第48話 時限爆弾
冷たい秋の夜風が吹きすさぶ中、メルドムから1kmほど離れた草原に、二人の男が並んで立っていた。
闇夜に溶け込む様な黒装束をまとった男と、月明かりを反射する白い袈裟を着けた男だった。
「やれやれ、相変わらず恐ろしい土地だ」
白い袈裟の男が顔をしかめた。
「何が恐ろしい? ここには何もないではないか」
黒装束の男……コタローが聞いた。
「お前には解らんだろうが、ここにはウン万の怨念が渦巻いている。何百年も前の霊魂がいまだに消えず彷徨い続けている。相当に残酷な行為が行われたのだろう」
「そうなのか?」
「メルドムは元々ここにあった。だが、ドラグーンに攻められ、住人の多くがここで無残に殺された。残った街の者達が復興しようとしたが、様々な祟りや呪いが起こったという。やむを得ずここを諦め、少し離したあそこに作り直したそうだ」
「ほう……」コタローはメルドムの方に目を向けた。
「当然だ。これほどの怨念が渦巻いてはここに再興など出来るわけが無い。鎮魂もせずに建て直そうとは愚の骨頂。しかし、今回はそれに感謝しよう」
男は懐から大きな巾着袋を取り出した。口を開け、中に入っていた粉を掴み、頭上高くに振りまく。
粉は冷たい夜風に乗って流れ散っていった。
「それは?」
「人骨を砕き、碾いて粉にしたモノだ。これが元となる」
コタローが眉をひそめた。男はちらりとコタローを見て口を歪ませた。
「貴様達の方がよっぽどえげつないことをしておるだろう。何をこの程度で」
男は袋の中身を空にぶちまけた。粉が流れたのを見てから、手を合わせ、印を組む。
男は何かを呟き始めた。真言と呼ばれるイーストの呪術の言葉だ。コタローにはでたらめな言葉を呟いているとしか思えない。
最初は小さな声だったが、だんだんと大きくなっていく。冷たい夜風の中、男の額に汗が浮かび、流れていく。
目の前の平原に徐々に変化が起きた。地面のいたる所がこぶのように隆起し始める。そのこぶがだんだんと崩れていく。
「おお!」
コタローが声を上げた。崩れた土のこぶから骸骨戦士が生まれた。しかも数体では無い。数百体のスケルトンが土の中から這い出てくる。
ふう、と息を吐き、男は顔の汗を拭った。
「凄まじいモノだな」
「当然だ。イーストの呪術はエミリーナ如きとは格が違う」
男は袈裟のポケットから数個の鈴を取り出し、コタローに差し出した。
「この鈴が制御となる。骸骨共はこいつを持っている者の命令しか聞かない」
「ほう」コタローは鈴を受け取り、一つをつまみ上げ、月夜に照らした。
「再度言っておく。こいつらの寿命は朝までだ。強い日光を浴びれば体を維持することが出来ない。まあ、せいぜい朝7時までと言うところか」
「それだけあれば十分だ」
「では私は行く。お前達に付き合うのもここまでだ」
「おお、ご苦労だった。達者でな」
コタローはそれだけ言うと、スケルトン達の方に歩いて行った。男はやれやれと首を振ると、振り向きコタローとは逆の方に歩いて行く。
何のために闘うのか……理解出来ぬな。
男はそのまま振り向く事無く、闇夜の中に消えていった。
午前0時。
メルドムの東西には大きな監視塔が建っている。すぐ下には街唯一の出入り口となる、大きな門扉がある。
メルドムが雇っている警備兵が昼夜交代で24時間体制で見張っている。もっとも戦争の終わった今は、真面目に見張っている者などほぼいない状況だ。公然と酒盛りをしている者さえいる始末だった。
だが、今日は違った。普通は3人だけの見張りも、今日は40人以上の人間がいた。法皇が来ている為の増員だったが、それにしても多かった。見張りだけでは無く、街の見回りも24時間行われている。ここまでの大規模な警備は過去例が無い。
ライトン司祭の誘拐や、ミノタウロスの襲撃などの事件があったため、教団は警備を徹底的にしていたのだ。もっとも、一般兵である彼らには何も知らされていない。
「2時間たったな、交代だ」
双眼鏡を覗いていたチョビ髭の男に、メガネをかけた男が声をかけた。双眼鏡をメガネの男に渡すと、チョビ髭はポケットから酒の小瓶を取りだし、飲み始める。
「おい、仕事中だろ。控えろよ」
「うっせえなあ、こっちはこんな寒い中引っ張られたんだ。燃料入れなきゃやってられっか」
「教団から特別手当が出てるんだ。お前だけ無くなっても知らないぞ」
「けっ、どうせかかあとガキに全部持って行かれるんだ。かまやしねえよ」
チョビ髭は小瓶の中身を煽る。メガネはため息をついて前をむき直した。
「お前はいいよなあ、かみさんは美人だし、で、子供もいないんだろう。そりゃあここの稼ぎだけでも十分だろうさ。俺もガキなんてこさえなきゃ良かったぜ」
メガネは答えず、黙って双眼鏡を覗き続けていた。
「だいたいよお、教団が戦争を止めっからいけないんだ。あの当時の給料なら、俺だって楽に食わせてやれるさ。戦争が終わったらあっさり馘首になって、いまや警備兵ときたもんだ。給料なんて半分以下、飲める酒だって安酒がせいぜい。やってられっかっての」
「……お前は戦争を望んでいるのか?」
メガネが前を向いたまま、ぼそりと呟いた。
「ああ、そうだね。そうすりゃこんなちんけな仕事ともおさらばだ。俺だけじゃ無いはずだぜ。馘首になって路頭に迷ってる奴だって多いだろう。お前は違うのか」
「……そうだな、俺も戦争になればいいと思ってる」
「だろー。こんな安月給じゃ満足に食っていけねえって。戦争になりゃあの華やかしい時代が戻ってくるんだぜ」
「確かに、お前の言う通りかも知れない」
「今、ドラグーンとファイナリィは緊張状態だ。このまま開戦ってなりゃいいが、そう上手くもいかねえだろうな。だいたいよお……」
チョビ髭の話の途中で、急にメガネが振り返った。双眼鏡を男の足に乗せ、立ち上がる。
「おい、まだ5分もたってねえだろうが。どこ行くんだよ」
「ションベンだよ、ションベン。お前が言う通り冷えてしょうがない」
メガネは手をぶらぶらと振りながらチョビ髭の前を通り過ぎる。
「もうすぐ、お前の望みは叶うかも知れないぞ」
「は?」
メガネは通り過ぎ際に一言呟き、監視塔の階段を降りていく。チョビ髭は不思議そうな顔でメガネを見ていた。
「何言ってんだ? あいつ」
呟いて、最後の一口を飲み干した。そのまま一眠りしようかと壁に寄りかかり、目をつむる。
が、何やら騒いでいる声が聞こえた。無視して寝ようとしたが、騒ぎは収まらない。自分の前をばたばたと走られ、たまらずチョビ髭は目を開けた。
塔の一端に人が集まり、指さし騒いでいる。仕方なく立ち上がり、双眼鏡片手に歩み寄って近くにいた者に尋ねた。
「うっせえなあ、どうしたんだよ」
「あそこに何かいるらしい。緑色の点が見える」
「それが何だよ。なんか動物がいるんだろう?」
別に珍しいことでは無い。動物の目は月の光に反射して緑色に輝く。そんなことは夜勤をしていれば何度も見ていることだ。
「一体じゃ無い、何百個も見える。しかもこっちに近づいてるんだ」
「んん?」
チョビ髭は少し横にずれ、隙間から双眼鏡で覗いた。
確かに何百という緑の点があった。間違いなく動物の目だ。それらがこっちに向かって迫ってくる。
妙だった。動物にしては点の位置が高い気がする。四つ足歩行の動物ならもっと低いはずだ。あの点の位置に目があるとするなら、二足歩行の生物と言う事になる。
「あれは……まさか人か? こんな夜中にあんなに?」
誰かが言った言葉にざわめきが一瞬止まった。
まさか、敵が攻めてきた?
全員の頭の中にそのことがぱっと浮かんだ。
「おい……まさか?」
「敵か? 敵が攻めてきたのか?」
皆が口々に騒ぎ始めた。男達が集まり、がやがやと騒ぎ出す。
「静まれ! 静まれー」一人の男が手を叩いて叫んだ。メルドム警備兵の団長だ。
「敵の可能性もある。全員、警戒態勢を取れ」
団長の言葉に全員が壁に掛かっている弓を取りに走った。
「隊列を組め、ただし、俺の合図があるまで絶対に弓を……」
「違う! 人じゃ無い」
双眼鏡を覗き続けていた男が叫んだ。全員が一斉に叫んだ男に目を向ける。
「ガガンボだ! ガガンボの大群だ! 百どころの数じゃ無い、うじゃうじゃいやがる!」
「何だと!」団長が叫んだ。ガガンボの存在は知っていたが、ドラグーンに生息している魔物だ。ここファイナリィでは滅多にお目にかからない。
「おい、ガガンボって!」
「マジかよ! なんでこんな所に」
「あいつらってドラグーンにしかいないんだろう? 何でこんな数が!」
「落ち着け!」団長が叫んだ。「こっちには鉄壁がある。門だって奴らじゃ打ち壊すことは出来ない。いくら数が多くてもここから撃っていればあんぜ……」
「だ、団長! 大変だ!」双眼鏡を覗いている男が、再び団長の言葉を遮って叫んだ。
「うるさい! 落ち着けと……」
「下! 下を見ろ。門が開いている!!」
「何だと! 馬鹿な!」団長は身を乗り出して、下を覗いた。
確かに門が少し開いている。先程まではぴったりとしまっているのを確認していた。
全長10mもある巨大で分厚い扉だ。人力では開けることは出来ず、機械で開閉している。その開閉方法も複雑で、警備兵の中で決まった者しか開けることが出来ない。敵が入り込んだとしても、開け方が解らないはずだ。
何故だ!? どういう事だ!?
混乱で団長は身を乗り出したまま固まっていた。他の者達も、驚きでどうしていいのか解らなくなっている。
やがて我に返った団長が叫んだ。
「撃て! 弓を撃ちまくれ!」
全員がはっとした様に矢をつがえ、撃ち始めた。双眼鏡で覗いている男の肩を叩き、
「お前は鐘を叩け、叩きまくれ。おい、お前!」
「は、はい」団長に肩をつかまれ、チョビ髭が気をつけの姿勢で振り返った。
「お前、確か門の開閉が出来たな」
「はい、出来ます」
「よし、俺は下に行って制御室を見てくる。お前も付いてこい! そっちは、鐘を叩いていろよ。いいな」
「解った!」男は双眼鏡を置き、鐘の方に走った。団長も塔を駆け下りる。チョビ髭も慌てて続いた。
「だ、団長殿! 一体何がどうなっているのですか?」
「知るか!」団長が叫んだ。聞きたいのは彼も同じ事だ。
塔を駆け下りた。門の開閉装置は塔の一階部分にある。扉に手をかけると難なく開いた。
妙だ、と団長は思った。この扉は常に鍵がかけられた上、大きな南京錠で二重に施錠されているはずだ。しかし、どちらの鍵もかかっておらず、南京錠は外され、地面に転がっていた。
考えるのは後だ、と中に入り込んだ。すぐに剣を抜いて構える。
「貴様も抜いておけ、敵がいるぞ」
「て、敵でありますか!?」
「当然だろう、鍵が開いているんだ。誰かが入り込んでいる。敵だと思うのが当然だ」
チョビ髭は剣を抜いてゴクリと息を飲んだ。団長は構えたまま進んでいく。チョビ髭もへっぴり腰で続く。
制御室の扉を開けようとしたが、中から閉められていた。団長は思いっきり蹴り破った。
「早かったな、いや、もう遅いか」
制御室の奥にランタンを持った一人の男がいる。先程までチョビ髭といたメガネが笑っていた。
「貴様! 何をしている!」
「門扉を開けたのさ」団長の怒鳴りに、薄ら笑いを浮かべたままメガネが答えた。
「馬鹿なことを! 敵が来ているんだ! 早く閉めろ!」
「悪いな、これが俺の仕事なんだ」
「何を言っている? 冗談じゃなく敵が来ている! 早く……」
「だから、門を開けるのが俺の仕事だ。ガガンボが来ているのだろう? それを街の中に入れる為、門を開けたのさ」
「な……貴様、裏切ったな!」
団長は剣を担ぎ、斬りかかろうとする。
メガネがランタンを投げた。すると床から炎が上がった。油が床にまかれていたのだ。
団長は慌てて飛び下がった。炎はみるみるうちに広がっていく。あっという間に炎の海となった。
「あんた達とは10年間、同じ釜の飯を食った仲だ。だが、俺は本来の仕事をしなきゃいけなくなった。門の開閉装置は破壊した。もうここは持たない。悪いことは言わない、速く逃げな」
炎の向こうから声が聞こえる。
「お前、10年間、この為にメルドムにいたというのか!?」
「まあ、そんなところだ。メルドムで情報を集めていた。それが俺の仕事だ。警備兵も情報が集まりそうだから所属していただけだ。まさか今日こんな事になるとは思わなかったが」
「あいつらは一体何なんだ! 何故メルドムを襲う!」
「すまないが、本当に知らない。ガガンボがくるから、合図があったら門を開けろ、それしか俺は聞かされていない。そして、これが終わったらかみさんととんずらだ」
壁の向こうから爆発音がした。風が入ってきて、炎の勢いが強くなる。メガネが向こう側の壁に穴を開け、脱出口を作ったのだ。
「任務があったからな、かみさんと子供を作ることも出来なかった。だが、これでようやく解放される。じゃあな、速く逃げろよ」
「ま、待て!」
煙で呼吸が苦しくなる。たまらず団長とチョビ髭は逃げ出した。
扉から転がる様にして飛び出ると、地面に手を突いてむせかえった。
「く、くそったれ! 門はもうダメか」
団長は起き上がると、いまだむせているチョビ髭の胸元を掴み、引き起こした。
「お前は詰め所に戻って兵を連れてこい! エミリーナの兵隊達もだ。俺はここで限界まで引きつける。いいか、走れ!」
「わ、解りました!」チョビ髭は敬礼して、息も整わないまま走り始めた。
ひい、ひい。
チョビ髭は死にかけた豚の様な悲鳴を上げながら、どたどたと懸命に走っていた。本人は必死だが、その進みは歩いているのは変わらない位に遅い。
市民達が次々と家から飛び出し、鐘の方を指さし騒いでいた。メルドムのこの鐘は非常事態の時に鳴らす決まりになっている。だが、この鐘を鳴らされたことは今までに一度も無かった。悪戯で鳴らされた位で、その時はすぐに止まっている。
今は止むこと無く鐘は鳴り続けている。さすがにおかしい、と夜中にかかわらず家々から人が出てきて騒ぎになっている。
チョビ髭はやっとの思いで詰め所にたどり着いた。扉を開け、中に倒れ込む。
「おい、どうした!」
すぐに兵達が駆け寄ってきた。だが、チョビ髭も呼吸が整わず、すぐには喋れない。
「ひ……ひが、し、もん……敵……て、き……門が……あけ、ら……れた」
やっとこれだけ喋った。目の前の兵士達が目を見開き、顔を見合わせた。
「なんだと! 東門にも敵が来ているというのか!」
え!? と今度はチョビ髭が目を見開いた。
「おい、門は開けられたのか? 敵はスケルトンか? 数はどれだけだ!」
「も、門は開けられた。敵は……ガガンボだ。数は解らないが、百体以上は……」
チョビ髭の言葉に、兵達の顔が一斉に凍る。
「糞、西門に続いて東門もだと! ガガンボだと!」
「おい、エミリーナの部隊にも伝えろ! 本隊出してもらわなきゃだめだ」
「早くしろ、市民を避難させろ!」
「避難ってどこにだよ! 東門も西門も敵がいるんだろうが!」
「知るか! 挟み込まれてるんだ、このままじゃ殺されるぞ!」
「ちくしょう! 何だってこんな事に!」
詰め所は大騒ぎになった。チョビ髭はその場に座り込んだまま、ぽかんとしていた。
「一体……何がどうなっているんだ」
先程から何度も自分に問いかけている事を、再び問いかけた。
もちろん、その問いに答えてくれる者は誰もいなかった。
セイジは毛布をはぎ取り、跳ね起きた。同時に刀を手に取った。
部屋はしんと静まりかえっていた。クレアの静かな吐息だけがかすかに聞こえて来る。他に何も聞こえはしない。
今までセイジは眠っていた。だが、何かを聞いた気がした。その音を聞き、セイジは一瞬で飛び起きた。
立ち上がり、刀を持ったまま正面を向いて、目をつむる。
すぐに目を開けた。何の気配も無かった。侵入者がいるわけではないようだ。
窓の方に歩いて行く。外から見えない様にカーテンを引いていた。その中に潜り込み、窓を開ける。
……鐘の音?
冷たい夜風に乗って、左右から鐘の打ち鳴らす音が聞こえてきた。
セイジ達の泊まるホテル、セラヴィは街の中央部分に位置する。鐘の音はわずかに聞こえるだけだった。
だが、止むこと無く聞こえ続ける鐘の音に、セイジはざわめきが強くなるのを感じていた。
何かが起きた……。間違いない、何かがメルドムで起こっている。
そしてそれは決して良くない事なのだろう。
セイジは打ち鳴らされている鐘の音を聞きながら、すっと自分の腕を撫でた。
要塞都市メルドム。
壁に覆われた5km×5kmの正方形の街。鉄壁に覆われた難攻不落の都市。
本来ならば住民達を護るはずの壁。しかし、内部に敵が侵入したことによって、様相を一変させる事となる。
外敵から住人を守るための鉄壁は、内部から住民を逃がさないための鉄壁の檻となり、メルドム市民に牙を剥いた。
2014年度の更新はこれが最後となります。
少々早いとは思いますが、皆様良いお年を。




