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第57話 残心

 戦闘が繰り広げられていた広場は騒然としていた。

 エミリーナの兵士や警備兵が怒号を上げながら走り回っていた。今の状況を確認している者、怪我を負った仲間をおぶって走る者、動かせずその場で治療を行っている者、死んだ仲間の遺体をとりあえず運ぶ者。疲れ果て、その場にぶっ倒れている者も居る。


 そんな中をコタローは抜き身のショートソードを左手に持ち、歩いていた。

 コタローは隠れてはいない。兵達の間を()う様に歩いている。そんなコタローを不審に思う者は誰もいなかった。

 無理もなかった。今コタローは黒装束を纏ってはいなかった。簡素な皮鎧を纏い、素顔を晒し、堂々と歩いていた。


 死んでいた警備兵から奪った装備を着ていた。イースト特有の髪型、月代(さかやき)などは剃っていないため、黒装束さえ脱いでしまえばコタローはファイナリィやドラグーンの人間と見分けが付かない。

 また今は戦闘途中ともいえる。剣を抜き身で持って歩いていても、誰も不審に思わない。実際、コタロー以外にも剣を抜いたままの者も多い。

 なにより、黒装束達は皆逃げたと全員が思っていた。まさかこんな所を堂々と歩いているとは(つゆ)も思わない。


 なんの警戒も受けないまま、コタローはセイジ達の元へと歩を進めていた。




 作戦の失敗は全て俺のせいだ。

 コタローはそう思っていた。


 ライトンの拉致こそ成功したが、多くの仲間を失った。残りの仲間さえもセイジに全て叩き斬られた。

 もっとやり方があったはずだ。一度退いて、朝方襲うという手もあったはずだ。

 こちらは5人、向こうは1人、負けるはずはないと言う慢心(まんしん)があった。結果全ての仲間を失い、自らも右手を失った。セイジの実力を見誤ったのだ。


 失敗はそれだけではない。ミノタウロス戦の時もだ。

 ミノタウロスを(たお)されたことではない。その後、クレアを殺さなかった事だ。


 あの時、クレアを殺すチャンスはあった。ミノタウロスは斃されたが、セイジは死にかけ、レナードも力を使い果たしていた。

 クレアを殺すチャンスだった。が、コタローはしなかった。殺せても脱出が不可能だと考えたからだ。


 ほとんどの兵士はミノタウロスの咆吼で動けなくなっていたが、まだ数名動ける者は残っていた。それに最大の障害、バル神父が残っていた。

 バル神父は元グランドナイツであり、教団でも指折りの武闘派司祭だ。コタローは右手を失い手負いの状態、下手をすればクレアまで届く前にバル司祭に斃される恐れがあった。

 カツタダに死ぬなと言われたこともあり、その場は退いた。だが……、


 命を()してでもクレアを潰しておくべきだった。


 今日出てきたのは法皇ではなくクレアだった。法皇が出る事は無いと思っていたが、まさかクレアがあそこまでの力を持っているとは思わなかった。後方待機させていたスケルトンも含め、全て祓われてしまった。

 そして殺したと思っていたはずのセイジも助かっていた。黒装束達を次々と斬られ、こちらの要であったジュウメイもセイジと対峙(たいじ)し斬られた。


 完全たる敗北。何もすることは出来ず、退却せざるを得なくなった。

 これで計画は全て水泡と化した。東門と西門の挟撃で住民もろとも全滅させ、我らの墓標とする……全ては無となって散っていった。


 全て俺の考えが甘かったせいだ……。


 コタローの心を後悔というどす黒い炎がじりじりと焼いていく。


 このままでは死ねない……必ず仕留めてみせる。


 殺気と感情を押し殺し、コタローはセイジの元に歩いて行った。




 残心を忘れるな……。

 セイジの師である祖父が常々口にしていた言葉だ。


 残心とは心を残す……勝負を決した後も、心身ともに油断をせず注意を忘れるな、ということである。


 他に敵がいるかも知れない。斃した敵が死んでいるふりをしているかも知れない。弾いた剣が頭上から降ってくるかも知れない。斬り飛ばした相手の顔が、自分の喉笛に食らいついてくるかも知れない。

 勝利を収めても決して安心する事無く周囲に気を配れ、祖父はそう言い続けていた。


 セイジもそれを守り、普段は戦いが終わっても常に気を張っていた。

 しかし、今日に限ってはその残心が薄れていた。


 セイジも疲れていた。何十体の黒装束とスケルトンを斬り、その上でジュウメイという強敵と死合った。紙一重の差でセイジが勝利したが、精魂共に疲れ果てる一戦だった。

 まだ敵はいるのだから、と気を張っていた矢先にクレアから「全て敵は倒しました」と言われ、流石のセイジも息を吐いてしまった。


 スケルトンを失ってしまえば、相手は逃げるしかない。


 そうセイジは思った。事実、黒装束達は撤退し、敵の気配は完全に無くなっていた。

 大任をこなし、甘えかかってくるクレアを抱きながら、セイジはつい気を抜いてしまった。

 すぐ近くに危険が迫っていることも知らずに……。




 コタローは壁に寄りかかり、セイジを見ていた。

 あまりに見ていると気が付かれる。微妙に視線を外していた。


 ここからセイジまでは約30m。これ以上近づくと気が付かれる恐れがあった。

 左斜め前方に二人が見えた。クレアがセイジの首元で顔をすりつけ甘えていた。セイジはしゃがみ込み、目を細めてクレアを左手で抱きかかえていた。

 攻めるには好都合だった。しゃがんでクレアをかかえていれば、動きに制限が出る。


 仕掛けたかったが、コタローは期を待っていた。二人の周りに兵士がいた。護衛に付いているのではなく、近くで立ってなにやら話しをしている。

 この二人が邪魔だった。攻めた時この二人が気が付き、立ちふさがりでもしたらその時点でコタローの敗北が確定する。たとえ二人の兵士を倒しても、セイジに斬られ終わりだ。一気にセイジとクレアの所までたどり着かなければならない。


 どけ! と叫びたい気持ちを必死に抑え、コタローはじっと立っていた。体から溢れそうになる殺気を必死に抑えている。

 その思いが届いたのか、兵士二人が話しながら離れていく。セイジとクレアの周りに兵士がいなくなった。

 コタローは目を大きく開き、セイジ達めがけ走り始めた。




 走り寄る足音に、セイジは首を向けた。

 警備兵と思われる男がこちらに走ってきていた。何だ? と思った頭が一瞬で反転した。


 敵だ!!


 ショートソードを左手に掲げ、走り寄ってくる男からとてつもない殺気を感じた。セイジを見ていた目には生気を感じない冷たい光が宿っていた。

 特攻だ。戻ることを考えない捨て身の攻撃だ。


 しまった、と思ったが既に遅い。クレアを抱きかかえている為、前に出られない。クレアを後ろに下げるには既に遅すぎる。


「ひっ!!」


 セイジの腕の中でクレアがくぐもった悲鳴を上げた。コタローの殺気を受け、呼吸が出来なくなった。


「クレア! しがみつけ!!」


 セイジが叫んだ。クレアは重くなった体を必死に動かし、首に回した手に力を込め、懸命にしがみついた。

 セイジはクレアの体を支えるため、腰に手を回した。


 こいつの狙いはクレアか!


 コタローの狙いはセイジではない。殺気はクレアに向けられていた。

 クレアを突き飛ばせばそちらに方向を変える。逃げるには間合いが近すぎる。クレアをかかえたまま相対するしかなかった。


 コタローはどのような状況でもセイジを斬るのは不可能だと解っていた。ジュウメイとの戦いも見ていたが、わずかな殺気でも感じ取り、ジュウメイの一撃を躱していた。油断していても、セイジは斬れないだろうと思っていた。

 だからクレアを狙った。セイジに斬られようが、クレアだけを殺せばいい。セイジの仕事はクレアの護衛だ。護衛対象を殺されれば、セイジの仕事は失敗となる。

 更にクレアは法皇の娘なのだ、教団がセイジをただで済ますはずはない。

 セイジを斬るのは不可能だが、クレアなら斬れる。クレアを仕留めればコタローの本懐(ほんかい)は達せられたも同然だ。


 コタローの剣がクレアめがけて振り下ろされようとしていた。




 確かにセイジは残心を怠っていた。


 コタローの接近を許し、襲撃を受けるまで気が付きもしなかった。戦いを斬り抜けた安心と、クレアを想うあまり、周囲を見ていなかった。

 本来ならばこの勝負はコタローの勝ちだ。だが、セイジも完全に残心を忘れていたわけではなかった。


 セイジは地面に尻を着けて座り込まず、膝立ちの状態でクレアを抱きしめていた。

 また、刀を鞘に納めず、右手に持ったままだった。


 それは無意識の残心。セイジが考えて行った行動ではなかった。


 もし、セイジが地にぺたんと座り込んでいたら、コタローの襲撃に立ち上がることが出来なかった。せいぜいクレアの上に被さり、盾となって終わりだ。

 刀を鞘に収めていれば、クレアが邪魔となって抜刀出来なかった。


 それらは無意識に行われていた行動だった。心のどこかがまだ戦闘は終わってはいない、と考えていた。その残心がセイジに座ることを許さず、刀を鞘に納めさせなかった。

 そのわずかな残心が、生死を大きく変えることとなる。




 セイジはクレアを抱え、コタローに向かって突っ込む様に立ち上がった。

 無理に逃げるより相手を仕留める方が確率が高い。セイジの剣士としての本能がそう体に訴えていた。

 セイジは右肩を前に出し、クレアを抱えている左半身を退いていた。相手は左手一本で斬ろうとしていた、それに合わせるためだ。同時にクレアを斬撃から守る意味もあった。


 自らの体を盾にしてでも、クレアを守ってみせる!


 例え相手の剣が己の頭を割ろうとも、セイジは一歩も退く気は無かった。

 コタローの目に凍り付くほどの戦慄を見た。その目は既に生を感じない死人の目であった。退路など考えてはいない、目の前の目標を討ち取ることだけを考えていた。


 相手は死ぬ気で……いや、死人となって斬りかかっている。こちらも死ななければ仕留めることは出来ない。

 セイジも一瞬にして死んで見せた。クレアのためならば命など惜しくはない。

 己の生よりクレアを失うことの恐怖の方がはるかに勝っていた。その想いがセイジの体を突き動かす。


「かあああああっっ!!!」


「はあああああっっ!!!」


 二人の気合いの雄叫びが交差し、ギィンと金属同士のぶつかり合う音が響き、闇夜に火花が散った。


 セイジは刀の(つば)でコタローの剣を受け止めていた。そのまま上にかちあげる。

 それは紙一重の間だった。コタローの剣速が乗りきらないうちに鍔で受け止めることが出来た。あとわずかでも遅れれば右手一本では支えきれず、コタローの剣がセイジの頭をたたき割っただろう。

 1秒にも満たない間が、勝敗を分けた。


 コタローの左手がバンザイする様に跳ね上がった。


「おおおおおっっ!!」


 セイジが雄叫びと共に跳ね上げた刀をコタローの首元に叩き付けた。


 それは力任せの一撃。クレアを抱えているため腰が浮き、足もしっかりと地に付いているわけではない。

 斬撃の要である足と腰は死んでいた。人を斬る際に重要となる引き斬りも出来ない。

 だが、剛刀胴田貫の重さと力がコタローの体を斜めに斬り裂いていく。着けていた簡素な皮鎧などお構いなしにコタローの体が斬り開かれた。

 セイジの手首に、二の腕に激痛が走った。無茶な斬り方に悲鳴を上げている右手に構うことなく、セイジは歯を食いしばり、無理矢理斬り裂いた。


 左の首根に叩き付けた胴田貫が右脇下まで抜けた。刃が地を咬む前に胴田貫を止め、後ろに飛び下がった。クレアに返り血を浴びさせたくない一心だった。

 同時にコタローの体が崩れた。右肩を着けたままの上半身が斬り口に合わせて斜めにずり下がり、血を吐きながら地に転がった。




 コタローはセイジの斬撃に大きく目を剥いた。


 首根に叩き付けられた刀があっという間に反対側の脇下へと抜けた。一瞬にして頭部と心臓が斬り離された。

 目の前の風景が斜めに下がっていくのを見た。頭部に残った血液がコタローに最後の風景を見せていた。


 届かなんだか……。


 決死の一撃も二人に届かなかった。だが、コタローの心にもう悔いは無かった。

 ここまでやって無理ならば仕方ない。あそこから反応した相手を褒めるしかない、そう思っていた。


 眠りたかった。ただただ疲れ果てていた。

 ライトン襲撃から今までほぼ休みなしで動いた。失った血の補給もままならず、体調最悪のまま指揮を執り続けていた。

 今は作戦失敗の悔いより、ようやく眠れるという安堵の方が勝っていた。やっと苦しみから解放される。


「お……先に……」


 最後の呟きと同時にコタローの体が地に落ちた。瞬間、コタローの意識は闇に溶けた。




 後ろに飛んだセイジは着地出来ずに、後ろに転がった。

 カラカラと音を立て、右手から胴田貫が転がり離れた。右手に力が入らず、柄を握っていられなかった。ぶるぶると小刻みに指が震えている。

 すまん、と心の中で胴田貫に謝りながら、上体を起こす。


「クレア……大丈夫か」


「は……はい……」


 クレアはぎゅっとセイジにしがみついたまま荒い息をついていた。その目からぽろぽろと涙が零れて止まらなかった。


「ごめんなさい……セイジ様、ごめんなさい……」


 謝りながらクレアはもぞもぞと動いていた。


「どうした、クレア? どこか怪我したか?」


「い、いえ、その……手が外れなくなってしまって……ごめんなさい、すぐに離れます……」


 首に回した両手が離れなくなってしまった様だった。力を込めたのと、心の興奮と恐怖がまだ解けていないのだろう。

 セイジは震える右手でクレアの頭を優しく撫で、自分の方に抱き寄せた。涙に濡れた目でクレアはセイジを見上げた。


「大丈夫だクレア、しばらくこうしていよう」


「セイジ様……申し訳ありません」


「謝らなくていい、体がびっくりしているんだ。しばらくすれば直る」


「はい……ごめんなさい」


 クレアはセイジの胸に顔を押しつけ、泣き続けていた。

 何故自分は泣いているのだろう? そう思いながら止まらない涙をセイジの体に染みこませていた。


 教団の兵士が慌てて走ってきた。セイジ達の周りを囲み、周囲を警戒する。何人かがクレアの無事を聞いてきた。無事なことを伝えると一様にほっとした顔を見せた。セイジの無事を聞いてきた者は一人もいない。当然と言えば当然だが。


「大丈夫ですか、隊長」


 レナードも小走りでやってきた。焦った様子はなく、いつもの口調だった。


「大丈夫だ。クレアに怪我はない。すまんが転がっていった刀をとってきてくれ」


 震える右手で胴田貫を指さした。レナードが刀を拾い、セイジの側に置いた。


「右手を痛めましたか?」刀を置きながら、レナードがセイジの耳元で囁いた。クレアに聞かれないよう気を使ったのだ。


「少しな」セイジもぼそりと呟いた。


 本当は少しどころではない。右手は震え続け、痛みが走り続けている。手を握ろうとしても中途半端なところで止まり、拳に握れなくなっていた。刀を持つことはおろか、箸すら握れない。


「敵の残りでしょうか」レナードが斜めに斬られたコタローの死体を見ながら言った。


「だろうな。まさか残党が残っていたとは思わなかった。油断していた……」


 言いながらセイジはおや? と思った。


 襲撃者の顔は見た事も無かった。が、その体に記憶があった。

 斜めに斬り離された上半身に付いている右腕に手がなかった。すっぱりと手首で切断された跡が見える。

 その斬り口に覚えがあった。


 こいつ……あの時の襲撃者の生き残りか?


 ニード村からの帰りに襲ってきた5人の黒装束。4人は斃したが、1人は右手を斬り落としただけで逃げたはずだ。


 こいつが左手一本で斬りかかってきたわけも解った。右手がなくては左手でやるしかない。

 右手だったら結果は逆だったかも知れない。ぎりぎりの剣速だったから無理な体勢でもはじき返せた。右手ならば剣速はもう少し乗ったはずだ。

 セイジの背筋に寒気が走った。まさに九死に一生を得た、そんな気持ちだった。


「……どうしました?」セイジの様子が変わったことに気が付き、レナードが尋ねてきた。


「いいや、なんでもない。リムは気が付いたのか?」


「いえ、まだです……では私は戻らせて頂きます」


「ああ……」


 去って行くレナードに返事をしつつ、セイジの目はコタローの死体をじっと見つめていた。


 何とも複雑な感情だった。こいつらが襲ってきたからこそ、セイジはクレアと出会ったといってもいい。あの時襲われなかったら、セイジは果たしてあの森の奥まで足を伸ばしたかどうか……。セイジが行かなければ、クレアは間違いなくあの森の奥の泉で息絶えていただろう。

 そう考えると、セイジとクレアを結びつけたのはこいつらの様な気がしてきた。もっともこいつらの目的はクレアの命だったのだが……。


 セイジは震える手でクレアを抱きしめた。何とも言いようのない感情が、胸の奥深くを駆け巡っていた。






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