第47話 伝心
「これより明日の行動について説明する。時間は無いので簡単にするつもりだ」
ゼオが全員を見回しながら低い声を上げた。
時刻は9時を回っている。食事会が終わってからまだ30分ほどしか経っていない。
円卓のテーブルを囲む様にして関係者達が座っていた。上座に法皇であるセリアが座り、すぐ側にゼオが立っている。侍女達は変わらずセリアの後ろに控えていた。
円卓の右側に、ロウガ傭兵団の面々と、クレア、それに戻ってきたバル司祭が座っている。さすがにリムはいない。
左側はゼオを除いた6人のグランドナイツが座っていた。今回同行しているグランドナイツ全員が、ここにそろったことになる。
「まず始めに過日の事件について、簡単にバル司祭に説明してもらおう」
「畏まりました」
バル司祭が立ち上がった。
バル司祭は要点をまとめ、完結に今回の事件のことを話した。セイジは元より、全員おおよそのことは掴んでいる。あくまで再確認のために話していた。
話は昨日のガガンボとミノタウロスに襲撃された話となった。
本日の調査の結果、ミノタウロスからは何の異常も見られなかったとのことだった。しかし、首元に明らかに他と違う大きな傷があった。死後につけられたと思われる傷であるため、何者かがミノタウロスに仕込まれていたモノを、証拠隠滅のために持ち去ったのでは無いか? との見解を示した。
「ミノタウロスは何者かに操られていたのか?」
「間違いないかと思われます」ゼオの質問にバル司祭は大きく頷いた。
「何のために?」
「一切不明です。目撃者となったクレア殿とセイジ殿を殺害しようとしたのかも知れませんが、可能性は低いかと思われます。この時点では遅すぎます」
バルは大きく首を振った。
確かにあの時点でセイジとクレアを殺害しても何もならない。メルドムに入った時点で情報は全て伝わってしまっている。殺しても向こうは何の特にもならない。
考えられるのはただ単純にクレアとセイジを殺したかった。それだけだった。
セイジはふと隣を見た。クレアは俯いて口を結んでいた。自分と恩師が襲われた話だ、聞いていて気持ちのいいものでは無いだろう。
結局、事件についての話はこれで終わった。
「では、明日の行程について私から話す」
ゼオが全員を見回して言った。
「まずライトン司祭の捜索についてだが、ロウガ傭兵団と合同で調査する。現在はロウガ傭兵団と教団の兵士がファイナリィ各地の調査をしている。情報が集まり次第、精査して動くことになる。ロウガ、頼んだぞ」
「了解だ」ロウガは腕を組んだまま答えた。
「教団からはギルが残ることになった。ロウガと共に陣頭指揮をとってくれ」
「はい」
40過ぎと思われる男が立ち上がった。法皇とゼオに一礼し、
「ロウガ殿、よろしくお願い致します」と、ロウガにも深々と頭を下げた。
「おう、組むのは久しぶりだな。ま、こっちこそ頼むぜ」
と、ロウガも手を上げて答えた。どうやら知り合いらしい。
「バーツもここに残り、ギルとロウガの副官として働いてくれ」
「はっ!!」若い騎士が勢いよく立ち上がった。
彼には見覚えがあった。法皇の部屋に行った時、入り口に立っていた騎士の一人だ。
「バル司祭、君もいろいろ手伝ってくれ」
「畏まってございます」バル司祭は恭しく頭を下げた。
「ライトンの調査は以上の面々に任せることにする。次に明日の帰還について話す」
ゼオは一回言葉を句切り、グラスの水を飲んだ。
「明日は朝7時にここを出る予定だ。遅くても8時には必ず出発する。本来であれば、途中のラトームの街で一泊するのが慣例だが、今回は一気にマルヴィクスまで戻る。遅くても午後7時までには戻りたい。途中雨やトラブルがあった時は変更するが、各員はそのつもりでいてくれ」
「はっ!!」と残りのグランドナイツの面々が声を上げた。
「先頭は私が行く。なお、馬車は三台走らせる。猊下の馬車にはホロー、君が同乗してくれ」
「うむ」年かさの行った男が髭をいじりながら頷いた。
額から後頭部までつるりと禿げ上がり、側面にしか毛は残っていない。身長もそれほど高くなく、でっぷりとした腹が突き出ている。樽の様な体型をした男だった。
彼を見るのは初めてだが、名前は知っていた。エミリーナ魔導部隊の一人だ。かなりの実力者と聞いている。そのコミカルな体型からは想像も付かない力を持った男だ。
「猊下の馬車はクラウスに任せる。結構なスピードを出すことになる。集中しろ」
「はい」クラウスが立ち上がった。緊張しているのか、手が震えている。
「二台目の馬車にはクレア様がお乗りになる。まだ、お客さんが一人同乗予定だ。馬車の警護はセイジ殿にお願いする。馬車はレナードに任せる」
「はっ!!」レナードが立ち上がって一礼した。セイジは座ったまま頷いた。
ちなみにお客さんというのはリムの事だ。マルヴィクスまで同行することにしたらしい。
「三台目の馬車は荷物入れ用だ。これは同行している兵から一人任せることにする。殿はロベルトに任せる。トーマはロベルトの補佐にあたれ。背後から襲ってくる確率もある。決して気を抜くな」
「「はい!」」二人は声を揃えて立ち上がった。
「明日は早く出ることになる。今日はゆっくりと体を休め、明日に備える様に。私からは以上だ。猊下からはございますか?」
ゼオの言葉を受け、セリアは頷いた。
「この度はライトン及び我が娘クレアの件でご迷惑をおかけしました。法皇としてでは無く、一人の母として皆様に御礼申し上げます。もう少々、私たちにおつきあい下さる様、お願い申し上げます」
「はっ!!」と騎士達が一斉に声を上げた。
セリアはゼオを見て頷いた。ゼオも頷き返す。
「では解散とする!」ゼオの言葉を持って、会議は終了となった。
「あの……今日はお酒を」
「ああ、今日はいいんだ。ありがとう」
今日の晩酌の準備をしていたクレアを、セイジは手で制した。
セイジとクレアは部屋に戻ってきていた。今晩はセリアの部屋に行くだろうと思っていたのだが、クレアはセイジと共に部屋に戻ってきた。
今日も飲むのだろうと思い、クレアが準備をしようとしたところだった。
クレアは驚いた。今まで毎晩お酒を飲んできたセイジが今晩はいらないという。確かに夕食の際に焼酎を飲んではいるが、軽く2杯だけだった。昨晩の酒量に比べれば5分の1程度だ。
「どこかお体の具合が悪いのですか?」
クレアは心配そうな面持ちで尋ねた。セイジの体調が悪いのではないかと心配したのだ。
セイジは驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「そうじゃない。明日が早いから今日はいいってだけだ。クレアも早く休まないと明日の朝がきついぞ。もっとも明日は馬車の中で寝ててもかまわないが」
「はい……」
頷いたクレアの顔には不安が張り付いたままだった。
「さあ、まだ10時だが今日はもう寝よう。クレアも寝た方がいい」
そう言ってセイジはソファーに置かれていた毛布をつかんだ。
「あのベットでお休みにならないのですか?」
「ベッドもソファーも沈み込みすぎてな、どうも嫌なんだ。今日は床で寝る。クレアはゆっくりと休んだほうがいい。いろいろあったから、まだ疲れはとれていないだろう」
「……はい」
クレアは返事をして俯いた。が、すぐに顔を上げる。
「お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「ん? いい……ぞ」
クレアの方に顔を向けたセイジが一瞬、息をのんだ。
顔を上げたクレアの顔は真剣そのものだった。美しくも鋭いまなざしがじっとセイジをとらえていた。
その鋭いまなざしにセイジは覚えがあった。
ミノタウロスとの戦いの時だ。決死の一撃を見舞ったのはいいが、反撃を食らい、セイジは死に瀕していた。
そこにクレアが駆け寄り、セイジを回復魔法で癒やしてくれた。クレアがいなかったら、セイジは間違いなく死んでいただろう。
だが、まだミノタウロスは生きていた。近寄ってくるミノタウロスを見て、セイジはクレアに、逃げろと言った。
「お断りします」とクレアは言って笑った。
「セイジ様を置いてはいけません。置いていくのなら、死んだ方がマシです」
顔は笑っていた。だが、目は一切笑っていなかった。
その時のクレアの目は、澄んだ目をしていた。死の恐怖を凌駕した目だった。
その目に近い目をクレアはしていた。セイジは息をのんでクレアの言葉を待った。
「その……セイジ様はこれから、どうなさいますか?」
「これから? 明日からマルヴィクスに行きそこでクレアの警護を……」
「いえ、そうではなく」クレアは大きく首を横に振った。「私がお伺いしたいのはマルヴィクスの警護が終わった後の事です」
そう言ってクレアはまっすぐセイジを見た。
マルヴィクスでのお仕事が終わった後も、私と一緒にいてくださいますか?
クレアはそう聞きたかった。いや、聞いたつもりだった。
だが、言葉は自分の頭の中で流れただけだった。声にならず、息となって口から漏れただけだった。
聞きたかった。だけど怖かった。
信じてはいる。この仕事が終わった後、セイジは自分を妻に迎えてくれる。クレアはそう固く信じている。
母も大丈夫だと言ってくれた。セイジ殿はあなたをきっと幸せにしてくれる、そう言ってくれた。
でも、言葉に出すのは怖かった。心の中でもしかして、と考えている自分がいる。
自分の体のこともある。昨晩、セイジには体のことを話した際、気にしていないと言った。
それは大きな嘘だった。
周りが敬虔なエミリーナ信徒であったので、体のことで差別されたことはない。それでも悲しかった。夜眠っていて、急に飛び起き泣き続けたこともあった。
クレアの心は真に女性だった。その心が泣いていた。何でこんな体に生まれたのだ、と泣き叫んでいた。この体では愛することも、愛されることも許されないのではないか。自分が何のために存在しているのかわからなかった。
周りの友達は次々に結婚していった。見るたび、聞くたび心がえぐられていく。表面上では仮面をかぶり祝福し続けた。その仮面をかぶるたびに、心が痛みで悲鳴を上げた。
兄の悪戯だというのなら、と見たこともない兄を恨んだことすらある。エミリーナの試練だというなら、あまりにも残酷な試練だった。
そんな時、セイジが自分の前に現れてくれた。
死にかけの自分を救ってくれた。そして婚約の議を行ってくれた。
その時、クレアは感じた。セイジこそ、エミリーナ様が自分に遣わしてくれた運命の人なのだと。
セイジはエミリーナ教徒ではない。婚約の議は偶然行われたものであり、何の意味も持たない。そのことはクレアにだってわかっている。
クレアは信じた。偶然とはいえ、何も知らないセイジが婚約の議を自分に行ってくれたことを。それこそがエミリーナの導き、運命であると。
クレアは目をそらすことなくじっとセイジを見ていた。
セイジもじっとクレアを見つめていた。
二人は黙って見つめ合っていた。それはわずか数秒のことだったが、クレアには数時間にも等しい感覚だった。
ふと、セイジが目をそらして、顔を横に向けた。どきりとクレアの心臓が跳ね上がる。
「……俺がナロンの街に家を持っているという話はしたな」
顔を背けたまま、セイジが喋り始めた。
「は、はい……」
返事をしながら何を言うのだろう、と考えていた。
クレアは心臓に手を当てていた。すさまじい勢いで心臓が躍動している。
「家を売るのには時間がかかる。それまで一緒にナロンにいるか? それともマルヴィクスで待っているか?」
クレアはきょとんとした表情のまま固まっていた。セイジの言っている意味が一瞬、わからなかったのだ。
言葉を反芻するようにつぶやいた。セイジの言っている意味を徐々に理解していくにつれ、固まっていた表情が喜びにほぐれていく。
「わ、私は!」あまりの喜びに言葉に詰まった。「わ……私はセイジ様と一緒にいられるのなら、どこでもかまいません!」
「そうもいくまい。義母上のこともある。マルヴィクスではないと安心されないだろう」
「はい……はい!」返事をしながらクレアは満たされていった。心の中が喜びで爆発している。
相変わらずセイジは顔を背けたままで、クレアの方を見ようとしない。
だが、クレアは何も気にならない。横を向き続けているのは照れているからだ。面と向かって答えることができなかったのだ。酷く遠回しな答えでクレアの問いに答えたのも、照れたからだろう。それでもセイジの想いはクレアに十分に伝わった。
もうクレアは何も迷う必要はない。急ぐ必要もない。後は成り行きに、流れるままに身を任せていけばいいだけだ。
「明日からは時間がいくらでもある。その辺の話もしよう。さあ、明日は早いぞ、早く寝なさい」
「はい、わかりました。セイジ様、おやすみなさい!」
クレアは跳ねるように寝室へと歩いて行った。
ふとほおを伝わるものを感じ、指で触れてみた。それは涙だった。歓喜の涙だ。
流れ続ける涙をぬぐおうとしなかった。ベットに飛び乗り枕を抱きしめ、顔を押しつけた。枕に涙がしみていく。
今日もいい夢が見られそう……。
そう思いながらクレアは目をつむり、喜びの涙に身を任せていた。
クレアが隣の部屋に消えていくのを見て、セイジは大きく息を吐いた。
自分の頬をぺしぺしと叩く。風邪をひいたかの様に熱を持っていた。
セイジはやれやれと呟いて頭を掻いた。呟いておいて、何がやれやれなのか自分でもさっぱりと解らない。
クレアはいつだったか、セイジとの出会いは運命だと言った。確かに運命だな、とセイジも思った。
クレアと婚約の儀をしてしまった責任をとったわけでは無い。教団を恐れたわけでも、法皇の娘と言うことを気にしたのでも無い。
クレア=ヴィンテージという一回りも年下の娘に、セイジもまた惚れてしまったのだ。
一緒にいることに何の違和感も覚えない。たった4日間だけしか行動を共にしていないのに、もう長年連れ添った様な感覚を覚えていた。
今思えば、出会った時からの一目惚れだったのかも知れない。共に4日間過ごしていく内にだったのかも知れない。互いに助け助けられる内かも知れない。
いつなのかはもう解らない。だが、一つだけ確かなのは、セイジもクレアと共にいる事を望んでいる。それだけだし、それで十分だった。
もうレナードのことをからかえないな、と笑った。年齢の方はリムの方が低いが、年齢差で言えばセイジの方が上になってしまった。
だが、浮かれる気にはならなかった。
セイジは窓の外に目を向けた。3日前はこの時間でも人が歩いていた。今日歩いているのは兵士達ばかりだ。教団の兵士達が目を光らせ見回りをしている。
夜を徹しての警備だ。しかし、その光景を見てもセイジは不安を覚えていた。
外を見ながら胸に手を当てる。昼間から感じているざわめきは収まるどころか増し続けている。
戦士として、傭兵としての本能がずっと警報を鳴らし続けている。戦いに生きてきた男が感じている漠然とした不安、いわば悪い予感だ。これがあったからセイジは今まで生きてこれたと思っている。
クレアにここで寝ると言ったのもそれが理由だった。ベッドやソファーがいやというのもあるが、用心のため、部屋が一望出来る場所で寝ようと思ったのだ。
勘が外れればそれにこした事は無い。そもそもこの警備の中で敵が襲ってくるとは考えられない。既に門は閉じられ、侵入することは難しい。襲ってくるなら明日の帰還の際のはずだ。
今回ばかりは勘は外れる。そう考える一方で、いや敵は来ると考えている自分がいる。
来るとするなら暗殺だろう。この部屋に忍び込み、クレアかセイジまたは両者を殺しに来るはずだ。自分一人なら恐れることは無い。だが、クレアを護りながらではそうも行かない。
セイジは壁に寄りかかる様にして座り込んだ。刀を脇に置き、毛布で身をくるんだ。ダガーの柄を握り、目をつむる。明かりは付けたままだ。
今回ばかりは勘が外れてくれることを祈ろう。
神経をそばだてながら、セイジは浅い眠りにつくことにした。
闇夜の山の中を一団が歩いている。うっそうと木々が生い茂った山だった。
皆無言だった。一言も喋ること無く、黙々と歩いている。
先頭を大男が歩いていた。長さ3m以上はある、とんでもない大剣を片手で肩に担いでいた。
その剣は長いだけでは無かった。刃幅も優に70~80cm以上はあり、厚さも半端ではない。そんな大剣を男は担いだまま、涼しい顔をして木々を避けながら歩いている。
大剣の名は蜻蛉切。男の祖先が使っていた武器の名前を冠していた。もっとも祖先が使ったのは槍である。槍の穂先に止まった蜻蛉がすっと二つに切れたことから付けられた名だと言われている。
木々が開けてきた。男は足を止める。
「見えたか」と男……カツタダはぼそりと呟いた。
眼下には鉄の壁に覆われた街、メルドムの灯りが見えていた。




