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一人目

 絵本に出てくるお城のように美しく可愛らしい聖ニコレッタ学園の校舎は、子供の頃の私の憧れだった。

 近くを通りかかる度に、どうして私はここに通えないのだろうかと悔しくて悲しくて泣きたくなったものだった。

 電車の中で時折見かける清楚で気高い制服が、羨ましくて堪らなかった。

 だけど私の両親は、経済的にも方針的にも、公立以外は頭になかった。 


 関沢瑞葉の人生には、聖ニコレッタ学園は縁がない。

 そうあきらめていた時期も合った。

 生まれ変わったら、きっと来世で、聖ニコレッタ学園の生徒になろう。

 そんな馬鹿みたいな妄想で心を癒した季節もあった。

 私は今、修道服を身にまとい、憧れの聖ニコレッタ学園に先生として通っている。


 校舎に入る。

 初頭部とはいえお嬢様学校。

 廊下には、男子生徒が居る学校のような馬鹿騒ぎは存在しない。

 ……息苦しい。


 聖ニコレッタ学園の先生になるために、私は頑張って勉強をした。

 私立の学校の先生は、公立のように一斉に試験を受けて赴任先は上が決めて、というようなものではない。

 欠員が出るのを待って応募して、採用にもコネが関わってくる。

 そのコネを作るために、聖ニコレッタ学園の卒業生が多く通う大学を選んだ。

 頭に聖とつく学校だから、宗教の勉強もして、そっちの免許も取った。


 高いハードルを苦労して飛び越えて、いくつもの幸運が重なって。

 私は大学卒業と同時に聖ニコレッタ学園の初等部の先生になれた。


 周りが見えなくなっていた。

 だから見落としてしまった。

 先生は、生徒と同じ制服を着られないということに。

 そのことに気づいた途端、憧れだった美しく可愛らしい校舎も一気に色あせていった。




 階段を上りながらため息をつく。

 私が受け持つ六年四組のクラスには、不登校児が一人居る。

 安田ユナはいったい何が不満なのだろう。

 公立ならばいざ知らず、こんな素敵な学校に通えているのに。

 あの制服が似合う時期なんてすぐに過ぎ去ってしまうのに。


 階段を上りきって廊下へ踏み出す。

 ハッとした。

 六年四組の教室の扉の前に、安田ユナがたたずんでいた。

 本人の顔を見るよりも写真に向かって独り言を言っていた時間の方が長いので、一瞬、誰かと思ったけれども、間違いなく安田ユナだ。


 教室の扉は開いたまま。

 中からざわめきが漏れ聞こえるけれど、それは安田ユナに向けられたものではない。

 安田ユナはランドセルの肩紐を握り締め、泣きそうな目で扉の中を睨んでいた。


 私は嬉しいのと同時に、貴重なチャンスに失敗はできないという脅えも覚えた。

 まずはどう声をかける?

 後ろから近づいたのでは驚かせてしまうかもしれない。


 せっかく登校してきたのに、ここで対応を誤れば、同僚や保護者から何を言われるかわからない。

 彼女の横に回り込む。

 彼女の視界に私は入っているかしら?

「おはようございます、安田さん」

 できるだけ優しい声を出したつもりだけれど、緊張で上擦っていたかもしれない。


 安田ユナは何も言わずこちらを見もせず手の甲で涙をぬぐった。

 イライラする。

 せっかく私がこんなに気を遣っているっていうのに。


 教室の中で騒いでいた生徒達が私に気づいた。

「関沢先生! 見てください!」

 一点を手で示す。

 安田ユナの席に、別の誰かが座っていた。


 クラスメイトがふざけているというわけではなかった。

 ここは六年生の教室なのに、安田ユナの席に座っている少女は一年生ぐらいに見えたからだ。

 その点だけは、ほっとした。

 イジメでやっているのであれば、私の手に余る大問題だ。


 少女を良く見る。

 元気よさげなツインテールに、ちょっとマヌケっぽい顔立ち。

 聖ニコレッタ学園の制服が、まだ少し大きい。


 それだけならこんなには騒がない。

 何せ私の生徒はお嬢様学校のイイコ達だ。

 下級生が教室を間違えて入ってきたら、優しく導いて正しい教室に送り届けてあげてそれでおしまいのはずだ。


 なのに誰もそうしない。

 理由は一つ。

 その少女の体が半透明で、明らかに幽霊だったからだ。


 伝統ある聖ニコレッタ学園の教師は修道服を身に纏う。

 それが学園の風景だ。

 修道服を着ているからには、当然、首には十字架を下げている。

 私はその十字架を外して、幽霊に向けて投げつけた。

「悪霊退散ーーーーー!!」


 十字架は幽霊を素通りして、その向こうに居た生徒の水元ミカに当たった。

「先生! ひどいことしないでください!」

 高杉アイが金切り声を上げた。


 ああ、しまった、しくじった。

 生徒達みんなが私を咎める目で見てる。

 これが学級崩壊の始まりなんだわ。

 これをきっかけにみんなが私を無視するようになるんだわ。

 これはイジメだわ! 教師へのイジメだわ!

 早く取り繕わなくちゃ!


「ご、ごめんなさい! 水元さん、怪我はない?」

 私の問いに水元さんが答える前に。

「イヤシが怪我をしたらどうするんですか!?」

 高杉アイが再び叫んだ。


「せんせー。イヤシちゃんは、高杉さんの妹さんなんですよー」

 水元ミカが、拾った十字架を私のところに届けながら言う。

「ああ」

 高杉イヤシ。

 そういえば今年の三月だったか、そんな名前を聞いていた。

 この春から聖ニコレッタ学園に通うことが決まっていたのに、入学式の数日前に交通事故で死んでしまったんだったっけ。

 せっかくいい家に生まれて、厳しいお受験戦争をクリアしたっていうのに、もったいない。


「センセー! お払いなんかしないであげてくださーい!」

「そうですよ先生! イヤシちゃんも高杉さんもかわいそうですよ!」

 他の生徒達が騒ぎ立てる。

 高杉アイは祈るような目で私を見ている。


 私はぞっとしながら高杉イヤシに目をやった。

『せんせー、はやくオベンキョウをしたいですー』

 幽霊は瞳をキラキラさせていた。



 怖くて逆らえない。

 助けを呼ぶこともできない。

 生徒だけでも避難させよう、なんて考えは浮かばない。

 私はおとなしく幽霊に従った。


 幽霊って言ったってガキンチョ一匹だし、呪怨とかのヤバそうな雰囲気でもない。

 何が怖いって、生徒一同のご機嫌を損ねるのが怖い。

 死人より生きてる人間の方が怖い、なんて話じゃない。

 一人より大勢が、強くて怖いのだ。


 高杉イヤシが座る安田ユナの席は、教室の中央なので、どうしても目が行く。

 誰も居ないのも嫌だったけど、幽霊が居るのはもっと嫌だ。

 幽霊は最初は楽しそうにしていたけれど、すぐに退屈な顔になった。

 年齢に合わない授業をしているのだから当然……

 と思いきや、他の生徒達も退屈そう……?

 あれれ?


 ああ、そうだ。

 ずっと前からみんな退屈そうだったのだ。

 私はそれに目を背けていた。

 幽霊を観察したことで、他の生徒も見ざるを得なくなって……

 だから気づいてしまったんだわ。


 それでもスムーズには進む。

 生徒はみんなイイコ達だから、幽霊にイイ思い出を作ってあげようと気を遣ってる。

 いっそ毎日幽霊に来てもらったら……

 それだとすぐに飽きられるわね。



 そうして下校時刻には、お涙頂戴の別れが待ってた。

 高杉イヤシが幽霊で居るのは今日がラスト。

 妹は来世で会おうと言い、姉は来世で一緒の学校に通おうと泣いて、妹はそれは無理だと背を向けた。

 そりゃあまあ、今から生まれ変わっても、妹が六歳になる頃には姉は高校まで卒業しちゃうしね。


 空へと昇る高杉イヤシを、クラス一同、教室のベランダから見送って。

 下から見上げたのでちょっとパンツが見えたりもして。

 なんやかんやで生徒達と下校の挨拶を済ませ……

 教室の扉を開けたら……

 廊下と教室の間の壁に背中をつけて、安田ユナがしゃがみ込んでいた。


 幼い幽霊のことは明るく迎えられた生徒達も、同い年の不登校児への対応は、扱いに困っているせいか、よそよそしい。

 安田ユナは何も言わずに走り去った。


 あーあ。

 せっかく幽霊騒動が解決して、自分ってデキル先生かもなんて思えていたのに。

 安田ユナの問題は、高杉妹のように簡単には解決しそうにない。


 いっそまた別の幽霊が来てくれれば、不登校児の存在なんて丸一日忘れていられるのに。

 神様、明日もこの教室に幽霊を送り込んでください。

 私は心の中で祈った。

 明日にはこの祈りを後悔することになるとも知らずに。




 続く


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