第49話 挟撃
セイジは窓を閉めると、扉を開け、廊下に顔だけを出す。ちょうど向こうを歩いていた年配の兵士と目が合った。
「どうかされましたかな? セイジ殿」年配の兵士がセイジの方に近寄ってきた。
「鐘が鳴っています」
「鐘?」
「ええ、街の左右から鐘を打ち鳴らしている音が聞こえてきます。メルドムの鐘について、何かご存じですか?」
兵士は顎に手を当て、しばし頭を捻った。
「……いや、申し訳ない。私もメルドムのことは詳しくは無いのです。今も鳴っているのですか?」
「ええ。今は窓を閉めたので聞こえはしませんが、おそらくは」
「ちょっと聞いてきましょう。しばし、お待ちあれ」
「お願いします」と頭を下げ、セイジは部屋に戻った。
クレアの寝ているベッドに向かう。まだ眠ってから2時間足らずだ。寝入り端を起こすのはかわいそうだったが、仕方が無い。
「クレア……クレア……」
呼びかけながら体を揺さぶった。驚かせない様にゆっくり揺さぶる。それを徐々に強くしていった。
数回繰り返した所で、ようやく目を覚ました。焦点の定まらないぼんやりとした目がセイジを見つめていた。
クレアの口がぱくぱくと動いた。喋ったのかも知れないが、声は出ていない。
「クレア、すまない、目を覚ましてくれ」
セイジはクレアの背に手を差し込み、上体をゆっくりと起こす。
「どう……され、ました……か?」
ささやく様な声がクレアから発せられた。目は少ししか開いていない。まだ半分以上夢うつつの中だ。
「メルドムの鐘が打ち鳴らされている。もしかして敵襲かも知れない」
「て……き……」
俯き、額に手を当てながら頭を振った。必死に眠気と闘っている。
「まだよくわかってはいない。だが、何かが起こっている確率が高い。とりあえず目を覚ましてくれ」
「はい……わかり……ました」
俯いたままだったが、声は先程よりしっかりとしていた。
クレアに水を持ってこようと思い、キッチンの方に向かう。コップに水を注いでいる最中に扉がノックされた。
先程の兵か? セイジはコップを置いて扉に向かった。まだ5分と立っていないのに解ったのだろうか?
扉を開けると、そこにいたのは先程の兵では無かった。禿げ上がった頭に樽の様な体型をした男……グランドナイツの魔導騎士、ホローが立っていた。
「ホロー殿、貴方も鐘の音を聞いて?」
「ふむ……気が付いていたか、さすがはロウガの認めた男だ」
ホローは髭をいじりながら、セイジを見上げた。
「あの鐘は何なのでしょうか?」
「異常事態を知らせる鐘だ。メルドムが襲撃されている。既に門は突破され、街の中に敵が入り込んでいるらしい。しかも東と西の両方、つまりは挟撃だ」
「え!?」セイジは驚いた。てっきり外で暴れているのかと思ったら、既に中に入り込んでいるという。しかも東西共だという。どうやってあの堅牢な鉄壁をぬいたのだろう。
セイジの表情を見て、ホローがため息をつきながら話した。
「メルドムの警備兵にスパイがいた様だ。そいつが門扉を開けた。してやられたな、こうなってはメルドム自慢の外壁も意味を成さない。それどころか挟撃で逃げ場は無い。壁があだとなった」
ホローは髭をさすりながら淡々とした口調で話した。外では大変な事態になっているというのに、その口調から焦りは微塵も感じられない。
「申し訳ないが、クレア様を起こしてくれ。起き次第、猊下の部屋に向かってほしい。そこでこれからどうするかの話をする」
「解りました。それで、現状はどうなっているのですか?」
「警備兵と常駐のエミリーナ兵がそれぞれに向かっている。今は防戦に徹し、市民の避難を第一にしている。だが、いつまで持つかは解らない。急いでくれ」
「はい」セイジは頷いた。ホローもすぐに踵を返して立ち去る。
「全く……傭兵達は全員起きているというのに、グランドナイツの連中はぐっすり寝ているとはな……」
去り際にホローがぼそりと呟いた。メルドムが襲撃されたことより、その事に腹を立てている口調だった。
10分後、セイジはクレアと共にセリアの部屋にいた。
部屋にはセリアと侍女二人、グランドナイツの面々、それにロウガ、バル司祭がいた。グランドナイツの面々とバル司祭は中央で顔をつきあわせ、これからどう動くかの話し合いをしている。
先程まではレナードもいたが、今は部屋に戻っている。レナードはリムを部屋に残しここに来たのだが、セリアより危険かも知れないのでここに連れて来る様言われ、連れに戻っていた。
セイジはロウガと共に、扉のすぐ近くの壁に寄りかかり、話し合いを聞いていた。二人とも話し合いに参加するつもりは無かった。あくまで教団に雇われた傭兵なのだから、指示に従うだけだった。
隣にはクレアがいた。寝間着から着替え、いつもの修道衣の格好になっていた。さすがに目は覚め、不安げな顔で話の行方を見守っていた。
「やってくれるよなあ……」ぼそりとロウガが呟いた。
「今日は飲んでないのか?」
いつもだったら、この時間のロウガはへべれけタイムのはずだ。しかし、今は酒のニオイを一切嗅ぎ取れない。
「なんか嫌な予感がしてな、酒も飲まずに部屋でゴロゴロしてたら、なんか騒ぎになってやがった。お前も似た様なもんだろう?」
「ああ」
「嫌な予感はあたって欲しくない時は良く当たるもんだ……。まさか東西同時に襲撃してくるたあ、考えもしなかった」
「それはワシたちも同じだ」ロウガの隣にいたホローが呟いた。ホローだけは話し合いの輪から外れ、腕を組んで不機嫌そうな顔をしていた。
「さすがにこんな事態は想定していなかった。堅牢な鉄壁を抜けられはしないだろう、という思いがあった。まさか内部にスパイがいたとは……向こうにしてやられた。見事としか言いようが無い」
「おいおい、敵さん褒めてる状況じゃ無いぜ」
「仕方あるまい、今のところ完敗だ。メルドム自慢の鉄壁のせいで、いまや住民も脱出不可能。打つ手が無い」
「そんなに敵さん数が多いのか?」
「多い。100や200じゃない。合わせて1000はいるとの報告だ」
ホローの言葉にロウガは頭をボリボリと掻いた。
「お前さんの魔法で壁に穴とかあけらんねえの? こいつもこう見えて相当な魔法の使い手だぜ」
ロウガは親指を突き立て、セイジをクイと指さした。ホローはじろりとセイジを見る。
「そちらの御仁が相当に魔法を使うことはワシにも解る。だが、無理だろう。メルドムの鉄壁は魔法防壁も兼ねている。ワシの魔導部隊の力を加えても、ひびを入れるのが一杯だな」
「やっかいな……穴ほった方がマシそうだな」
「非常用の出口等はないのですか?」
セイジが尋ねた。ホローは首を横に振る。
「存在はする。しかし要人脱出用の抜け道だ。人一人通るのがやっとだという。しかも100年以上使用された事は無く、先程部下に見に行かせたところ、途中で崩落する危険が高いとのことだった」
「おーおー、八方塞がりだな」
お手上げ、とばかりにロウガが両手を挙げた。
セイジも大きくため息をついた。確かに現状は最悪の一言だ。
ふいに右手の人差し指がきゅっと握られた。見るとクレアの小さな手が、セイジの指を握りしめていた。顔は正面を向いたままで、不安そうに話し合いを見つめている。
「心配か」声をかけると、クレアは弾かれた様にセイジの方に向き直った。そして無意識のうちにセイジの指を握っていたことを知った。
「あ、も、申し訳ありません」
慌ててクレアが手をほどいた。セイジはその手を追いかけ、握り直す。クレアが驚いた表情でセイジを見上げた。
「嫌なわけじゃ無い。心細いなら握っていてかまわない」
「あ、ありがとうございます」
クレアはセイジの右手に自分の左手を重ね、胸元に抱き込んだ。セイジは腕の力を抜き、なすがままにさせた。
本来であれば、刀を抜く右手を他人に握らせたりはしない。だが、今のセイジは右手をクレアの好きにさせた。それでクレアの不安が少しでも和らぐのなら、その方がいいと思った。
ロウガがにやにやと笑っていた。セイジは一睨みして、クレアに視線を戻した。
「申し訳ありません。連れてきました」
扉を開け、レナードがリムの手を引いて入ってきた。
リムは怯えた様な目で部屋をきょろきょろと見回した。知らない大人がたくさんいることと、部屋の中に充満している得も言われぬ空気を感じ取ったのだろう。
「リムちゃん」
「あ、クレア様」
リムは、ほっと息を吐き、クレアの方に駆け寄ってきた。クレアは重ねていた左手を離すと、リムを抱き寄せる。
「どうですか?」レナードがセイジの隣に立って聞いた。
「何も進展はない。八方塞がりだ」
「そうですか」レナードは腕を組んで、窓の外に目を向けた。
再び扉がノックされる。失礼します、と兵士が入ってきた。
「現状のご報告を致します! 現在東門、西門共に魔物の集団に襲撃されております。西門側からは武器を装備したスケルトンが約200体街に入り込んでおります。また、物見からの報告によりますと、まだ外に200体ほどが待機しているとのことです」
「外に200体が待機しているだと?」ゼオが眉を寄せた。
「はい、400体のスケルトンがいる様ですが、街に入り込んだスケルトンは半数のみです。そして東門にはガガンボの群れが押し寄せています。その数……」
兵士が言い淀んで、ゼオを見た。
「ガガンボはどのくらいいる。報告せよ」
「はい……ガガンボその数およそ1000以上はいると思われるとの報告です」
その場に居た全員が同時に息を飲んだ。
西門にスケルトン400体。東門にガガンボ1000体以上。単純に足しても敵は1400体以上いる事になる。途方も無い数だ。
こちらの戦力はメルドム警備兵500、常駐のエミリーナ兵が400、今回同行してきた兵士が400。合計で1300。
戦力でも敵の方が多い。さらに不意打ちをかけられ、兵達は皆浮き足立っている。圧倒的不利だ。
「メルドム住人の避難状況はどうなっている」
「いまだ途中です。セラヴィ裏手の広場に集まるよう指示を出しています。敵の侵入が思ったよりも遅いので、避難自体は上手くいっていますが……なにせメルドム住人は3万人もおりますので、まだ時間はかかります」
「……もはや一刻の猶予もままなりません。攻めましょう」
今まで俯き、黙って聞いていたセリアが顔を上げ、立ち上がった。
「私が全力を持ってスケルトンを祓います。西門を突破し、住民の脱出口を作るのです」
「猊下、落ち着いて下さい。それはあまりにも危険です」
ゼオがセリアを諫めようと手を伸ばした。
「奴らはただの無秩序な魔物ではございません。間違いなく、敵が操っているものと思われます。そして、敵の狙いは猊下です。敵が一気に攻め上がってこないのも、全て猊下を引き出すために誘っているのです」
「解っています。ですが、このままでは部隊も各個撃破され、住民が犠牲となります。それだけは防がねばなりません」
「仰る通りです。ですが猊下を戦場に立たせるわけには参りません。どうか猊下は速やかに脱出なさって下さい。敵は我らエミリーナ騎士団が排除致します」
「敵が多すぎます。いかにエミリーナの騎士でも厳しいはずです。私ならばスケルトンを一気に100体は祓うことが出来ます。まずは西門の敵を制圧し、退路の確保を」
「それは我らの使命と存じます。猊下は脱出を……」
「いえ、私だけが逃げては示しが付きません。私が先頭に立つ事により兵達の士気も……」
ゼオは必死にセリアを説得していた。なんとか法皇であるセリアだけは逃がさなければならない。額に汗を浮かべ、何とかセリアを思いとどまらせようとしている。
しかし、セリアは声を荒げ、ゼオの意見に首を縦に振らない。自分も闘うと言って聞かなかった。
セリアの責任がそうさせていた。今回、メルドムに来た理由も、夫と長いつきあいのあったライトン司祭の捜索と、娘のクレアの身を案じての行動だった。周りからは猛反対されたが、それを押しきっての行動だった。
その軽率な行動が今回のメルドム襲撃を招いてしまった。悔やんでも悔やみきれない。セリアの胸中には激しい後悔が渦巻いていた。
責任は全て自分にある、セリアはそう思っている。だからこそ自分だけ安全な場所に逃げるなどということは決して許されない。例え殺されようとも、住民を守らなければならない。セリアの頭はその考えで一杯になっていた。
周りのグランドナイツは固唾をのんで二人を見守っていた。いや、見守るしか無かった。
同行してきた騎士達は若輩者が多い。まともに法皇に意見が出来る者など、ゼオとホローの二人だけだった。もっともホローは腕を組んでじっと法皇を見ているだけで、先程から一言も発していない。ゼオだけが必死に法皇を説得していた。
こりゃ埒があかんな。
セイジはそんな二人を見て、息を漏らした。
今は意見をぶつけ合っている場合では無い。一刻も早く動かなければならない。防衛に回っている者達もそう長くは持たないだろう。
エミリーナの兵士はまだしも、メルドム警備兵は所詮、首を切られた兵士達の寄せ集めだ。統率は取れていないだろうし、そもそも命を張ってメルドムを守るのかどうかも疑問だ。本格的な戦闘が始まったら逃げ出すのでは無いか? もっとも挟まれたこの状況では逃げる場所などありはしないが。
セイジは隣のロウガに目を向けた。視線に気が付いたロウガは、苦笑いして首を横に振った。あくまで自分達はエミリーナに雇われた傭兵だ。法皇様に意見する気はさらさらない。そう目が語っていた。
ホローは腕を組んだまま、口を真一文字に結び、ゼオとセリアを見ていた。人差し指が持ち上がり、とんとんと二の腕を叩き続けている。いらだっている様だが、口を挟む気は無い様だ。レナードも窓の外を見たままだった。
下を向き、ふうと再びため息をついた。
策はある。だが、それを言うのはためらわれた。
しゃしゃり出るのが嫌なのもある。自分の立場がどうあれ、セイジはエミリーナに雇われたただの一傭兵だ。雇い主の命令に従うのが正しい姿だろう。だが、言わない最たる理由はそれでは無い。
ただ単に自分の口から言いたくないだけだった。
セイジはちらりとクレアを見た。クレアはリムを抱き寄せたまま、じっと二人を見続けていた。
どうすればいいのだろう。
先程から自分に問い続けている。答えは出てこない。
なんとか母を説得し、ここから逃がさなければならない。代理とは言え、母は今法皇なのだ。法皇の身にもし万が一のことがあれば、大変なことになる。
しかし、どう言えばいいのか解らなかった。自分が出て行っても更に話がややこしくなるだけではないのか、と考えてしまう。
母は頑固だ。娘であるクレアには誰よりもその事が解っている。一度こうと決めたら覆させるのは難しい。前法皇の意見でも平然とはねのけることもあった。
どうすれば……どうすれば……。
考えてもどうすればが頭を埋め尽くすだけで、何も浮かばない。
救いを求める様にセイジを見上げた。セイジもまたクレアを見ていた。
どきん、と大きく心臓が跳ね上がった。
セイジの目が先程とは違っていた。離した手を追いかけて握ってくれた時の、優しい目とは違っていた。
鋭い目。そう、セイジが使用している刀の様な目。視線に触れるだけで斬られてしまいそうな怖い目だった。
ふいとセイジは視線を外した。クレアはそのままセイジを見続けていた。
何? 今の目は……。
いつもの優しい目とは真逆の、背筋に寒気が走るほどの怖い目だった。初めて見る鋭く恐ろしい目……。
いや、とクレアは首を振った。初めてでは無い、自分に向けられたのが初めてだっただけで、あの目を見たのは初めてでは無かったはずだ。
記憶を懸命に探った。すると、すぐに思い出せた。
昨日だ。4m以上はあるミノタウロスに勇猛果敢にも戦いを挑もうとしていた時だ。
「行くぞ、レナード」
そう言ってレナードを見た。その時の目だ。
思い出せはした。だが、今度は何故その目で自分を見たのかが解らない。
あの時、セイジは闘いに行こうとしていた。自分よりも遙かに大きい相手に対して、勝ち目の薄い闘いに。
死を覚悟して、闘いに行こうとしている時の目に見えた。レナードに覚悟を促した目……。
「あ!」と声を漏らした。胸に抱いたリムがクレアを見上げた。
「どうされましたか? クレア様」
リムは尋ねたが、クレアは何も答えなかった。それどころかリムの方を見ようともしなかった。あらぬ方を見ながら小さく震えていた。
そう、何故思いつかなかったの?
セイジが向けていた目の意味が解った。解ってしまえば、簡単なことだった。
母は法皇だ。どんなことがあろうとも死なせるわけには行かない。
そう、母は死なせてはならない。ならば、
「セイジ様!!」
クレアは声を張り上げてセイジの名を呼んだ。
部屋にいた全員が驚いてクレアの方を見た。ゼオとセリアもぶつかり合いをやめ、驚きの表情でクレアを見ていた。
当のクレア自身も驚いていた。自分がこんな大きな声を出せるとは思っても見なかった。
「どうした? クレア」
セイジも驚きの表情でクレアを見ていた。
「セイジ様、お願いがあります」
「お願い?」
クレアはにこりと笑った。花が咲いた様な満面の笑みだった。そして……
「私と一緒に、死んで下さいますか?」
母を死なせるわけに行かないのなら、私が代わりに命をかければいい。
クレアは満面の笑みを浮かべたまま、こう言ったのだった。




