第4話 黒装束
振り返ることなく、セイジは再び歩き始めた。ペースも今まで通りだった。違うのは注意のほとんどを後ろに向けながら歩いている。視線は前を向いたままだ。
風がやや強く、草木がざわめいている。その為足音は聞こえない。
だが、気配がびんびん伝わってきた。奥の光源に近づくにつれ、殺気を伴って強くなっていく。
踏み込んではいけなかった様だ。いまさら引き返しても遅いだろう。
余計なことに首を突っ込むからだ、と口を歪ませた。レナードが居たらきっと口汚く罵られる事だろう。
足下に転がる死体が無くなってきた。既に気配は完全に殺気へと変わっていた。仕掛けてくるつもりだ。
5人といったところか。セイジはペースを緩めることなく進む。
殺気がばらけた。セイジの背後に二人回り、他が左側に回っていくのが解る。
相手が近づくにつれ、殺気がぼんやりとした形を作っていく。綿飴の様にもこもこしていた固まりが、千切れ、練り固められ、人の形を成していく。
二人は縦に並んでいた。前の者は、武器を上段に構えている。後ろの者は武器を腰の辺りに構え、体勢を低くしている。腰だめの格好だ。
前の者が斬りかかり、後ろの者が突き刺してとどめを刺す、といったところか。
前方に馬車の荷台が見えた。光源はその窓から漏れている。
殺気がふくれあがった。一気にセイジに向かって詰めてくる。
来た!
セイジは右手でダガーを逆手に抜いた。そして身を屈めつつ、一瞬のうちに反転した。反転しながらダガーを手の中で回し、刃を正面に向ける。左手は刀に伸びていた。鍔を押し上げ鯉口を切った。
目の前に黒い装束をまとった人間が見えた。目以外のすべてを布で覆っている。右手には先ほどの騎士が使っていたような剣を持っていた。屈めた体を戻しつつ、そのまま首にダガーをねじり込んだ。
ダガーの尖端が僅かに首の後ろから見えた。うめき声を上げる間もなく、黒装束は絶命した。
セイジはそのまま黒装束を突き飛ばした。後ろで剣を腰だめにして走り込んでいた黒装束にぶつかる。
後ろの黒装束が受け止める形になった。すぐに払いのけるようにして突き飛ばし、セイジに襲いかかろうとする。
その瞬間、後ろの黒装束は驚きに目を見開いた。
はじける様な音と共に、セイジの手に刀が握られていた。襲いかかろうとしたときに、鞘に収められていたのは確認している。
馬鹿な! と思ったときにはセイジの右手が動いていた。下から突き上げるように迫る刀が黒装束の目元に刺さる。
いつの間に……抜刀を……。
黒装束は己の脳みそを冷たい刃が突き抜けていく感触を感じていた。
罠に嵌めたつもりが……嵌められていたのは俺たちだった!
脳をえぐられながら、黒装束は気が付いた。虚を突いたつもりだったが、虚を突かれたのはこちらだった。相手は気が付かないふりをしていただけだったのだ、と。
セイジが僅かに手を動かすと、刃は黒装束の頭から抜けた。黒装束はぶるりと一度大きく震えると、剣を腰だめに抱え込んだ格好のまま、地面に倒れ込んで動かなくなった。
セイジは右側に向き直った。刀は右手にぶら下げる様に構えている。
右手側にいる3人の黒装束達は動かなかった。10m程離れてじっとセイジを見ている。前列に2人、後列に1人の三角形のようなフォーメーションを組んでいた。
殺気にぶれがなかった。慣れている、とセイジは感じた。
普通ならば、動揺や戸惑い、または怒りや焦りなどが出てくる。あの山賊達のように。
目の前にいる3人から、その一切を感じることはなかった。仲間が二人やられたと言うのに、殺気に一切の淀みがない。慣れている、人を殺すのも、仲間を殺されるのも。その事に対して一切の痛痒を持ち合わせてはいない。
黒装束達はショートソードを構えていた。前列にいる2人は左側が剣を正眼に構えているのに対し、右側は中段に構えている。
正眼とは剣を腹の前で構え、剣先を斜め上に上げる。丁度剣先が顔の前に来る。剣の基本となる型だった。しかし、右側の黒装束は、剣先を立てずに、腹から垂直に突き出す様に構えている。体勢も少ししゃがみ込む様な格好だった。
後ろにいる黒装束はどう構えているか解らなかった。二人の顔の間からじっとセイジを見ている。
魔法を使うには近すぎる距離だった。詠唱している間に攻撃されて終わりだ。山賊達に使用した暗黒球体の詠唱の詠唱で約10秒。ただ、唱えれば良いだけではなく、精神を集中しなければならない。絵巻物のように剣で払いつつ魔法で攻撃などと言うことはできはしない。どっちつかずになって中途半端な攻撃になるだけだ。
睨み合いになった。セイジも、黒装束達も構えたまま動かない。
こいつらかなり出来る……
セイジの背中を何かがざわざわと駆け上っていく。何時以来だろう、久方ぶりに感じる感覚だった。
恐怖と歓喜。人を斬る恐怖、人を斬る歓喜、斬られる恐怖、斬られる歓喜。
それらが綯い交ぜとなって背を駆け上がり、脳天を貫く。
恐怖と歓喜を飼い慣らせ、と師は言った。
恐怖に潰されてはならない。歓喜に奪われてはならない。
それらを飼い慣らし、どちらにも支配されない心を持て。
師の言葉が頭に浮かんで、すぐに消えた。ぐちゃぐちゃと考えている頭がはじけ飛び、真っ白になっていく。
前列の二人がぱっと左右に分かれた。後列の黒装束は腰に剣を差してはいたが、何も手に持っていなかった。瞬間、その何も持っていなかったはずの右手が閃いた。
僅かな風切り音と共に、何かが頭部に向かってくるのを感じた。考えるよりも早く、セイジは横に飛んだ。頭の横を何かが勢いよく通り過ぎ、背後でカーンと言う音が鳴った。木か何かに当たったらしい。だが、それを確認している余裕はなかった。
「おうぁ!」
雄叫びと共に右手側の黒装束が一気に詰めてきた。中段のまま片手で突いてくる。
本命はお前じゃない……。
セイジは1歩だけ下がった。下がりつつ体勢を素早く立て直す。
剣の尖端は、セイジの腹の前で止まった。目の前の黒装束の目をセイジは見つめる。動揺の色がはっきりと見て取れた。
飛び道具で仕留めようとしたのか、あるいは牽制し、突いて引かせて、体を崩そうと思ったのか。引いたところにつけ込んで斬ろうと思ったのか。だが、セイジは崩れなかった。僅か一歩下がっただけだった。それで剣は届かない、と見切った。黒装束の右手は一杯まで伸びているが、セイジの腹に刺さるにはわずか数センチ足らない。
セイジの体が僅かに沈んだ。瞬間、体と共に刀を跳ね上げる。
天を向いた刃に、月光が反射し、きらりと輝いた。
「がぁ!」
黒装束の悲鳴と共に、剣を握ったままの右手首がドサリと地に落ちた。落ちてなお右手は剣を握って離さなかった。
斬られた黒装束は、後ろに転がる様にして、セイジから逃げた。
入れ替わるようにして、奥の黒装束が剣を抜き、上段に構えたまま走り込んでくる。
セイジは斬り上げた刀を引き寄せ、八相の構えになった。じっと正面の黒装束を見据えたまま、右足を踏み込んだ。
お前でもない!
左手一本で刀を左に薙いだ。
刀が笛の音を鳴らした。セイジの刀が空気を切り裂く音だった。
すさまじいスピードで剣を振ることによって鳴る音だ。縦斬りならば刀の重さも相まって鳴ることはあるが、横薙ぎでならすのは至難の業だ。
刀を覚える際、セイジは最初の4年間は素振りを命じられた。しかも真剣でだ。
縦斬り1年、横薙ぎ3年だった。それほどに横斬りは難しい。
そのせいもあって、セイジは横薙ぎでも笛の音を出すことが出来る。
ガスッという音と共に、左側から走り込んできた黒装束の側頭部に刀が埋まっていた。
「あっ!」という言葉が正面の黒装束から漏れた。
目は完全に自分へと向いていた! 視線も動かなかった!
黒装束は驚きで目を見開いていた。
二重の囮で左の仲間に斬らせるはずだった。左に向き直れば自分が斬るはずだった。
しかし、セイジは正面を見据えたまま、一瞥もすることなく、左の黒装束の頭部に刀をめり込ませた
セイジが刀を振り切ると、黒装束の頭が飛んだ。額ごと頭の鉢を吹き飛ばした。
斬られた黒装束はもんどりうって倒れた。頭部の切断面から血に混じって何かがどろりとはみ出ていた。
正面の黒装束が「ひぃ」と引きつった悲鳴を上げた。セイジはいまだ正面の黒装束を見据えて離さない。黒装束は後ろに飛んで逃げようとした。相手の間合いに踏み込みながら、恐怖で剣を振り下ろすことが出来なかった。
それは愚かな行為だった。
セイジは前へ走り込んだ。刀を右へくるりと回し、刃を前方へと返す。刀柄を両手で握り直した。
飛び下がった黒装束にはすぐに追いついた。後ろに飛んで逃げるスピードでは、前に詰めるスピードには到底勝てない。
焦った黒装束は、下がりながら剣を水平に薙いだ。セイジは剣の下をかいくぐるようにして腹に刃を当てた。
刃が黒装束の肉に食い込む感触。そのまま勢いに任せるかのように、走りながら刀を引き斬った。刃が少し固い物にあたった感触があったが、そのまま斬り抜けた。
どさっという大きな物が落ちた音がした。駆け抜け、すぐさま振り返る。
そこには黒装束の下半身のみが倒れることなく立っていた。上半身は後方に、仰向けの格好で落っこちていた。
黒装束はもう一人いたはずだが、どこにもいなかった。気配も完全に無くなっていた。
逃げたか……セイジは刀を軽く薙いだ。刃に付いていた血がぴしゃりと空に舞った。
片腕は斬り飛ばしたが、致命傷ではない。血止めさえすれば生き延びることは出来る。
ポケットから紙を取り出し、血をぬぐい始める。刃を磨きながら輪切りにした黒装束の元に行く。白目をむいて天を仰いでいた。既に事切れている。
顔を覆っている布をはぎ取ってみた。どうと言うことのない40くらいの髭の濃い男だった。当然見たことはない。
傍らに落ちている剣も何の変哲も無い剣だった。そこいらの武器屋で売っている物だ。
軽く調べてみたが、これ以外に何も持っていなかった。先程の飛び道具も発見できなかった。セイジは他の死体も調べてみたが、すべて同じだった。
最初に突き殺した黒装束の首からダガーを引き抜く。こちらは軽くぬぐって鞘に収めた。
果たして何をしていたのか……セイジは馬車に向かい歩き始める。
こいつに近寄ろうとたら黒装束達が出てきた。馬車を襲ったのはこいつらなのかもしれない。夜盗とは思えなかった。身なりが徹底しすぎている。動きも夜盗のそれとは大きく離れている様に感じた。
馬車のボディが見えてきた。かなり派手派手しい色合いをしている。
側面が見えた。とたんにセイジは立ち止まる。
なるほど……とセイジは苦笑いをした。冷たい風が吹いているのに、流れた汗が背中を伝った。
こいつはどえらい事件に首突っ込んだようだぜ。
そこにあった馬車の側面には、大陸最大の宗教組織、エミリーナ教のシンボルが大きく描かれていた。
鯉口を切る……時代劇等でよく見られる、親指で鍔を押し上げちょっとだけ刀を抜く行為のことです。