第61話 転(まろばし)
セイジはクレアを背負い、歩を進めていた。隣にはレナードがいる。そこに一切の会話はなかった。
周りにいる兵達も無言で歩を進めていた。口を真一文字に結び、目がつり上がっている。今までどことなくあった楽勝ムードは吹っ飛び、悲壮感すら漂っていた。
ゼオ=ドーガンの死。
伝えられたグランドナイツの筆頭格であったゼオの死が、兵士達を無言にさせていた。
逃走してきた兵士から伝えられたゼオの死。言葉にならない悲鳴を上げながら、ばらばらと絶え間なく逃げてくる兵士。
セイジ達は衝撃と混乱で、全員その場に棒立ち状態になっていた。
……どうする? 一度退くか? 進むか?
セイジがそう考えている時に向こうから大軍がやってくるのが見えた。先頭にいる男に見覚えがあった。グランドナイツのギルだった。
ギルはこちらに気が付くと、走ってやってきた。
「セイジ殿、ご助力お願いしたい!」
そして言うやいなや地面に頭をすりつけ、平伏した。
「待ってくれギル殿、俺たちは今どういう状況なのか、まるで理解していない。逃げてきた兵士がゼオ殿が斬られたと言っていた。本当なのか?」
「…………ああ、ゼオ様は斬られた」
ギルが絞り出す様に呟いた言葉に、兵士達が一斉に息を飲んだ。
その後、ギルが言葉を詰まらせながら今までのことを話した。
作戦は順調に進み、ガガンボはその数を半分以上に減らしていた。その後、ガガンボの後方から大剣を持った黒鎧が現れた。
ホローが太陽烈火を放ち、仕留めたと思われたが、全くの無傷だった。突撃していた50名と共にゼオは斬られ現場は混乱、逃げ出す者が続出し、隊を保っていられなくなったとの事だった。
……あの時のミノタウロスと同じか。
ギルの言葉を聞きながらセイジは思った。
太陽烈火は炎魔法の最大クラスの威力を持つ。相当な魔法抵抗があっても無傷というわけにはいかない。
だが、昨日戦ったミノタウロスも魔導抵抗が低い個体にもかかわらず、セイジの暗黒魔法を喰らっても傷一つ追わなかった。
クレアの話によれば、体から放たれている黒いオーラが魔法防壁のような役割を果たし、威力を中和させたとのことだった。その黒鎧にも同じ物が仕込まれているのだろう。
そして、持っていた大剣でゼオ達50人を二振りで叩き斬った。しかも、斬られた兵士の上半身が宙に舞うほどの強烈な一撃だったという。真横に一閃させ、鎧ごと上半身と下半身を真っ二つにした。
どれほど鋭い剣であっても、鎧を着た20名以上の兵士を、一度に真っ二つにするなど考えられない。その剣にも何らかの仕掛けがあると思って良いだろう。
「ホロー殿とロベルト殿はどうされたのですか? 二人ともやられたのですか?」
セイジは辺りを見回しながら尋ねた。どこにも二人の姿が見えなかったからだ。
「ロベルトは真っ先に逃亡しました。ホロー殿は我らを逃がすため、その場に残られました。10名程の兵士も残ったようですが……」
そこでギルは言葉を句切り、顔を背けた。
ホローは死を覚悟して残ったのだろう。ホローは剣より魔法を得意とする騎士だ。魔法が通用しない相手では勝ち目は無い。ギルの言う通り、足止めのためであろう。
セイジはちらりと隣のレナードに視線を向けた。レナードは腕を組んだまま、視線を下に向けていた。その体が細かく震え、顔が青ざめている。
マズいな、とセイジは思った。レナードは恐怖に震えているのではない。怒りに震えていた。怒りを必死に抑えるあまり、顔は逆に青ざめていた。
セイジはゼオとレナードの関係を深くは知らない。が、普段目上の者にも平気で悪態をつくレナードが、ゼオの前では従順な態度を取っていた。そこには元上司と部下の関係というより、深い信頼関係が見え隠れしていた。
そのゼオの死は、レナードに深い悲しみと怒りを生み出してる。普段憎いほどすかした男が、怒りで我を失っている様に見えた。
「レナード」
セイジの呼びかけにレナードが顔を上げた。
「やれるか、レナード」
「隊長に言われずとも、やりますよ」
「焦るな、お前が死んだらリムが悲しむ」
リムの名前を聞いたとたんに、レナードの顔が歪んだ。視線をそらし、唇を噛んでいた。
セイジはあえてリムの名を出した。効果は抜群だった様で、必死の形相だったレナードの顔が幾分か緩んだ。少しは冷静になったようだ。
「セイジ殿、このまま攻めるおつもりか?」
ギルの言葉にセイジは視線を戻した。
「ギル殿、こうなっては退いても同じ事です。ゼオ殿を失った今、体勢を立て直そうにも、そう簡単には戻らないはずです。それに後方にいる兵士はそれほど頼りになるわけではありません。怪我人も大勢います。退却は最終手段です」
「し、しかし、策はおありなのか?」
「ガガンボの残りはおそらく3~400くらいでしょう。ここにいる兵士でも十分に対処出来る数です。黒鎧は俺とレナードの二人で対処します」
「お二人だけでは……私もご一緒しましょう」
「いえ、ギル殿には兵達の指揮をお願いします。そして俺とレナードが黒鎧に敗れるようであれば、即座に兵達を退却させて下さい」
「………………」
ギルは返事をせず、セイジをじっと見つめた。
「猊下の安全確保はもちろん、メルドム住民も撤退させて下さい。街を放棄することも止むなしでしょう。もうすぐ夜が明けます、逃げやすくなり、住民の全滅も防げるはずです」
「……解りました。兵達にそう伝えましょう」
ギルは頷くと「全員集合せよ!」と声を上げ進み出た。
「クレア様はどうされるのですか?」レナードが近寄ってきてセイジに耳打ちした。
「連れて行く。馬車はここに置いておこう、クレアをここに連れてきてくれるか?」
「……解りました」
帰さなくてよろしいのですか?
一瞬、そう言いたげな表情を浮かべたが、レナードは頷き、馬車の方に向かっていった。
確かにクレアを連れて行っても役にたたないように見える。自慢の回復魔法も死人を甦らせる力は無い。だが……、
黒鎧を斃すには、クレアの力が必要になる。
そうセイジは確信していた。
セイジはクレアを背負い、歩を進めていた。
馬車から出てきたクレアに現状の説明をした。ゼオがやられたことを知り、目を大きくして息を飲んでいた。
「このまま俺たちは黒鎧を討ちに行く。クレアも付いてきてくれるか?」
セイジは尋ねると、クレアは強ばっていた顔を少しだけ緩めた。
「私はどこまでもセイジ様にお供致します。お怪我の際にはお任せ下さい」
「頼む」
セイジは頷いた。もっともクレアを連れて行くのは回復魔法を目当てにしているわけではなかった。
まだ奴らはいないのか?
前方をじっと見ながら、セイジは黒鎧達の姿を探していた。
馬車を降りてからかなり歩いている。注意を払いつつ、ゆっくり進んでいるとは言え、今だ何も見えてこない。
もしかして逃げたのか? と言う考えが一瞬頭を通過した。敵はグランドナイツであるゼオを仕留め、部隊を後退させている。それだけでも十分な戦果だ。退却していてもおかしくはない。
いや、違う……。
セイジはよぎった考えを否定した。確信はない、だが、違うと本能が訴えていた。
間違いなく敵はまだいる。退却するなら西門が突破された時点で退いているはずだ。
相手は退く気が無い。必ず俺たちを待っている。そうセイジは感じていた。
すると、一番先頭を歩いていた兵士が手を上げ、歩を止めた。夜目のきくメルドム警備兵の男だ。
「いたのか?」
「い、いる。前方100mに集団がいる……」
ギルの問いかけに男は震えた声で答えた。
セイジは目を細め前方を見た。はっきりとは見えないが、何か人影らしい物が見える。首に回されていたクレアの手に力が入った。
「クレア、一度降ろすぞ」
「は、はい」
降ろすと、クレアは前を見たままセイジの左腕をぎゅっと握った。その手がかすかに震えている。
「よし、前進する! 私に続け」
ギルが先頭に立ち、前進し始めた。ゆっくりゆっくりと確かめるように前進していく。
近づくにつれその姿がはっきりと見えてきた。
一番先頭で黒い鎧を着た巨大な者が腕を組み、仁王立ちで立っていた。その後ろにガガンボ達が見える。聞いていた大剣は持っていなかった。
身長は2m以上、その全身が鎧に覆われている。顔には面頬をつけ、目しか見えていない。それ以外には肌が露出している部分はどこにも見られなかった。
横幅もかなり太い。鎧の重量だけで軽く100kgは越えるのではないだろうか。加えて3m以上の大剣を扱うという。普通であれば動くのもままならないはずだ。相当たる剛力を持っているのであろう。
黒鎧は腕を組んだまま動く気配を見せていない。ガガンボ達も同様だった。こちらが見えていないとは思えない。余裕を見せているのだろうか?
じりじりと距離を詰め、50m程に迫ったところでギルは隊を止めた。この距離まで近づくとクレアを含め全員の目にはっきりとその姿が見えた。
「戦闘態勢!」
兵士達が一斉に剣を抜いた。金属のすれる音が一斉に響き渡った。
緊張が走る。誰も言葉を発しない。息をする音、唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。
その時、黒鎧が動いた。組んでいた手をほどくと、後ろに手をやり、セイジ達の方に何か大きな物を放り投げた。
「! 下がれ!」
ギルが大きく手を後ろに振った。兵達が一斉に後ずさった。
それはセイジ達の手前に落ちて、大きく弾んで転がった。
黒鎧はもう一つ投げていた。それも同じ軌道を描き弾んでセイジ達の手前で転がった。
「ひっ!!」
クレアが喉の奥でくぐもった悲鳴を上げた。握っていたセイジの腕を強く抱きしめ、大きく震えた。
周りの兵達も驚愕に大きく目を開いた。衝撃に声も出ず、呆然と投げられたものを見ていた。
目の前に転がった二つの物体。それは切断されたゼオとホローの上半身だった。
カツタダは斬り込もうと、ガガンボ達に抱えさせていた大剣の柄を手に取った。
近づいてきたところにゼオとホローの死体をぶつけ、気後れしたところを一気に斬り込む、そういう作戦だった。
だが、柄に添えたところで手が止まった。
兵達は完全に気をそがれていた。今まで張り詰めてきた気合いが一気に抜け、恐怖に身を震わせていた。先頭にいたグランドナイツおぼしき騎士も同様に、衝撃で身を震わせていた。
そんな中、明らかに様子が違う男がいた。
一人は大槍を手に持った赤毛の男だった。その男も大きく身を震わせていたが、恐怖ではなかった。
怒りだ。あまりの怒りに体が震え、青ざめた顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。その目はつり上がり、怒気をはらんだ目でカツタダを見ていた。
その男はまだ良い。カツタダが気になったのはもう一人の男だった。
赤毛のすぐ隣にいた男だった。兵士達の中で、その男のみ鎧を着ていなかった。まるで普段着のような格好をしている。
その男は転がったゼオとホローの死体に目を落とした。が、それは一瞬だけのこと、何事もなかったかの様に視線をカツタダに戻したのだ。
そこに怒りも悲しみも驚きも何もなかった。転がってきた二人の死体に何も心乱されることなく、平然とカツタダを見据えていた。
瞬間、カツタダの背中を冷たいものが撫でていくのを感じた。
恐怖だ。あの男の視線に自分が恐怖を感じているのだ。
こやつか! コタローの言っていた男は!
同時に察知した。見据えられるだけで自分が恐怖を覚えるほどの男、コタローの言っていた男に違いない。
カツタダは大剣を握ると片手一本で肩に担ぎ上げた。そのまま数歩前に出る。
兵士達がざわめき、剣を構える。しかし、その剣先は恐怖に震え、逃げ腰になりまともに構えられてはいない。
そんな兵士達を一望し、カツタダは面頬を外した。
熊のような男だ。
面頬を外したカツタダを見て、セイジはそう思った。
丸い顔、潰れた鼻、無精髭が顔全体を覆い、鬣のようにみえる。
半開きの目がセイジを捉えていた。鋭い、刺すような殺気を感じた。
「クレア、危ないからここにいてくれ」
カツタダを見据えたまま、セイジは左手を掴んでいたクレアの手にそっと右手を重ねた。
「は、はい」クレアが手を離した。セイジは一度だけクレアを見て、ポンと頭に手を乗せた。すぐに視線を戻すと、兵達をかき分け前に出た。
「お、お気をつけて」後ろからクレアの泣きそうな声が聞こえた。が、セイジはもう振り返らなかった。
「お前が噂の刀遣いか」カツタダが大剣の切っ先で、セイジを指して言った。
地に響くほどの大声だった。兵達がびくりと体を竦ませ、たじろぐ程の大音声であった。
セイジは答えなかった。左手で刀の鯉口を斬り戦闘態勢をとる。
「貴様一人のために作戦は崩壊した。部下達の鎮魂のためにも相応の礼はせねばなるまい」
カツタダは大剣の切っ先を地面に落とした。そして左手を挙げ、指をクイと曲げた。
すると、背後のガガンボの群れが左右に分かれた。空いた中央に別のガガンボが現れる。
「あ!!」兵達の中から声が上がった。
中央に現れたガガンボは人間を伴っていた。
逃げ遅れたメルドムの住民なのだろう。表情は恐怖に引き攣り、かすれた悲鳴しか出ていない。後ろ手に縛られて、その腕をガガンボに捕まえられている。足は縛られていないが、激しく震えまともに歩けてはいない。
その数は50名ほど、男よりも女性と子供が多い。子供は顔を俯かせ、恐怖にただただ泣いていた。
「動くな! 動けばこいつらを即座に処刑する」
ひいいい、と人質の間から悲鳴が上がった。
「動くな! 全員動くな!」ギルが手を上げ叫んだ。
カツタダは50名の人質を前列に並べさせた。人質達は足が震え、子供は泣きじゃくって動けない。しばらくしてようやく一列に並んだ。
その間、セイジ達は見ているしかなかった。人質の背後にはガガンボがずらりと並んでいる。突撃しようものなら即座に人質を殺すためだ。
「刀遣い、名は何という」
「セイジ=アルバトロス。傭兵だ」
カツタダの問いかけに今度は答えた。人質を取られている以上、刺激するわけにはいかなかった。
もっともセイジの頭には人質救出などは毛ほどもなかった。カツタダが人質を盾に何を言おうが、応じる気は無い。
最大の目的は敵の殲滅である。人質を救おうとして負けてしまっては本末転倒だ。こちらが敗れれば、どちらにせよ人質は殺害される。かわいそうだが犠牲になってもらうしかなかった。
だが、カツタダの次の言葉はセイジを始め、他の誰も予想しえなかった言葉だった。
「セイジ=アルバトロス、貴公に一騎打ちを申し込む」
カツタダはセイジを指さし、声高らかに言い放った。
「………………」
セイジは目を見開き、黙ってカツタダを見ていた。
無視したのではなく、驚きで言葉が出なかった。まったく予想していなかった言葉だった。
「…………どういう事だ?」しばらくの沈黙の後、ようやくセイジが口を開いた。
「部下達のカタキをとる。貴様だけは必ず俺の手で殺す。その屍を土産に持って行くのだ」
「応じなければ?」
「それでも構わん。即座に人質達を殺害し、決戦と行こう」
カツタダが手を上げると、ガガンボ達が人質達の首に手をかけた。一斉に悲鳴と泣き声が上がる。
「セ、セイジ殿……」近くにいたギルが困惑の声を上げ、セイジを見た。
「……いいだろう、貴様との一騎打ちに応じよう」セイジが低い声を上げた。「ただし、女性と子供の人質を解放してもらおう」
「……女性は断る。子供は解放しよう、ただし、そこから一歩も動くな。誰か一人でも動けば即座に殺害する」
カツタダは再び左手を上げた。子供を捉えていたガガンボのみがその手を離し、解放した。子供達が悲鳴を上げながらこちらに逃げてくる。中にはその場にへたり込んだり、後ろを向いて動かない子供もいた。
「行きなさい! いいから行きなさい」
女性が必死になって叫んでいた。どうやら母親のようだ。やがて何度も振り返りながら子供が逃げてくる。
兵士達はそれを見ていることしか出来ない。すぐにでも駆け寄り救出したいのだが、ガガンボ達は他の人質に手をかけて離さない。
数分かかり、最後の一人がようやくこちらにたどり着いた。
「ゼオ殿とホロー殿の遺体を回収させてくれ。一騎打ちの邪魔になる」
「良かろう、一人だけこちらに来い。それ以上は認めん」
セイジの言葉にカツタダが頷いた。セイジはすぐ隣にいたギルに頼んだ。ギルは大きく頷いた。
「子供達を安全な所まで避難させておけ」
ギルは近くにいた兵士に命じると、二人の遺体を回収しに走った。
「セイジ様……」すぐ隣からか細い声が聞こえてきた。顔を向けるとクレアがいつの間にか隣に立っていた。
泣きそうな顔をしながら、じっとセイジを見上げていた。隣にはレナードが寄り添うように立っている。
「心配いらない。ここで待っていてくれ」
「………………はい」頷いたクレアの目から一筋の涙が零れた。
行かないで下さい……。
その言葉を必死でクレアは飲み込んだ。クレアにも目の前の黒鎧は恐ろしい敵に見えた。更にあの黒鎧も先日のミノタウロスと同じく魔法が効かないと言う。どう考えても勝ち目がない。
しかし、目の前のセイジは落ち着いている。そこに恐怖も絶望もなかった。普段通りの優しい目でクレアを見つめていた。
一度流れ出した涙は止まらなかった。クレアは慌てて袖で拭ったが、次から次へと溢れだして止まらない。
セイジが少し困った顔をしてクレアの頭に手をおいた。頭を優しく撫でながら、隣のレナードに目を向ける。
「クレアの事は頼んだぞ」
「…………解りました」
レナードの表情は憮然としていた。本当は自分も共に闘いたいのだろう。
「悪いな、ゼオ殿のカタキは俺がとらせてもらう」
「仕方ありません、お譲りします」
レナードが握り拳を作り、セイジの胸をどんと叩いた。痛くはないが力のこもった一撃だった。
ギルがホローの遺体を抱え、戻ってきた。ゼオは既に回収したらしい。
「行ってくる、クレア」
まるで近くに散歩に行くようなトーンでセイジは言った。クレアの頭から手を離し、歩いて行く。
「ご、ご武運を!」クレアが叫んだ。その声にセイジは振り向かず、右手をひらひらとさせただけだった。
「さて、待たせたな、大将」セイジはカツタダに歩み寄りながら刀を抜いた。
「別離の挨拶はすんだか」カツタダもまた大剣を担ぎ上げ、セイジに歩み寄った。
「お気遣いはありがたいが、必要ないな」
「せっかく時間を与えてやったというのに」
「そりゃ悪かったな」
話しながら歩いていた二人の足がぴたりと止まった。
その間合いは10m。セイジにとって遠すぎるが、相手の大剣が3m以上あることを考えればこれ以上はうかつに近寄れない。
セイジは刀を上げ、正眼に構える。その切っ先が人中路(人体の中心線)をなぞり、ゆっくりと下に降りていく。やがてつま先まで降りると、右足を半歩退いて、ゆったりとしたいつもの姿勢に戻った。
「あれは?」見慣れない行動にクレアが声を上げた。
「あれが本来の構え方らしいです。戦いの際、あんなこと悠長にやっていられないからはしょっている、と昔言っていました。無行の構え『転』というそうです」
隣にいたレナードが正面を見たまま、呟く様に言った。
「まろ……ばし……?」
「懸待表裏一隅を守らず、敵に随って転変して一重の手段を施す」
「え? え?」クレアは首を捻った。何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。
「私も全く解りません。隊長に尋ねたらこう返ってきたのを覚えていただけです。まあ、ようは敵の動きに随って回り、自由自在に変化する、と言うことらしいです」
「は、はあ……」クレアは何となく解ったような声を出した。
「……心配はいりませんよ、クレア様。隊長は誰にも負けはしません」
「……しかし」
不安そうな声を上げるクレアに、レナードはゆっくりと顔を向けた。
「認めたくありませんが、セイジ=アルバトロスは私よりも遙かに強い。私がどうあがいても敵わないと思ったのはあの男だけです。間違いなくファイナリィ一……いえ、世界最強の男でしょう」
クレアが驚いた表情でレナードを見た。プライドの高そうなレナードからどうやっても勝てない、という言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「負けるはずはありません。クレア様の良人は世界最強の男です。自分の愛した男を信じなさい」
「……そうですね」
クレアは視線を戻した。少し緊張が解けたのか、白くなっていた顔にうっすらと血の気が戻ってきていた。




