせずに受け入れるつもりもなかった。
だから、俺はその最終手段を使う。ほかのゲームでもだが、ロールプレイまでしているシミュレーションゲームでは最大の禁忌を。
アバター操作で、AWLではなく本体──ハードウェアである鉄環の天使の制御コマンドページを開く。ゲーム世界の時間の進行が止まり、風景に被さるようにしてページは現れた。
そして、その中から一つのコマンドの実行を選択する。
すなわち、ゲームの強制切断を、実行した。
今まで見えていた世界が、急速に意識から剥離していく。吸い込まれるような、あるいは眠りからたたき起こされたような不快感とともに──視界が白濁した。
◇ ◇ ◇
「うっ……」
瞼を開いて、最初に見えたのは天井だった。
視界が揺れる。まるで乗り物酔いにでもなったかのような気持ち悪さまで感じた。
だけど、それは当然ともいえた。ゲームの強制切断は緊急用の機能。なにか不測の事態が起きた時に使われる緊急手段だ。一部のPvPゲームなどではシステム的に禁止の物があるほどの強引な現実への帰還方法。無理やり脳との接続を断ち切るのだから、そういう認識の誤差などから発生する酔いが発生するのは必然だ。
それでも何とか体を起こして、傍らの机の上にあるスマホに手を伸ばした。すぐにメッセージアプリを起動。由梨菜にメッセージを送った。
「どうだった?」
由梨菜は、高めに高めた隠密スキルでイベントの起動の邪魔をしないようにしたうえでさっきの光景を見守ってもらっていた。
なにか手掛かりがあるのではないか。死にゆく間に、なにか攻略のヒントがないか。
HPの減少により視界が霞んでいく俺よりも、俯瞰で見ている由梨菜の方がその発見がしやすいのではないかと思ったからだ。
そして、その結果は。
『わかりました』
────。
『具体的なバッドエンド回避方法はわからなかったです。でも、バッドエンドになった原因は、わかりました』
禁忌を犯した甲斐は、あった。




