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第7話 襲撃

 セイジが必死に己の誇りを崩さぬよう一人で戦っているとき、シスター……クレアは夢を見ていた。

 それはたった数時間前の記憶だった。




 満月が照らす中を、馬車が走っていた。

 その馬車の周りを、数10名の騎士が、馬に乗り囲む様にして併走していた。

 スピードはそれほど出ていない。いくら満月で明るいとはいえ、闇夜の中ではこれ以上のスピードは自殺行為だ。


 その馬車の荷台の中で、クレアは座っていた。

 対面には初老の司祭が座っていた。顎に指を当て、先ほどから一言も喋らず、ただ難しい顔をしていた。


 ライトン司祭……クレアの師に当たる司祭だ。


 普段のライトンは、優しい笑みを常に絶やさない温和な老人で、微笑みながら決して怒ることもなく、懇切(こんせつ)かつ丁寧に人に教えを徳く姿は「スマイル司教様」の名でエミリーナ教の信徒の中で広く知れ渡り、人気も高い。

 クレアと共に馬車に乗っているときも、普段はクレアに優しく語りかけ、退屈しないようしてくれる人だった。

 皺に覆われた顔が優しくほころんでいく、そんな司祭の顔がクレアは好きだった。


 そんなライトンが今は一言も喋らず、うつむき加減でただ黙っている。

 クレアは何かいたたまれなくなり、窓に視線を向けた。

 窓の外は暗く何も見えない。天井につるされたランタンの光で、窓に自分の姿が反射して写っているだけだった。


 そもそも、こんな夜に移動すること自体おかしかった。

 本来、今日はセインという街で講釈を行った後は、一泊する予定だったのだ。

 ところが夕刻、宿に入ってまもなく、ライトンが部屋に飛び込んできた。


「急だが食事を済ませたらメルドムへ行くことになった。すぐに支度をなさい」


 急な変更だった。だが、言われるがまま、クレア達は急いで食事をし、飛び出すようにセインから出たのであった。


 こんこんと扉を叩かれる音がした。クレアが扉を少しだけ開けた。馬で併走中の騎士が扉に顔を近づける。


「ライトン様、クレア様、後1時間ほどでメルドムに到着すると思われます」


「うむ・・・ご苦労。夜道(ゆえ)細心の注意を入ってくれたまえ」


 ライトンが口を開いた。この馬車に入ってから初めての声だった。


「はっ」と騎士は声を上げ、扉から離れた。


「クレア」


「は、はい、司祭様」


 扉を閉めようと手を伸ばしていたクレアの背中にライトンからの声が飛んだ。

 クレアは慌てて扉を閉め向き直る。

 ライトンはじっとクレアを見据えていた。その顔に、いつもの温和さはかけらもなかった。


「急な変更にお前も驚いているだろう。すまなかった」


「いえ、司祭様。私めの事はお気になさらず」


「どうしても、明日までにマルヴィクスまで戻らなければならなくなった。今夜中にメルドムまで行かなければならない」


「マルヴィクスに帰還することになったのですか?」


「うむ」


 そういってライトンは視線を外に移した。

 マルヴィクス……ファイナリィとドラグーンの境にある城下町であり、ライトンとクレア達が帰属するエミリーナ教の総本山でもある。どちらの国にも属していない一種の独立国のようになっている。

 本来、マルヴィクスの帰還はまだしばらく先のはずだった。本来は今日セインに一泊し、明日は大陸南西端にあるリジェに向かい、3日間滞在の予定と聞いていた。


「今回の各地訪問はエミリーナ教の教えを説く以外に、もう一つ目的がありました」


「そうだったのですか?」


「クレア、今ドラグーンとファイナリィの関係がおかしくなっているのを聞いた事がありますか?」


「…………はい」


「ドラグーンとファイナリィは15年前に、ティルト法王の仲介により、終戦状態に入りました。その後、両国の仲は徐々に改善されていきました。数年後には両国間の交流や、貿易等が次々と始まっていきました。大変喜ばしいことです。国民の多くも戦争の無意味さ、戦争が何ももたらさず、ただ国を、心を(むしば)んでいくだけだと言うことを知る事ととなりました。しかし……」


「両国の間がまた、緊張状態に陥りかけています」


「その通りです」


 ライトンは首を大きく横に振った。


「ファイナリィには山賊が増え、ドラグーンにはガガンボ族が増えています」




 ガガンボ族とは人間と魔物の中間の様な生物だ。

 容姿は人間と全く変わらないのだが、知能はほぼ無い。言葉も持たず、ただ雄叫びを上げるのみだ。

 肌は緑色をしており、目が見えていないのか常に白目をむいている。

 人間を敵視しており、男であった場合は容赦なく殺す。女ならば連れ去る。

 ガガンボは雄の個体しか存在しない。繁殖のために人間の女をさらう。他の魔物との繁殖例は存在しない。

 その為人間種の特殊変異体とも言われているが、実態はほとんど解ってはいない。

 解っていることは一つ、彼らにはいかなる言葉も通用しないと言うことだった。


 そのガガンボが今ドラグーンに大量発生していた。

 ガガンボは暖かいドラグーンに生息している。逆に寒いファイナリィではほとんど見られない。

 ここ一年でドラグーンにおけるガガンボ被害は増え続けていた。

 ガガンボは繁殖率が高い。生まれた子供は半年で成人となる。その為かいくら狩ってもいっこうに減る気配を見せない。

 そしてドラグーンにもある噂が国中を駆け巡っていた。


 ガガンボ達を送り込んでいるのはファイナリィではないのか。

 ファイナリィが再び戦争起こそうとして、ガガンボの繁殖をしているのではないか。

 ドラグーンがガガンボ討伐に兵を割いた瞬間、ファイナリィは一気に攻め込んでくるのではないか。


 この噂がドラグーン王都を縛り付けていた。

 国境付近に常駐させている兵を増やし、見張りを強化せざるをえなくなった。

 手空きの兵や傭兵、エミリーナ教の手も借りガガンボ退治を行っているが、いっこうに減る様子はない。

 ファイナリィからの輸入も滞る様になってきている。交流イベントも次々と中止に追いやられた。

 人々はガガンボの恐怖と、ファイナリィとの戦争の恐怖に悩まされていたのだった。




「互いの国家に噂が流布(るふ)しています。戦争を起こすために相手が送り込んでいるのではないかと」


 ドラグーンはファイナリィが仕掛けるためにガガンボを増やしていると。

 ファイナリィはドラグーンが仕掛けるために山賊達を送り込んできていると。

 被害と噂が混じり合い、完全な疑心暗鬼状態とかしていた。


「ドラグーンもファイナリィも停戦し、和解したとはいえ、1000年に渡る戦いの傷は未だ癒えたとは言えません。その結果、情報伝達が国家間で上手く成されず、今日の状態があるのです」


「その橋渡しをするのが、我らエミリーナ教の役割なのですね」


「その通りですクレア。どちらか一方に付くのではなく、互いの中心に立ち、両国家の離れかけた手を再び握らせる。それが我が教団の使命です。ですが……」


 言葉を途中で句切り、ライトンは俯いた。だがすぐに顔を上げた。


 その表情にクレアは息を飲んだ。

 顔を上げたライトンの表情は、クレアが今まで一度も見たこと無いような顔だった。

 一見無表情にも見える。だがそれは怒りや悲しみ等の、いくつもの感情が混ざり合った結果を隠そうとしているが為の無表情だとクレアは感じた。


「この一連の出来事、互いの国家を(おとし)めようとした者がいます」


「貶めようとした・・・ですか」


「そうです。いわばドラグーンとファイナリィを仲違い……もしくは再び戦争に発展させようとした者です」


「そんな……」


「事実です。法王代理は私にその調査を命じました。私は各地を回り、教えを説きながら配下の者に探らせていたのです。ドラグーンとファイナリィが戦争をしていないと儲からない人間もいるのです、クレア。悲しいことですがね」


 そう言ってライトンは大きく首を横に振った。


「そして先ほど、大変な一件が私の所に届きました。すぐにマルヴィクスに戻り法王代理にお伝えしなくてなりません。セシルからでは明日中にマルヴィクスに到着することは不可能です。その為本日中にメルドムまで向かう必要が出てきたのです」


「それほどのこと……ですか」


「その通りです一つ間違えれば再び戦争が……」


 ライトンの言葉の途中で、馬車が左右に大きく揺れた。


「きゃあ!」


 少し腰を浮かせていたクレアが座席から投げ出されそうになる。ライトンがさっと手を伸ばし、クレアを受け止め、抱きかかえた。

 馬車はなおも暴れ続ける。車内が斜めになり、強烈な横Gがかかる。

 横転するかと思われたが、馬車のスピードがだんだんと落ちていき、がくんと元の体勢に戻ってとまった。後ろに積んであった荷物ががらがらと音を立てている。


「も、申し訳ありません、司祭様」


 クレアの謝罪に答えること無く、ライトンはきょろきょろと車内を見渡した。

 扉が開けられた。先ほどの騎士が息荒く立っていた。


「て、敵襲です! お逃げください」


「敵襲だと! 賊か!?」


「いえ、魔物の大群です。はやくお逃げ……」


 騎士の言葉は途中で止まった。目が上下にぐるぐると動く。

 危険を感じたライトンがクレアを後ろに下げさせる。騎士の口から一筋の血が流れ、体が地面に沈み込んでいく。その後ろに黒い人影が見えた

 黒い装束を身に纏った者が立っていた。顔も目以外のすべてを黒い布で覆っていた。手に握られたダガーは血に濡れている。剣先からこぼれた血の珠が、倒れた騎士の顔にぽとりと落ちた。


「ひっ」とクレアが息をのむ。それを合図にしたかの様に黒装束がダガーをつきだして車内に飛び込んできた。

 ライトンが反応して前に出て、右掌を上にして拳を握り込む。黒装束が首を狙って短剣を突き出した。


「かぁっ!」


 ライトンの左手がくるりと回った。黒装束の短刀を左の手刀が払いのけた。短剣がずれてライトンの二の腕に刺さる。それをモノともせず、腰を沈め、踏み込みと共に右手の正拳で殴りつける。

 掌を上にして握り込んだ右手が、殴りつけたときには甲が上を向いていた。ねじりの加わった正拳が黒装束の胸を貫いた。

 めきりと太い木の枝が折れる様な音が響いた。黒装束の胸骨が砕け散る音だ。が、クレアには何の音か解らなかった。

 黒装束は白目をむき、馬車の外に吹き飛ばされた。口から泡を吹き、その泡にどんどん赤が混じっていく。


「クレア、外に出なさい」


「え……」


「出るのです。外へ」


 ライトンは反対側の扉を開けて、クレアを外に押し出した。


「司祭様! お怪我を」


「気にすることはありません」


 ふんっ、とライトンが力を込めると二の腕から短剣がずるりと抜けた。血に濡れたダガーが地に転がる。


「む……」


 クレアの後ろに二つの黒い人影が見えた。先ほどの黒装束だ。短剣を正眼に構え、じりじりと間合いを詰めてくる。ライトンは再びクレアの前に立った。


「何者だ、所属と名を名乗れ」


 ライトンは腰を僅かに沈め、黒装束に問いかけた。両手を半開きの状態で肩の辺りに揃える様にして構えている。


 黒装束は答えることなく、剣尖を上げ斬り込んできた。

 が、その体がぐらりと蹌踉(よろ)めいた。すぐに踏み込んだ右足に猛烈な激痛が走る。

 ライトンが同時に踏み込み、黒装束の右足の膝を蹴り抜いたのだ。

 めきゃ、という音と共に、膝裏から折れた骨が皮膚を突き破って飛び出た。

 勢いで黒装束が前につんのめる。倒れ込みそうになる黒装束の顔面に迫るモノがあった。

 拳。節くれだってごつごつした、おおよそ聖職者とは思えない太い指が、黒装束の顎を下から正確に捉えた。


 それは容赦のないアッパーカット。

 強烈な歯のかち合う音と共に、黒装束の体が宙に浮き、空中で風車の様に勢いよく、2回転して顔面から地面に突っ込んだ。


 後ろからもう一人の黒装束が迫ってくる。左手の短剣を水平に薙いだ。

 ライトンは体勢を戻しつつ、一歩引いてかわそうとする。

 薙いでいた短剣の刃が途中でくるりと90度回った。短剣の刃が縦になる。剣の腹で空気抵抗を高めることによって横薙ぎの動きを止め、突きに変えたのだ。黒装束が体ごと突き込んで来た。

 体の崩れたライトンに刃が突き刺さる……はずだった。


「かっ!」


 ライトンの掌底が剣の腹を叩いた。と同時にくるりと体を開いた。刃が真横を通り過ぎていく。

 ライトンが黒装束にぶつかっていく。刃の握られた左手をライトンは閂にして捉え、太い右手がするりと黒装束の首に回された。そしてそのまま引っこ抜く様にして空中に持ち上げる。

 黒装束の体が垂直に持ち上げられた。パニックになった黒装束の両足が空中でばたばたと動き回る。が、ライトンはびくともしない


「エミリーナの教え……その身で受けなさい」


 ライトンは地面を蹴って、沈み込んだ。

 衝撃音と共に、黒装束の顔面すべてが、決して柔らかいとは言えない土の地面にめり込んでいた。

 垂直落下式ブレーンバスター……黒装束は顔を支点として逆さまに突き刺さっていた。

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