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キューブ  作者: 水野 閖
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014 影属性

 ブルーマウンテン。

 コアラはいるが、カンガルーはいない。


 山は文字通り青緑色。

 群生するユーカリの葉に油が溜まっており、青い光を反射する影響である。

 オーストラリアの木は油を蓄える種が一般的で山火事に適応している。加熱される事によって、種子を飛ばすように進化しているので、燃える事がなければ死に絶えてしまう。だから、油が溜まっているのだ。


 山自体が国宝扱いで守られているので、蜘蛛や蛇、鳥がしばしば現れる。日本との違いと言えば、毒を持った動物が多さと毒の種類。速効性の毒はなく、動かなければ毒が殆ど回らない。蛇にかまれた場合は血流を止めない程度に圧迫固定し、寝かせて救急車を待つ。


「ついた」


 ここら辺の住宅はどれも屋根が橙色で、空から見ると森の青緑色と屋根の橙色埋められているので幻想的だ。エミリーの実家はオーストラリアではよく見るような橙色の煉瓦の家だった。地震がないので縦に積み重ねられて間を固められただけの煉瓦が崩れる事はない。


「ありがとう」

「アリガトウ」


 蔭川と七色の雛(ラードゥカ)が答えた。

 七色の雛(ひな)の方はお礼ではなく真似しただけの可能性も高い。

 柵や敷居というのがなく道路と敷地の境界線があやふやだが、確実に庭であろう所から十五m程で玄関がある。


 疲れているのか、偏光レンズ越しのエミリーがぶれて見える。蔭川には知る由もないが、彼女は最高峰の殺し屋に育てられていて、常人では即死レベルの罠や攻撃は生活の一環である。


 エミリーが木製の鍵でドアを開けた。

 木の床と白い壁、そして写真がある。エミリーが映っているので家族写真だろう。

 小さい頃のエミリーも短髪だったようだ。


 全員、無表情だ。

 暗殺に感情はいらない、そういう事である。


 勿論、無表情はこの国の文化ではない。歯を見せて微笑むのがこの国で一般的だ。

 しかし、幼児版エミリーも無表情で、少し大きい兄であろう少年も無表情だ。

 

 蔭川の身体はぶるりと震えた。


「こんにちは」

 写真と同じ顔の女がいる。

 二十代後半で写真と一緒に時が止まったかのように若々しい。

 花柄のワンピースが時代を感じさせるが美人だ。


 しかし、無表情だ。


「こんにちは。フィーナです」

 フィーナと名乗った女性が蔭川の腕が届く範囲まで近づいてきた。


「こんにち、は」

 広げた両手が挟み込まれ、胸の弾力が伝わってくる。

 オーストラリアでは抱擁は挨拶として多用されるが、蔭川は今だに慣れないのでぎこちなく固まったままだ。この暗殺一家も慣習にはある程度順応しようとしている。


「こちらへどうぞ」

 二階へと案内された先はリビングらしかった。そこで七色の雛(ラードゥカ)を籠から出してやる。


 湯気と共に匂いが漂ってくる。

 大皿に盛られたステーキ、温野菜、マッシュポテトだ。

 昼ごはんを用意してくれたらしい。因みに、薬品耐性をつけるための食事である。


「おお、おいしそうですね」

 蔭川の口は唾液を大量分泌している。

 無表情のフィーナとエミリーが木製の簡素な椅子に座っていく。


「ありがとう。座ってください」

 料理は愛情だと誰かが言っていたが、この料理には毒が詰まっている。


「おお、よく来た!」

 奥からふらふらと両手にコップを持った小柄の男が現れた。

 太陽が真上にあるような時間だが、すでに赤い顔で酒の匂いを漂わせている。


 蔭川は驚いていた。

 昼間から酒を飲む事ではない。飲酒はこの国では誰もが嗜むもので、日本人の蔭川からすると飲酒の合間に仕事をしているようにさえ見えるのだ。


 驚いたのはその六十代に見える男の顔である。

 無表情、でははなかったのだ。因みに、彼こそが暗殺術の最高峰と呼ばれる人である。


「こんにちは。お邪魔してます」

 蔭川は安堵した。無言の食卓にはならないだろう。

 七色の雛(ラードゥカ)は陽気な男の元まで歩いて行く。姿を見せないジョージがどこにいるかは不明だが、この男に懐いているようである。


「君はビールか? それともワイン? いや、日本酒かな?」

 飲み物の選択肢が全てアルコールとはどういう事だろう。冗談もよく交わされるので、通常なら笑って返答できるのだが、本気で言っているようにしか見えない。


「いえ、紅茶かオレンジジュースをお願いします」

 アルコールの含まれない飲み物ではミルクティーやコーヒーがよく飲まれている。 

 陽気な男は七色の雛(ラードゥカ)を頭に乗せ大声で笑いながら奥に戻っていく。


「はーはっは。酒を飲まんとはつまらんの」

 お気に召されなかったようで蔭川は苦笑した。酒が飲めないわけではないが、あまり美味しいとは思わない。つまり、苦痛を感じてまで誰かに合わせるのが嫌いなのだ。


 蔭川が自分の国が欲しい理由も根本的には誰にも何にも囚われたくないからだ。自分が好き勝手できる世界が欲しい、という事である。ただし、面倒が嫌いなので、国ができても基本的には引きこもっているのだろうが。


「じゃあ、これでも飲め」

 男が茶色い飲み物が入ったマグカップを差し出してきた。

 机には椅子が四つ、取り皿もコップも四つだ。

 エミリーの兄は世界を飛び回り暗殺任務をこなしているので、実家にはいない。


「ありがとうございます」

 紅茶でもオレンジジュースでもないが、さすがに何度も断わるのは蔭川も気が引けたのだ。

 白いマグカップを手にとり、口元で傾けた。コップに集中したので蔭川は気が付かなかったが、男の口角が喜びを表すようにぐぐっと上がっていた。

 お茶の類だが、ウーロン茶より少し苦くそして微妙に甘い。


「美味しいですね」

 まずくはない。特別美味しいわけでもないが、どちらかといえば美味しい。

 能面のようにぴくりとも顔の筋肉が動ないエミリーとフィーナ。


 そして、陽気な男がじっとりと目を向けてくる。

 わざとらしい程伝わってくる疑いの目である。


「変わったお茶ですね」

 言い回しを変えてみた。

 蔭川は全く気づいていないが、この家は何度も言うように暗殺者の巣窟である。


 ここの家主は通常なら生と死を彷徨う類のものすら冗談でやってしまう。

 因みに、既に様々な毒に耐性のあるエミリーは今使われている毒を調味料くらいにしか感じていない。


「そ、そうだな」

 頭をぽりぽり掻いて、男は首をかしげた。


 この国では不味い物は不味いと残すのは悪い事ではない。もしかしたら、口に合わないと言わせる為の、肩の力を抜かせるべく用意されたお茶だったのかと蔭川は勘ぐって、どうせ答えはわからないと息を吐く。


 他の人はもう自分の分のステーキや温野菜を取り終えているようである。蔭川もトングでステーキや温野菜を取り皿に盛り付け、マッシュポテトをスプーンで盛った。


「食べようか」

 男の掛け声で食べ始めるエミリーとフィーナは機械が食物を口へと運搬する作業であるかのように静かに食事という名の反復運動を繰り返している。

 もしかして、機械の人形なんじゃないだろうか、と蔭川は小さく震えた。


「おいしくないですか?」

 フィーナに勘違いさせてしまったらしい。

 陽気な男は何た言いたげな、何かを期待しているような顔をしている。


「まだ食べてません」

 そう、まだ料理は口に入れていなかった。

 肉をナイフで切って、口に入れる。柔らかくて、肉汁が流れてきておいしい。隠し味の毒物がピリッと効いている。


 普通のトマトソースとバーベキューソースが机に置かれているが、蔭川は使わない。少なくとも最初の一口はできるだけ素材の味を楽しむのが彼の信条なのだ。調味料で作られた味ばかりの生活と言うのは面白くない。


「おいしいですね」

「ありがとう」

 やはりフィーナの顔は無表情だ。エミリーも無表情だがは左手の拳の親指を上げている。

 陽気な男は考え込むように蔭川を見ていた。何か気に障ったのだろうか。


「この、白いキノコもおいしいです」

 ぴりぴりして美味しいと蔭川が感じたのはドクツルタケである。


「お前、名前何と言ったか?」

「あ、忘れてました。蔭川要です」

 自己紹介していなかったから怒っていたのか、と顔が引きつる。傍からは蔭川がにやけているように見える。


「そうか。儂はジョナサンと言う」

 鋭い刃物の切っ先を喉元につけるような威圧感が男の眼から発せられているように感じる。


 キィン。


 金属が衝突した音がする。

 すごい勢いで左に座るエミリーが立ち上がっていた。親子による実力行使の攻防である。常人には何かが起きている事すらわからない程の攻防である。


「そうか、そうなるんじゃな」

 何が起こったかわからず唖然とする蔭川を前に男は笑っていた。さっきまでの威圧感は幻影だったかのように消えている。


 エミリーがすっと座り直した。

 全員が食事を終えると、フィーナが食器を集めてリビングから出て行った。

 奥に台所があるのだろう。

 三人が残ったテーブルで、陽気な男が思い出したかのように手を叩く。


「この前言ってた情報を教えよう」

 いつの間にどこから取り出したのか、文庫本サイズのメモ帳に万年筆を滑らせた。

 頬を風が通り抜け、蔭川の長い髪を揺らす。凄腕の暗殺者にしたら、万年筆も凶器である。


「父さん!」

 エミリーが大きな声を出した。

 陽気な男が驚いた顔で両手を挙げている。


「すまんすまん! もうしない。お前もよく気づいたな」

 陽気な男は本気で謝罪する気はなさそうで、むしろ嬉しそうにしている。


「まず、力を与えようと言いまわっていたのはスーザン・パルスという女が中心になった『聖スーザン教』という組織じゃな。数か月前に結婚するつもりだった彼氏と別れて呆然と暮らしとったが、数週間前から悪いものでも取り払われたかのように生き生きしだんだと。何かのカードを見てうっとりしたり、悪魔のような人形で遊んだりと、随分性格というか趣味が変わってしまったと嘆かれておるわ」


 蔭川はこの話でスーザンがキューブ持ちだと確信した。

 次に知りたいのはその人の容姿と活動地域。

 それから接触した場合、利益があるか損益なしか、それとも危険が及ぶかだ。


「それでスーザンという女はどこに?」

 陽気な男はにやりと歯を見せた。

「アータ―モンと呼ばれるシドニーの北にある都市じゃな。写真もあるぞ」

 ポニーテールの女、イソギンチャクのような置物キューブ、巨漢の男と同じく筋肉隆々の鬼の人形キューブだ。


「もう一人いるのは?」

「一緒に人形遊びしてた男じゃよ!」

 蔭川はごくりと唾をのんだ。スーザンはキューブを提供しているという事だろう。


 引っかかるのは、『スーザン教』という組織だ。僕にキューブをくれた(売った)あの白坊主もその一員なのだとしたら、なぜ組織の勧誘をしないのか理解できない。

 白い坊主と違う組織なのか?もう少し情報を収集する必要がある、か。


「ありがとう。すごい調べてくれたんですね」

「まあな。それにしても、お前は俺の同業者か? ……いや、詮索はやめておくか」


 首をひねる蔭川は無傷だった。


次回『偵察』こっそりひっそり。

23日12:00頃記載予定です!

お楽しみに!

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