第65話 英雄
「はふはふ、ぞぞ、ズズズ……」
はしたない音をたてながら、セイジは味噌汁飯を胃の中に流し込んでいた。
どんぶりの中にあった汁飯があっという間に消えていく。もはや飯を食べているのではなく、飲んでいた。
目が覚めた時はそれほどではなかった空腹感が、覚醒してくるにつれ凄まじい飢えとなって襲ってきた。3日間何も食べていないのだから当然なのだが。
二人は法皇の部屋から自室へと戻ってきていた。セリアは一度、クレアとセイジの様子を見に立ち寄っただけで、またすぐに部屋から出て行ってしまった。
法皇として、今回の事件で犠牲になった人々の元や、避難場所への慰問を行っているとのことだった。休みなしで動いているようなので少し不安ではあるが、止めても聞かないだろう。
セリアは今回の事件に責任を感じている。決してセリアが悪いわけではないのだが、こればかりは本人の気が済むまでやらせるしかない。
部屋に戻った頃には、空腹は飢餓状態となっていた。米を炊く時間も待てなくなったので、食堂から先日の残り飯をもらってきて、暖めた味噌汁の残りをぶっかけ喰っていた。
冷たい飯に熱々の味噌汁をぶっかけ、音を立てすすり、貪り喰う。味噌汁の中に具は何もなく、ただの汁飯なのだが、今のセイジには至高の食い物だった。これほどうまいものは食った事は無い、これまでの人生の中で間違いなく最高の食事だった。
「こんなものしかありませんが……」
クレアが平皿に盛った漬け物をセイジの前に置いた。
セイジは平皿を掴むと、漬け物を口に中に流し込み、口いっぱいに頬張った。漬け物を噛みしだく音が部屋中に響き渡る。
「……追加のご飯も、お味噌汁も出来ますので……」
クレアがぽかんとした表情で呟いた。セイジのあまりの食いっぷりに圧倒されていた。
「うん、すまんな」セイジはようやく一息ついたと言った感じで、目の前の茶に手を伸ばした。
お櫃半分くらいの冷や飯を喰い、ようやく腹の飢餓感は収まった。それでもまだ腹3分目と言ったところだった。これから炊きあがる飯を喰ってようやくと言った腹の具合だ。
湯飲みからお茶がなくなったのを見て、クレアが新しい茶を注いだ。それをセイジの前に置いた時、扉がノックされる音がした。
「お邪魔するぞ」二人が反応する前に扉が開き、小柄な老人が姿を見せた。「おや、食事中だったか、それはすまなんだな」
「爺さん!? 何であんたがここに?」
現れたのはマイナの武器屋の親爺、グラン爺さんだった。ここにいるはずのない人物の到来に、セイジは椅子から立ち上がって爺さんの方に歩み寄った。
「ほう、敵との戦いで大怪我を負ったと聞いていたが、なんの元気そうではないか」
「いや、まあ……それでなんで爺さんがここにいるんだ?」
「あの、私がお呼びしたんです」答えたのはクレアだった。
「セイジ様が先の戦いで刀の鞘を壊しておりましたので、新しい鞘を持ってきて頂けるようマイナに使いを出したのです。ただお爺様自らがいらっしゃるとは思っても見ませんでしたが……」
「若いのに運ばせても良かったんだがな、お主達の様子も気になったのでワシが来たと言う訳だ」
グラン爺さんは物珍しそうに部屋を見回していた。やがて、視線をセイジに止めると、背中にしょっていた鞘をずいと突きだした。
「さ、替えの鞘だ。刀はどこにある」
「いや、わざわざ来てもらって悪いが……」
「なんだ? 折れたのか」
「見てもらった方が早いな」
セイジは身を翻すと、部屋の奥に戻っていった。グラン爺さんも後に続く。
胴田貫はベット脇の台に寝かされていた。剥き出しの刀身は白い布でぐるぐる巻きにされている。それをほどき、グラン爺さんの前に刀身を立てて見せた。
「成程……反ったか。これでは鞘には収まらんな」グラン爺さんが刀身を見上げながら言った。
刀の反りが強くなっていた。固いものを斬ったり、斬り方が悪いとこうなってしまう事がある。もし鞘を壊さなくとも、この反りでは鞘に収めることは出来なかっただろう。
反りが強くなった刀を戻すには、長い時間ほっておいて、自然に戻るのを待つしか無い。下手に打ち直したり無理矢理戻そうとすると折れたり、歪んでしまう。何も手をつけず、元に戻るのを待つのが一番良い。
ちなみに人との相性が悪い事を指す「反りが合わない」はこの事が語源である。
「どうたぬきがここまで反り返るとは……よほどなものを叩き斬ったようだ」
「ああ、爺さん、あんたの刀がなかったら俺は確実に死んでいた。礼を言う」
「なんの、お主の業に刀が答えたまでのこと、ワシは何もしておらん」
爺さんは言いながら胴田貫に再び布を巻き付け始めた。
「これはワシがしばらく預かっておこう。元に戻るまで手入れしておいてやる。替えの刀はあるのか?」
「大丈夫だ。もう一本ある、胴田貫には遠く及ばないが」
「ま、刀が戻るには2、3ヶ月って所じゃな。落ち着いたら嬢ちゃんと一緒にマイナに取りに来るが良い。うまいものでも食わせてやろう。それとも精の付くものが良いか?」
グラン爺さんはにやにやと笑みを浮かべながら二人を見回した。セイジは後頭部をボリボリとかき、無言で視線を上に向ける。クレアは両頬に手を当て、真っ赤になってくねっていた。
「邪魔したな。また会おう」
グラン爺さんは胴田貫を担ぎ、部屋から去って行った。
セイジは廊下を一人歩いていた。
食事を済ませ、ようやく落ち着いた腹を撫でながら、しばらく部屋でクレアとのんびりとしていた。クレアはセイジに身を寄せ、全力で甘えかかっていたが、いつの間にかセイジの肩で眠っていた。
三日間、ろくに睡眠も取らずセイジを看病していたせいか、クレアはセイジが呼びかけても一切目を覚まさなかった。セイジはクレアを抱き上げ、ベッドに寝かせて上げた。しばらくは目を覚まさないだろう。
その間に少しホテル内を散歩しようと思い、部屋を出た。用もあったし、寝過ぎで体が錆びたゼンマイのように固い。少しほぐすため歩くことにした。
中央ロビー近くまで来た時に、見慣れた顔が前からやってきた。
ロウガが大あくびをしながら、歩いていた。やがて、セイジに気が付くと、歩み寄ってくる。
「おう、ようやくお目覚めか。いいご身分だな。こっちゃ必死で働いてるのによ」
ロウガはセイジの目の前に止まり、腹を軽く小突いた。その動きにいつものキレがない。
無精髭に覆われ、頬が少し痩けていた。目が真っ赤に充血して、周りが黒いくまで覆われている。何となく少し痩せたようにも見えた。言葉通り、寝る間もなく働いていたのだろう。
「ロウガ、状況はどうなっている?」
「どうなってるも何もない。あれから今までなーんも起こんなかった」
ロウガは胸元からガムを取り出し、口の中に放った。本当はタバコが吸いたいのだが、館内は禁煙だった。ガムで何とか紛らわせていた。
「うちの兵隊慌てて呼び戻して、24時間体制で警備していた。が、敵どころか猫の子一匹現れなかった。疲れるだけでなーんも無かったぜ」
「エミリーナの本隊は来たのか?」
「先発隊の奴らが来ただけだ。あとはおいおい来るみたいだな。それまではロウガ傭兵団と無事な連中で回していくことになった。ま、もう何もおこらんだろう」
「街の方はどうなっている? 被害はどれほどだ?」
「住民の犠牲者は1000名ほど、負傷者は数え切れねえ。兵士も半数以上死傷している。まともに動ける奴らは3割強ってとこだ。街もかなり破壊され、特に西門東門付近が酷い事になっていやがる。戦闘規模から考えれば被害は少ない方だが、間違いなく終戦後最悪の被害だな」
セイジは腕を組んで俯き、深く息をついた。
ロウガの言う通り、戦闘内容に比べて被害は少ない。だが、1000以上の死者を出す事件は近年起こっていない。間違いなく今回のメルドム事件はこれからの歴史に残る事になるだろう。
「まあ、復興は教団主導で行われるみたいだから大丈夫だろう。被害補償もするようだし、今もそれほど混乱は起きていない。もっとも大変なのはこれからだろうが」
「そうだな……」
「おいおい、何他人事みたいに言ってやがる。これから大変なのはお前も一緒だぜ。英雄さん」
ロウガがにやにやと笑いながら、セイジの肩に手を乗せた。は? と声を上げセイジはロウガに顔を向けた。
「お前さんとお嬢ちゃんは今回の戦いの立役者だ。敵の幹部と思われる敵を一人で叩き斬り、大将を一騎打ちで打ち破った刀遣いの戦士。それに敵のスケルトンおよそ400体を一瞬で祓い、住民の脱出口を作ったエミリーナのシスター。しかも二人は将来を誓い合った恋人同士だという。どうだ、話題性ばっちりだと思わないか?」
「話題性って……お前」
「おっと、勘違いするんじゃねえぞ、俺が言い出したことじゃない。お前の戦いぶりを見ていた兵士達や住人達が話していたことが一気に伝わったんだ。
お前の戦いを見ていたのは数名じゃない、数百名だ。それに嬢ちゃんの魔法は闘っていた兵達はもちろん、多くの住民にも目撃されている。今、お前達の事はこの街の誰もが知っている。メルドムを救った英雄、超有名人って訳だ」
セイジはぽかんとした表情で、ロウガの話を聞いていた。やがて後頭部をボリボリと掻きながら、「マジか……」と一言呟いた。
「これからが大変だぜ、セイジさんよ。もうのんびりと寝ていられねえな」
ロウガは肩を叩きながら、嬉しそうに笑っていた。今までのんびりと寝ていた自分に対する意趣返しのようだ。セイジは顔を俯かせ、首を横に振った。
その時、ロビーから大声が聞こえてきた。兵士達が騒いでいる声と、荒い足音が聞こえる。喧嘩か? と思ったが違う。
「道を空けて、開けて下さい!」
やがて数名の兵士が叫びながらセイジ達の脇を通り過ぎていった。
「何だ? 何かあったのか?」
「ああ、今さっきライトンがここに到着したのさ。大騒ぎだ」
ライトン? どこかで聞いた事がある……。
「ライトン!? ライトンって司祭の? 次期法皇候補の?」
「そうだ。……ああ、そうか嬢ちゃんはライトンの弟子だったな。お前さんが現場に到着した時には攫われていたんだったか」
「ああ……そうか、生きていたのか……」
「3日前、ここからかなり離れたルーン村で発見されたとのことだ。命に別状は無いが、かなり衰弱してる。先程ルーン村からメルドムに馬車で到着したようだな」
再び兵達がやってきた。今度は数十名の兵達の集団だった。
「道を空けて下さい! 開けて下さい!」
「ゆっくりだ! 衝撃を与えないように」
皆が口々に叫びながら早足でこちらに向かってくる。セイジ達は廊下の端に寄った。
そのセイジ達の脇を、兵達の集団が通り過ぎていった。その中央には担架に乗せられた老人がいた。顔に血の気がなく、紙のように白い色をしていた。
あれがライトン司祭か……。
クレア達から何度か話は聞いていたが、想像とはずいぶん異なる外見をしていた。
ちらりと見ただけだが、それでも解るほど体中に厚い筋肉が付いていた。特に肩周り……僧帽筋が小山のように盛り上がっている。完全に打撃系の筋肉の付き方であり、司祭のイメージとは大きく異なる。
年齢もロウガと同じかそれ以上であろう。50を過ぎてあの筋肉の付き方は尋常ではない。司祭と言うよりは拳闘士だ。
「嬢ちゃんに知らせてやらんで良いのか?」
ライトン司祭が去って行った後を目で追いながら、ロウガが言った。
「……今は疲れ果てて寝ているからな、後にしよう」
本当は今すぐに伝えてやるのが良いのだろう。だが、セイジは首を横に振った。
クレアは三日間ほぼ寝ずに看病をし、疲れ切っていた。セイジが目を覚ました事で安心し、ようやくぐっすりと寝ることが出来た。
ライトンが無事に発見されたことは知らない様子だった。今伝えれば今度はライトンの看病に向かうことは容易に想像出来た。倒れるまで……もしくは倒れてもライトンの看病を辞めることはないだろう。
命が危険であるなら話は別だが、別状はないという。ライトンには悪いと思ったが、今はクレアの体を優先させることにした。
「……そうだロウガ、伝えておくことがあった」
「ん?」ロウガは目だけをセイジに向けた。
「その……今回の事が全て終わったら、傭兵団を辞めるつもりだ。家も売り、ナロンも離れることになるだろう」
セイジはクレアに言った通り、教団本部のマルヴィクスに向かうつもりだった。住む家なども、セリアに言えばいろいろ口を利いてくれるはずだ。
クレアはどこでも構わないと言っていたが、知らない街に行くよりは慣れ親しんだ場所の方が良いだろう。
「ああ……まあ、いいんじゃねえか。どっちにしろ、もう傭兵団も限界だろう。俺も規模の縮小を考えていたところだ」
「そうなのか?」
「現状の規模じゃこれからはやっていけないって事だ。今回の事件がファイナリィの山賊騒ぎにどれだけ絡んでいるかは解らない。が、教団の象徴たる法皇が襲われ、次期法皇候補まで攫われたんだ。エミリーナの喪だから、とか言ってる場合じゃないことは教団の奴らも解っただろう」
「山賊退治に教団が動くと」
「ドラグーンのガガンボも同様だ。全軍上げて退治するだろう。場合によっては俺たちにも仕事が回ってくるかも知れない。だが、そこまでだ。ドラグーンもファイナリィも一気に平和になり、俺たちの仕事は激減する。ウチの兵隊150名なんてとても養える数じゃない。せいぜい50名ってとこだ」
「それほどか……」
「一部の人間はドラグーンとファイナリィの戦争再開を望んでいるだろうが、それはないだろう。今回だっていろいろ噂されていたが、結局表立ってぶつかり合う事は無かった。せいぜいがテーブルの下で足を蹴り合う程度の可愛い喧嘩ぐらいだ。これからも水面下の闘争はあっても、全面戦争にはならない。傭兵なんてこれからは今まで以上にお払い箱さ」
一気に喋った後、ロウガは腕を伸ばして大きなあくびをした。
「さて悪いが俺は一眠りするぜ。ようやくまともに寝られるんだ」
「ああ、邪魔したな……そうだ、レナードはどこにいる」
「レナード? あいつは俺たちとは別に動いていたからな……知らないが、ゼオかホローの所にいるんじゃないか?」
そう言ってゼオは今来た道とは逆の方向を指さした。
「このホテルの西棟がエミリーナ兵達の遺体安置所になっている。流石にゼオやホローは一般兵達とは別に部屋を用意され、そこに安置されている。俺も行ったがどこかは覚えていない。向こうに行って、そこらの兵を捕まえて聞いてくれ」
「解った、じゃあゆっくりと休んでくれ」
「おーう、じゃあな」
あくびをしながら、ゼオは去って行った。
さて、レナードを探さなくてはな……。
レナードに頼みたいことがあった。セイジはレナードを探すため、ホテルの西棟に足を向けた。
次回は5月8日(金)の予定です。
GWも安定のお仕事でございます(笑)




