第51話 会心の一撃
メルドム西門。
各地で戦闘の音が聞こえる。剣のぶつかり合う音、兵の叫び、怒号、悲鳴。
あちこちに死体が転がっていた。幾つかスケルトンの残骸も散らばっていたが、兵の死体の数の方が多い。逃げ遅れたと見られる住民の死体も存在した。
コタローは路地裏の暗がりから、その光景を見つめていた。その瞳に一切の感情は無い。転がる死体も石ころも、彼には同じ物に見えていた。
拍子抜けだな、と半分あきれていた。いくら内部にスパイがいたとは言え、うまく行きすぎている。簡単に城門を割り、侵入を許した。その後の対応もお粗末だ。逆に罠なのでは無いかと疑うレベルだった。
兵達の抵抗も弱い。横の連携がうまくいっていないのが目に見えて解った。各人がそれぞれの判断で動いているため、スケルトンに対してまったく有効に動けていない。有能な指揮官が不在なのだ。
結果、被害だけが広がっている。400いるスケルトンの内、半分しか投入していないのにこのざまだ。全て投入すれば、中央までの突破は容易いのだろう。
攻めずに待っているというのも難儀なものだな、とコタローは口を歪ませた。
近くから男達数名の悲鳴が聞こえた。死に際に発する絶望の叫び……断末魔だ。
コタローは声の方に目を向けた。黄みの深い赤褐色……いわゆる江戸茶色の装束を纏った男がぬっと角から現れ、そのままコタローに向かって歩いてくる。右手に下げている剣から、今ついたと思われる血が滴っていた。
身長は160cmと低い。背を丸め、小さな体を更に縮める様にして歩いてくる。顔は目以外布地に覆われており、唯一見える目はどんよりと濁って、異常な殺気を帯びていた。その目元には深い皺が数多く刻まれている。
「ジュウメイ殿、どうかされましたかな?」
コタローは近寄ってくる男に声をかけた。
男の名をジュウメイ。元のシノビ部隊の頭領であり、コタローのかつての上司だった。
突出した戦闘能力を持った男だった。年齢は50をとうに超えているのだが、戦闘能力に関して言えば、今を持ってシノビの中でナンバーワンだった。右手を失う前のコタローでも足下にも及ばない。
年齢のせいもあり、俊敏な動きが出来なくなっていた。頭領の座をコタローに譲り、諜報活動や暗殺家業に従事していた。
着ている江戸茶色の装束は、昔のシノビ衣装であり、今はジュウメイ一人しか身につけてはいない。
ジュウメイはコタローの前まで来ると、濁った目玉をぎょろりと動かし、
「つまらん」と呟いた。
「は?」
「歯ごたえが無い。目の前で剣おっ立てて震えてる奴か、むやみやたらに振り回して突っ込んでくる奴らしかおらん。これじゃただの弱い者いじめだ」
そう言うと、持っていた剣を放り投げ、コタローの脇を通り過ぎた。路地裏に入りこむと、そこにごろりと横になる。
「一眠りする。本隊が来たら起こしてくれ」
言うやいなや、イビキが聞こえてきた。本当に眠ってしまった様だ。
相変わらず、凄いお方だ。
コタローは心の中で呆れつつ唸っていた。
梟雄……かつてカツタダは、ジュウメイをそう評した。
梟雄とは残忍で強く荒々しい者を指す。いわば悪の英雄とも言える言葉である。
ためらいも無く数名を殺めた後、戦場のど真ん中で即座に眠り、イビキを掻く。異常な神経としか思えない。頭がおかしいと言うレベルすら超えている。異能者、まさに梟雄だった。
どちらが強いのだろう。自分の右手を斬り飛ばし、仲間をいとも簡単に斬り捨て、ミノタウロスさえ斬り殺したあの男と。
ふとコタローの頭に一人の男の姿が浮かんだ。クレア捜索中に出会い、部隊を全滅させられた男……セイジの姿だった。
あの戦いの時……自らの右手が斬り飛ばされた瞬間、コタローはセイジと目が合った。
一瞬にして背筋が凍った。斬り飛ばされた右手など、どうでもよくなるほどの恐怖が全身を貫いた。
セイジの目には何も浮かんでいなかった。全ての感情が消え去った氷の様な目だった。その後、仲間を斬り捨てた後も、目は全く変わらず凍っていた。
普通人を斬れば、興奮するか恐怖するか、あるいはその両方が目に浮かぶ。他人の人生をそこで終了させるのだ、心は平然としていられるわけは無い。
だが、セイジの目には何もなかった。興奮も恐怖も、その他一切の感情がごっそりと抜け落ちていた。まるで息をする様に、日々の食事をとる様に平然と人を斬り捨てていた。
次の瞬間、コタローは逃げていた。なりふり構わず逃げていた。斬られた手首から血が溢れだし、一斉に痛みが襲ってきた。が、コタローは逃げることを優先させた。
腕を圧迫し、少しでも血が流れ落ちるのを防いで逃げた。その場で治療など怖くて出来なかった。
間違いなく、あの男も梟雄だったのだろう。人の命を奪うことに何の痛痒も覚えていない目だった。全ての感情が抜け落ちた、まるで死人の目だ。その目はジュウメイとよく似ている。
もっとも、もう詮無きことか。
と、笑って首を振った。考えてもしょうが無い事だった。あの男はミノタウロスと相打ちになった。もはやこの世にはいないのだ、比べることなど出来るわけも無い。
コタローは顔を上げて通りの奥をぼんやりと見た。
コタローは知らない。あの男……セイジが生き残り、今まさにここに向かおうとしていることを。
セイジとクレアは部屋に戻り、準備をしていた。
セイジは荷物から新しいダガーナイフを2本取り出し、腰に装着していた。既に身につけているモノより一回り小さい。投擲用に使用するナイフだ。本当はもっと持って行きたいところだが、これ以上は重みで動きに支障が出る。
クレアは着ている修道衣の上に防寒用のコートを纏っていた。セイジも内に一枚着込んでいる。もっとも戦闘が始まれば、寒さなど微塵も感じなくなるモノだが。
扉を叩く音がした。どうぞ、と声をかけるとゼオが入って来た。
「セイジ殿、準備が出来た。我々は先に行かせてもらう」
「解りました」
「同行させるのはクラウスで良かったのか? こう言うのも何だが、奴はまだ未熟だ。ホローならば指揮も戦闘能力も一流だが……」
セイジは同行させるグランドナイツに、クラウスを指名していた。確かにクラウスはまだ未熟だが、教義の為に死ねる男だ。それにクレアとも面識がある。
「ホロー殿は貴重な魔導士です。私もこう見えて多少の魔導を扱えます。戦力の集中は避けるべきでしょう」
「そうか……君に従う様に言っておいた。手足の様に使ってもらってかまわない」
「セラヴィの守りはどうするのですか?」
「猊下の意向もあり、最低限の戦力で守る。バーツとトーマをここに残す。またバル司祭にも残ってもらった。侍女達も相当の腕利きだ。当分はここに待機してもらい、状況如何によっては脱出してもらう。危険だが非常用脱出口を使用するしかあるまい」
そこでゼオは言葉を句切った。セイジの方に歩み寄り、
「先程はすまなかった」と頭を下げた。
「本来は私がやらなければならないことだ。君一人を悪役にしてしまった。本当にすまない」
「気にしていませんよ、ゼオ殿。あそこでゼオ殿が言っても、猊下がご納得されたかどうかは解りません。喧々諤々の諍いになれば、後の士気にも影響されましょう」
「そう言ってくれると助かる。クレア様もこのようなことになってしまい、申し訳ありません。全ては私たちの力不足の次第であります」
「私のことは気にしないで下さい。今は各人が成すべき事をする時だと思います」
「ありがとうございます」とゼオはクレアにも深々と頭を下げた。
「ゼオ殿、我々ももう出ます」
「うむ……ああそうだ、帰ってきたらホローと私で酒でも奢ろう。ホローも君のことを大変褒めていた。奴がまともに人を褒めるのなんて数年ぶりに聞いた。是非酒を酌み交わしたいそうだ」
「そうですか」と言ってセイジは笑った。ずいぶんと親父臭い飲みになりそうだ。
「では失礼する。武運を祈る」
ゼオは手を振り、出て行った。再び部屋は二人きりになる。
「準備は出来たか?」
「はい、私は大丈夫です」
クレアは傍らに立て掛けていた杖を手に取った。
「……行く前に一つ言っておくことがある」
「はい?」クレアは小首をかしげてセイジを見た。
「今回の作戦は、クレアとリムの浄化魔法でスケルトンをどれだけ祓えるか、それが鍵となる。だから兵達の半分はクレア達の守りにつかせる。基本は守りに徹するが、俺やレナード達は攪乱の意味も含めて、ある程度攻めに回る」
「はい……」真剣な表情でクレアは頷いた。
「何があるか解らない。もし俺達に何かがあっても、クレアは魔法の詠唱に集中して欲しい」
クレアは返事をせず、黙った。やがて首をゆっくりと横に振る。
「ごめんなさい、それは出来かねます」
「クレア、気持ちはわかるが……」
「セイジ様も魔法を扱われるのでお解りかとは思いますが、魔法に必要なのは集中力です。いかに集中し魔力を高め、精度を増すかが重要になります」
「ああ」
「もしセイジ様の身に何かがあれば、私の集中はそこで止まってしまいます。もう詠唱などすることは出来ないでしょう。ですので、セイジ様は意地でも死なないで下さいね」
「……難しいな、それは」
セイジは顎に手を当てて唸った。
死なない戦い方、という事はしたことが無い。死ぬことを恐れては相手を斬ることなど出来ないからだ。
セイジの戦闘スタイルは魔法を扱うとは言え、基本は刀を使用した近接戦闘だ。時には刃の下を潜る事もある。すぐ目の前を武器が擦過していくこともある。一瞬でも怯え、見誤れば、刃は体に食い込むことになる。
死を恐れず、斬り込むからこそ結果的に生き延びることが出来る。死なない様に戦うと言う事はその真逆となってしまう。
「セイジ様ならば出来ます。なんとしてでも生き延びて下さい」
「……解った。やるだけやってみよう」
クレアは守りに入れと言っているわけでは無い。なんとしてでも死ぬな、と言っているだけだ。それならば出来るかも知れない。
セイジの言葉に、クレアは笑顔で頷いた。
「それじゃあ、そろそろ……」
「あ……あの、ちょっとお願いが」
行こうか、と振り向こうとしたセイジの袖をクレアが掴んだ。
「ん? なんだ」
前に向きかけた顔を戻すと、クレアは顔を赤らめ、俯いてた。
「あの……今回の戦いで二人とも死んでしまうかも知れませんよね」
「ああ、やっぱり怖いか」
「いえ、自分でも不思議ですが怖くはありません。でも、こうして二人でいられるのも最後かも知れません。だから……」
クレアは顔を上げて、潤んだ瞳でセイジを見た。
「私の……クレアのファーストキスをもらって下さい」
セイジはクレアを見つめたまま、たっぷり数秒間沈黙した。そして、
「はい?」と間の抜けた声を上げた。
「ですから、クレアのファーストキスを……」
「いや、俺、クレアを助けた時にしたけど」
「あれは救命行為です。キスの内に入りません」
「……3日前の夜中に酔っ払ったクレアに抱きつかれて、キスされたけど」
「あ、あれは酔っ払っての乱行です。あんなのノーカンです」
拳をぐっと握りしめ、クレアはセイジを見上げた。
前者の方はまだしも、後者の方はかなり苦しい。だいたいキスした時に自分で「クレアのファーストキスどうですか?」と言っていたのだから。
セイジは一度、息を吐いた。そして、その場で膝を折り、クレアを自分の方に抱き寄せた。
「わ……セイジ様」
セイジの顔がすぐ目の前に来て、クレアの顔が更に真っ赤になる。ちなみに相対しているセイジの顔も真っ赤になっている。
セイジも死ぬほど恥ずかしい。だが、死の覚悟まで決めた恋人の願いを無下にするほどほど、セイジも野暮な男では無い。
クレアの頬に右手を這わせ、そのままさらさらの金色の髪に差し込む。クレアは目を大きくして、身じろぎもせず、セイジをじっと見ていた。
「目、つむれ。クレア」
ぼそりと呟かれた言葉にクレアが慌てて目を閉じた。そのまま顎で出して唇を少し突きだす。
セイジはクレアを抱きしめ、唇を重ねた。柔らかい紅色の唇に数秒重ねた後、そっと離す。
「満足したか」言いながら視線を下に落とした。恥ずかしくってまともに前を見れない。
クレアから返事は無い。視線を戻すと、唇を突き出し、不満そうなクレアがいた。どうやらお気に召さなかったらしい。
「……何が不満なんだ」
「だって……あれじゃ3日前と変わりません。もっと恋人らしい、熱いファーストキスを期待したのに……」
不満そうにクレアが言った。言葉が矛盾していることに気が付いていない。
「あのなあ……」セイジは頭に手を当てた。
「帰ってきたら、やり直して下さいね。もっといっぱい、飽きるほどしてもらいますから」
「わかった、わかった、帰ってきたらいくらでもしてやる」
「ほんとですか? セイジ様、約束ですよ」
「ああ、解ったからそろそろ行く……」
と扉の方に振り向いたところで、セイジはびくりと体を竦ませた。
扉が半分開いていて、その奥からレナードとリムがじっとこちらを見ていた。
「「「「あ……」」」」という四人の声が重なった。
何とも言えない沈黙が四人を包む。数秒の後、レナードがわざとらしく咳払いをした。
「お二人とも、そろそろよろしいですか?」
「いつからだ」セイジが唸る様に聞いた。
「……何がですか?」
「いつからそこにいたんだ」
「まあ、なんと言いましょうか……私達はゼオ様と入れ違いに来ましたので」
最初から全部じゃねえか!
セイジは右手で顔を覆った。クレアも茹で蛸の様な顔で口をぱくぱくさせている。
ゼオが部屋を出たタイミングでレナード達はやってきた。準備が出来たので呼びに来たのだが、真剣な表情で話しているセイジとクレアを見て、声をかけずに待っていた。
大事な大一番の前だからと空気を読んだのだが、それが裏目に出た。その後、全力でいちゃつき始めた二人に、声をかけるタイミングを完全に失ってしまった。
セイジはゼオは扉を閉め出て行ったと思っていたし、クレアもセイジだけしか見ていなかった。実際はゼオは扉を閉めずにレナードに譲ったため、開いたままとなっていた。二人がいちゃつく様を、リムと共に立ちつくして見ていたのだった。
「まあ……その、なんですか、ええ……」
レナードは何か言おうとして、言葉が出てこなかった。慇懃無礼なこの男にして、ここは何かフォローを入れておかなければならないと思った。が、なんと言っていいのか解らない。
ちらりとリムを見た。フォローしてくれ、という夫の視線に気が付いてリムが言った。
「あ、き、気になさることでは無いと思います。恋人同士なのだから、戦いの前にお互いの意思を確認し、深め合うことは大事だと思います。それに先生もクレア様も、とても可愛らしかったですし……」
それは完全にとどめの一言だった。前半はいいとしても、後半は会心の一撃と言っていい。
セイジは腰から崩れ落ち、両手を突いて前のめりに倒れ、クレアは顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。
リムは二人より年下とは言え、既にレナードの事実上の妻となって2年近くたっている。夫婦としての愛し合い方もそれなりに経験済みだ。そんなリムにとって、先程のセイジとクレアの初々しい姿は、とても可愛らしく映ったのだ。
嫌みやからかう意図など一切無かったのだが、最後に本音がぽろっと漏れてしまった。クレアはともかく、倍以上年齢の離れている少女から「可愛い」扱いされた30間近のセイジのダメージは計り知れない。
「あ、あれ?」二人の崩れる姿を見て、リムが困惑の声を上げた。
「リム……とどめを刺してどうする」
「え? え? え?」
セイジ達と夫との間を、顔を振って慌てるリムを見て、レナードは大きく息を漏らした。




