016 勧誘
百人ほどが収容できる大学の講義室の最前列左端、サミーの隣に蔭川はいつものように座っている。目の前の教授がスクリーンに映る最終試験の方法を説明している中、蔭川はどうやってサミーに昨夜のキューブやスーザン教について話させるか思案していた。
しかし、それは杞憂に終わる事になる。
スクリーンが真っ黒になり、教授が用意していた今日の内容が全て終わった。
「よし、ここまで」
アロハシャツにジーパンという服装の教授が大声を(と言っても地声なのだが)出し、生徒は筆記具を鞄に仕舞っていた。蔭川も印刷していた授業の資料を鞄に突っ込む。
因みに、今日が最後の講義で、この後二週間の休みを挟んで教科ごとに決まった日に試験がある。成績の半分がこの試験結果にかかっているので、とても重要である。
「要君、この後暇?」
白と黒のシャツにジーパン姿のサミーである。靴は歩きやすそうな運動靴だ。
因みに蔭川は藍色のシャツに細身のジーパン、そして皮のブーツだ。もちろん、左眼の紋章を隠すために偏光レンズ付きの眼鏡をかけている。もう他の生徒も慣れたらしく話題に上る事はない。
「うん、どうしたの?」
「俺さ、凄い人と会ったんだよ。要君も会ってみないか?」
「へー、どんな人なの?」
「スーザンさんと言って、信じられないと思うけどすごい力を与えてくれるんだよ」
蔭川の心臓はどくどくと脈打っていた。自分から不自然にならないようにその話題に持っていく段取りを考えていたのに、向こうからこの話題にしてくれるなんてありがたい誤算だ。
サミーにしてみれば、勧誘を頼まれていたので当然の流れで、むしろ蔭川が興味を持ってくれたのにほっとしている。互いに少し興奮しているのだった。
講義室を出て、白い廊下を歩いて行く。
「すごい力?」
「そう、見せた方がわかりやすいかな」
建物を出てすぐにある芝生の上に歩いたサミーは鞄からドーベルマン型のキューブを取り出した。大学なので、試験前とは言っても当然人も知り合いもいる。特に今は授業が終わってすぐである。
「え?」
蔭川は口をあんぐり開けて心底驚いた。彼にとって、キューブは機密情報なのだ。
対するサミーにとっては信者を増やす分かりやすい力の見せ方であり、デモンストレーションである。
「驚くだろ。この精巧な作り。これが意のままに動くんだ。三回まわってワン!」
呆然とする蔭川の前で、ドーベルマンはサミーの腕から跳躍し芝生の上で三回優雅にまわる。滑らかな動きだ。
建物から出てきた同級生がちらほら立ち止まっている。
「ヴァン!」
ドーベルマンが唸った。
おお、と感嘆の声が漏れる。
「何これ、すごいな」
同級生である。タンクトップに半ズボンの青年だ。
蔭川は今だに思考が停止して固まっている。
「こういうのをくれるスーザンって人がいるんだ。会いに行ってみないか?」
「んー、今はさすがにきついな」
興味を持ちかけた同級生が難色を示していた。
「そっか。そうだよな」
試験前でさすがに遊んでいる暇はない、という事だろう。集まっていた生徒もぱらぱらと離れて行く。残ったのは蔭川とサミーだけだ。
「僕は行こうと思うよ。いつ?」
「お、ありがとう。んー、ちょっと待ってね。」
サミーは携帯を弄りだした。恐らくスーザンと話しているのだろう、と蔭川は判断した。
今連絡したところですぐに返事は返ってこないだろうと思ったが、なんとすぐに返事が来たらしい。
「今夜はどうかな?」
「ん、いいよ。何時にどこで集合?」
「六時に、そうだなぁ、中央駅で」
「中央駅って大きいんだけど……」
シドニーで一番大きい駅が中央である。
「大丈夫。実は、嗅覚も強化されたんだ。すぐ見つけるよ」
ドーベルマンの能力をサミーも得たのか、と蔭川は納得した。同時に、影ヒコーキ君の能力の一部を得ているはずの蔭川は空も飛べないし視覚も強化されていないのに疑問を持つ。
「あ、じゃあ、これからバイトがあるから」
サミーは去って行った。
ドーベルマンは鞄へと跳躍し入り込む。
あいつバイトし過ぎて単位落とした事あるのに大丈夫か、と蔭川は心配した。
・・・
そして、その日の六時十分前。
入口が四カ所もある駅の南側の出入り口に蔭川は立っていた。
「とんとん拍子に会合が決まったけど、早まり過ぎているだろうか」
情報収集不足を悩む蔭川だ。
そんな不安を他所にサミーは時間通りやってきた。
「おーい」
「あ、時間通りだね」
携帯で時間を確認しながら蔭川は声をかけた。
揃った所で一週間は何度でも決まった区域内を移動できる黄色い定期券を出し、改札を通る。行先がアータ―モンである事は集合前に確認済みである。
ラッシュには少し早いのか人は少ない。
電車にも人はあまりいなかった。人混みが嫌いな蔭川は少しご機嫌である。
「それで、スーザンに会ってどうなるんだ?」
「ああ、スーザンさん率いるシュゴフ教に入って何か功績を残すと僕みたいに力をもらえるんだ。今はまだ人手不足だからすぐに幹部になれるんじゃないかな?」
スーザン教ではないのだろうか、と蔭川は少し不思議に思ったものの、名前なんてどうでもいいかとすぐに気持ちを切り替える。
「そっか、今は何人くらいいるの?」
「今はスーザンさんに、幹部が僕を入れて三人、あとは信者になった人が六人、あとは考え中の人が十くらいかな?」
すぐに信者になる必要がない事に安堵する。
幹部の二人は昨夜の巨漢やガリガリの金髪だろうと推測する。
「信者もすぐ力をもらえるの?」
「いや、今の所幹部だけ、らしいよ」
昨夜のが幹部会だったのだ、と蔭川は微笑む。
恐らくキューブ持ちもあの二人とサミー、スーザンの四人だけだろう。
「そっか。いいなー。それで力って犬に話しかけて命令するのと嗅覚?」
「いや、人によっては竜だとか鬼だとかもらってたね。竜をもらったササさんは身体を硬化できるようだし。鬼をもらったジョンさんは元からマッチョなんだけど、さらに力を増したってさ」
情報を惜しみなく公開してくれるサミー。
この調子でカードを見せてもらいたい蔭川。
「南へ走ってこい。すごいだろ? 待ってて、遠隔操作だってできるんだ」
ドーベルマンはどうやって南の方向がわかったのかは不明だが、一直線に南へと駆けて行った。
人が少ないとはいえ車両の中で動かすとは何度目かわからないほどの驚きで蔭川は呆れていた。
そして、サミーは鞄から財布を取り出し、カードを露わにした。
「戻ってこい」
サミーはカードに向って命令した。一般人には画像以外は何の情報も得れないのだが、蔭川からすれば一目瞭然である。
Bランク、贈与の番犬、眷属。
警戒心の欠片もなく、惜しげもなく公開される情報に喜んで弛緩していた蔭川に戦慄が走る。
眷属……。
命約ブックからしか購入できなかった眷属シリーズである。
「驚いたようだね」
「え、うん」
蔭川の身体がびくつく。サミーは遠隔操作に驚いたと勘違いしているはずだと心を落ち着かせた。
そして、カードを一瞥する。
所有者、スーザン パルス(支配者)、サミー エドリック(眷属)
スーザンはただキューブを配っていたのではなく、手下を増やしていたのだ。
蔭川は眷属シリーズについては知っている事が少ない。
眷属になる事の意味とは何だろうか。これを知らない事にはスーザンに会うのは危険かもしれないと焦る。
「サミー」
「どうした?」
「幹部になって力をもらったんだよな?」
「ああ、そうだよ」
「その代りにどんな対価を支払ったんだ?」
蔭川は百万円でキューブを購入した。サミーは何かを支払ったのか。或は、配下に加わったのか。
「んー、特に何も支払ってないよ」
「そっか」
「そんなに深く考えなくていいと思うぞ。シュゴフ教も信者増やして、影響力を増やしたいってだけみたいだし。」
サミーは考えなしなところがある。
青い座席に揺られながら、蔭川は不安でいっぱいだった。普通に考えれば、カードの字なんて読めないので、ここでいきなり気が変わるなんてのは不自然だ。心の奥底から焦燥感が這い上がってくる。
「そっか。すぐに信者になるか決めなくていいんだろ?」
「ああ、うん。まぁな」
ぴんと硬く張っていた筋肉が緩む。しかし、蔭川は肝心な事を忘れてしまっているのだった。
・・・
スーザン教、いやシュゴフ教の根城までは駅から遠くない。
蔭川なら新参者をいきなり根城に連れては来ないだろうが、スーザンは誰彼かまわず懐まで入れる性格らしい。或は、何かが起こっても絶対に大丈夫だと言う自信の表れなのだろうか。
赤い煉瓦のマンション入り口のガラス張りのドアの鍵穴にサミーが銀色の鍵を入れた。既に鍵を貰う程に彼は信用されているという事だ。
白いレターボックスが並ぶ一階から階段を登り、サミーが三階でドアを叩いた。部屋の鍵までは持っていないのか、それとも中に人がいるのを知っているからノックしたのかはわからない。
「こんばんは。いらっしゃい」
ポニーテールの女、スーザンである。仕事から帰ったばかりなのかスーツ姿だ。
サミーと目線を交錯させ一瞬微笑んだ。宗教の勧誘みたいだ、いや、宗教の勧誘そのものだ。
「こんばんは」
部屋に入ると奥には巨漢とガリガリの金髪男がいた。幹部が勢揃いしているのは蔭川にとって予想外である。それどころか鬼と竜のキューブもいる。
「よおっ、お前が信者希望者か?頭はいいらしいが、ひょろいなぁ」
影ヒコーキ君で昨夜見た時も大きいと感じたが、実物は威圧感もあってさらに大きく感じる。百九十cmくらいのはずだが、二mくらいの印象を受けるのは筋肉のおかげで横にも幅があるからだろう。
「彼がジョン、後ろで立っているのがササ、それから、私がスーザンよ」
「初めまして」
「鶏肉を用意してあるんよ。席に座って皆で食べましょう」
チェーン店で買ったらしい鶏のから揚げが木製の机の上に乗っかっている。
湯気が出ていて、香ばしい匂いも漂わせていたのにようやく気が付いた。緊張しすぎて気持ちにゆとりがないのだと蔭川は分析するが、わかったところで解決策は思いつかない。
ぎこちない動きの蔭川と既に慣れているらしいサミーは席に座った。
「私たちの事は聞いているんよね?」
「はい、少しは」
「そう。今は力を貯める時期だと思っているん。そやから、人材を集めているんよ」
「はい」
「もう聞いたかもしれんけどジョンには剛力、ササには硬化、サミーには嗅覚の能力が強化されているわ。それは一緒にいる、そうね、玩具のような者たちの力の一端でもある。私の教団に入れば、貴方にもこういう力をあげるわ」
ジョンは昨夜とは違い食べ物に手をつけず、腕を組んで蔭川を睨んでいる。
ササは興味がないのか、静かに座っている。
「そういう力を得る代償、というか対価というのは何があるのでしょうか?」
単刀直入に蔭川は訊いた。眷属を従える際の疑問の一つでもある。
ジョンは眉を顰めている。
「そういうのが気になるもんなんやね。何か会った時には助けに来てもらうくらいのもんじゃけん。簡単よ」
何事もないように言っているが、命令権があるという事なのだろうか。
そんな疑問は次のジョンの言葉で吹っ飛ぶことになる。
「なあ、あんちゃん。そのサングラス取りなや。もう夜なんだからよ」
蔭川の持ち物
5ヨム
闇S 影ヒコーキ君(支配者)
F 灰色の守衛・蜘蛛(道具)
F ただの薬草(魔法)
F ただの猫(道具)
F 灰色の守衛・海老(道具)
ジョージの持ち物
0ヨム
炎A 七色の雛(支配者)
F ただの鳥(道具)x5
ササの持ち物
― 双竜(不明)
サミーの持ち物
B 贈与の番犬(眷属)
次回『仲間』。
24日12:00頃記載予定です!




