それぞれの舞台裏
「後夜祭のキャンプファイアーの前で踊るダンスあるじゃないですか。あれで一緒に踊った男女の交際率、実に九割を越してるんですって」
加奈ちゃんがニヤニヤしながら告げた一言は、驚くには充分な内容だった。もしこれが、漫画とかで見るような"学校のジンクス"なら少ししか驚かなかっただろう。
ではなぜ驚いたかというと、男子が知っているものとは趣向があまりに違うものだったからだ。
男子の間での通説。それは、「キャンプファイアーでは少しでも気になる娘を誘って一緒に踊るべし」というもの。気になる娘というのも、仲の良い異性程度のものだ。
要するに、もう少しライトな催しだと思っていた。
「知らなかったでしょ、先輩。まあ当然だよね。先輩から後輩へ、ずーっと男子には秘密のまんまきてたんだから」
「本当に俺に教えてよかったのかこれ……」
「たぶんこれまでもこういうシーンがあったんだと思います。信用できる人にだけ教えて、男子の方も絶対に秘密にして、って」
恐らくだけど、拓真は自分から加奈ちゃんを誘うということはしないだろう。あいつだって男子の先輩から「キャンプファイアーのダンスに誘ってもなぜか断られる事がある」という話は聞いてるはず。
そして加奈ちゃんはたぶん拓真が誘ってこないことまでわかっている。それが、いくら男子はジンクスを知らないとしても悔しいのだろう。
しかも、話によればキャンプファイアーの前で誘わなければ効果がないらしい。全校生徒の多くが見守るなかで拓真が加奈ちゃんの所に来るか……と言われると、正直、否だろう。
「湊先輩、私頑張りますから。私は絶対に拓真先輩を誘います。だから先輩も頑張って由梨菜誘ってください」
「誘うつもりではいたけど、こういうこと聞くと出足が遅れそうで不安だな」
「頑張ってくださいね。競争率も倍率もかなり高いと思いますよ?」
それはそうだろうな。
ただでさえ、男子のなかでのキャンプファイアーの認識はお楽しみ会。気軽に声をかけられるイベントなのだ。クラスメイト、同級生はもちろんのこと先輩だって積極的に声をかけにいくだろう。
そんな中に割り入って誘うことができるだろうか。
「大丈夫ですよ、先輩」
「ん?」
「ちゃんと私も協力しますから。だから先輩も協力お願いしますね」
「狙いはそれか。……まあいいよ、拓真が逃げないようにしとくさ」
加奈ちゃんは、もう一度だけお願いしますと呟いた。そして、さっきまでの不安そうな表情を消していつもの笑顔に戻る。ニヤニヤした表情で顔を覗き込んできた。
「にしても、由梨菜への気持ちは割りと赤裸々に話すんですねえ」
「すでに加奈ちゃんは知ってるでしょうが。別に言いふらしたりはしていないよ」
はいはい、照れ隠し照れ隠し。
逆に生暖かい目で見返すと、「由梨菜の方見てきます!」と足早に去っていった。
◇ ◇ ◇
「ふぅ……疲れた」
クラスのお店の裏、店員控え室で思わず声が漏れた。一時間だけ! と頼み込まれて仕方なく引き受けたのだが、これがまあ忙しい。フロントであっちこっちへと行き来したせいで、たった一時間で足がずいぶんと疲れてしまった。
このメイド服が疲れを助長しているのは間違いない。気を使うし、脱ぎ着しにくいし、動きかたから変えるのはとても難しい。しかもそれで接客をするのだから、お仕事としてやっている人たちには尊敬してしまう。
「ゆーりなっ」
「加奈、来てくれたんだ」
なぜか加奈の衣装である魔女衣装のうち帽子だけをかぶっていた。本音を言えばあと十数分でいいから早く来てほしかったかも。加奈だって人気あるんだから手伝ってほしかった。
「まあまあ、そんな怖い顔しないの。後ろのボタンとってあげるから前向いて!」
それは助かる。背中の真ん中辺りのボタンは、どうにも手が届きにくいから困っていた。着るのも脱ぐのも大変な衣装だから一人手伝いがいるととてもありがたい。
「なんかさ、もう午後も終盤だしすぐ文化祭終わっちゃうね」
「ね。大変だったのもあると思うけど、もう少し長いと思ってた。こんなに早いなんてね」
白いエプロンを脱いで畳む。カチューシャを外してその上にのせて、胸元の赤リボンで緩めに縛る。練習したから片付けは簡単にできるようになった。
こうやってなれた頃に終わるというのも、実に文化祭らしい。
「ねぇ由梨菜」
「なに?」
「後夜祭のダンス、どうするの?」
服を畳む手が少しだけ遅くなる。
当然、私や加奈は自分の容姿がどういう風に見られているかくらい知ってる。そしてその容姿が、一方的とはいえ軽いと思われているダンスの所でどういうことを引き起こすかもわかっているのだ。それを心配して加奈は聞いてくれている。
対処法はいくつかある。後夜祭に参加せずに帰る、全員断る、体調が悪いということで保健室に行く、等々。面倒な柵を無くすだけなら簡単だ。
でも、それはしたくない。せっかく高校生活が始まって初めての文化祭が最後まで楽しめないのはいやなのだ。
「まあ、たぶん大丈夫だよ」
「ふーん、メイド服の時は土下座されたら受け入れちゃったりしてるのに大丈夫なの?」
「それは言わないで」
了解したのは事実だけど、あの時は困惑の方が強かったのだ。お願いされて反射的にOKしてしまった。
でも今回は驚かない。だから、大丈夫。
「いざとなれば先輩もいるからね。なんとかなると思う。先輩と踊ってたら声かけにくいでしょ?」
「へー、先輩と踊るのは確定なんだ?」
先輩に誘ってもらったわけでもないのに、無意識にそう考えていた。加奈に言われるまで気がつかなかった。
「ねえ、由梨菜」
「なに?」
「告白の返事を待ってもらってるのとかは二人の話だし、口を出すつもりはないんだけどさ」
加奈が棚の上に帽子をおいて、珍しく真剣な顔で振りかえる。
「もう少し、自分の気持ちについてしっかり考えるのもアリだと思うよ」
「私の、気持ち……」
そう、私は先輩に返事を待ってもらっている立場。私の気持ちがハッキリとしないから続いているのが、今の先輩との関係。
実はとても不安定な足場の上にいるのだと、ようやく少しわかった。
「よっし、楽しくないタイプのコイバナはやめやめ! ほら、それこそ先輩待ってるし早くいこ?」
「……うん、あともう少しで畳み終わるから待って」
メイド服をきれいにたたんで所定の位置に。
忘れ物がないか確認して、加奈に続いて部屋を出る。
しっかり先輩とのこと、考えなきゃ。




