第67話 我が儘
警備に付いていた兵士が、恭しくセイジに頭を下げ扉を開けた。セイジも一礼して部屋の中に入る。
部屋はセイジ達がいる部屋よりも一回り狭かった。これでもセラヴィの中では広い方の部屋である。セイジ達の部屋が広すぎるだけだ。
「あ……セイジ様!」
きょろきょろと動かしていたセイジの視線が一点で止まった。
そこにはクレアがいた。驚いた表情からすぐに満面の笑みになり、セイジの方に走り寄ってくる。
そのまま勢いよく、セイジの胸元に飛び込んだ。
「こらこら、クレア」
「えへへ……」
笑いながらセイジの胸元に顔をすりつけた。それを見てほっとセイジも胸をなで下ろした。
良かった……元気そうだ。
三日ぶりに会うクレアに目を細めながら、セイジは甘えかかる頭を優しく撫でてやった。
レナードが予告した通り、あれからセイジは地獄の日々を送っていた。
「婿殿ごめんなさい、これもお仕事だと思って、私とお付き合いして欲しいの」
セリアに上目遣いでお願いされては、「解りました」と答えるほか無かった。
もちろん交際して欲しいというわけではない。お偉方との会合や慰問に付き合って欲しいと言う事だ。当事者でもあるセイジとしては頷くほか無かった。
昼食と夕食は、視察に訪れた教団幹部やファイナリィ王宮のお偉方との会食。
ちっとも腹にたまらない飯と、ちっとも酔えない酒をちびちびとやりながら、歯の浮くような賛辞を聞きながらの食事。それがこれほど拷問だとは思わなかった。
教団幹部もファイナリィ王宮の者達も、今回のセイジの戦果を褒め称え賞賛した。褒められているにも関わらず、何故か胃がきりきりと痛みだし、謎の胸焼けや吐き気が襲ってくる。セイジは必死になって作り笑いを顔に貼り付かせながら、ちらちらと一向に進まない時計に目をやることしか出来なかった。
日中の空いた時間は、セリアと共に避難所などの慰問に向かう。大勢の市民が涙を浮かべ、セイジに礼を述べていた。中にはガガンボに捕らわれていた母子もいた。
「あなた様のおかげで私も息子も助かりました……ありがとうございます! ありがとうございます!! このご恩は終生忘れません!」
「おじちゃん! ありがとー!」
「ああ……いえ、はい、どうも……」
すいません……全力で見捨てるつもりでした。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら礼を言う母親に真実を告げられるわけもなく、セイジはだらだらと汗を流しながら、曖昧な返事を繰り返していた。
セイジは褒められることになれていない。傭兵という仕事上、軽い礼を言われることはあっても最大限の賛辞などこれまで受けた事は無い。一生分の慣れない賛辞を全身に浴び、何故か精神力がごりごりとすり減っていく。
毎晩部屋に戻っては、シャワーも浴びず、ベッドにダイブし朝まで眠り続けた。しかし、一向に精神力は回復しない。
その最大の原因は、クレアが側にいないことであった。
あの日、クレアは夜まで昏々と眠り続けた。
そして目を覚ました後、ライトン司祭が救出されていた事を聞くと、すぐさまライトンの部屋まで行ってしまった。
しばらくするとクレアは戻ってきたが、ライトン司祭の看病に行って参ります、と言い、再び部屋を出て行った。
それから三日間、セイジはクレアと一度も会うことが無かった。クレアは一度も部屋に戻ることがなく、セイジは多忙と疲労で時間を取ることが出来なかったのだ。
明日にはセリアはマルヴィクスに帰ることになっていた。そこにセイジは同行しない事になっている。契約はここで終了となり、ナロンに戻ることになっていた。退団手続きや家の売却などやることが山のようにあるからだ。
そんな最終日前日の夕食後、ようやく時間が空いた。疲れた体を引きずるようにして、セイジはライトンとクレアのいる部屋までやってきたのだ。
セイジはクレアの体をぎゅっと抱きしめた。こうするだけで疲れがドンドンと癒えていく。
正直、クレアのことが心配でしょうがなかった。ライトンの安否をクレアが気にしていることは知っていた。師を置き自分だけ逃げてきた、と思っている節があった。
その師が生きて発見されたのだ。クレアが看病で無理をしているのではないか、とずっと心配していた。
三日ぶりに会ったクレアは少し疲れているようだったが、顔色は良かった。しっかりと休息は取れているようだ。それだけでセイジは数日間の胸のつかえが解けていくのを感じていた。
「ゴホン!」
抱き合う二人に大きな咳払いがぶつけられた。甘えていたクレアがはっと顔を上げて、セイジから離れた。
セイジも顔を赤くして顔を上げた。クレアに気を取られたあまり、この部屋にいるもう一人の存在を忘れてしまっていた。
「あ、あの、セイジ様、どうぞこちらへ」
真っ赤になったクレアに手を引かれ、セイジはベッドの方に歩み寄る。そこには上半身だけを起こした老人がいた。
「ようこそ、セイジ殿。ライトンと申します」
ライトンは深々と頭を下げた。セイジも慌てて名乗ると頭を下げる。
「クレア、何か熱い飲み物を入れてくれるかな? お茶が良いな」
「はい、解りました。では御用意をしてまいります」
失礼します、と一礼し、クレアはセイジをちらちらと窺いながら隣の部屋に消えていった。セイジもクレアの後ろ姿を目で追っていた。
「さて、改めて……セイジ殿、今回のメルドム襲撃、そして我が弟子クレアを救って頂いたこと、合わせてお礼申し上げる」
「い、いえ……仕事ですから」セイジは慌ててライトンに顔を戻し、頭を下げた。
「ご謙遜なさるな、仕事とは言え、命を賭して戦う事などそうそう出来はしない。もっともセイジ殿はメルドムのためではなく、クレアのために闘ったようですが」
そう言ってライトンはにこやかに微笑んだ。何となく気恥ずかしくなり、セイジは目をそらした。
「私もあの娘の事は心配していた。エミリーナの娘らしく純粋すぎてね、体のこともあって、いつかろくでもない男に捕まってしまうのではないか、と思っていたが……いやいや、見る目はしっかりとしていたようだ。安心しました」
「いや……まあ……なんと言いますか……」
言葉を濁しながら、セイジは視線を虚空へと彷徨わせ続けた。
少しの間、沈黙が続いた。やがて、セイジは視線をライトンの方に戻した。
「その……法皇選を辞退されたとお聞きしましたが……やはり今回の事で?」
「ええ……今回、このメルドム襲撃が起こった責任の一端は私にあります。これほどの犠牲者を出しておいて、法皇選などに出馬するわけにはいきません。私はマルヴィクスに戻り次第、今回の事を報告し、エミリーナ教徒そして被害に遭われたメルドム市民全てに謝罪しようと考えております。」
「しかし、次期法皇はほぼ確定と聞いておりましたが」
「だからこそです。その事を公表せずに法皇になることがあれば、それはしこりとなり、いずれ教団全体に波乱を起こすことになりましょう。それは私の望むところではありません。それに正直、法皇の座など私は望んでいません。周りが勝手に担ぎ上げたまでのこと。器ではありません」
ライトンは苦笑いし、首を横に振った。
そうですかと言い、セイジは顔を俯かせた。マズいことになってきたな、と思う。
「どうかしましたかな? 私が法皇にならないとセイジ殿に何かあるのですかな?」
「いや……まあ、その……なんと言いましょうか、一つ懸念がありまして」
ごにょごにょとセイジは口の中で言葉を回した。どうしようか迷ったが、セイジは言うことにした。
セイジの懸念とはこれからの法皇選のことだった。
昨日レナードが言っていたことが頭に残っていた。本命のライトンがいなくなったことにより、混戦模様と化した法皇選。候補者達が今回の戦いの立役者、すなわち自分を自陣営に取り込もうといろいろ動いてくるのでは無いか、と心配していたのだ。
食事会の時に同席したエミリーナ幹部の中にも候補とみられる者が数名いた。もっとも、法皇の前だったためか、あからさまな言い方はしてこなかったが。
セイジはそういった政に巻き込まれる事はまっぴらごめんだった。正直に言えば煩わしく、面倒くさいことこの上ない。大体今はエミリーナ教徒でもない。ただの無神論者だ。
その不安をライトンに伝えた。ライトンは苦笑しながらセイジの話に耳を傾けていた。
「成程、いや、セイジ殿の心配もごもっとも、よろしい、私とセリア様で何とかしましょう」
「お願い出来ますか?」セイジは縋るような目でライトンを見ていた。
「できる限りのことはします。セイジ殿もクレアとの新婚生活をそんなことで邪魔されたくはないでしょうから」
「い、いえ……そういうことでは……」
セイジは顔を赤らめながら、呟いた。その事もかなりのウエイトを占めていたことは間違いなかった。
「他に何か……聞きたいこと等はございますか」
「いえ、特にはありません」
ライトンの言葉にセイジは即座に答えた。
正直に言えば聞きたいことは他にも山ほどあった。このメルドムを襲ってきた者達のことだ。
彼らはイーストの手の者なのか? 何故メルドムを襲ったのか? 最終目的はなんだったのか? 単純に法皇であるセリアを狙っていただけなのか?
敵幹部は全てセイジが斬り斃した。その為、全ては謎のままだった。
幾人かの黒装束達が逃亡していたが、誰一人として捉えられていないという。元々顔を含めて装束で全身を隠していたので、それさえ取ってしまえば一般市民と見分けは付かなくなる。闇夜の戦闘とあって、まともに顔を見た者などいない。
そしてライトンの事だ。
ライトンは脱出したのでは無い。聞くところによると、ライトンはルーン村の入り口に放置されていたという。明らかに生かして解放した形だ。
何故解放したのか? その意味がセイジには全く理解出来なかった。ライトンに必要がなくなったのであれば殺せば良いだけだ。もしくはそのまま放置しておけば良い。わざわざ村の入り口に置いたのは、誰かに発見してもらいたかったと言う事だ。
メルドム襲撃をした者達とは別なのか? だとすると話のつじつまが合わない。最初にセイジが遭遇した黒装束がメルドムにいたのだ。ライトン達を襲い攫った者達と、メルドム襲撃した者達は同一と考えるのが筋だ。
全てが謎だった。だが、その事をライトンに聞くつもりはない。
セイジの仕事は戦うことであり、事件の謎を解くことではない。今までもずっとそうしてきた。事情はどうあれ、今回も変えるつもりは無い。
ライトンは不思議そうな目でセイジを見ていた。やがて顔に笑みが戻る。
「そうですか」と言ってライトンは何度か頷いた。「あまり欲の無い方なのかな?」
「は?」
「いえいえ……お気になさらず。クレア、もう入ってきてもいいですよ」
扉に向かってライトン司祭が呼びかけた。すると盆を持ったクレアが扉を開け、おずおずと入ってきた。
何ともバツの悪そうな顔をしていた。二人の話に耳を傾けていたのだろう。
「どうぞ、司祭様、セイジ様」
クレアはそばのテーブルに湯飲みを二つ置いた。ライトンは手を伸ばすと茶をうまそうにすすった。セイジも茶に手を伸ばす。茶はかなり冷めていた。
「さてクレア、私はもう大丈夫だ。セイジ殿と一緒に部屋に戻りなさい」
ライトン司祭は一気に茶を飲み、湯飲みをテーブルに置くと、クレアに微笑みかけた。
クレアはその言葉に驚いて顔を上げた。
「え? い、いえ、司祭様、私は最後までお世話致します」
「お前は私を年寄り扱いする気かな? もう一人で身の回りくらいは出来る。どちらにせよ、明日お前はここを離れるのであろう? 今夜くらいはセイジ殿の元でゆっくりと甘えるといい」
「し、しかし……」
「お前は私が攫われたことに責任を感じているのかも知れない。それは違う、私が攫われたのはあくまで私の責任だ。お前が気に病む必要など無い」
クレアは黙ってライトンを見ていた。その目は明らかに迷っている。
「クレア、お前は優しい娘だ。だが、たまには我が儘になることもになることも必要だ」
「我が儘……ですか」
「そうだ。お前はもしかしたらメルドムの人達が大変な中、自分だけ幸せに浸かってはいけない、そう思って我慢しているのかも知れない。それは違う。エミリーナの教えは自分が不幸になっても他人を幸せにすることでは無い。自分を幸せにすることによって、他人も幸せにすることが教えだ。
クレア、お前は今まで我慢し続けていた。それは私がよく知っている。ようやくセイジ殿という素晴らしい良き人と巡り会えたのだ。たまには我が儘になって、自分の幸せを求めなさい。お前には誰よりも幸せになる権利がある。私はそう思っている」
クレアは胸元で手を重ね、下を向いてライトンの言葉を聞いていた。そのままの姿勢で視線だけ動かし、固まっている。セイジはそんなクレアを横目で見ているだけだった。
やがてゆっくりと顔を上げ、まっすぐとライトンを見た。
「司祭様、私はこれからセイジ様の妻になります。これがもしかしたら司祭様の最後のご奉公になるかも知れません。明日、私はここを離れる身です。最後まで司祭様のお世話をする。これが私の『我が儘』です」
クレアの言葉にライトンは目を丸くした。そしてすぐに笑い出した。
「お前は頑固者だな、母親そっくりだ」
セイジもそう思った。本当にセリアそっくりだ。
「あ、あのセイジ様、ごめんなさい」
「いいや、その方がクレアらしい。ライトン司祭、クレアを頼みます」
「すまないな、セイジ殿。明日には必ず君の元に返そう」
セイジは立ち上がると、クレアの頭をポンと撫でて上げた。ライトンに一礼し、部屋を退室する。扉の側までクレアが付いてきた。
「お休み、クレア」
「お休みなさい、セイジ様」
にこやかに微笑みかけるクレアを見ながら、セイジは後ろ手で扉を閉めた。警備兵に一礼して部屋に戻ろうと歩き始める。
やれやれ……と頭を掻きながら、セイジはポケットに手を突っ込んだ。中から四角い小箱を取り出し、眺めながら深いため息をつく。
今日も渡せずじまい……か。
小箱をポケットに戻し、セイジは部屋に戻った。その足どりはどことなく重かった。
次回は5月18日(月)の予定です。




