表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/72

第70話 餓狼

最終話の予定でしたが

私の体調不良と、1万文字を越えてまだ終わらないので2回に分けます。

本当に最後までぐだぐだでごめんなさい(泣)



「わ、凄い。おいしい……」


 リムが口を押さえ、目を丸くしていた。


 リムが口にしたのは(ひらめ)の煮こごりだ。セイジとレナードの酒肴用に出された中の一品だった。

 鮃の余った骨やアラを醤油と生姜、酒等で煮詰め、骨を取り出し中にほぐした白身を入れ、煮汁ごと冷やして固めた一品だ。鮃の持つゼラチン質で自然に固まる。


 黒い固まりは一見見栄え悪く、薄い羊羹(ようかん)のようにも見える。しかし中は鮃のエキスがいっぱいで、うまみの固まりとなっている。

 初めて見る煮こごりを不思議そうに見つめていたリムに、レナードが食べてみるよう進めた。おそるおそる口に運んだリムはそのおいしさに目を丸くして驚いていた。


「気に入ったなら食べて良い」


 レナードは目の前に置かれていた皿をリムの方に押しやった。皿には煮こごり以外にも八幡(やわた)巻きや皮の焼き和えなどが載っている。


「良いのですか?」皿を見たままリムが聞いた。初めて見る料理に、好奇の色が浮き出ている。


「私は飲みながら食べないから、気にせずリムが食べると良い」


 レナードは酒の入った平皿を傾けながら微笑んだ。皿の中には焼酎が入っている。リムは嬉しそうに頷くと、箸を八幡巻きにのばした。


「ほんとう……凄くおいしい」


 向かいに座っていたクレアもまた、煮こごりを口にして驚いていた。以前は使えなかった箸を完全に使いこなし、柔らかい煮こごりを崩すことなくつまみ上げている。


「クレアも喰うか?」


「あ……いえ……」


 セイジの言葉にクレアは戸惑いの目をセイジに向ける。

 本当は食べてみたい気持ちがあるのだろう。しかし、セイジはレナードと違って、飲みながら食べる人だと言うことをよく知っている。それに夫の為に出された料理を、妻が横から掠め取るのはどうかという思いがあった。

 それはセイジもよく知っている。だから微笑みかけながら言った。


「じゃあ、半分こにしよう」


「あ、はい!」クレアもまた、セイジに微笑みかけた。




 昨日、見世物となった結婚式と披露宴を終え、今朝一番でセイジ達はレナードの馬車でマイナにやってきた。

 表向きは二組の新婚旅行だ。実際レナードとリムはその通りなのだが、セイジとクレアにはまた別の意味があった。

 メルドムの慰霊イベントは昨日で終了しているが、新法皇と前法皇セリアはまだ数日はメルドムに残る予定となっていた。その後、新法皇はマルヴィクスに帰還となるが、セリアはマイナにてセイジ達と合流することになっている。目当ては温泉と酒のようだ。


 宿はかつて泊まったあの女将のいる宿である。というか、あの宿がマイナで一番ランクの高い宿である。確かに女将以外は超一級品だ。

 今日の出迎え時に当然女将はいた。2度目であるセイジとクレアには何も言わなかったが、もう一組のレナードとリムを見て、にこやかに


「まだ蕾の花を、自ら手折(たお)るのも風流でございますね」


 と言い放った。クレアとリムは意味が解らなかったらしくきょとんとしていたが、レナードは苦虫をかみつぶしたような顔になり、セイジは笑いをかみ殺すのに必死だった。


「レナード、リム、明日何か用事はあるか?」


 リムの入れてくれた茶を飲みながら、セイジが聞いた。


「いえ、特にここにいる間の予定は決めていません。まあ、のんびり骨休めでもしようかと」


 レナードもまた茶を飲みながら答えた。


 レナードとリムはここに5日間滞在し、マルヴィクスに帰ることになっている。

 二人は忙しい身だ。レナードは帰還次第グランドナイツに任命されることが確定している。リムも今はマルヴィクスにある魔導高等学校の生徒となっており、いわば学校をサボっている状態である。帰ったら遅れを取り戻すため補修が待っていると苦笑いで言っていた。

 新婚とはいえ、二人はこれから忙しい毎日が待っている。マイナにいる間は二人でのんびり過ごす予定なのだろう。


 対してセイジとクレアはのんびりとした毎日を過ごしていた。

 セイジはマルヴィクスにてライトンの部下として働いていた。とは言っても今のところ仕事はほとんど無い。新法皇や前法皇セリアに随伴(ずいはん)し、クレアと共に各地を回るくらいだった。

 それも月に2、3回位であり、それ以外は基本フリーである。非常に暇な毎日を送っている。


「俺が以前ここに来た時世話になった爺さんがいる。その爺さんが明日飯を奢ってくれるって言うんだ。お前達もどうかと思って」


「……部外者である私たちが同席してもよろしいのですか?」


「問題ないって言っていた。賑やかな爺さんだから人が多い方が良いだろう」


「ではお言葉に甘えることにします」


「わあ、またおいしい料理が食べられるのですね」


 リムが手を叩いて喜んでいた。ドラグーン出身のリムはファイナリィ料理をあまり食べない。だが、今日出された懐石料理はたいそう気に入ったらしい。


「グランお爺さんですか?」


「ああ。こいつをもらいに行った時に言われたんだ」


 クレアの問いに傍らに置いてあった胴田貫をポンと叩いた。






「旦那様、新しいお茶をどうぞ」


「お、すまんな」セイジは礼を言うと、熱い茶を一気に飲み干した。


「お爺さんはお元気でしたか?」


「殺したって死にそうに無い。老い先短いって言ってるがまだまだ先だろう」


「ふふ、よろしいことですね」


 クレアが笑いながら、空いた湯飲みにお茶を注いだ。


 時間は夜9時を回っている。部屋にはセイジとクレアの二人きりになっていた。

 まだ寝るには早い時間だが、レナードとリムは食事が済みひとときすると、自分達の部屋に戻っていった。セイジとクレアに気を使ったのではなく、自分達も早く二人きりになりたかったのだろう。


 セイジは夕刻頃、グラン爺さんの元を訪れていた。その時に預かってもらっていた胴田貫をもらってきていた。

 部屋の床の間には二振りの刀が並んでいる。胴田貫と斬馬刀だ。

 ナロンの自宅に油漬けになっていた予備の斬馬刀を仕立て上げ、この一年腰に携えていた。今は胴田貫を貰ってきてしまったため、刀が二本ある状態になっている。


「ほかに何か仰っていましたか?」


「変わったな……と」


「変わった? 何がですか?」


「……太くなったな、って」


「あ、それクレアも言われてます。お友達とかに『ずいぶん丸くなったねー』って」


「そうか?」セイジはまじまじとクレアを見る。


 確かに出会った時よりは肉がついたような気がする。とはいっても元々クレアは細すぎであり、今でも同年代の標準体型より細いと思う。


 もっとも指摘されたのは体型だけじゃないがな……。


 セイジは茶を飲みながら、グラン爺さんとの会話を思い出した。




「体つきが太くなったな。筋肉がついたようだが、スピードは落ちたのでは無いか?」


「まあな……」


 セイジは爺さんの言葉を聞きながら、茶をすすって苦い顔をする。

 確かにセイジの体重は10kg以上増えていた。太ったのではなく、筋肉がついたからだった。全体的に均等に肉が付き膨らんだので、太っていると見る者は皆無だろう。


「それにずいぶんと落ち着いた。あの嬢ちゃんのおかげか」


「落ち着いた?」セイジは視線を上げてグラン爺さんを見た。


 グラン爺さんは茶をすすると、目の前に置かれていた漬け物をかじった。


「……お主と初めて会った時、狼が店内にいると思った」


 やがて爺さんがぼそりと言った。


「人の皮を被った餓狼が刀を差して歩いているのだ。驚いてワシは声をかけたのだ」


「餓狼……」


「飢えた狼、ワシにはそう見えた。今は違う、狼であることには変わりないのだろうが、飢えてはいない。あの嬢ちゃんのおかげだろう。お主も何か感じるところはあるのではないかな?」


 確かに爺さんの言う通りだった。この一年で大きく変わった。セイジもそれを自覚している。


 この一年、セイジは人を斬っていない。請われて教団兵士との模擬戦を行うくらいで、戦闘など一度もしていない。新しく卸した斬馬刀もせいぜい畳や竹を斬ってみせるだけである。血を吸っていない新品同様だ。


 今まで無限にあった闘争心は、この一年で綺麗さっぱりと無くなっていた。


 心の内側にべったりと張り付いていた暗い情熱……それに引っ張られるようにセイジは戦い続けていた。

 だからこそ人を無造作に斬れた。まるで大根を切るかのように真っ二つに出来たし、相手の間合いに臆することなく入り込むことが出来た。


 自分の命が軽かった。死というモノを恐れたことがない。

 今は違う。死ぬことが怖い、クレアと離れることが何よりも怖い。自分の命が急に重くなった。


 最近、過去のことが思い出せなくなっている。師でもある祖父と別れてから各地を放浪し、ナロンで傭兵をしていた日々……それら諸々が思い出せなくなっていた。その代わりに思い出されるのが、クレアと共に過ごすようになったこの一年のことだ。

 クレアと過ごしたたった一年が、今までの記憶を隅に押しやろうとしていた。一人だったとき何をしていたのか、何を食べていたか、暇な時どうしていたのか、すぐには思い出せなくなっている。

 クレアと過ごした穏やかな一年が、心の空虚(くうきょ)を埋め尽くしていた。飢えていた狼は満腹となり、満足して眠り始めた。空腹の時の事など夢にも見なくなっている。


 爺さんは立ち上がると部屋の隅に行き、立て掛けてあった刀を掴んだ。預けていた胴田貫だ。


「刀はとうに戻っている。持って行くが良い」


 刀を抜き、鞘と共にセイジの目の前に置いた。セイジは湯飲みを置くと、刀を目の前に立てた。確かに強くなっていた反りは戻っている。手入れも完璧にされていた。


「爺さん……俺はもう刀は……」


「いいから持って行け。使わずとも床の間にでも飾ってやれば良かろう」


「しかし爺さん、この刀は飾るものでは無いと言ったのはあんただ」


「以前はな。今は違う、この刀は既に飾るものになった」


 グラン爺さんは抜き身の胴田貫を見て目を細めた。


「化け物を斬り、人を斬り、鎧まで斬って見せた。たった一晩だが、身が反り返るほど叩き斬って満足したのだろう。以前まであったまがまがしいほどの気は無くなっている。こいつも落ち着いたのだな、お主と同じように」


「………………」


 セイジは刀に目を向けた。

 確かに爺さんの言う通り、刀から感じたまがまがしいほどの気配は消え失せていた。刀を知らないクレアですら怖いと感じた刀は、ただの刀へと変化していた。


「ワシが持っていても仕方ない。お主が持っていた方が喜ぶだろう」


「……解った。ありがたく頂戴しておく」


 セイジは刀を鞘に戻した。爺さんはそれを見て嬉しそうに頷いた。




 弱くなったな……。


 爺さんの目はそうセイジに語りかけていた。もっとも、それは避難する目ではない。弱くなれて良かったな、そう言っているように見えた。


 自分でも確実に弱くなっている事は解っていた。

 戦闘はしないが稽古はたゆまず続けている。その為セイジの体は鋼のような筋肉に覆われている。一回り太くなった肉体は、一見すると以前より強そうに見える。


 しかし、それは違った。セイジはスピードを生かして戦うスタイルだ。どっしりと構え、腰を落として地に張り付いて戦うわけではない。身軽さを生かし、相手を前後左右に揺さぶりながら戦う。ヒットアンドアウェイの戦法に近い。

 刀に力はそれほど必要ない。力よりも(ワザ)である。今のセイジの体型はそれに反していた。


 クレアとの安らぎの時が全てを変えてしまった。一日3食きっちりと食い、しっかり睡眠を取る。そしてクレアとの生活は体だけではなく、心にも栄養を与えていった。

 今までの自堕落な生活とは違う。腹は減ったが面倒だったので酒とつまみですましたり、逆に食べ過ぎたりもしない。眠くなったら寝る生活だったので、昼間に寝ていることも多かった。


 それで良かった。というより、その生活に体があっていた。一日数時間にもわたる稽古など必要ない。実戦が体を勝手に絞っていた。必要以上の肉はつかない。稽古はあくまで今の体型を維持する為のモノで、20分程度ですんでいた。

 今は違う。実戦からは遠ざかり、稽古を今まで以上にやっている。しっかりとした食生活と稽古、それに安らぎがセイジの体に肉をつけて、皮肉にも弱くしていた。


 だがそれでいい、と思っている自分もいた。

 もう戦うことないだろう、そう考えていた。あのメルドムの戦いが、自身最後の戦いだっただろうと。


 これからドラグーンもファイナリィも表面上は平和になる。将来は解らないが、少なくとも数十年は戦争も起こらないだろう。今や両国の手綱はエミリーナが握っている。エミリーナの意思に反して戦争再開とは行かない。

 ロウガはこれからは傭兵の仕事は減る、そう言っていた。それが世界の流れなのだ。もう自分のような、戦う人間は必要とされない世の中が来る。

 それで良かった。セイジは戦いでクレアという生涯の伴侶を手に入れた。戦いかクレアか選べと言われたら、迷うことなくクレアを選ぶ。強さを維持するよりクレアと一緒にいることを選んだのだ。


「……様……」


 すぐ近くから聞こえた声に、はっと我に返った。

 クレアがセイジの胸元にすがりついて、じっと見上げていた。いくら思考を巡らせていたとは言え、ここまでの接近に全く気が付いていなかった。弱くなっているのか、クレアに全てを許しているのか……。


「セイジ様……」クレアは名を呼びながら、セイジの首に手を回した。


「な、なんだ……」言いながら、来た! と思った。


 クレアは何も言わない。ただ黙って胸元からセイジを見上げている。その目はまっすぐとセイジの目を見据え、妖しく揺らめいている。

 クレアのおねだりだった。愛し合いましょう、とセイジにおねだりしているのだ。


「セイジ様……」もう一度セイジの名を呼び、クレアは手に力を込め体を上げた。互いの顔が接近し、キスする寸前まで近寄って止まる。


 セイジの目が横に泳いだ。クレアはそのままセイジの首元に甘えかかる。

 セイジの心臓が激しく鼓動し始めた。自分の耳元で心臓がうるさいほどはしゃいでいる。


 ……流されちゃダメだ、流されちゃダメだ、流されちゃダメだ!


 セイジは激しく自分に言い聞かせる。クレアを離さなければいけないと解っているのだが、両手がぴくりとも動かない。

 そのまま3分ほど二人は動かなかった。が、やがてセイジの両手が震えながらゆっくりと上がった。


「ク、クレア……」絞り出すように名を呼ぶ。上げられた両手がクレアの背中に回され、優しく抱きしめる。


 あ、と声を漏らし、クレアが嬉しそうに顔を上げた。そのままセイジの唇に重なる。


 うう……今日も無理だった。


 今日もクレアのおねだりに抗うことが出来なかった。これで何連敗目なのだろうか……途中で数えることを諦めたため、正確な数はもはや解らない。

 もっとも今日は頑張って耐えた方だった。普段だったら数十秒で撃沈している。3分は新記録だった。

 クレアの甘い唇を味わいながら、セイジは己の不甲斐なさに心の中で涙を流し続けた

最終話は6月3日(水)になります。

万が一、体調が更に悪化したら5日(金)になります。

本当にごめんなさい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ